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第四章 火伏せり、風封じ
第20話 熱風
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気付けば、廊に重隆がいた。重隆は今まで見た事のないような厳しい目で、去る二人の背中を睨みつけている。
『望月殿はね、流鏑馬の射手に選ばれたら好きな姫に想いを伝えるんですって』
耳の奥に残る姫の前の無邪気な声が開耶の胸をつく。先程目にした大姫と重隆との親しいやり取り。重隆は大姫を想っているのだ。でも大姫の気持ちは幸氏に向いている。重隆の想いは伝えても報われることはないだろう。
開耶は重隆の心境をも思うと、そっと目を伏せた。
夜、戸を閉めにを郎を回っていたら、西の空に星が大きくきらきらと輝いていた。
「わぁ」
思わず感嘆の声を上げる。すると、カタンと何かが転がる音がした。振り返れば重隆が手酌で酒をのんでいた。
「何だよ」
苛立たしげな声と共に睨まれる。
「何よ? そんな所に隠れて独り酒?」
「隠れてねえよ。お前こそなんだよ」
不機嫌な声。まだ先のことを引きずっているのだろう。努めて明るい声を出す。
「何でもないって顔じゃないじゃない。また何か失敗でもやらかしたの?」
「うるせ」
「どうしたのよ、聞いてあげるわよ?」
「絶対言わねぇ」
「何よ、意地っ張り」
「『グダ巻いてるだけなんて、ずくなし』なんて二度と言われたくねぇからな」
ああ、と自分の投げてしまった言葉を思い出して嘆息する。でも出してしまった言葉は取り戻せない。開耶は黙って重隆の隣に腰掛けた。
「お月さんはまだいないわね」
空を見上げて言う。
「春の月は遅いからな」
面白くなさそうな声だけれど、幾分か尖りの消えた声が返ってくる。
「春はお天白さんの道が縦で長いものね」
「移ろう月をいつとかは待たむ」
「え?」
「万葉集。和歌だよ」
意外な言葉にまじまじと見つめてしまう。
「ふーん、望月様って意外に風流なのね」
「何だよ、意外って」
「いえいえ、真面目で勉強家なんだなって」
「んなことねぇし。三男だからって遊んでばかりだったからさ。漢字なんかほぼ読めないし。まさか望月を継ぐことになるなんて思わなくて、今苦労してんだに。俺みたいな適当な人間は気楽な三男で良かったのにな。何でこんなことになったんだか」
口を尖らせて文句は言いつつ、でも負けず嫌いな彼のこと。立ちはだかる運命も、どこか楽しみながら積極的に挑んでいるのではないだろうか。家督も色恋も。
「そうね。運命って不思議よね。死ぬも生きるも紙一重だし、出逢いも別れもままならないものなのね。切ないわね」
多分に同情を含めてそう言った途端、重隆が口に含んでいた酒をブッと噴き出した。
「やだ、ちょっと。汚いじゃない。やめてよ」
文句を言えば、重隆は手の甲で口を拭うと目を剥いて開耶を見た。
「お前が妙なこと言い出すからだろ。ったく、ガキのクセに大人ぶりやがって」
そう言って大仰に肩を竦める重隆にムッとする。
「なによ、ガキじゃないわよ」
分かってた。重隆にとっては自分など女の範疇に入らない、ただの小童。そっぽを向く。何よ、自分ばかり辛い恋をしてると思って。
でも、それは口に出せない。
「私だって恋に悩んだりするんだから」
それから、先の幸氏と大姫の姿を思い出して、ハァと溜息をつく。
「身代わりでもいいのにね」
ほんの少し羨望をこめて呟いてみる。あれからずっと大姫のことを、幸氏のことを考えていた。例え、身代わりであったとしても側にいられるなら、側にいることを許されないよりずっと幸せなのではないかと開耶はそう思い始めていた。
——タン!
乱暴に瓶子が置かれる。
「身代わりなんかでいいわけないだろ。俺はそらっこきは嫌いだ!」
鼻息荒く重隆が言う。確かにこの人ならそうだろうなと思う。最初に会った時の正義感に溢れた姿を思い出す。真っ直ぐな人だと思った。不器用で損をしていそうだと。でもそんな所も好ましく見えた。
次に会った時、抱え上げられて流鏑馬を見た。祖父の流鏑馬の時に、諏訪の神詞を口にするのを聞いて、心が大きく揺り動かされた。
その次に会った時、馬の下敷きになってしまうところを助けられた。
会うごとに、触れられるごとに重隆の存在が開耶の中で大きくなっていった。会えない時は心がソワソワと落ち着かなかった。
大姫の身代わりでいい。身代わりで構わないから、こちらを見てくれないだろうか。苦しい恋の一時の慰めでも構わないから。
そう思った時、知らず手が出ていた。品の良い柔らかな青鼠色した直垂の袖を引っ張る。
「サク?」
重隆と目が合う。その目の中に表れた訝りと驚きの色が、戸惑いと懐疑、そして苦味を含んだ鋭く鈍い色に染まるのを見て開耶は我に返った。
「ご、ごめんなさい!」
——見透かされてる。
浅ましい自分がひどく恥ずかしくなって開耶は慌てて立ち上がると身を翻した。顔を見られるわけにはいかない。二度と言葉を交わせられなくなる。
でも手首を掴まれ引っ張り戻された。そのまま固い板の上に引き倒される。背への衝撃で一瞬息が止まった。息をしようと喘ぐ。その口が深く吸われた。触れられた部分がどろどろと熱く溶かされていくようだ。ゴオッと吹き荒ぶ熱風が身体の中から飛び出していくような不思議な感覚。
——これは、何?
その時、
——パシン!
あたりの間を切り裂くような鋭い音が響いた。
それとほぼ同時に、開耶の上にあった重隆の重みが消える。
「うわっ!」
——ザザン!
盛大な音と共に、少し離れた茂みの中に重隆が背から突っ込むのが見えた。
「え、望月様?」
何が起きたのか分からず、とにかく立ち上がった瞬間、開耶の左眼の奥が痺れて、何かが溢れ出した。慌てて左手で左目を押さえる。
涙?ううん、違う。これは光、熱。熱く激しく揺れる光の粒。
溢れ出たそれは辺りを紅く照らしていく。夕陽のような、でももっと力強い明かり。
これは、旭?
「やれやれ」
渋い声と軽い羽音と共に誰かが脇に立つ。
「そう容易に珠分けされては困る。それもこんな器の小さな賤しき男に」
目を上げれば、薄桃色の光に包まれた中に、どこか覚えのある雰囲気の男が佇んでいた。
「何だ、お前は!何をしやがる!」
目の端で重隆が立ち上がるのが見えた。でも開耶は目の前の男から目が離せなかった。
これは、夢で見た男。おたあ様のことをミネ様と呼んでいた。
『望月殿はね、流鏑馬の射手に選ばれたら好きな姫に想いを伝えるんですって』
耳の奥に残る姫の前の無邪気な声が開耶の胸をつく。先程目にした大姫と重隆との親しいやり取り。重隆は大姫を想っているのだ。でも大姫の気持ちは幸氏に向いている。重隆の想いは伝えても報われることはないだろう。
開耶は重隆の心境をも思うと、そっと目を伏せた。
夜、戸を閉めにを郎を回っていたら、西の空に星が大きくきらきらと輝いていた。
「わぁ」
思わず感嘆の声を上げる。すると、カタンと何かが転がる音がした。振り返れば重隆が手酌で酒をのんでいた。
「何だよ」
苛立たしげな声と共に睨まれる。
「何よ? そんな所に隠れて独り酒?」
「隠れてねえよ。お前こそなんだよ」
不機嫌な声。まだ先のことを引きずっているのだろう。努めて明るい声を出す。
「何でもないって顔じゃないじゃない。また何か失敗でもやらかしたの?」
「うるせ」
「どうしたのよ、聞いてあげるわよ?」
「絶対言わねぇ」
「何よ、意地っ張り」
「『グダ巻いてるだけなんて、ずくなし』なんて二度と言われたくねぇからな」
ああ、と自分の投げてしまった言葉を思い出して嘆息する。でも出してしまった言葉は取り戻せない。開耶は黙って重隆の隣に腰掛けた。
「お月さんはまだいないわね」
空を見上げて言う。
「春の月は遅いからな」
面白くなさそうな声だけれど、幾分か尖りの消えた声が返ってくる。
「春はお天白さんの道が縦で長いものね」
「移ろう月をいつとかは待たむ」
「え?」
「万葉集。和歌だよ」
意外な言葉にまじまじと見つめてしまう。
「ふーん、望月様って意外に風流なのね」
「何だよ、意外って」
