そらっこと吾妻語り

やまの龍

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第一章 人のためのまじないし

第2話 サギ女 ずくなし男

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  三年前に討死した義仲、その後、首を刎ねられた義高。義高の身代わりを演じた幸氏は牢に入れられた。義高の逃亡を事前に何も知らされていなかった重隆は部屋に監禁され、沙汰を待つしかなかった。その時、既に重隆の父と兄は義仲の敗戦と共に討死しており、望月の土地は蹂躙じゅうりんされた。義仲の挙兵に呼応した信濃・上野の氏族達の命運は全て源頼朝の手の中にあった。源頼朝の狙いは広大な望月の土地と大量の軍馬。信濃国はその後、執拗な木曽の残党狩りに遭う。それでも重隆と幸氏が殺されなかったのは、大姫が食と水を断ち、命を懸けて頼朝に抗議してくれたからだ。御台所・北条政子もまた声を上げてくれた。

「主・義高殿の身代わりとなって命を懸けるとは、年若ながら見上げた武士の魂を持つ忠臣。その面目に応じずして鎌倉の主、武士の棟梁と言えますか!」

 この頃、頼朝は信濃の隣、甲斐の武田を警戒していた。父と兄が亡くなり嫡流となっていた重隆や、既に家督を継いでいた幸氏が、鎌倉に殺されたとあれば信濃は更に荒れる。信濃と甲斐が手を組み、また奥州とも繋がったら鎌倉の立場は危うい。源頼朝は信濃に対しては懐柔策へと転換し、二人の命は永らえた。そして、それから三年が経つ。

 甲斐は既に脅威ではなくなり、信濃も落ち着きつつある。

 残るは義経が逃げた奥州。頼朝の目は完全に奥州征伐へと向いていた。それでも重隆はまだ御家人とは認められずに鎌倉に預け置かれ、浪人のような生活を余儀なくされていた。そのうち適当な娘をあてがわれて子を為し、その子が望月の当主として信濃に行くことになるのかもしれない。

「俺は種馬じゃねえっての」

 くそっと毒づく。大路の脇、小町の筋には名だたる御家人達の館が立ち並んでいる。もし世が義仲に向いていれば、このような大きな館を有していたのは自分だったはずなのに。考えるとくさくさしてくる。

「ああ、つまらん」

 馬に乗って思いっきり信濃の山を駆けたい。

 重隆は義仲公の挙兵に合わせて幼くして早くに元服した。弓が上手だった重隆は諏訪大社の神事の射手として選ばれ、皆の前でその腕を披露した。でも、あの時の高揚が今の重隆にはない。

「奥州攻めには出陣させて貰えるといいなぁ」

 その時ふと思い出したのは、先の女の口上。

『男衆には立身出世、呪い返しに勝負運』

「せっかくだから、まじなって貰おうか?」

 呟いてから、いやいや、と首を横に振振る。痩せても枯れても自分は諏訪神党の一等。お諏訪様を愚弄する連中を野放しにしていていは、神御子様に申し訳が立たない。

 ブラブラと辻を下ると、南に由比の白浜が広がった。その端に俄づくりの掘っ立て小屋が見える。

 怪しげな呪符が書かれた幕が下がっているから間違いないだろう。ここ由比の浜には死者の首を埋める首塚がある。そんな場所に平気で小屋を建てるとは、やっぱりろくでもない連中だ。

「そらっこき共、俺が罰を下してやる」

 望月重隆は意地の悪い顔をして笑うと小屋の前にどっかりと腰を下ろした。どうせ暇人。時間はたっぷりあるのだ。待っていてやろう。

「これのどこがお諏訪様の御柱の木片だよ!」

 差し出された木片に重隆が憤慨してみせると、目の前の青い比礼を纏った少女がギロリと重隆を睨み据えた。思わぬその気迫に一瞬引きかけながらも重隆は負けじと口を開く。

「諏訪大社の御柱は一位の木か杉の木だろ。これは松じゃねぇか。大体、御柱祭りは七年に一回。次は来年だってのに、こんな時期に御柱の木片がそんなに残ってるわけがないだろ」

