【完結】姫の前

やまの龍

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第1章 若紫の恋

第4話 佐殿

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「おやおや、やっぱり五郎か。今度は何をやらかした?」

ゆるゆるとした動作で現れた男性。でもヒメコの視線はその隣に釘付けにされた。観音さまだ。
「ごめんなさいね、騒がしくて。いつもの五郎のわがままよ」

 そう言って観音さまは五郎の首根っこを摘み上げ、もう片方の手で拳を作り、ゴンと頭の上に落とそうとする。でもその瞬間、五郎は身をよじってスルリと観音さまの手の中から抜け出した。ベェと赤い舌を出すと一目散に走って逃げていく。驚くほど身軽で速い。武家の子は皆そうなのかと感心する。

 ——でも

 ヒメコは観音さまの隣に立つ背の高い男性にチラと目を送った。

——武家なのに、とてもそうは見えない人もいるけれどね。

 背は高いけれど体格が良いわけではなく、いつものっそりとしている男。名は源頼朝。通称、佐殿すけどの。祖母が仕える家の嫡男として生を受けるも、大分前の争乱で、家長はおろか親族揃って一族みなことごとく討たれ、または首を刎ねられたり流されたりした。そんな中、嫡男でありながら、辛うじて許されて伊豆に遠流にされてきた人。武家の棟梁の筈だけれど、とてもそうは見えない愚鈍な人。それでも祖母は佐殿を見捨てることなく、祖父と共に比企の庄を管理しながら何くれとなく面倒を見続けてきた。そして今もこうして佐殿に通う姫が出来たと聞いたら、その姫はどんな人物かと探りを入れる程に干渉する。
ただ、祖母自身は比企の庄を離れられないので、こうしてヒメコが代わりに寄越されたというわけだった。

 頼朝はヒメコを見るとニヤッと笑った。
「で、用は済んだのか?藤九郎がそろそろ帰りたいとソワソワしているぞ」
 その目は早く帰れと言っている。でもヒメコは口の端をついと持ち上げると首を横に振った。
「佐殿、こんにちは。こちらにいらしてたのですね。では、私も暫くこちらに身を寄せさせていただきます。いいでしょう?」
私も、を強調させて、佐殿を振り仰ぐ。
佐殿はヒメコを束の間じっと見つめた後、観音さまへ体を向けた。
「良いかな?」
ただそれだけの言葉に、観音さまは迷いなく微笑んで頷き、ヒメコへと歩を進めた。
「妹達と一緒でもよいかしら?狭くてうるさいけれど」
 諾の返事をしたら姫君たちの歓声が上がり、ヒメコはまた手を取られて姫たちの部屋へと引っ張り入れられた。ひいな遊びが再開される。

 夕餉時にふと、比企では今頃、母が癇癪かんしゃくを起こしているだろうなと思ったが、祖母と父がうまく宥めてくれるだろうと忘れることにした。父に暫く会えないのは寂しいけれど、それよりも比企の館を離れられたことにヒメコは心からホッとしていた。暫くここでゆっくり羽を伸ばそう。監視をしながらだけれど。
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