そらっこと吾妻語り

やまの龍

文字の大きさ
上 下
13 / 26
第三章 死人のためのまじない

第13話 兄

しおりを挟む
「佐久殿」

 それから少ししたある日、開耶は町の中で声をかけられて振り返った。幸氏だった。

「済まない、今一度頼みたい」

 頭を下げられ、開耶は小さく頷いた。でも、本当は嫌だった。やりたくなかった。

『おまえは、死人を呼ぶことは出来るのか?』

 あの日、そう問われた時に、彼の亡くなった家族の誰かを呼び出したいのかと思い、つい頷いてしまったのがいけなかった。

『義高殿を呼び出して欲しい』

 その名が彼の口から出た途端に、開耶の心は凍る。


「義高殿?」

「清水冠者源義高、という名の少年だ」


 あの日告げられた幸氏の依頼は、底なし沼の泥のように開耶の心を重く暗く沈ませた。

 一度ならず再三断った開耶だったが、幸氏は相当にしつこかった。

「もう鎌倉を出てしまえばいいじゃないか」

 禰禰さまはそう言うし、自分でもそうも思った。でも、逃げたらきっと後で悔やむ。降霊や口寄せは多大な危険を伴うし、それも呼び出す存在によっては尚更だ。

「彼を降ろすのは私も賛成しないね。協力は出来ないよ。だって失敗すると思うもの」

 あっさりとそう答え、目を瞑って前足をお腹の下にしまい込んでしまう禰禰さま。

 でもこのまま開耶が断り続けたら、他の巫女に頼んでしまうかもしれない。その前に何とか幸氏をなだめて気持ちをおさめてもらうしかない。そう思った開耶は、とりあえず可能な範囲でと受けたふりをしていた。

 だが、何を忠告しようと、降霊に失敗したふりをしてごまかそうと、幸氏はけっして諦めてくれなかった。あの真面目さとしつこさが弓の上達にはよく働いているのだろうと思いながらも、ことこの問題に関しては開耶には頭が痛かった。

 口寄せ自体は条件さえ整えば難しくはない。占いや予言、神託を受ける時に禰禰さまや迦迦さまの力を借りて何度も行ってきた。特に問題が起きたこともなかった。でも、今回ばかりはうまくいくはずがなかった。なぜならば今回呼び出す対象である清水冠者義高は、開耶にとっては他人ではない。彼は開耶の半分血の繋がった兄だった。

開耶。
 これは本名。幸氏には咄嗟にサクが本名だと伝えたが、それはそらっこと。
 木曽の源義仲と、諏訪大社の下社・大祝である金刺盛澄の娘・胡蝶姫との間に生まれた女子、開耶姫が開耶の本当の身上。

 義仲の父・義賢が、甥であり、頼朝の長兄でもある義平に討たれた時、義仲は畠山の手によって救い出されて木曽へと逃がされた。その際に逃亡に協力をし、義仲の身柄を預かりもしたのが諏訪湖の北岸にて諏訪の下社を統べていた金刺盛澄。義仲が成人した折に、盛澄の娘である胡蝶は幼馴染みである義仲の妻となった。義仲には何人かの妻がいたが、胡蝶は男の子は産めず開耶一人だけを産んだ。嫡男・義高を産んだのは、佐久の滋野神党の嫡流・海野家の山吹姫だった。山吹姫は幸氏の姉にあたる。
 義仲が京入りした時はまだ良かった。でも折しも西国は凶作。おまけに平家の抵抗も根強い。皇位継承にまでうっかり口を出してしまった義仲は次第に京での立場を失っていく。そして頼朝がつかわした義経や範頼らの軍によって義仲は京を追われた。彼が木曽へと落ち延びようとしていた時、金刺盛澄は京での神事の為に軍を出せず、また諏訪大社も留守にしていた。

