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第四章 火伏せり、風封じ
第26話 小鬼と白蛇
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温い風の吹く夜だった。開耶は牢の中に倒れ伏していた。
もう何晩目なのかわからない。見張りがたまに持って来る水と食料。その回数もわからず、開耶は受け付けもしなくなっていた。
「いたぞ」
密やかに発せられる声に開耶は重い瞼をノロノロと持ち上げる。いくつかの黒い影が土牢の外を蠢いていた。開耶はそれをぼんやりと眺めた。地獄の鬼達だ。開耶を喰いに来たのだろう。まじないの不文律を破ったから。言霊に跳ね返されたから。
「引き裂いてやりたい」
「縊り殺してやる」
「いいえ、生きながらにして切り刻んでやりたい。よくも……よくも私の子を」
聞こえ来る呪いの言葉。爺、女、老女、若い男。何人いるのかわからない鬼達。
「この柵を壊せないのかい」
木じゃないんだよ。錠は見張りが持ってるのさ」
「忌々しい、守られて」
柵の間から石つぶてが飛んで来る。額に当たって嫌な音を立てた。
その後、大量に投げ入れられる石礫。
「駄目だ。こんなじゃ死にやしない。火をつけて焼き殺してしまおう」
一人の鬼の提案に、他の鬼達が口々に同意する。
「そうだ。棒に火をつけてその着物を燃やそう。生きながら焼かれる地獄を味わえばいいんだ」
「その前にその鍬を貸してくれ。俺の妻は子を宿してた。なのに柱の下敷きになって死んだんだ。こいつの腑を全て引きずり出してやらねば気が済まぬ」
「ああ、いい。存分にやるがいい」
「ああ」
重々しい同意の頷き。それからガチガチと柵が鳴って鍬が無理矢理に差し入れられる。開耶は目を開けたまま、差し入れられた鍬のその先端を眺めた。
昔、神璽で使った小刀の黒曜石の刃を思い出す。黒曜石の刃と鍬の切っ先、どちらがよく斬れるんだろうと思いながら。
「思い知れ!」
声と共に振り上げられ、落ちてくる鍬の先端。だがその切っ先が開耶の腹に届く前に、牢の中に異変が起きた。
ドウッという音と共に土牢の中を風が渦を巻く。そして次の瞬間、牢の中には白銀の鱗がヌメヌメと幾重にも重なって現れていた。
「う、うわ、大蛇だ!」
悲鳴が上がる。
青白く光を放つ大蛇が開耶を取り囲むように幾重にもとぐろを巻き、ギチギチと音を立て舌を出していた。
「ば、化け物だ! 化け物が出たぞー!」
小鬼達が逃げて行く。見張り小屋の番係が、何事かと駆けつけてくる気配がする。
大蛇は赤い舌を二枚交互に突き出しながら、狭い土牢の中をグルグルと周り、柵を外に大きくたわませた。
開耶は倒れたまま、ヌラヌラとぬめるその白い鱗に手を伸ばした。触れた指先から伝わってくる微かな熱。
——温かい。
——まだ、生きていていいの?
死を覚悟していた筈なのに涙が一粒零れてこめかみを伝い耳に落ちようとする。身体の中にはまだ水が残っていたらしい。
その涙がチロリと拭われた。赤い舌が悪戯げに揺らめく。
「はい、ごっそさん。貢物としては足らんがね。こちとらまだ寝起きだし、今はこの程度で許してやるよ」
ギチギチと軋むような声が、からかうように労わるように開耶の胸に響いてくる。
開耶は鈍く光を放つ鱗を撫で、乾いた唇を開いた。
「迦迦さま」
開耶の憑き神、白蛇の迦迦だった。しばらく姿を見せなかったのに、土中にいてくれたらしい。
「やれやれ、うるさくて叩き起こされたぞ。まだ朝晩は寒いってのによ、まったく」
「ごめんなさい」
掠れる声。
「それにしても、何だね、ここは? 随分と時化た拝殿じゃあないか」
迦迦はそう言って、その丸く大きな瞳をキョロキョロと動かしてから満足気に舌を口の中に収めた。
「まぁいい。あの小うるさい白猫の婆さんがいないだけマシだな」
愉しげに笑う迦迦さまの声を聴きながら開耶は意識を手放した。
もう何晩目なのかわからない。見張りがたまに持って来る水と食料。その回数もわからず、開耶は受け付けもしなくなっていた。
「いたぞ」
密やかに発せられる声に開耶は重い瞼をノロノロと持ち上げる。いくつかの黒い影が土牢の外を蠢いていた。開耶はそれをぼんやりと眺めた。地獄の鬼達だ。開耶を喰いに来たのだろう。まじないの不文律を破ったから。言霊に跳ね返されたから。
「引き裂いてやりたい」
「縊り殺してやる」
「いいえ、生きながらにして切り刻んでやりたい。よくも……よくも私の子を」
聞こえ来る呪いの言葉。爺、女、老女、若い男。何人いるのかわからない鬼達。
「この柵を壊せないのかい」
木じゃないんだよ。錠は見張りが持ってるのさ」
「忌々しい、守られて」
柵の間から石つぶてが飛んで来る。額に当たって嫌な音を立てた。
その後、大量に投げ入れられる石礫。
「駄目だ。こんなじゃ死にやしない。火をつけて焼き殺してしまおう」
一人の鬼の提案に、他の鬼達が口々に同意する。
「そうだ。棒に火をつけてその着物を燃やそう。生きながら焼かれる地獄を味わえばいいんだ」
「その前にその鍬を貸してくれ。俺の妻は子を宿してた。なのに柱の下敷きになって死んだんだ。こいつの腑を全て引きずり出してやらねば気が済まぬ」
「ああ、いい。存分にやるがいい」
「ああ」
重々しい同意の頷き。それからガチガチと柵が鳴って鍬が無理矢理に差し入れられる。開耶は目を開けたまま、差し入れられた鍬のその先端を眺めた。
昔、神璽で使った小刀の黒曜石の刃を思い出す。黒曜石の刃と鍬の切っ先、どちらがよく斬れるんだろうと思いながら。
「思い知れ!」
声と共に振り上げられ、落ちてくる鍬の先端。だがその切っ先が開耶の腹に届く前に、牢の中に異変が起きた。
ドウッという音と共に土牢の中を風が渦を巻く。そして次の瞬間、牢の中には白銀の鱗がヌメヌメと幾重にも重なって現れていた。
「う、うわ、大蛇だ!」
悲鳴が上がる。
青白く光を放つ大蛇が開耶を取り囲むように幾重にもとぐろを巻き、ギチギチと音を立て舌を出していた。
「ば、化け物だ! 化け物が出たぞー!」
小鬼達が逃げて行く。見張り小屋の番係が、何事かと駆けつけてくる気配がする。
大蛇は赤い舌を二枚交互に突き出しながら、狭い土牢の中をグルグルと周り、柵を外に大きくたわませた。
開耶は倒れたまま、ヌラヌラとぬめるその白い鱗に手を伸ばした。触れた指先から伝わってくる微かな熱。
——温かい。
——まだ、生きていていいの?
死を覚悟していた筈なのに涙が一粒零れてこめかみを伝い耳に落ちようとする。身体の中にはまだ水が残っていたらしい。
その涙がチロリと拭われた。赤い舌が悪戯げに揺らめく。
「はい、ごっそさん。貢物としては足らんがね。こちとらまだ寝起きだし、今はこの程度で許してやるよ」
ギチギチと軋むような声が、からかうように労わるように開耶の胸に響いてくる。
開耶は鈍く光を放つ鱗を撫で、乾いた唇を開いた。
「迦迦さま」
開耶の憑き神、白蛇の迦迦だった。しばらく姿を見せなかったのに、土中にいてくれたらしい。
「やれやれ、うるさくて叩き起こされたぞ。まだ朝晩は寒いってのによ、まったく」
「ごめんなさい」
掠れる声。
「それにしても、何だね、ここは? 随分と時化た拝殿じゃあないか」
迦迦はそう言って、その丸く大きな瞳をキョロキョロと動かしてから満足気に舌を口の中に収めた。
「まぁいい。あの小うるさい白猫の婆さんがいないだけマシだな」
愉しげに笑う迦迦さまの声を聴きながら開耶は意識を手放した。
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