13 / 225
第1章 若紫の恋
第11話 野盗
しおりを挟む
山の外れ、林道の入り口。刀や槍など武器を手に下卑た笑いを浮かべる三人の男たち。
人買い、野盗だ。やっぱりこの少年は盗っ人の手先だったんだ。帰るなんて言わなければ。無理にでも馬から飛び降りていれば。佐殿も自分もまんまと騙されたのだと、悔しく悲しく思う。
その時、ヒメコの足と身体を固定していた布がスルリと取り払われた。少年はその布を地へと落とす。
その反対側に槍を手にした男がゆっくり近付いてきた。
引き渡されてしまう。
逃げなくては。でも長く固定されていた足はじんじんと痺れ、まともに動きそうにない。
男はヒメコの顔を覗き込んで満足そうな笑みを浮かべた。
「馬と子どもは拾い物だな。だが小童はどうする?」
振り返る男に別の男が答えた。
「俺らの顔を見たんだ。足がついちゃいけねぇ。とっととバラせ」
——え?バラせって殺せってこと?
そこで気付く。少年はこの男達の仲間で はなかったのだ。
ホッとすると同時に疑った自分が恥ずかしく、少年に対してひどく申し訳なく感じる。
ザリと草履の音がして、男が足を踏み出した。「だよなぁ」という返事と共に男は槍を構え直す。木漏れ日を反射して鈍く銀に光る槍先が目の前を横切る。
その時、ヒメコは腰を挟み上げられ、真横に放り投げられた。
——ザザンッ
茂みの中へと頭から突っ込む。だが直ぐに引っ張り出され、また別の男に腰を横抱きにされた。
「よし、こいつは俺の獲物だからな。あとは馬だ。くれぐれも傷付けるなよ。おい、何してる。早く小童を殺せ」
ヒメコの頭や着物から尖った葉や小枝がパラパラと落ちる。痛いのか熱いのか、もう何が何だかわからない。太い腕にしっかりと腰を抱えられ、ヒメコは足をじたばたさせながら目の前で馬の手綱に手をかけるもう一人の男の左手に握られた棒を眺めた。
その時、ふと佐殿の言葉が過ぎった。
『手首を掴まれたら悲鳴など上げずに、まず捻って手を取り戻せ。身体が自由になったら相手の手の届かぬ場まで走って、それから助けを求めよ』
そうだ。手首の外し方なら教わった。手首を掴まれたら引っ張っても押し返してもいけない。こちらが力を入れれば入れただけ相手も同じ力を入れてきて、そのまま固まってしまう。だから、もし掴まれてしまったら相手に気づかれないようにそっと力を抜き、相手が出す力の向きに自分の力の向きを沿わせつつ方向を変えて押し出して相手の体勢を崩して逃げるのだと。
でもそう耳で聞いても何だかよく分からなくて結局出来なかった。
手首でさえ出来なかったのに、腰を丸抱えにされていては、力の向きも何もあったものではない。
でもこのままじっとしていてもどうにもならない。どうにか身体の自由を取り戻さなくては。どうしよう。どうすれば逃げられる?
その時、祖母の飼ってる猫のことを思い出した。白くて太った猫。ヒメコが抱き上げるとすぐにグニャリと身をくねらせ逃げてしまう愛想のない猫。
そうだ、猫になればいいんだ。
ヒメコは一つ息を吸うと一旦止め、フゥと深くゆっくりと吐いた。
同時に体中の力を抜きつつ猫のように身をくねらせる。ヒメコを抱えていた男の腕がそれに反応して抱え直そうと動く。
その時、馬が突然いなないて首を仰け反らせた。手綱が引っ張られて男の体勢が崩れる。ヒメコは男の身体に手足を掛けると、猫の如く腕の中から飛び出した。
ゴロンと地面を一回転する。
すぐ目の前に男の握る木の棒。その先端に手をかけ、あの朝に五郎がやっていたように捻り上げたら、男はあっさり木の棒を手放した。
「あ、こいつ!」
慌てた男が手を伸ばしてくるが、ブンブンと棒を振り回して応戦し、首を廻らせて少年の姿を探す。
少年は馬の向こう側で槍を手にした男の前にいた。でも少年と男とでは体の幅が倍も違う。助けを求める状況にないことはわかる。ヒメコは絶望的な気持ちで闇雲に棒を振り回しつつ、どこか逃げ場はないかと目を彷徨わせた。
——ガツッ!
