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第1章 若紫の恋
第16話 再会
しおりを挟む比企の警護の者に送られて北条の館に着いたヒメコを真っ先に迎えてくれたのは、藤九郎叔父と見知らぬ男だった。
「そろそろ比企に戻ろうと思っていた所でしたが入れ違いでしたな」
澄ました顔の叔父に、祖母からの預かり物を渡す。
「これが例の物ですか。はい、確かに」
叔父は風呂敷に包まれたそれを飄々と受け取ると、隣に立つ男にそのまま渡す。
「待って、それはとても大事な物です!」
祖母が佐殿に用立てたという梵鐘用の何か。多分すごく高価なもの。
つい声を上げたヒメコに、その見知らぬ男がニコリと微笑んで礼をした。
「これは失礼いたしました。私は藤原邦通と申す佐殿の側に仕える者。けっして怪しい者ではございませぬのでご安心を」
その邦通という男は手元の紙にサラサラと何やら書き付けてヒメコに差し出した。
「お可愛らしい方、お受け取りください」
小さな紙片を受け取って目を落とす。そこには絵が描かれていた。幼い女の子の姿絵。
「あなた様の清廉さには遠く及びませんが、お近づきの印にどうぞお納めくださいませ」
「え?」
なんだか褒められているようだけれど、そんな言葉などかけられたことがないので、呆気にとられて男を見つめ返す。
と、笑い声がしてヒメコの肩が抱かれた。
「ヒメコ、気にするな。邦通は都人だから、女と見れば子どもでも褒めねばならぬと思っているのだ。宮中でも口だけで渡り歩いてきたような男だからな。話半分に聞いておけばいい。だが信用は出来る男だから安心しろ。比企の尼君からの届け物は、藤九郎と邦通が待っていたものなのだ」
佐殿だった。
和やかに館の中へ入って行く男三人を見送り、キョロキョロと辺りを見回す。目当てはあの少年。
馬屋に居ると思ったのに居なかった。自分の家に帰ったのかもしれない。残念に思いつつ諦めきれなくて庭へと足を向けたら声をかけられた。
「姫姉ちゃん!」
顔を上げる間も無く抱きつかれる。
「お帰りなさい!待ってたんだよ。何も言わないで行っちゃうから心配してたんだ。ああ、良かった」
五郎だった。子犬のように黒々と大きな目で見上げられて胸ときめく。この子の可愛さは尋常じゃない。さすがは観音さまの弟君だと五郎の頭を撫でつつ、やはり先にアサ姫に挨拶しなければと思った時、
「ヒメコさま、お帰りなさい」
アサ姫本人の声が背から聞こえ、ヒメコは恐々振り返った。また龍が視えたらどうしよう?
でもアサ姫は柔らかく微笑んでヒメコを見ていた。その後ろに後光も龍もなく、最初に会った時と同じ、観音さまのようなあたたかな気配がヒメコを包む。
「何も言わずに消えてごめんなさい」
頭を下げる。アサ姫は、いいえと微笑むとヒメコの肩に手を回した。
「佐殿が言ってました。尼君に話をしてくれているのだと。きっとお喜びいただいて、すぐにまた戻ってくると。そしてその通りになった。そう考えていいのでしょう?」
ヒメコは頷く。
ここを出る時には二人を引き離さなくてはと思っていた。でも今は二人を見守ればいいのだと思うようになっている。
祖母の言葉はまだわからない。だから今は目の前に起きることをそのまま受け止めてみよう。そう思った。それに……。
——やっぱりあの少年に会いたい。そしてお礼とお詫びを言わなきゃ。
そう気合を入れたヒメコだが、今度は妹姫たちに囲まれた。
ヒメコさま、お帰りなさい!」
並ぶ笑顔に引っ張られる手。迎えられるってこんなに幸せなこなんだと思いながら、ヒメコは久々の北条の夜をあったかな気持ちで過ごした。
翌朝、誰よりも早く起きて館を抜け出した。庭と反対の方角へ向かってみる。
「あ、やっぱり」
崖の途中から清水が浸み出して小川をつくっていた。
部屋で眠っている時、水音が聴こえるような気がしていたのだ。
「わぁ、綺麗」
草履を脱ぎ、サラサラと優しく流れる細い川にそっと足を入れる。ひんやりした水がくるぶしを優しく撫で冷やしていく。ヒメコは天を見上げた。真っ青な空に白い雲。お日さまが顔をのぞかせている。
ヒメコはそっと手を合わせて歌い出した。朝のおつとめの時に祖母と声を合わせる歌。でもいつもより声が出る。蛙が鳴いてる。虫も。それに吹く風が周りの木々を揺らして、まるでヒメコの声を吸い込んでくれるように感じて、ヒメコは安心して声を張り上げた。
でも、ふと視線を感じる。
目を上げたら、あの少年が少し離れた畦の上に立ってこちらを見ていた。
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