11 / 225
第1章 若紫の恋
第9話 龍の玉
しおりを挟む
子らはすぐに節を覚えてヒメコに声を合わせ、ドンドンと足を踏みしめて歩いていく。ヒメコは庭を大きく一巡りし、大きな輪を作った。二の姫やアサ姫、佐殿の手も繋ぎ、輪を大きくしてぐるぐると巡っていく。
歌っていくうちに歩調がどんどん速くなり、歌も大きく高く速くなり、しまいには全力での駆けっこになって目が回る。はぁはぁと息を切らして輪の外側へ抜けだし、目の前を巡っていく輪をぼんやりと眺めたヒメコは、その渦の中心にうっすらと何かが立ち昇るのを視た。
——トグロを巻く大きな蛇?
ううん、焔のように真っ赤な玉を右手に大事に握りしめた黄金色の龍だった。
龍は駆け回る子らを眺めていたけれど、皆には見えていないようで、子らは変わりなく歌って駆け回っている。
これが祖母が言っていた視るということかとヒミカは識る。祖母はそういう霊力の持ち主で、他の人には見えない気のようなものを視ることが出来た。ヒミカにも視えるはずだと何度か試されたが、ヒミカはそれらしきものを視ることが出来ずにいた。でも今初めて視ることが出来た。
黄金色の龍は、のそりと首をもたげて天を仰ぐ。大きな大きな龍。でも不思議と怖くない。どこか懐かしいような気すらした。
龍は左手で地を押すとフワリと空へと舞い上がる。長い尾を揺らして雲へ首を突っ込み、そのまま吸い込まれていく。
——あ、見えなくなってしまう。
伸び上がって龍の姿を追ったヒメコの目の前を何本かの紐が揺れた。
「えい、えい、えーい!!」
「それ、上がれ~!」
威勢の良い掛け声と共に、色とりどりの紐がバラバラと空に向かって投げ放たれる。
紐は枝にぶつかり葉を揺らし、羽を休めていた鳥たちを飛び立たせて、またパラパラと落ちてきた。
「やった!乗ったよ」
うまく枝に乗せられた子の歓声と落ちてしまった子の残念がる声。それらを聞きながら、ヒメコは一歩前に出て龍の隠れた雲間を見上げた。
と、雲が切れて龍が細長い顔を出した。長い身体をくねらせて降りてくる。いや、落ちてきた。大きな口を開けて。雲間から真っ直ぐ墜ちてくる龍。赤い大きな口の奥の暗がりまで見える。下顎に逆向きに付いている鱗が虹色に光っている。ああ、あれが逆鱗というものか。龍がみるみる近付くのに恐怖はなく、ヒメはそんなことをぼんやり考えていた。
——どぅっ!!
龍が落ちたのはヒメコの上ではなかった。手を繋ぎ、笑い合う佐殿とアサ姫の上。なのに彼らは何も感じていないようで、笑顔のまま歌っている。ただ、突風がザァッと吹き抜け、それに煽られたアサ姫の下げ髪が舞い上がった。
豊かなその髪はたくさんの手を持つ観音菩薩の幻影を形づくる。そのたくさんの手がゆっくりと中心で合わさった時、後光が消えて人の姿を取った。龍はアサ姫へと戻る。
でも人の形を取ってるのが不思議な程にその姿は暗く、重く、その場を圧倒した。
アサ姫の背後から立ち昇る薄い影。仄暗い煤のような影が、また龍となり腕を伸ばして紅い玉を持ち上げる。玉は陽の光を浴びて僅かに震えた後、陽の光を吸い込み始めた。光はどんどん吸い込まれて細い糸となり、辺りは急に闇に覆われる。
「あ、雨!」
誰かの声と共に、何の前触れもなく雷が落ちて地響きがビリビリと足裏から腰を這い登り、指先に伝わってきた。
「皆、早く中に入りなさい!」
ニの姫の声と、駆ける子らの足音。そして大粒の雨が地を叩く轟音。
でもヒメコの足は動かず、落ちた雷の気配が辺りの空気をまだ震わせているのを感じていた。
ビリビリと尖った空気。突き刺すような焦燥感。何も出来ない。何も言えない。ただただ胸に迫る悲壮感。でもその昏い空間にポツリと小さな穴が開いた。そこから子どもの声が漏れ聴こえてくる。
いたいのいたいの、とんでけ」
「いたいのいたいの、とんでいけ」
「いたいのいたいの、とんでけってば!」
——誰?
聞いたことのない声。でも、どこか懐かしい愛しい声。
——行かなきゃ。
歩き出そうとした途端、袖を引っ張られた。
「姫姉ちゃん!何してるの?雷が落ちてくるよ。早く行こう!」
そうだ、早く行かなくては。
でも足が動かない。
どうしたの?怪我でもした?痛いの?悲しいの?」
五郎だった。
——悲しい?
そう、とても悲しい。とても悲しくて切ない。でも何故なのかがわからない。
——どうして?
ただ答えた。
「私、帰らなきゃ」
その時、誰かに小脇に抱えられ、ヒメコは館の中へと放り込まれた。
「何をやってる!雷が鳴ってるだろう!」
厳しい声。こんな声聞いたことがない。こんな扱いを受けたこともない。
勢いよく放り込まれた時に、強かに打った腕を摩って声の主を振り返る。
盗っ人の少年だった。
歌っていくうちに歩調がどんどん速くなり、歌も大きく高く速くなり、しまいには全力での駆けっこになって目が回る。はぁはぁと息を切らして輪の外側へ抜けだし、目の前を巡っていく輪をぼんやりと眺めたヒメコは、その渦の中心にうっすらと何かが立ち昇るのを視た。
——トグロを巻く大きな蛇?
ううん、焔のように真っ赤な玉を右手に大事に握りしめた黄金色の龍だった。
龍は駆け回る子らを眺めていたけれど、皆には見えていないようで、子らは変わりなく歌って駆け回っている。
これが祖母が言っていた視るということかとヒミカは識る。祖母はそういう霊力の持ち主で、他の人には見えない気のようなものを視ることが出来た。ヒミカにも視えるはずだと何度か試されたが、ヒミカはそれらしきものを視ることが出来ずにいた。でも今初めて視ることが出来た。
黄金色の龍は、のそりと首をもたげて天を仰ぐ。大きな大きな龍。でも不思議と怖くない。どこか懐かしいような気すらした。
龍は左手で地を押すとフワリと空へと舞い上がる。長い尾を揺らして雲へ首を突っ込み、そのまま吸い込まれていく。
——あ、見えなくなってしまう。
伸び上がって龍の姿を追ったヒメコの目の前を何本かの紐が揺れた。
「えい、えい、えーい!!」
「それ、上がれ~!」
威勢の良い掛け声と共に、色とりどりの紐がバラバラと空に向かって投げ放たれる。
紐は枝にぶつかり葉を揺らし、羽を休めていた鳥たちを飛び立たせて、またパラパラと落ちてきた。
「やった!乗ったよ」
うまく枝に乗せられた子の歓声と落ちてしまった子の残念がる声。それらを聞きながら、ヒメコは一歩前に出て龍の隠れた雲間を見上げた。
と、雲が切れて龍が細長い顔を出した。長い身体をくねらせて降りてくる。いや、落ちてきた。大きな口を開けて。雲間から真っ直ぐ墜ちてくる龍。赤い大きな口の奥の暗がりまで見える。下顎に逆向きに付いている鱗が虹色に光っている。ああ、あれが逆鱗というものか。龍がみるみる近付くのに恐怖はなく、ヒメはそんなことをぼんやり考えていた。
——どぅっ!!