鈍い音がして恐々目を開けたら、男が腕で棒を受けとめていた。棒はすぐに奪い返される。
「このガキ、生意気なことしやがって。おいそれと逃がすもんかよ。大人しくしてろ」
そう言って足を蹴り上げる。ヒメコは大きく後ろに吹っ飛んだ。
痛むお腹を押さえて上体を起こしたヒメコの視界の中、男が槍を振り上げると先端をぐるりと廻らし、少年の胸元へと狙いを定めるのが見えた。
——もう駄目だ。少年が殺されてしまう。
——嫌だ。彼が殺される所なんか見たくない。彼は自分を送る為に馬を出してくれた。自分が急いで帰ると我儘を言ったばかりに殺されてしまうなんて。
——誰か。誰か助けて。
でも喉が引き攣って呼吸もままならない。目を閉じたいけど怖さのあまり閉じられない。
人買い、野盗だ。やっぱりこの少年は盗っ人の手先だったんだ。帰るなんて言わなければ。無理にでも馬から飛び降りていれば。佐殿も自分もまんまと騙されたのだと、悔しく悲しく思う。
その時、ヒメコの足と身体を固定していた布がスルリと取り払われた。少年はその布を地へと落とす。
その反対側に槍を手にした男がゆっくり近付いてきた。
引き渡されてしまう。
逃げなくては。でも長く固定されていた足はじんじんと痺れ、まともに動きそうにない。
男はヒメコの顔を覗き込んで満足そうな笑みを浮かべた。
「馬と子どもは拾い物だな。だが小童はどうする?」
振り返る男に別の男が答えた。
「俺らの顔を見たんだ。足がついちゃいけねぇ。とっととバラせ」
——え?バラせって殺せってこと?
そこで気付く。少年はこの男達の仲間で はなかったのだ。
ホッとすると同時に疑った自分が恥ずかしく、少年に対してひどく申し訳なく感じる。
ザリと草履の音がして、男が足を踏み出した。「だよなぁ」という返事と共に男は槍を構え直す。木漏れ日を反射して鈍く銀に光る槍先が目の前を横切る。
その時、ヒメコは腰を挟み上げられ、真横に放り投げられた。
——ザザンッ
茂みの中へと頭から突っ込む。だが直ぐに引っ張り出され、また別の男に腰を横抱きにされた。
「よし、こいつは俺の獲物だからな。あとは馬だ。くれぐれも傷付けるなよ。おい、何してる。早く小童を殺せ」
ヒメコの頭や着物から尖った葉や小枝がパラパラと落ちる。痛いのか熱いのか、もう何が何だかわからない。太い腕にしっかりと腰を抱えられ、ヒメコは足をじたばたさせながら目の前で馬の手綱に手をかけるもう一人の男の左手に握られた棒を眺めた。
その時、ふと佐殿の言葉が過ぎった。
『手首を掴まれたら悲鳴など上げずに、まず捻って手を取り戻せ。身体が自由になったら相手の手の届かぬ場まで走って、それから助けを求めよ』
そうだ。手首の外し方なら教わった。手首を掴まれたら引っ張っても押し返してもいけない。こちらが力を入れれば入れただけ相手も同じ力を入れてきて、そのまま固まってしまう。だから、もし掴まれてしまったら相手に気づかれないようにそっと力を抜き、相手が出す力の向きに自分の力の向きを沿わせつつ方向を変えて押し出して相手の体勢を崩して逃げるのだと。
でもそう耳で聞いても何だかよく分からなくて結局出来なかった。
手首でさえ出来なかったのに、腰を丸抱えにされていては、力の向きも何もあったものではない。
でもこのままじっとしていてもどうにもならない。どうにか身体の自由を取り戻さなくては。どうしよう。どうすれば逃げられる?
その時、祖母の飼ってる猫のことを思い出した。白くて太った猫。ヒメコが抱き上げるとすぐにグニャリと身をくねらせ逃げてしまう愛想のない猫。
そうだ、猫になればいいんだ。
ヒメコは一つ息を吸うと一旦止め、フゥと深くゆっくりと吐いた。
同時に体中の力を抜きつつ猫のように身をくねらせる。ヒメコを抱えていた男の腕がそれに反応して抱え直そうと動く。
その時、馬が突然いなないて首を仰け反らせた。手綱が引っ張られて男の体勢が崩れる。ヒメコは男の身体に手足を掛けると、猫の如く腕の中から飛び出した。
ゴロンと地面を一回転する。
すぐ目の前に男の握る木の棒。その先端に手をかけ、あの朝に五郎がやっていたように捻り上げたら、男はあっさり木の棒を手放した。
「あ、こいつ!」
慌てた男が手を伸ばしてくるが、ブンブンと棒を振り回して応戦し、首を廻らせて少年の姿を探す。
少年は馬の向こう側で槍を手にした男の前にいた。でも少年と男とでは体の幅が倍も違う。助けを求める状況にないことはわかる。ヒメコは絶望的な気持ちで闇雲に棒を振り回しつつ、どこか逃げ場はないかと目を彷徨わせた。
——ガツッ!
