【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
7 / 225
第1章 若紫の恋

第5話 少年

しおりを挟む
——カーン、カーン。

 聞き慣れない音に違和感を覚えて眼を覚ます。見覚えのない模様の几帳。その向こうに誰かいる。そっと覗いたら女の子たちが沢山、それぞれ縮こまって眠っていた。スースーと安らかに続く寝息に、やっと記憶が戻る。

 そうだ、ここは箱根を越えた伊豆の北条館。祖母の婿にあたる藤九郎叔父が仕える佐殿が、この北条の姫の元に通っているというので、その人となりを見定める役目を与えられたのだった。
ヒメコは観音さまのお顔を思い出して、あーあとため息をついた。

——やっぱり佐殿のお相手は観音さまだった。

 佐殿は好きだ。たまに会いに来て、字などを教えてくれた。観音さまも好きだ。よくわからないけど惹かれる人だ。好きな人同士が結ばれたのだから申し分ない筈なのだが、どちらも取られてしまったようで寂しいのだろうか。



 ううん。ヒメコは首を横に振った。それだけじゃない。一人の姫君の顔を思い出す。同じことを繰り返さない為だ。


——カーン、カーン。

何かを打ちつけるような音はまだ続いている。
目が冴えてしまったヒメコは外へと抜け出した。

 冷たい空気が身体の芯をシャンと伸ばしてくれる。

「あ、姫姉ちゃん」
 幼い声に振り返れば、五郎が晴れやかな笑顔で駆け寄ってきた。
「五郎君でしたよね。おはようございます」
 挨拶をしたら、少年はぱあっと顔を輝かせて挨拶を返してくれた。
やっぱり目の眩むような可愛らしさ。さすがは観音さまの弟君だと、うっとり見とれていたら、はい、と棒きれを渡された。
「わぁい、姫姉ちゃんも朝の修行するんだね。やったぁ!」

勢いに呑まれ、よくわからないまま、棒きれを受け取り、うんと頷く。
「じゃあ、早くそれ振りかぶって!」
 促され、渡された木の棒を両手で掲げ上げる。

 と

——カーン!

音と共に掲げた木の棒が弾き飛ばされた。

よろけたヒメコの背がドンと何かにぶつかる。

「よけてろ」

見たことのない少年がヒメコの後ろにいて、ついっと横へと指を走らせた。言われるままそちらへと足を踏み出した時、足元を何かが駈け去ったのが見えた。
猫か犬より少し大きいもの。まさか猪?
こわごわ振り返ったヒメコの前では、五郎が大木にしがみついてよじ登っていた。見る間に登りきって枝へと足をかける。器用に枝から枝を伝っていくが、伸ばした手の先は細枝。危ないと言いけた時、五郎はいきなり更に細い蔓のような細枝めがけて飛んだ。
 硬直したヒメコの横で誰かが動いた。さっきの少年だ。ホッとしたヒメコの前に、ザザザッと大きな葉がすれの音と共に五郎が落ちてきて緑の茂みの中に落ちる。

「だ、大丈夫?」
でもヒメコが駆け寄る前に五郎は茂みから飛び出すと、掴んでいた細い枝葉を投げ捨て、先にヒメコが落とした棒を拾って駆け出した。向かう先は少年。


「えぇぇぇぇい!」
気合いの入った声と共に振りかぶられる棒きれ。

対して、少年はすっと腰を落とすと大木の陰へと逃げた。五郎はそれを追って棒きれの先端を突き上げるようにして大木の陰の少年を狙う。

——ガン

少し鈍い音と共に棒が弾け飛んだ。

「チッ!」
 鋭い舌打ちの音。
五郎が大木のこちら側を駆けて向こうにいるだろう少年を追うのが見える。

——もしや、あの少年は盗人?

 ヒメコは飛んできた棒を拾い上げ、身構えた。

——五郎君を助けなければ!

棒をしっかり握って駆け出す。でも大木を巡ろうとした時、少年に投げ飛ばされたのか、五郎がまた茂みの中へと落ちていった。
「ええぇぇぇい!」
 ヒメコは棒を振り上げ、少年がいるだろう場所へと振り下ろす。

——ガッ!
 棒が何かに当たる音がした。
やった、当たった。当たったわ。盗人をやっつけた。

 喜んで五郎を助けに行こうとしたヒメコの腕がぐるりと回され、背をトンと押される。つんのめって転げそうになったヒメコの手首を誰かが引っ張って立たせてくれた。

——え、誰?

 その時、ヒメコの横を朱や萌黄色した何かが走り抜けていった。

隙あり、覚悟!」
「今日こそふん縛ってやるわ!」
「早く縄かけて!」 
「今日は足からかけましょ」
「あ、すり抜けた!そっち、もっと強く押さえてて!」
「あっ逃げた!急所押さえて一気に息の根とめないと駄目よ!」

そっち行ったわよ、五郎!足を狙いなさい」

甲高い女の子の声が複数。でもその内容はかなり殺伐としている。
よくよく見てみれば、妹姫たちが勢揃いしていた。襷をかけて鉢巻をしめ、縄を手に、盗人少年を取り囲んでいる。きっと何度も何度も盗みに入っているのだろう。
それにしても姫たちの逞しさには惚れ惚れするばかり。

 と、ヒメコの腕がいきなり引っ張り上げられた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

あづま日記(頼朝と政子の出逢い

やまの龍
歴史・時代
平治の乱で敗れて伊豆に流された まだうら若き頼朝が、初めて政子と会った話。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

勇者の如く倒れよ ~ ドイツZ計画 巨大戦艦たちの宴

もろこし
歴史・時代
とある豪華客船の氷山事故をきっかけにして、第一次世界大戦前にレーダーとソナーが開発された世界のお話です。 潜水艦や航空機の脅威が激減したため、列強各国は超弩級戦艦の建造に走ります。史実では実現しなかったドイツのZ計画で生み出された巨艦たちの戦いと行く末をご覧ください。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

妖狐連環譚

井上 滋瑛
歴史・時代
 後漢末期、世情、人心は乱れ、妖魔や妖怪の類を招いていた。司徒に就く王允は後世の悪評を恐れ、妓女であり愛妾でもある貂蝉を使って徐栄の籠絡して、朝廷を牛耳る董卓を除こうと計っていた。 一方で当の貂蝉は旧知の妖魔に、王允から寵愛受けながらも感じる空しさや生きる事の悲哀を吐露する。そんな折にかつて生き別れていた、元恋人の呂布と再会する。 そして呂布は自身が抱えていた過去のしこりを除くべく、貂蝉に近付く。

処理中です...