「いえいえ、真面目で勉強家なんだなって」
「んなことねぇし。三男だからって遊んでばかりだったからさ。漢字なんかほぼ読めないし。まさか望月を継ぐことになるなんて思わなくて、今苦労してんだに。俺みたいな適当な人間は気楽な三男で良かったのにな。何でこんなことになったんだか」
口を尖らせて文句は言いつつ、でも負けず嫌いな彼のこと。立ちはだかる運命も、どこか楽しみながら積極的に挑んでいるのではないだろうか。家督も色恋も。
「そうね。運命って不思議よね。死ぬも生きるも紙一重だし、出逢いも別れもままならないものなのね。切ないわね」
多分に同情を含めてそう言った途端、重隆が口に含んでいた酒をブッと噴き出した。
「やだ、ちょっと。汚いじゃない。やめてよ」
文句を言えば、重隆は手の甲で口を拭うと目を剥いて開耶を見た。
「お前が妙なこと言い出すからだろ。ったく、ガキのクセに大人ぶりやがって」
そう言って大仰に肩を竦める重隆にムッとする。
「なによ、ガキじゃないわよ」
分かってた。重隆にとっては自分など女の範疇に入らない、ただの小童。そっぽを向く。何よ、自分ばかり辛い恋をしてると思って。
でも、それは口に出せない。
「私だって恋に悩んだりするんだから」
それから、先の幸氏と大姫の姿を思い出して、ハァと溜息をつく。
「身代わりでもいいのにね」
ほんの少し羨望をこめて呟いてみる。あれからずっと大姫のことを、幸氏のことを考えていた。例え、身代わりであったとしても側にいられるなら、側にいることを許されないよりずっと幸せなのではないかと開耶はそう思い始めていた。
——タン!
乱暴に瓶子が置かれる。
「身代わりなんかでいいわけないだろ。俺はそらっこきは嫌いだ!」
鼻息荒く重隆が言う。確かにこの人ならそうだろうなと思う。最初に会った時の正義感に溢れた姿を思い出す。真っ直ぐな人だと思った。不器用で損をしていそうだと。でもそんな所も好ましく見えた。
次に会った時、抱え上げられて流鏑馬を見た。祖父の流鏑馬の時に、諏訪の神詞を口にするのを聞いて、心が大きく揺り動かされた。
その次に会った時、馬の下敷きになってしまうところを助けられた。
会うごとに、触れられるごとに重隆の存在が開耶の中で大きくなっていった。会えない時は心がソワソワと落ち着かなかった。
大姫の身代わりでいい。身代わりで構わないから、こちらを見てくれないだろうか。苦しい恋の一時の慰めでも構わないから。
そう思った時、知らず手が出ていた。品の良い柔らかな青鼠色した直垂の袖を引っ張る。
「サク?」
重隆と目が合う。その目の中に表れた訝りと驚きの色が、戸惑いと懐疑、そして苦味を含んだ鋭く鈍い色に染まるのを見て開耶は我に返った。
「ご、ごめんなさい!」
——見透かされてる。
浅ましい自分がひどく恥ずかしくなって開耶は慌てて立ち上がると身を翻した。顔を見られるわけにはいかない。二度と言葉を交わせられなくなる。
でも手首を掴まれ引っ張り戻された。そのまま固い板の上に引き倒される。背への衝撃で一瞬息が止まった。息をしようと喘ぐ。その口が深く吸われた。触れられた部分がどろどろと熱く溶かされていくようだ。ゴオッと吹き荒ぶ熱風が身体の中から飛び出していくような不思議な感覚。
——これは、何?
その時、
——パシン!
あたりの間を切り裂くような鋭い音が響いた。
それとほぼ同時に、開耶の上にあった重隆の重みが消える。
「うわっ!」
——ザザン!
盛大な音と共に、少し離れた茂みの中に重隆が背から突っ込むのが見えた。
「え、望月様?」
何が起きたのか分からず、とにかく立ち上がった瞬間、開耶の左眼の奥が痺れて、何かが溢れ出した。慌てて左手で左目を押さえる。
涙?ううん、違う。これは光、熱。熱く激しく揺れる光の粒。
溢れ出たそれは辺りを紅く照らしていく。夕陽のような、でももっと力強い明かり。
これは、旭?
「やれやれ」
渋い声と軽い羽音と共に誰かが脇に立つ。
「そう容易に珠分けされては困る。それもこんな器の小さな賤しき男に」
目を上げれば、薄桃色の光に包まれた中に、どこか覚えのある雰囲気の男が佇んでいた。
「何だ、お前は!何をしやがる!」
目の端で重隆が立ち上がるのが見えた。でも開耶は目の前の男から目が離せなかった。
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