「わらは大社なんちせってないっちゃ。こいは諏訪らのかむさんの御柱の木片なんどすえ」

 声は先程聞いた歌の通りの涼やかな響きながら、その言葉の訛りの混じり合った不思議さに面食らう。

「おまん、一体どこの国のもんずら?」

 すると少女はニッと悪戯な顔をして笑った。

「そういうあなたは信濃の人? 甲斐の人? 私は北は陸奥の十三湊、南は日向の高千穂まで津々浦々巡っているの。どこの国の者でもないわ」

 突然聞きやすい言葉に変わる。すっかり呑まれて口を引き結んだ重隆の前で少女は紙に向かってサラサラと筆を走らせる。それからその札を押し戴いて棚に乗せると目を閉じて薄く唇を開いた。

「祈念して高天原で祓いする 今より後は残るところなし」

 そっと和歌を呟き、棚の上の札にサラサラと榊の#しで____#を滑らせてから重隆を振り返った。何やら印が描かれた札を差し出す。
「あいな、くれるよ。大事に懐さ入れて毎朝三度唱えてたもれ。『急急如律令』っつうんだっぺ」
「……はぁ、どうも」
 つい素直に受け取って、それも頷いて丁重に懐にしまい込んでしまってからハッとする。
「何だよ、これは?」
「万難を祓うお札よ」
 しれっと答えが返って来る。
「あなた、真っ当な御家人じゃないでしょ? こんな昼間から暇を持て余しちゃってさ。身なりは悪くないから平家か木曽か武田の縁者か郎党か、とにかく時勢を読み違えた、うっかり一族の三男って所かしら? だから難から逃れて出世する為のお札よ。大事にしてね」
 人間、図星を指されると物凄く痛いものであり、逆上するものである。だが重隆はお坊ちゃんだった。ただ面食らって口をパクパクとさせる。
「お……お前、そうやってサギしてるとな、本当に因幡の白ウサギみてぇに皮剥がれて痛い目に遭うからな! 神罰を舐めるなよ!」
 真っ赤な顔をしながら必死に応戦する重隆に対し、少女は冷たい目を返す。
「神罰? 神様はただ黙って見てらっしゃるだけじゃない。何もしてくれないもの」
 うそぶく少女に重忠は眉をひそめる。
「そんなの当たり前だら」
 少女が驚いた顔で重隆を振り仰ぐ。その時に重隆は気付いた。その見かけや口ぶりよりも随分と少女が年若いことに。恐らく大姫と同じくらい。十を少し過ぎたくらいの童。
「俺らの小せぇ願いを叶えてくれる為に神がいるんじゃないだろ。神はもっとでっかいもんだ。神の為に自分に何が出来るかを考えるのが本当の信心じゃないのかよ?」
 少女は悔しそうな顔になってジロリと重隆を睨みつけた。ざまあみろと思う。図星をついてやったぞ。でも、それから少女の年少のことを思い、あんまり大人げなかったかと少し反省する。
「……というわけだ。これからは分をわきまえ、サギするのは控えめにするんだな」
 控えめに罰を言い渡し、小屋から出ようとした所に後ろから声がかかる。
「余計なお世話よ、ずくなし」
 振り返れば、少女が口を結んだまま少し潤んだ瞳で自分を睨んでいた。
「悪かったな」
 どうにも居心地悪くてぼそりと呟き、そのまま踵を返す。
 幕を上げて小屋を後にしながら、ふと重隆はそれに気付いた。
「……あれ? ずくなし?」
 『ずくなし』は信濃の言葉だ。鎌倉で口にすると大抵聞き返される。『根性なし』のような意味だ。
「すっげーな。あいつ、お国言葉の字引になったって食いっぱぐれはないんじゃねえか?」
 妙なことに感心しながら砂浜に出てみれば、いつの間にかひどい行列が出来ていた。女たちが群れて滲ませる桃色の気怠っこしい空気。でもどことなく殺気立ってもいる。重隆はそそくさと急ぎ足で場を離れた。その胸元には、つい素直に受け取ってしまったままのお札が入っていた。重隆は溜息をつく。
「あー、こんなん見えるたらせ、幸氏に笑われるずら」
 でも突き返せなかったのは、やっぱり少女の言う通り自分が「ずくなし」なんだろうか? 
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