【完結】姫の前

やまの龍

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第1章 若紫の恋

第19話 巫女の力

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 ヒメコは重いため息をついて空を見上げた。

「妻にしてください!」
 決死の覚悟で為されたヒメコの求婚は子どもの可愛らしいままごとと微笑ましく見守られ、流されて終わった。

コシロ兄は一瞬、何を言われたのかわからないという顔をしてから、ひどく不思議そうにヒメコを見つめ、それから僅かに眉を寄せてアサ姫の方を振り返った。
殆ど表情を表に出さないコシロ兄だけに、その変化が彼の気持ちを全て物語っていて、ヒメコの浮かれていた恋心はあっという間にぺしゃんこに潰れた。

嫌なんだ。
困らせてしまった。
胸の奥が冷えていく。
どうしよう。
でも口から出してしまった言葉は取り消せない。ヒメコは泣くに泣けない気持ちで過ごした。救いとなったのは、佐殿が言ってくれた言葉だった。
「昔、一の姫もまだ幼い頃に私の妻になると言って皆に笑われていた。私も笑って聞いていたものだったが、気付けばその通りになっていた。生きていれば何があるかわからんのが不思議で楽しいものさ」 

 アサ姫を見れば、アサ姫は少し懐かしそうな申し訳なさそうな顔でヒメコを見返して頷いてくれた。
そうだ。将来どうなるかなんて誰にもわからない。今は今やるべきことをやるだけ。

 翌日。
「高天原からに~」
廣田神社の神職の祝詞に皆で神妙に頭を下げつつ、皆わくわくとしながら合図を待つ。
「天津祝詞の太祝詞を宣れ~」
神職がそこで口をつぐんで、子らを見る。
子らは笑顔で口揃えた。
「ひとふたみぃよ。いつむぅゆ、ななや、ここのぉたぁり」
綺麗に重なって林の葉を震わせる子らの声。神職が後を続けて祝詞奏上が終わる。早苗が運び込まれた。

「たくさん、たくさん上がれ。どうか豊作になりますよう」
わぁっと人々が殺到して、大楠を取り囲む。

 ヒメコはその輪からそっと離れて皆の様子を見守った。

——本当に。皆の田が豊作でありますよう。この村も隣の村も比企の村も。もっともっと遠くの村も。全ての村が豊作でありますよう。

 手を合わせて祈る。歓声や拍手。走り回る人々の足音。

 ふと、その中で一筋だけ、ピンと糸のように張った気を感じた。ヒメコはそっと辺りを見回す。

——ややこが危ない。

聴こえた声。

——ややこ?
首を巡らせる。
コシロ兄が人混みをかきわけるようにして大楠に向かっていた。その先にアサ姫の姿が見える。アサ姫は早苗を手に大楠へとにじり寄り、その腕を横から斜めに上へと振り上げ、早苗を放る所だった。咄嗟にヒメコはアサ姫に向かって駆け出す。投げ放たれる早苗。綺麗に弧を描いたその薄緑が、大楠の枝に見事に引っかかる。腕を上げて喜ぶアサ姫の姿が人混みに飲まれて見えなくなる。その時、神職が大きな声を上げた。
「そこまでです!皆さん、ご覧ください。沢山の早苗が枝に乗りました。今年は豊作間違いなしですぞ!」
鳴り響く拍手と歓声。
でも、人の輪が今度は一気に外側へと向かおうとして、それに押されたアサ姫が体勢を崩して人波の中に消えそうになる。ヒメコは大きく腕を伸ばした。



——苦しい。痛い。熱い。重い。

 暗闇の中、ヒメコは必死で出口を探して駆け回っていた。
チロチロと赤い影が蠢いている。あれは大蛇の舌?
いいえ、違う。あれは灯明の炎の揺らぎ。灯りだ。
 そちらに向かって手を伸ばそうとする。だが途端に激痛が走り、ヒメコは呻いた。
「ヒメコ様!気が付いた?」
頭上から誰かが話しかける。高い声。誰の声だったろう?母ではない。祖母でもない。侍女の声?
「ヒメコ、気付いたか」
続く男性の声にヒメコはハッと目を見開く。佐殿が見下ろしていた。
「佐殿?」
状況がわからず、とにかく起き上がろうとしたヒメコの肩が押さえられる。
「まだ動くな。骨が折れているらしい」

——骨?何故?
 肩を押さえる佐殿をぼんやりと見上げながら記憶を辿る。
今日は御田植神事があった筈。皆で祝詞を奏上して早苗の投げ上げもして、沢山の早苗が上がったと神職が言って無事に神事は終わった筈。そこで記憶が蘇る。
「あ!アサ姫様は?ご無事ですか?」
人混みに押し倒されそうになっていたアサ姫の姿を思い出す。

「済まない!」
 大声で叫ぶ佐殿。
もしや、アサ姫に何かあったのか。口を開こうとしたヒメコの頭の上で、佐殿は手を合わせてヒメコを拝む格好をした。
「そなたのお陰で助かった。この通り礼を言う。だが、かわりにそなたが」
私が、何?
その時、佐殿の後ろから二の姫様が顔を出した。
「佐殿、ヒメコ様はまだ目覚めたばかり。お声が少し煩うございます。お話は後で。今少しお下がり下さいませ」
たおやかながら有無を言わさぬ口調に、佐殿はズリズリと後ずさっていった。
「ヒメコ様、水を少しお口になさらない?」
言われて、ひどく喉が渇いていることに気付く。小さく頷いたら二の姫がヒメコの背を起こして支えながら口元に器を近付けてくれた。少しずつ何度かに分けて水を含む。その間に二の姫は少しずつ何が起きたのかを教えてくれた。

 御田植神事の後、ヒメコが見た通り、アサ姫は人波に押されて倒された。だが、ヒメコがその場に駆け付けて、寄せる人波を押し返し、また倒れたアサ姫の上に人々が乗りかかってくるのをその身を呈して防いだのだという。

「押し返した?」
 ぼんやりと繰り返す。

——誰の話?
 だってヒメコの背は大人の半分もない。押し寄せる人波を押し返せるわけがない。のしかかってくる人々の下敷になるアサ姫をかばえるわけもない。
「私、そんなことしてません。というより出来ません。勘違いです」
対し、二の姫はええと頷き
「そうよね。私もそう思ったのだけれど、その時に近くで見ていたという男性がそう言ったのよ。物凄い怪力のおチビちゃんだな。天狗の子か?って。その隣にいたという女性も同じように言ってたわ。その二人は、あなたが姉上をかばってくれた後に続いて積み重なった人達の下からあなたを救い出してくれた方々で、とても嘘をついてるようには見えなかったし、きっと本当のことなのよ。それがあなたの巫女の力なのね」
「巫女の力?」
ヒメコはあっけにとられる。そんなの聞いたことがない。

「とにかく礼を言うぞ!そなたのお陰でアサも腹の子も無事だった」
佐殿がまた顔を出す。
「腹の子?」
キョトンとするヒメコに佐殿が笑う。
「そなたがアサに尋ねたのではないか。ややこは無事ですか?と。忘れたのか?」
全く記憶のないヒメコはぼんやりと佐殿を見返した。でも、ふと誰かの声が聞こえたことを思い出す。
「誰かが、ややこが危ないと言ってたんです。私はそれを聞いただけ。他のことは何が何だかわかりません」
 喉の渇きは潤ったものの、身体中が痛いし寒くてたまらない。ヒメコはまた暗闇の中へと意識を戻した。
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