鈍い音がして恐々目を開けたら、男が腕で棒を受けとめていた。棒はすぐに奪い返される。
「このガキ、生意気なことしやがって。おいそれと逃がすもんかよ。大人しくしてろ」
そう言って足を蹴り上げる。ヒメコは大きく後ろに吹っ飛んだ。
痛むお腹を押さえて上体を起こしたヒメコの視界の中、男が槍を振り上げると先端をぐるりと廻らし、少年の胸元へと狙いを定めるのが見えた。
——もう駄目だ。少年が殺されてしまう。
——嫌だ。彼が殺される所なんか見たくない。彼は自分を送る為に馬を出してくれた。自分が急いで帰ると我儘を言ったばかりに殺されてしまうなんて。
——誰か。誰か助けて。
でも喉が引き攣って呼吸もままならない。目を閉じたいけど怖さのあまり閉じられない。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

見捨てられたのは私
梅雨の人
恋愛
急に振り出した雨の中、目の前のお二人は急ぎ足でこちらを振り返ることもなくどんどん私から離れていきます。
ただ三人で、いいえ、二人と一人で歩いていただけでございました。
ぽつぽつと振り出した雨は勢いを増してきましたのに、あなたの妻である私は一人取り残されてもそこからしばらく動くことができないのはどうしてなのでしょうか。いつものこと、いつものことなのに、いつまでたっても惨めで悲しくなるのです。
何度悲しい思いをしても、それでもあなたをお慕いしてまいりましたが、さすがにもうあきらめようかと思っております。


白露~或る二本松藩藩士の物語~
篠川翠
歴史・時代
別作、「鬼と天狗」の五番組の一員として出てくる笠間市之進。戊辰戦争の頃は糠沢組代官として活躍し、ある密命を帯びていたと笠間家には伝えられています。
ご子孫の方から伺った笠間家の伝承と、白沢村史収録の史伝を合わせながら、独立の短編にしてみました。

おつかわし屋事調べ 山姫様奔る
しきもとえいき
歴史・時代
お市は獣と話せる不思議を使い、今日も人と獣を助けるために直奔る!
戦国が終わって公方様も数えて五代目の世。馬借と宿を営むおつかわし屋の娘お市は、器量もいいが家畜の面倒見がいいことで評判の14歳の元気いっぱいの娘である。美少年の弟藤次郎と見識豊かで指南役の滅法腕の立つ辰吉と共に、今日も商いの修行中。そんな、お市には秘密があった。鳥や獣と話が出来て、言う事を聞かせることが出来るという不思議な力の秘密である。お市はお人好しのお節介焼きで、困っているなら人も獣も手を差し伸べる。そんなお市達が事件に巻き込まれ、持ち前の器量とお市の不思議な力で解決していく、痛快和風ファンタジー
稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-
山口 実徳
歴史・時代
時は明治9年、場所は横浜。
上野の山に名前を葬った元彰義隊士の若侍。流れ着いた横浜で、賊軍の汚名から身を隠し、遊郭の用心棒を務めていたが、廃刀令でクビになる。
その夜に出会った、祠が失われそうな稲荷狐コンコ。あやかし退治に誘われて、祠の霊力が込めたなまくら刀と、リュウという名を授けられる。
ふたりを支えるのは横浜発展の功労者にして易聖、高島嘉右衛門。易断によれば、文明開化の横浜を恐ろしいあやかしが襲うという。
文明開化を謳歌するあやかしに、上野戦争の恨みを抱く元新政府軍兵士もがコンコとリュウに襲いかかる。
恐ろしいあやかしの正体とは。
ふたりは、あやかしから横浜を守れるのか。
リュウは上野戦争の過去を断ち切れるのか。
そして、ふたりは陽のあたる場所に出られるのか。

あなたへの手紙(アルファポリス版)
三矢由巳
歴史・時代
ある男性に送られた老女からの手紙に記されていたのは幕末から令和にかけての二つの家族の物語。
西南の役後、故郷を離れた村川新右衛門、その息子盛之、そして盛之の命の恩人貞吉、その子孫達の運命は…。
なお、本作品に登場する人物はすべて架空の人物です。
歴史上の戦災や震災関連の描写がありますのでご容赦ください。
「小説家になろう」に掲載しているものの増補改訂版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる