上 下
5 / 21
第1章 鎌倉

第5話 笑

しおりを挟む

それから千寿は中将様付きの女房として部屋が与えられた。でも専ら中将の君のお世話をするばかりで、他の女官からはさげすみの目で見られる。

「貴人といえ、どうせ罪人でしょう?それも大罪を犯したとか。直に縛り首になって鎌倉を出て行くわよ。そしたらあの子も大きな顔なんか出来ないから」
 聞こえよがしに叩かれる陰口。千寿はそれらを聞こえない振りをして通した。


「中将様、今日は此方をお持ちしました」
 腕いっぱいに青紫の花を抱えて部屋に入れば、中将の君は驚いた顔で千寿を見た。
「アヤメですか。美しい色だ」
千寿は首を横に振った。
「いいえ。残念ながら、こちらは杜若カキツバタです」
「カキツバタ?ああ、いづれがアヤメかカキツバタですね」
「え?」
千寿は首を傾げる。
「そう歌に詠んで、御所の女官を妻にした男がいたのですよ」
 楽しげにそう語る中将の君。
「では、次はアヤメを探してきましょう」
 そう言ったら手を取られた。
「着物の裾が汚れている。手も足もこんなに冷たくなって。一体どこで花を見付けて来たのですか」
 ぬくとい手に素足を触られ、ひゃっと声を上げてしまう。
「杜若は水辺が好きなのです。父母の家の近くには沢山生えていて。でもここは鎌倉なので」
「なので?」
「よくわからなくて山の近くまで行ってみました」
 すると中将の君は千寿を引き寄せた。
「ああ、それで貴女からお日さまと草木の香りがするのですね」

そのまま押し倒されるが、中将の君はそれ以上何もせず、ただ千寿に染み付いた陽の気配と草木の香りを楽しんでいるようだった。だから千寿は息を潜めて身じろぎもせず、仏像のようにただそこに横になっていた。

 やがて、千寿を抱き締めていた中将の君の力がするりと抜ける。身体の上から聞こえてくる安らかな寝息と緩やかに上下する重み。千寿はほんの少しだけ力を抜き、中将の君が安心して眠れるよう、床に落ちないよう、そっとその背を支えた。

——あったかくて重い。猫とは比べものにならないくらい重い筈なのに、何故こんなにしっくりとくるのだろう。彼の胸の鼓動が千寿に伝わり、千寿の鼓動を従えるように先を行き、その内同じ旋律を奏でていく。これもまた合奏なのだと思いながら、千寿は外から聴こえてくる鳥の鳴き声に耳を傾けていた。

「あっ!」
 突如上がった声で、ハッと意識が戻る。中将の君が目を覚まして起き上がっていた。
「申し訳ない。寝入ってしまったようだ」
 千寿は黙って首を横に振った。
「私としたことが、女性を放っておいて眠ってしまうとは」
 ガリガリと首をかいてひどく困った顔をしている中将の君。そんな彼の顔は初めてで、千寿はつい笑ってしまった。すると中将の君は千寿をまじまじと見て手を伸ばしてきた。
「初めて聞いた」
 中将の君の手が千寿の頰にかかる。
「初めて?」
「貴女の笑い声です」
 温かい手が千寿の頰に触れたと思ったら、その手はすぐに下りて首筋に添い、その親指が咽へとかかる。
 
どきりと胸が高鳴る。


「えい、この!」

 直後、掛け声と共に身体中をくすぐり回される。千寿は堪らずに悲鳴を上げて笑い転げた。
「な、何をなさるのです!」
 飛びずさって中将の君と差し向かう。中将の君はニヤリと笑って手の指を折り曲げた。
「笑わせているのです」
 笑いながらそう答える中将の君。千寿は悲鳴を上げて逃げつつ、必死に腕を伸ばして中将の君の手を掴んだ。
「お返しです!」
その脇をくすぐり返す。中将の君はやり返されることを予期してなかったのだろう。笑いながら大慌てで逃げ回り、壁に烏帽子をぶつけて頭から落としてしまった。

 その時、部屋の外から声がかかった。
「一体何事か?改めさせていただきますぞ!」
 野太い男の声。千寿は転がった烏帽子を急いで拾って中将の君に渡すと、その前に立ちはだかり、袿を脱いで中将の君に被せた。
——バン!
 戸が開いて護衛の男が二人、顔を覗かせる。
「何事ですか!」

 咄嗟に千寿は叫び返す。
「何事も御座いません。中将様が退屈でいらっしゃるかと、少し身体を動かしていただけですわ。ご案じなさいませんよう。それより早くお下がり下さいませんか?」
 言ったら、護衛の男らはジロジロと千寿とその奥の中将の君を見て去って行った。
 戸を閉めて安堵して中将の君を振り返る。中将の君は無事に烏帽子を被っていたが、千寿を見るなり、飛び付いてきた。
「な、なんということをしているのです!」
「え?」
 中将の君は、はだけた千寿の単をきっちりとしめてから、戸をバンと勢いよく閉めて千寿に向き直った。
「あのような男たちに肌を晒すとは!」
「でも、中将様の烏帽子が」
「私の頭くらい誰に見られようと構わない。どうせ直に河原に首が晒される身です。でも貴女は違う。私がここを離れれば、自由になってどなたかに嫁ぐしょう。二度とあんなことはしないでいただきたい」
——嫁ぐ?
それはまるで遥か遠くに感じられる言葉だった。
「いいえ、私は」
 そう言いかけて止める。
——もう、誰に嫁ぐ気もありません。

 千寿は落ちていた袿を拾うとそれを羽織り、努めてにっこりと微笑んだ。
「お腹が空きましたね。食事を持って参ります」

 小部屋から出たら涙が一粒ぽろりと零れた。

———好きになってはいけない人。はなから分かっていたことだけれど、でももう遅い。そう思った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

家族の為に嫁いだのですが…いつの間にか旦那様に溺愛されていました

Karamimi
恋愛
ファレソン伯爵家の令嬢、アンネリアは、貴族令嬢とは名ばかり。物心ついた時から使用人はおらず、平民の様な生活を送って来た。 そもそも、こんな生活を強いられているのには理由があった。かつて父と父の友人だったアッグレム伯爵が、母をめぐり激しいバトルを繰り広げていたのだ。その結果、母は父を選び、結婚した。 自分が選ばれなかった事を逆恨みしたアッグレム伯爵は、ファレソン伯爵家に執拗なまでの嫌がらせを繰り返した。その結果、貴族界からも嫌われ、借金まみれになったファレソン伯爵家。 膨らんだ借金の返済めども立たず、このまま爵位を返上し平民になるか!というところまで、追い詰められていたのだ。 そんな中、アンネリアにある縁談が舞い込んできた。 相手はなんと、若き当主、アレグサンダー・ビュッファン侯爵だったのだ。彼は非常に優秀で、父親亡き後、侯爵家を今まで以上に豊かにした手腕の持ち主。さらに王太子殿下の右腕として、今貴族界で一番注目されている方なのだ。 そんな方が、どうして? 首をかしげるファレソン伯爵家の皆に、ビュッファン侯爵がある契約を持ち掛けてきたのだ。 彼には愛する女性がいるのだが、彼女は平民の為、周りが結婚を反対している。その為、適当な貴族令嬢と結婚して周りを安心させたい。そして平民の女性と子供が出来たら貴族令嬢と離縁をして、平民の女性と2人で子供を育てたいという、とんでもない内容だったのだ。 子供が出来るまで、お飾りの妻を演じろ、子供が出来たら用無しと言う、なんとも失礼な契約に、両親は反対するが、当のアンネリアは家族の為に、その契約を受け入れる事を決意。 その見返りに、借金を全額返済してもらう約束を結んだのだ。 こうしてビュッファン侯爵夫人として輿入れしたアンネリアだったが、そこで待っていたのは、意地悪な平民、キャサリンによる激しい嫌がらせだった。そのせいでアンネリアは、メイド以下の生活を強いられたのだ。 貴族令嬢なら耐えがたい苦痛なのだが、アンネリアは違った。 “借金を支払ってくれた侯爵様の為に、しっかり働かなきゃ!” 彼女は笑顔で毎日過酷な仕事をこなしていたのだ。メイド仲間も出来、毎日楽しい生活を送るアンネリアに対し、苛立ちを募らせるキャサリン。 そして当主でもある、アレグサンダーは? ご都合主義全開のお話しです。 よろしくお願いいたします。

婚約者の貴方が「結婚して下さい!」とプロポーズしているのは私の妹ですが、大丈夫ですか?

初瀬 叶
恋愛
私の名前はエリン・ストーン。良くいる伯爵令嬢だ。婚約者であるハロルド・パトリック伯爵令息との結婚を約一年後に控えたある日、父が病に倒れてしまった。 今、頼れるのは婚約者であるハロルドの筈なのに、彼は優雅に微笑むだけ。 優しい彼が大好きだけど、何だか……徐々に雲行きが怪しくなって……。 ※ 私の頭の中の異世界のお話です ※ 相変わらずのゆるふわ設定です。R15は保険です ※ 史実等には則っておりません。ご了承下さい ※レナードの兄の名をハリソンへと変更いたしました。既に読んで下さった皆様、申し訳ありません

今度こそ君に返信を~愛妻の置手紙は離縁状~

cyaru
恋愛
辺鄙な田舎にある食堂と宿屋で働くサンドラ。 そこに子爵一家がお客様としてやって来た。 「パンジーじゃないか!?」叫ぶ子爵一家。 彼らはサンドラ、もといパンジーの両親であり、実妹(カトレア)であり、元婚約者(アラン)だった。 婚約者であるアランをカトレアに奪われたパンジー。婚約者を入れ替えれば良いと安易な案を出す父のルド子爵。それぞれの家の体面と存続を考えて最善の策と家を出る事に決めたパンジーだったが、何故がカトレアの婚約者だったクレマンの家、ユゴース侯爵家はパンジーで良いと言う。 ユゴース家のクレマンは、カトレアに一目惚れをして婚約を申し込んできた男。どうなんだろうと思いつつも当主同士の署名があれば成立する結婚。 結婚はしたものの、肝心の夫であるクレマンが戦地から戻らない。本人だけでなく手紙の返事も届かない。そして戦が終わったと王都が歓喜に溢れる中、パンジーはキレた。 名前を捨て、テーブルに【離縁状】そして短文の置手紙を残し、ユゴース侯爵家を出て行ってしまったのだった。 遅きに失した感は否めないクレマンは軍の職を辞してパンジーを探す旅に出た。 そして再会する2人だったが・・・パンジーは一言「あなた、誰?」 そう。サンドラもといパンジーは記憶喪失?いやいや・・・そもそもクレマンに会った事がない?? そこから関係の再構築を試みるクレマン。果たして夫婦として元鞘になるのか?! ★例の如く恐ろしく省略しております。 ★タイトルに◆マークは過去です。 ★話の内容が合わない場合は【ブラウザバック】若しくは【そっ閉じ】お願いします。 ★10月13日投稿開始、完結は10月15日です。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションでご都合主義な異世界を舞台にした創作話です。登場人物、場所全て架空であり、時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません。

選ばれたのは私の姉でした

杉本凪咲
恋愛
朝から大雨が降るその日。 愛する人は私に婚約破棄を告げる。 彼は私の姉が好きみたいです。

【完結】転生したらモブ顔の癖にと隠語で罵られていたので婚約破棄します。

佐倉えび
恋愛
義妹と婚約者の浮気現場を見てしまい、そのショックから前世を思い出したニコル。 そのおかげで婚約者がやたらと口にする『モブ顔』という言葉の意味を理解した。 平凡な、どこにでもいる、印象に残らない、その他大勢の顔で、フェリクス様のお目汚しとなったこと、心よりお詫び申し上げますわ――

婚約破棄で捨てられ聖女の私の虐げられ実態が知らないところで新聞投稿されてたんだけど~聖女投稿~

真義あさひ
恋愛
カーナ王国の聖女アイシャは、婚約者のクーツ王太子に偽物と糾弾され聖女の地位を剥奪、婚約破棄、追放された。 だがそれは冤罪だった。 王太子は、美しき公爵令嬢ドロテアとの真実の愛に邪魔だったからアイシャを貶め追放したのだ。 それから数日後。 アイシャを追い出して美酒を片手に喜んでいた王太子と公爵令嬢は、新聞の朝刊を見て愕然とする。 新聞には聖女アイシャの手紙が投稿され、彼女を虐げていた王太子たちの悪業がすべて暴露されていたのだから。 これは、聖女を虐げた者たちの破滅と、理解者を得た聖女の新たな道の明暗と飯テロを語る物語。 ◇◇◇ ※飯テロ、残酷な描写にご注意ください ☆第15回恋愛小説大賞、奨励賞(2022/03/31)  ※第一章のお助けキャラ、飯テロお兄さんカズン君の過去編は「王弟カズンの冒険前夜」 ※全年齢向けファンタジー版はアルファポリスで、BL要素有り版(原典)はムーンライトノベルズにて掲載中。 ※第二章からのお助けキャラ、イケオジ師匠ルシウスのかわいい少年時代の冒険編あります。 →「家出少年ルシウスNEXT」 ※ルシウス師匠と秘書君の若い頃のお話は「ユキレラ」にて。 ※この国カーナ王国の秘密は「夢見の女王」でも語られています。 ※本作の舞台カーナ王国の百年後のお話は「魔導具師マリオンの誤解」でも。 ※噂の鮭の人は「炎上乙女ゲー聖杯伝説」でお助けキャラ?やってますw ※番外編「ピアディと愉快な仲間たち」は児童書カテゴリにて投稿中。

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

【本編完結済】この想いに終止符を…

春野オカリナ
恋愛
 長年の婚約を解消されたシェリーネは、新しい婚約者の家に移った。  それは苦い恋愛を経験した後の糖度の高い甘い政略的なもの。  新しい婚約者ジュリアスはシェリーネを甘やかすのに慣れていた。  シェリーネの元婚約者セザールは、異母妹ロゼリナと婚約する。    シェリーネは政略、ロゼリアは恋愛…。  極端な二人の婚約は予想外な結果を生み出す事になる。

処理中です...