 結局、義仲は木曽まで戻ることが出来ずに近江国粟津で討死した。その殿しんがりを勤めた重隆の父や兄、そして幸氏の父も戦死し、その首は獄門にかけられた。

 義仲の嫡男・義高は頼朝の一の姫の婿として鎌倉で人質となっていたが、義仲の死の三ヶ月後に突如鎌倉を逃げ出し、数日後に追手の刃にて首を落とされた。

 何故三月も経ってから処刑されたのかは知らない。何故突然逃げ出したのかもわからない。開耶にとっては、事実として兄の死があるだけだった。

 開耶は生まれてよりずっと諏訪の下社にて守られて育った。大祝の婿であり、主でもある源義仲の一の姫として、神御子として崇められ、奥に籠もり、神事の時だけ姿を現す聖なる存在として諏訪にあった。父である義仲にも数える程しか会ったことはなく、また兄である義高と会ったのはたった一回。でも血のなせる技か、義高は開耶にとって近しい存在だった。人と触れることに抵抗を感じていた開耶だったが、義高だけは別だった。屈託の無い笑顔と、人の心に自然に入り込む純粋で素直な空気感。義高が諏訪を離れると聞いた時にひどく泣いて侍女達を困らせた記憶は開耶の中に残っている。義高が「だいじょぉ、だいじょぉ」と笑って慰めてくれたことも。

 だが別れてすぐ義高は鎌倉の頼朝の元へと向かい、二度と会うことは出来なかった。

 燻るくすぶる香、チリンと鳴る鈴の音、口の中に残る薬草の苦み、差し込む夕の西日、指に触れる比礼の柔らかな感触。感覚が徐々に戻ってくる。それで知れる。狭間に落ちていたことに。

 ここは諏訪ではない。黄泉でもない。鎌倉の開耶の小屋だった。

 開耶の目尻を涙が伝って落ちる。

——引きずられた。

 呼ぶ真似だけをしようと思っていたのに。心の中に残る義高の残像に、あちらの世界へと呼ばれたのだろう。

「ニャア」

 白い猫が一声鳴き、尻尾をピンと立てて戸口を出ていく。禰禰さまが助けてくれたのだ。協力はしないと言っていたのに。きっと見ていられなかったのだろう。

「ごめんなさい」

 ノロノロと起き上がると、幸氏に頭を下げる。幸氏は小さく首を横に振った。

「いや、俺こそ無理を言って済まなかった」

 開耶は黙った。幸氏はこうやって毎度開耶に謝る。でも、それでも諦めずにやって来るのだ。

「どうして今更、義高殿を呼びたいのですか?」

 彼の魂がこの世を去って、そしてこれだけ時間が経ったというのに。はくも丁寧に葬られ、ここには無いのに。

 今までにも何度もぶつけてきた質問だった。でも幸氏はけして答えてくれなかった。でもこの時は違った。開耶の様子の違うことに彼も引きずられたのかもしれない。

「一度だけ、義高殿が俺達の前に現れてくれたことがあるんだ」

「俺達?」

 ぼんやりと聞き返す開耶の声に幸氏は頷く。


「俺と、それから大姫の前にだ」

 開耶は流れ落ちる涙を拭わず、黙ったまま幸氏を眺めた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

古代の美人

あるのにコル
歴史・時代
藤小町は”ある大名あなた始末したいの警告受けて、でも、長生きしたい

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

日は沈まず

ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。 また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。

【完結】私の愛した聖人君子

やまの龍
歴史・時代
三浦の一の姫は華々しく江間頼時へと嫁いだ。でも彼は駄目男。優しくて正直な男は、今の鎌倉じゃあ生き抜いていけないのよ。北条義時の長男、泰時とその妻の恋物語。

戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃
歴史・時代
 1900年代、日露戦争の英雄達によって帝国陸海軍の教育は大きな変革を遂げた。戦術だけでなく戦略的な視点で、すべては偉大なる皇国の為に、徹底的に敵を叩き潰すための教育が行われた。その為なら、武士道を捨てることだって厭わない…  1931年、満州の荒野からこの教育の成果が世界に示される。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

処理中です...