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第三章 死人のためのまじない
第13話 兄
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「佐久殿」
それから少ししたある日、開耶は町の中で声をかけられて振り返った。幸氏だった。
「済まない、今一度頼みたい」
頭を下げられ、開耶は小さく頷いた。でも、本当は嫌だった。やりたくなかった。
『おまえは、死人を呼ぶことは出来るのか?』
あの日、そう問われた時に、彼の亡くなった家族の誰かを呼び出したいのかと思い、つい頷いてしまったのがいけなかった。
『義高殿を呼び出して欲しい』
その名が彼の口から出た途端に、開耶の心は凍る。
「義高殿?」
「清水冠者源義高、という名の少年だ」
あの日告げられた幸氏の依頼は、底なし沼の泥のように開耶の心を重く暗く沈ませた。
一度ならず再三断った開耶だったが、幸氏は相当にしつこかった。
「もう鎌倉を出てしまえばいいじゃないか」
禰禰さまはそう言うし、自分でもそうも思った。でも、逃げたらきっと後で悔やむ。降霊や口寄せは多大な危険を伴うし、それも呼び出す存在によっては尚更だ。
「彼を降ろすのは私も賛成しないね。協力は出来ないよ。だって失敗すると思うもの」
あっさりとそう答え、目を瞑って前足をお腹の下にしまい込んでしまう禰禰さま。
でもこのまま開耶が断り続けたら、他の巫女に頼んでしまうかもしれない。その前に何とか幸氏をなだめて気持ちをおさめてもらうしかない。そう思った開耶は、とりあえず可能な範囲でと受けたふりをしていた。
だが、何を忠告しようと、降霊に失敗したふりをしてごまかそうと、幸氏はけっして諦めてくれなかった。あの真面目さとしつこさが弓の上達にはよく働いているのだろうと思いながらも、ことこの問題に関しては開耶には頭が痛かった。
口寄せ自体は条件さえ整えば難しくはない。占いや予言、神託を受ける時に禰禰さまや迦迦さまの力を借りて何度も行ってきた。特に問題が起きたこともなかった。でも、今回ばかりはうまくいくはずがなかった。なぜならば今回呼び出す対象である清水冠者義高は、開耶にとっては他人ではない。彼は開耶の半分血の繋がった兄だった。
開耶。
これは本名。幸氏には咄嗟にサクが本名だと伝えたが、それはそらっこと。
木曽の源義仲と、諏訪大社の下社・大祝である金刺盛澄の娘・胡蝶姫との間に生まれた女子、開耶姫が開耶の本当の身上。
義仲の父・義賢が、甥であり、頼朝の長兄でもある義平に討たれた時、義仲は畠山の手によって救い出されて木曽へと逃がされた。その際に逃亡に協力をし、義仲の身柄を預かりもしたのが諏訪湖の北岸にて諏訪の下社を統べていた金刺盛澄。義仲が成人した折に、盛澄の娘である胡蝶は幼馴染みである義仲の妻となった。義仲には何人かの妻がいたが、胡蝶は男の子は産めず開耶一人だけを産んだ。嫡男・義高を産んだのは、佐久の滋野神党の嫡流・海野家の山吹姫だった。山吹姫は幸氏の姉にあたる。
義仲が京入りした時はまだ良かった。でも折しも西国は凶作。おまけに平家の抵抗も根強い。皇位継承にまでうっかり口を出してしまった義仲は次第に京での立場を失っていく。そして頼朝がつかわした義経や範頼らの軍によって義仲は京を追われた。彼が木曽へと落ち延びようとしていた時、金刺盛澄は京での神事の為に軍を出せず、また諏訪大社も留守にしていた。
結局、義仲は木曽まで戻ることが出来ずに近江国粟津で討死した。その殿を勤めた重隆の父や兄、そして幸氏の父も戦死し、その首は獄門にかけられた。
義仲の嫡男・義高は頼朝の一の姫の婿として鎌倉で人質となっていたが、義仲の死の三ヶ月後に突如鎌倉を逃げ出し、数日後に追手の刃にて首を落とされた。
何故三月も経ってから処刑されたのかは知らない。何故突然逃げ出したのかもわからない。開耶にとっては、事実として兄の死があるだけだった。
開耶は生まれてよりずっと諏訪の下社にて守られて育った。大祝の婿であり、主でもある源義仲の一の姫として、神御子として崇められ、奥に籠もり、神事の時だけ姿を現す聖なる存在として諏訪にあった。父である義仲にも数える程しか会ったことはなく、また兄である義高と会ったのはたった一回。でも血のなせる技か、義高は開耶にとって近しい存在だった。人と触れることに抵抗を感じていた開耶だったが、義高だけは別だった。屈託の無い笑顔と、人の心に自然に入り込む純粋で素直な空気感。義高が諏訪を離れると聞いた時にひどく泣いて侍女達を困らせた記憶は開耶の中に残っている。義高が「だいじょぉ、だいじょぉ」と笑って慰めてくれたことも。
だが別れてすぐ義高は鎌倉の頼朝の元へと向かい、二度と会うことは出来なかった。
燻るる香、チリンと鳴る鈴の音、口の中に残る薬草の苦み、差し込む夕の西日、指に触れる比礼の柔らかな感触。感覚が徐々に戻ってくる。それで知れる。狭間に落ちていたことに。
ここは諏訪ではない。黄泉でもない。鎌倉の開耶の小屋だった。
開耶の目尻を涙が伝って落ちる。
——引きずられた。
呼ぶ真似だけをしようと思っていたのに。心の中に残る義高の残像に、あちらの世界へと呼ばれたのだろう。
「ニャア」
白い猫が一声鳴き、尻尾をピンと立てて戸口を出ていく。禰禰さまが助けてくれたのだ。協力はしないと言っていたのに。きっと見ていられなかったのだろう。
「ごめんなさい」
ノロノロと起き上がると、幸氏に頭を下げる。幸氏は小さく首を横に振った。
「いや、俺こそ無理を言って済まなかった」
開耶は黙った。幸氏はこうやって毎度開耶に謝る。でも、それでも諦めずにやって来るのだ。
「どうして今更、義高殿を呼びたいのですか?」
彼の魂がこの世を去って、そしてこれだけ時間が経ったというのに。魄も丁寧に葬られ、ここには無いのに。
今までにも何度もぶつけてきた質問だった。でも幸氏はけして答えてくれなかった。でもこの時は違った。開耶の様子の違うことに彼も引きずられたのかもしれない。
「一度だけ、義高殿が俺達の前に現れてくれたことがあるんだ」
「俺達?」
ぼんやりと聞き返す開耶の声に幸氏は頷く。
「俺と、それから大姫の前にだ」
開耶は流れ落ちる涙を拭わず、黙ったまま幸氏を眺めた。
それから少ししたある日、開耶は町の中で声をかけられて振り返った。幸氏だった。
「済まない、今一度頼みたい」
頭を下げられ、開耶は小さく頷いた。でも、本当は嫌だった。やりたくなかった。
『おまえは、死人を呼ぶことは出来るのか?』
あの日、そう問われた時に、彼の亡くなった家族の誰かを呼び出したいのかと思い、つい頷いてしまったのがいけなかった。
『義高殿を呼び出して欲しい』
その名が彼の口から出た途端に、開耶の心は凍る。
「義高殿?」
「清水冠者源義高、という名の少年だ」
あの日告げられた幸氏の依頼は、底なし沼の泥のように開耶の心を重く暗く沈ませた。
一度ならず再三断った開耶だったが、幸氏は相当にしつこかった。
「もう鎌倉を出てしまえばいいじゃないか」
禰禰さまはそう言うし、自分でもそうも思った。でも、逃げたらきっと後で悔やむ。降霊や口寄せは多大な危険を伴うし、それも呼び出す存在によっては尚更だ。
「彼を降ろすのは私も賛成しないね。協力は出来ないよ。だって失敗すると思うもの」
あっさりとそう答え、目を瞑って前足をお腹の下にしまい込んでしまう禰禰さま。
でもこのまま開耶が断り続けたら、他の巫女に頼んでしまうかもしれない。その前に何とか幸氏をなだめて気持ちをおさめてもらうしかない。そう思った開耶は、とりあえず可能な範囲でと受けたふりをしていた。
だが、何を忠告しようと、降霊に失敗したふりをしてごまかそうと、幸氏はけっして諦めてくれなかった。あの真面目さとしつこさが弓の上達にはよく働いているのだろうと思いながらも、ことこの問題に関しては開耶には頭が痛かった。
口寄せ自体は条件さえ整えば難しくはない。占いや予言、神託を受ける時に禰禰さまや迦迦さまの力を借りて何度も行ってきた。特に問題が起きたこともなかった。でも、今回ばかりはうまくいくはずがなかった。なぜならば今回呼び出す対象である清水冠者義高は、開耶にとっては他人ではない。彼は開耶の半分血の繋がった兄だった。
