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第1章 若紫の恋
第3話 北条の子ら
しおりを挟む「ヒメコ様、ご気分はどう?」
観音さまの声に、ヒメコは起き上がって身を正した。
「もう平気です。申し訳ありませんでした」
礼をして顔を上げたら、幾人かの子どもたちがひょこひょこと顔を覗かせていた。
「あ、こら。まだご紹介もしてないのにはしたない。ほら、きちんと並びなさい」
初めて聴く声にそちらを見上げれば、観音さまより少し年下と見られる美しい姫君が子らを抱えてきちんと座らせていた。
その後ろに観音さまが立たれる。
「ヒメコ様、この子らが私の弟妹よ」
一人、二人、三人……数えてみるが、それぞれ動くのでわからなくなる。
「まだここにいない兄弟もいるんだけどね」
え、まだ?
ヒメコは目を瞬かせて数えるのを諦めた。
「比企の尼君さまからお文をいただいてるわ。ヒメコ様の身近には同じ年頃の姫君がいらっしゃらなくてお寂しいのだとか。ここには沢山の女児がおりますからね。妹たちとたっぷり遊んでいってくださいね」
観音さまがそう言い終えた途端、大人しく座らされていた姫君達がわぁっと歓声を上げて立ちあがった。ヒメコの手を取り、隣の部屋へと引っ張って行く。
「ヒメコ様はひいな遊びはお好き?絵は?おはじきは得意?」
口々に問われて、ヒメコは戸惑いながらも姫たちの屈託のない笑顔に誘われて、いつかひいな片手にごっこ遊びなどを楽しんでいた。
部屋の中は色とりどりの布や紐が散乱し、絵巻も乱れ転がって足の踏み場も無い程だった。その中をたくさんの姫たちがぱたぱたと走り回り、ぺちゃくちゃとお喋りをして笑っている。ヒメコと同じ年か少し下の姫が三人。そして、もう少し上の姫が二人。あとはまだ男女の見分けもつかないくらいのあどけない子もいる。でもどの子もみな明るくて可愛らしい。ヒメコはそれまで同じ年頃の女児とこのように遊んだことはなかった。比企の館の近くにも女の子は沢山いたのだろうけれど、彼女たちと遊ぶことはヒミカには許されていなかった。だからこうやって自分と同じくらいの姫君たちと交わって貝殻遊びなどしていると、前に見せて貰った源氏物語絵巻の華やかな世界が目の前に広がっているようで心が華やいだ。ずっとここに居たい。ここで姫君たちと遊んで過ごせたら、どんなにいいか。
でも、と溜息をつく。比企に戻ったら、ヒメコはまたヒミカとして祖母の元で修行を積まないといけないのだ。
「わぁ、いい匂い。」
ふと気付いたら、あどけない顔の子が一人、ヒメコの腕にもたれかかって、くんかくんかと匂いを嗅いでいた。
「あ、五郎ったら、この甘ったれ。こら、離れなさい。ヒメコ様に失礼でしよ!」
十くらいの姫が、ヒメコにしがみついていた子の脇を抱え上げる。そして、乱暴に横に放り投げた。
あ、と声をあげる間もなく、その幼な子は床に叩きつけられる
と思ったら、五郎と呼ばれたその子は猫のようにくるりと丸まると綺麗に一回りして立ち上がり、またヒメコめがけて駆けてくる。
「大丈夫?頭打ってない?怪我は?」
びっくりして声をかけるも、その子はううんと首を横に振って、またヒメコの袖にしがみつく。
「こら、離れなさいって言ってるでしょ!」
別の姫が声をあげるのをヒメコは平気と首を振り、袖の中に入れていた守袋を取り出した。
「いい匂いって、これのこと?」
守袋を幼な子の顔に近付けると、その子はコクリと頷いて全開の笑顔でヒメコを見上げた。その笑顔にヒメコは衝撃を受ける。
な
な
なんて愛らしい!
五郎と呼ばれていたから、男の子なのだろうけれど、どこからどう見ても女の子にしか見えない愛らしさだった。
仏のような、とよく言うけれど、この子の可愛らしさはなんというか、まるで聖徳太子がお小さい時はきっとこんな様子ではなかったかと思わせる程の浄らかな美しさだった。
でも守袋をまた袖の中にしまおうとした途端、その気配が一変した。獲物を狙う獣のように目の色が変わったのだ。
思わず守袋を遠くに放ってしまう。すると男の子はまた早く飛び上がり、守袋が中空にある内にその手に掴むと、タタッと戻ってきて「はい」と渡してくれた。
でも礼を言って懐にしまおうとするとギロリと睨まれる。
「早く投げて」
「え?」
言われた通りに投げると、また飛び上がって中空で掴み取り、床につくなり駆け戻ってきて返してくれる。どうも、そういう遊びをやっているらしい。猫や犬がそうやって遊ぶのは見たことがあるけれど、男の子もそうやって遊ぶのかと感心して見ていたら、その男の子が急に吊り上げられた。
「こら、五郎。それはヒメコ様の大切な物。鞠ではないのよ!」
観音さまが男の子の襟首をつまみ上げ、その手の中にあった守袋をサッと取り上げると男の子をポイッと横に放り投げた。それからスタスタとヒメコの前にやって来て
「ごめんなさいね。いたずらっ子で」
そう言って守袋を返してくれる。
「え、でも」
男の子の方を見たら、投げられた筈の男の子は平気な顔で立っていて、こちらをその大きな瞳で睨みつけると、突如その場で地団駄を踏み始めた。大きな声で泣き出す。
その声は彼の体の小ささに見合わないほど見事なもので、ヒメコは思わず耳を塞いでその場にしゃがみ込んだ。でも塞いでも指の間から漏れくる悲痛な泣き声。
ヒメコは守袋を懐から取り出すと男の子の目の前に差し出した。
途端にピタリと泣き止んだ男の子。嘘泣きだったのかと思ったが、差し出したものは戻しにくい。
「いいの?」
目をキラキラさせてこちらを見上げる愛らしい男の子に頷いて見せる。
守袋はまた作ればいい。母は苦い顔をするかも知れないけど、こんなに可愛い子なのだ。お守りは幾つあっても邪魔になならいだろう。
その時、沈香がふわりと強く香り、その人が現れた。
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