【完結】私の愛した聖人君子

やまの龍

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第9話 決着

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 高らかに鳴る馬の蹄の音に胸が晴れ晴れとする。

——なんだ。もっと早くこうしてれば良かった。

 追い返されても連れ戻されても、自分の居たい所にいれば良かったのに。

 でも悔やんでも時は戻らない。

 大切なのは今どうするか。どうしたいか。

フウと大きく息を吐く。

「仕方ない。私は痩せても枯れても三浦義村の娘で、北条泰時の元正室。間に入って取り持つに、私以上の存在なんていないんだから」

 彼に会ったら言いたい。

「あんた、馬鹿?あんたが自分を犠牲にしたって何にも変わりゃしないんだから。悪党どもが喜んでのさばるだけよ。あんたみたいな聖人君子はね、泥すすってでも生きて、生き残って、その善人ぶりを生涯発揮し続けて、悪党どもの良心をいたぶって改心させてやりなさい」

髪をなびかせ顔を撫でる風が心地良い。鎌倉だ。山と川と海と線香の沁み込んだ古臭くて懐かしい香り。

「今、戻ったわ」

手綱を家人に投げ渡し、屋敷内にズカズカと上がり込む。

「父上、只今戻りました」


 父、三浦義村の前にきちんと座り、丁重に頭を下げて礼を取った後、麻理はズイと膝を進めた。

 父のその喉元に小刀を突き付ける。同時に左腕にあらかじめ巻き付けていた鎖を父が着物の下に付けていた胴巻に引っ掛け、強く引き寄せた。

——逃がすものか。


「父上、これは私が泰時殿の元に嫁入りした際に父上が持たせてくれた懐刀。婚礼前に貴方は言った。何かあれば、これで夫を殺して三浦に戻れ、と。あの時から、いやその前から北条を狙っていたか」


「私を殺して何とする?佐原も三浦も滅びるぞ」

麻理は笑った。

「父上を殺す?殺さないわよ。道具にしてるだけ」

「道具だと?」

「過去、父上は戦を起こしたいから娘を道具にした。今、私は戦を収めたいから貴方を道具にする」

 麻理は周りを取り囲む家人らに命じた。

皆、刀を収めて下がれ。少しでも変な動きをすれば、迷わず一突きする。親殺し?それがどうした?夫と離縁されて子を奪われた女の恨み、舐めんじゃないよ!」

 麻理の恐喝に男たちが素直にしんと静まりかえるのが、どこか可笑しい。でも気は緩められない。長くは持たない。胸の間を汗が流れ落ちていく。チリチリと眉間を焦がす緊迫感。

 その時、キチキチキチッと百舌鳥もずが一声高く鳴いた。

 餌を仕留めたのだろうか?


 義村が手を上げた。

「皆、下がれ。こいつは言ったことはやる女だ。だから、こいつだけは頼時にやりたくなかった」

麻理たちの周りを囲んでいた男らが下がると同時に、一陣の風が吹き込んで場の空気を変えた。線香の匂いが強くなる。衣擦れの音。

——誰か入ってきた。

 家人らが一斉に頭を下げるのが目の端に映る。



パンパンと手を打つ音。

「見事。泰時が惚れた女だけはあること。さしもの六郎もかたなしね」

尼御台だった。

「さて、どうしましょうか?」

そう言って麻理を見下ろす鋭い眼光。


 麻理はその目を真っ直ぐ見返した。尼御台はそっとその目の端を緩ませた。

「泰時はこう言っています。義村殿が自分への謀叛の計画を企てるなどありえない。ただの噂だと」

 麻理はため息をついた。

 まったく。本当に全くもって彼らしくて笑いがこみ上げてくる。

 流石にそれはないだろう。ここまでの事態になってるのに。あの馬鹿、いつの間にそんな嘘が上手くなったのやら。

「泰時のその言葉、元、正室として、貴女はどう思う?」

 尼御台の問いに、麻理は口の端を持ち上げて答えた。

「彼がそう言うのならば、そうなのでしょう」
 
刀を握り締めたままの右手が痺れている。鎧に引っ掛けた鎖が左腕を締め付けて痛いったらありゃしない。それでも動かない。動くもんか。だって、私は狭間に立つ者。

 ややして、尼御台が声を上げた。

「そうね、私もそう信じているわ。だから単身ここへ来たの。頼朝公挙兵前からの仲ですもの。翻意などない、との義村殿の言質さえ取れれば、此度のことは、単なる噂に過ぎなかったことと不問に処します」

 麻理は右手に握った懐刀の先を自分の喉元に向けた。

「父上、翻意などないと。尼御台様、泰時殿への生涯の忠誠をお誓いなさいませ」

「麻理?」

「さぁ、早く」

 父のことだ。誓ったってまた裏切るだろう。それに自分など、娘など単なる道具。分かっていたけど麻理は刀の腹を自らの首筋に押し当てた。冷たい刃の感触。それが今は心地よい。

 自分が死んだら彼は、泰時は泣いてくれるだろうか。馬鹿、となじって怒ってくれるだろうか。彼の怒った姿は終ぞ見たことがなかった。見てみたかったとも、見ないで済んで良かったとも思う。

——生きて。

私の愛した馬鹿な夫。

 暑い。何でこう鎌倉は蒸し暑いのよ。額から首から流れ落ちる汗が気持ち悪い。刀を握った右手の甲に浮き出る汗の玉。

「止めよ」

父の声が聞こえた。同時に右手の刀が弾き飛ばされる。

「三浦の犬とて、娘が自死するのを見たいわけあるまい」

 弾かれた右手がじんじんと痺れて痛い。クソッ、鍛え方が足りなかった。

 右手を強く握り締めた麻理の前で父は床に両の手をつけた。

「尼御台様、三浦に翻意はございません。この義村は、三代目執権北条泰時殿と将軍家、尼御台様に心よりの忠誠を誓います」

 そう言って、三浦義村はその額を床に擦り付けた。

 紫色の着物がひるがえる。


「そう。では争わず、互いに刃を収めるということで手打ちにいたしましょう」

 そう言って尼御台は来た時と同じように風を起こして去って行った。




麻理は顔を上げた。立ち上がり、弾き飛ばされた小刀を拾い上げる。また置いていた鞘を左手で丁寧に持ち上げ、刀身を鞘へと収めた。

——これは護り刀。婚礼の日に麻理の物となった、父から渡されたお護り。


「まったく。このじゃじゃ馬が。早く佐原に帰れ」

  そう言う父の声にはどこか覇気がなかった。

 そんなに鎌倉が欲しかったか。でも諦めたのか。いや、父は執念深く諦めない男。

 だって、その血を引く麻理も同じくらいに頑固で執念深く諦めない女だから。

——負けない。

「父上。有り難うございました。どうぞご息災で。では、また」

此方に背を向けたままの父に丁重に頭を下げて挨拶をし、麻理は鎌倉の三浦屋敷を後にした。

また、いつでも来い。私は負けない。私は私の大切なものを守って見せるから。


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鎌倉
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