開耶。
これは本名。幸氏には咄嗟にサクが本名だと伝えたが、それはそらっこと。
木曽の源義仲と、諏訪大社の下社・大祝である金刺盛澄の娘・胡蝶姫との間に生まれた女子、開耶姫が開耶の本当の身上。
義仲の父・義賢が、甥であり、頼朝の長兄でもある義平に討たれた時、義仲は畠山の手によって救い出されて木曽へと逃がされた。その際に逃亡に協力をし、義仲の身柄を預かりもしたのが諏訪湖の北岸にて諏訪の下社を統べていた金刺盛澄。義仲が成人した折に、盛澄の娘である胡蝶は幼馴染みである義仲の妻となった。義仲には何人かの妻がいたが、胡蝶は男の子は産めず開耶一人だけを産んだ。嫡男・義高を産んだのは、佐久の滋野神党の嫡流・海野家の山吹姫だった。山吹姫は幸氏の姉にあたる。
義仲が京入りした時はまだ良かった。でも折しも西国は凶作。おまけに平家の抵抗も根強い。皇位継承にまでうっかり口を出してしまった義仲は次第に京での立場を失っていく。そして頼朝がつかわした義経や範頼らの軍によって義仲は京を追われた。彼が木曽へと落ち延びようとしていた時、金刺盛澄は京での神事の為に軍を出せず、また諏訪大社も留守にしていた。
結局、義仲は木曽まで戻ることが出来ずに近江国粟津で討死した。その殿を勤めた重隆の父や兄、そして幸氏の父も戦死し、その首は獄門にかけられた。
義仲の嫡男・義高は頼朝の一の姫の婿として鎌倉で人質となっていたが、義仲の死の三ヶ月後に突如鎌倉を逃げ出し、数日後に追手の刃にて首を落とされた。
何故三月も経ってから処刑されたのかは知らない。何故突然逃げ出したのかもわからない。開耶にとっては、事実として兄の死があるだけだった。
開耶は生まれてよりずっと諏訪の下社にて守られて育った。大祝の婿であり、主でもある源義仲の一の姫として、神御子として崇められ、奥に籠もり、神事の時だけ姿を現す聖なる存在として諏訪にあった。父である義仲にも数える程しか会ったことはなく、また兄である義高と会ったのはたった一回。でも血のなせる技か、義高は開耶にとって近しい存在だった。人と触れることに抵抗を感じていた開耶だったが、義高だけは別だった。屈託の無い笑顔と、人の心に自然に入り込む純粋で素直な空気感。義高が諏訪を離れると聞いた時にひどく泣いて侍女達を困らせた記憶は開耶の中に残っている。義高が「だいじょぉ、だいじょぉ」と笑って慰めてくれたことも。
だが別れてすぐ義高は鎌倉の頼朝の元へと向かい、二度と会うことは出来なかった。
燻るる香、チリンと鳴る鈴の音、口の中に残る薬草の苦み、差し込む夕の西日、指に触れる比礼の柔らかな感触。感覚が徐々に戻ってくる。それで知れる。狭間に落ちていたことに。
ここは諏訪ではない。黄泉でもない。鎌倉の開耶の小屋だった。
開耶の目尻を涙が伝って落ちる。
——引きずられた。
呼ぶ真似だけをしようと思っていたのに。心の中に残る義高の残像に、あちらの世界へと呼ばれたのだろう。
「ニャア」
白い猫が一声鳴き、尻尾をピンと立てて戸口を出ていく。禰禰さまが助けてくれたのだ。協力はしないと言っていたのに。きっと見ていられなかったのだろう。
「ごめんなさい」
ノロノロと起き上がると、幸氏に頭を下げる。幸氏は小さく首を横に振った。
「いや、俺こそ無理を言って済まなかった」
開耶は黙った。幸氏はこうやって毎度開耶に謝る。でも、それでも諦めずにやって来るのだ。
「どうして今更、義高殿を呼びたいのですか?」
彼の魂がこの世を去って、そしてこれだけ時間が経ったというのに。魄も丁寧に葬られ、ここには無いのに。
今までにも何度もぶつけてきた質問だった。でも幸氏はけして答えてくれなかった。でもこの時は違った。開耶の様子の違うことに彼も引きずられたのかもしれない。
「一度だけ、義高殿が俺達の前に現れてくれたことがあるんだ」
「俺達?」
ぼんやりと聞き返す開耶の声に幸氏は頷く。
「俺と、それから大姫の前にだ」
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