龍が落ちたのはヒメコの上ではなかった。手を繋ぎ、笑い合う佐殿とアサ姫の上。なのに彼らは何も感じていないようで、笑顔のまま歌っている。ただ、突風がザァッと吹き抜け、それに煽られたアサ姫の下げ髪が舞い上がった。
豊かなその髪はたくさんの手を持つ観音菩薩の幻影を形づくる。そのたくさんの手がゆっくりと中心で合わさった時、後光が消えて人の姿を取った。龍はアサ姫へと戻る。
でも人の形を取ってるのが不思議な程にその姿は暗く、重く、その場を圧倒した。
アサ姫の背後から立ち昇る薄い影。仄暗い煤のような影が、また龍となり腕を伸ばして紅い玉を持ち上げる。玉は陽の光を浴びて僅かに震えた後、陽の光を吸い込み始めた。光はどんどん吸い込まれて細い糸となり、辺りは急に闇に覆われる。
「あ、雨!」
誰かの声と共に、何の前触れもなく雷が落ちて地響きがビリビリと足裏から腰を這い登り、指先に伝わってきた。
「皆、早く中に入りなさい!」
ニの姫の声と、駆ける子らの足音。そして大粒の雨が地を叩く轟音。
でもヒメコの足は動かず、落ちた雷の気配が辺りの空気をまだ震わせているのを感じていた。
ビリビリと尖った空気。突き刺すような焦燥感。何も出来ない。何も言えない。ただただ胸に迫る悲壮感。でもその昏い空間にポツリと小さな穴が開いた。そこから子どもの声が漏れ聴こえてくる。
いたいのいたいの、とんでけ」
「いたいのいたいの、とんでいけ」
「いたいのいたいの、とんでけってば!」
——誰?
聞いたことのない声。でも、どこか懐かしい愛しい声。
——行かなきゃ。
歩き出そうとした途端、袖を引っ張られた。
「姫姉ちゃん!何してるの?雷が落ちてくるよ。早く行こう!」
そうだ、早く行かなくては。
でも足が動かない。
どうしたの?怪我でもした?痛いの?悲しいの?」
五郎だった。
——悲しい?
そう、とても悲しい。とても悲しくて切ない。でも何故なのかがわからない。
——どうして?
ただ答えた。
「私、帰らなきゃ」
その時、誰かに小脇に抱えられ、ヒメコは館の中へと放り込まれた。
「何をやってる!雷が鳴ってるだろう!」
厳しい声。こんな声聞いたことがない。こんな扱いを受けたこともない。
勢いよく放り込まれた時に、強かに打った腕を摩って声の主を振り返る。
盗っ人の少年だった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
隠密同心艶遊記
Peace
歴史・時代
花のお江戸で巻き起こる、美女を狙った怪事件。
隠密同心・和田総二郎が、女の敵を討ち果たす!
女岡っ引に男装の女剣士、甲賀くノ一を引き連れて、舞うは刀と恋模様!
往年の時代劇テイストたっぷりの、血湧き肉躍る痛快エンタメ時代小説を、ぜひお楽しみください!
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
矛先を折る!【完結】
おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。
当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。
そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。
旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。
つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。
この小説は『カクヨム』にも投稿しています。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
倭国女王・日御子の波乱万丈の生涯
古代雅之
歴史・時代
A.D.2世紀中頃、古代イト国女王にして、神の御技を持つ超絶的予知能力者がいた。
女王は、崩御・昇天する1ヶ月前に、【天壌無窮の神勅】を発令した。
つまり、『この豊葦原瑞穂国 (日本の古称)全土は本来、女王の子孫が治めるべき土地である。』との空前絶後の大号令である。
この女王〔2世紀の日輪の御子〕の子孫の中から、邦国史上、空前絶後の【女性英雄神】となる【日御子〔日輪の御子〕】が誕生した。
この作品は3世紀の【倭国女王・日御子】の波乱万丈の生涯の物語である。
ちなみに、【卑弥呼】【邪馬台国】は3世紀の【文字】を持つ超大国が、【文字】を持たない辺境の弱小蛮国を蔑んで、勝手に名付けた【蔑称文字】であるので、この作品では【日御子〔卑弥呼〕】【ヤマト〔邪馬台〕国】と記している。
言い換えれば、我ら日本民族の始祖であり、古代の女性英雄神【天照大御神】は、当時の中国から【卑弥呼】と蔑まされていたのである。
卑弥呼【蔑称固有名詞】ではなく、日御子【尊称複数普通名詞】である。
【古代史】は、その遺跡や遺物が未発見であるが故に、多種多様の【説】が百花繚乱の如く、乱舞している。それはそれで良いと思う。
【自説】に固執する余り、【他説】を批判するのは如何なものであろうか!?
この作品でも、多くの【自説】を網羅しているので、【フィクション小説】として、御笑読いただければ幸いである。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる