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第四章 火伏せり、風封じ
第24話 人でないモノ
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その夜の大火で大蔵御所は燃え落ち、鶴岡若宮も灰となった。頼朝の落胆は大きく、しばらく甘縄の安達藤九郎の館から姿を現さなかった。
御台所・政子と大姫は名越の北条館に入り、頼家は比企の別邸に入った。その間、鎌倉の一大事と群れ集まった御家人衆の力によって火事の片付けと新たな御所の再建が急いで進められた。
「火の回りがあまりに早過ぎるのではないか。強風にしてもおかしい。同時に離れた二カ所以上で火の手が上がったとか」
「何者かの企みだと?」
「女が一人、火付け犯として捕えられたのだろう? 詮議は進んでいるのか?」
「それが江間殿の館の侍女だったとかで、江間殿が土牢に籠めていて手出しが出来ないんだとか」
「御所様のお嘆きようから考えるに、間違いなく死罪であろうな」
「だろうな。滅多な事をするから」
燃え落ちた江間の館跡では、重隆が義時に弁明を繰り返していた。
「だから何度も言った通り、佐久は俺といた。火付けは出来ない!」
「そうであったとしても、私にはどうにもならぬ。サクは火付けの道具を手に、まじないを行なっていたのを見られているのだから」
幸氏が控え目に声を上げた。
「離れた二箇所以上で火の手が同時に上がっているので、彼女一人では出来ぬこと。まことの火付け犯を捕らえれば佐久への疑いは晴れるのではないでしょうか?例えば、初めに佐久を見て『火を付けた』と口にした者が真の犯人ということはありませんか?罪をなすりつければ自身は安全ですから」
それは確かによくある手だ。だが、と重隆は思う。何故、彼女はあんな所にいたのか。あんな人混みの中に現れたのか。その少し前には確かに江間の屋敷にいた。自分の腕の中に。でも気付いたら自分は跳ね飛ばされていて、彼女は何かに手を引っ張られて空に浮かび上がって飛んでいった。手を伸ばしたけど届かなかった。
あの男——。いや、女か?奇妙な身体をしたモノ。アレが彼女を攫った。でも、そんなこと言ったって、誰が信じてくれるだろう?却って彼女を窮地に追い込みかねない。
その時、一人の下女が「あの」と口を開いた。
「私、館の裏に怪しい人影を見ました。白い顔の赤い着物を着た女でした」
「赤い着物の女?」
義時の問いに下女は頷く。
「そうです。その女がお屋敷を始めとして、方々に火を放っていました」
「顔を見たのだな?」
「はい。美しいけれど凄みのある女でした」
「では、絵師に描かせて探させよう」
「はい。でも……」
下女は言いにくそうに口をつぐんだ。義時が続きを促すように目を向けると、下女はようようして口を開いた。
「でも、あの。人に見えませんでしたので」
「人に見えない?」
「怨霊とか物の怪の類いのように見えました。鬼火のように指先から火を灯して、それを楽しげに笑いながら辺りに飛ばしていました。それに」
そこで下女はまた口を結んだ。
「別人だとは思うのですが、確かに彼女に似ていたのです」
「彼女とはサクのことか?何故、別人だと思う」
「年恰好が違いました。火を付けていた女は、サクよりずっと年が上で、また、その目元には目立つ泣きぼくろがありました」
「泣きぼくろ」
呟いた重隆に義時は軽く目を流した。
「重隆、思い当たる節があるなら言え。此度の大火は殊更に被害が大きい。このままでは、サクは見せしめに焼き殺されるぞ」
重隆は歯を食い締めた。
「火を付けたのは彼女じゃない、としか俺は言えません。彼女は俺の目の前で攫われたんです。大きな羽の生えた鳥みたいな。そう、鵺のような化けモノに攫われて飛んで行った」
「鵺?」
火に燻され、黒く焼け焦げて倒れたスギの木の幹に目をやって重隆は頷いた。
「はい。あんな気味が悪い薄桃色した大ガラスなんて見たことも聞いたこともない」
そう答えて、重隆は舌打ちをした。目の前で彼女を攫われたのだ。何故、弓を手放していたのか。酒など飲んでいたのか。
だが、それより——。
あの時、咄嗟に身が竦んでしまった。飛び付くべきだったのに。なのに、ぽかんと口を開けて見ていた。空を舞い飛ぶ彼女を。輝夜姫に去られた爺さんみたいに茫然と見上げている自分がいた。
「俺は本当にひでぇこんずくなしだ」
ギリと歯を食い締める。いつも肝心な時に役に立たない。義仲公と共に戰に赴いた時も、義高殿の従者としてその側に付いていた時も、そして彼女の危機にも。
何も出来ない。いや、身体が強張って出来る筈のことが出来なくなる。情けない。悔しい。いや、恨めしいばかりに自分が憎い。
『力むな』
そう言って笑って下さった義仲公。あの明るく大らかな笑顔に憧れた。彼に認められたくて懸命に弓馬の稽古に励んだ。やっと腕を認められ、参陣を許された。なのに——。
重隆は、拳を固く固く握り締めた。
「どうして俺はこうなんだ」
拳を地に強く捩じ込む。抉るように。
御台所・政子と大姫は名越の北条館に入り、頼家は比企の別邸に入った。その間、鎌倉の一大事と群れ集まった御家人衆の力によって火事の片付けと新たな御所の再建が急いで進められた。
「火の回りがあまりに早過ぎるのではないか。強風にしてもおかしい。同時に離れた二カ所以上で火の手が上がったとか」
「何者かの企みだと?」
「女が一人、火付け犯として捕えられたのだろう? 詮議は進んでいるのか?」
「それが江間殿の館の侍女だったとかで、江間殿が土牢に籠めていて手出しが出来ないんだとか」
「御所様のお嘆きようから考えるに、間違いなく死罪であろうな」
「だろうな。滅多な事をするから」
燃え落ちた江間の館跡では、重隆が義時に弁明を繰り返していた。
「だから何度も言った通り、佐久は俺といた。火付けは出来ない!」
「そうであったとしても、私にはどうにもならぬ。サクは火付けの道具を手に、まじないを行なっていたのを見られているのだから」
幸氏が控え目に声を上げた。
「離れた二箇所以上で火の手が同時に上がっているので、彼女一人では出来ぬこと。まことの火付け犯を捕らえれば佐久への疑いは晴れるのではないでしょうか?例えば、初めに佐久を見て『火を付けた』と口にした者が真の犯人ということはありませんか?罪をなすりつければ自身は安全ですから」
それは確かによくある手だ。だが、と重隆は思う。何故、彼女はあんな所にいたのか。あんな人混みの中に現れたのか。その少し前には確かに江間の屋敷にいた。自分の腕の中に。でも気付いたら自分は跳ね飛ばされていて、彼女は何かに手を引っ張られて空に浮かび上がって飛んでいった。手を伸ばしたけど届かなかった。
あの男——。いや、女か?奇妙な身体をしたモノ。アレが彼女を攫った。でも、そんなこと言ったって、誰が信じてくれるだろう?却って彼女を窮地に追い込みかねない。
その時、一人の下女が「あの」と口を開いた。
「私、館の裏に怪しい人影を見ました。白い顔の赤い着物を着た女でした」
「赤い着物の女?」
義時の問いに下女は頷く。
「そうです。その女がお屋敷を始めとして、方々に火を放っていました」
「顔を見たのだな?」
「はい。美しいけれど凄みのある女でした」
「では、絵師に描かせて探させよう」
「はい。でも……」
下女は言いにくそうに口をつぐんだ。義時が続きを促すように目を向けると、下女はようようして口を開いた。
「でも、あの。人に見えませんでしたので」
「人に見えない?」
「怨霊とか物の怪の類いのように見えました。鬼火のように指先から火を灯して、それを楽しげに笑いながら辺りに飛ばしていました。それに」
そこで下女はまた口を結んだ。
「別人だとは思うのですが、確かに彼女に似ていたのです」
「彼女とはサクのことか?何故、別人だと思う」
「年恰好が違いました。火を付けていた女は、サクよりずっと年が上で、また、その目元には目立つ泣きぼくろがありました」
「泣きぼくろ」
呟いた重隆に義時は軽く目を流した。
「重隆、思い当たる節があるなら言え。此度の大火は殊更に被害が大きい。このままでは、サクは見せしめに焼き殺されるぞ」
重隆は歯を食い締めた。
「火を付けたのは彼女じゃない、としか俺は言えません。彼女は俺の目の前で攫われたんです。大きな羽の生えた鳥みたいな。そう、鵺のような化けモノに攫われて飛んで行った」
「鵺?」
火に燻され、黒く焼け焦げて倒れたスギの木の幹に目をやって重隆は頷いた。
「はい。あんな気味が悪い薄桃色した大ガラスなんて見たことも聞いたこともない」
そう答えて、重隆は舌打ちをした。目の前で彼女を攫われたのだ。何故、弓を手放していたのか。酒など飲んでいたのか。
だが、それより——。
あの時、咄嗟に身が竦んでしまった。飛び付くべきだったのに。なのに、ぽかんと口を開けて見ていた。空を舞い飛ぶ彼女を。輝夜姫に去られた爺さんみたいに茫然と見上げている自分がいた。
「俺は本当にひでぇこんずくなしだ」
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何も出来ない。いや、身体が強張って出来る筈のことが出来なくなる。情けない。悔しい。いや、恨めしいばかりに自分が憎い。
『力むな』
そう言って笑って下さった義仲公。あの明るく大らかな笑顔に憧れた。彼に認められたくて懸命に弓馬の稽古に励んだ。やっと腕を認められ、参陣を許された。なのに——。
重隆は、拳を固く固く握り締めた。
「どうして俺はこうなんだ」
拳を地に強く捩じ込む。抉るように。
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