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第8話 出陣
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尼御台、北条政子は「泰時を守れ」と、足利始め、縁戚となっていた御家人らを全て鎌倉に集結させた。義村も三浦縁故の武将らに声をかけ、また北条に恨みを持っていそうな者も引き込んで陣を立てる。
三浦か北条か。鎌倉は大きく二つに分かれて睨み合う。
謀叛の噂を聞いた泰時は、京より鎌倉に戻っていたが、叔父の時房や足利らに守られ、幼い将軍を擁して屋敷に篭って出て来ない。対する三浦も屋敷周りを固めて動かない。兵力はほぼ五分。いや、三浦の方が少なかった。全面衝突となれば、初めこそ三浦が押したとしても、そこで泰時を討てねば、時間が経つにつれ、諸将が将軍と尼御台を擁した北条方につくのは目に見えていた。三浦が滅びるのか。麻理は父の顔を思い浮かべ、そっと呟く。
——ざまを見ろ。
あんたの野心は潰える。そしてあんたが一番大切にしていた三浦宗家も今度こそ滅びる。ずっと北条を逆恨みし、娘を道具としてしか見なかった男。愛する夫と息子から引き離された恨み、今こそ晴らしてくれよう。
どちらかが少しでも動けば、鎌倉中が戦火に包まれる。それを抑えられる将軍はまだ幼く、御家人らを纏められる執権北条義時は亡くなって葬儀もまだ。
鎌倉はどうなるのか?
その時、麻理は再嫁した佐原の屋敷に居た。佐原は三浦一族の庶流だけど、それなりに恵まれた土地で暮らしには困らなかった。でも麻理の心の空洞は、あの日から埋まらないまま。
「麻理」
別れたあの日、抱き締められた時に耳元で聞いた声。その身の内の感情を圧し殺すようにくぐもっていた低く重い声。
どんな時でも麻理のことを優しく丁寧に扱ってくれた彼。抱く時もいつも痛くないか苦しくないかと労ってくれたのに、別れたあの時だけは違った。何故、気付けなかったのか。
侍女がそっと耳打ちしてきた。
「尼御台様が鎌倉の三浦の屋敷に単身、話し合いにおいでになるそうです」
「尼御台様が?」
尼御台様には別に恩も義理もない。どうなろうが知ったことじゃない。
いや、恨みならある。尼御台様が善栽公を僧にしてしまったから父は北条と縁を切る決断をし、麻理は泰時と離縁させられたのだ。
父と尼御台様は、初代将軍が生きてた頃には良好な関係だった。よく夫婦連れ立って三浦に遊びに来ていたし、だからこそ麻理が泰時の許婚になったのだ。だけど良好な関係なんて、力の均衡次第。どちらかに大きく傾けば、崩れるか戻そうと引っ張り合いになる。
でも、もし尼御台様が斬られるなら、三浦と北条は真っ向からぶつかって、彼か父のいずれかが死ぬ。そして彼との間に生まれた息子、時氏も。
息子にはきっと二度と会えないだろう。それでも生きていてくれればいい。生き延びて、いつかどこかですれ違えれば。
十で別れた息子。元服した姿を見たかった。
麻理は空を見上げた。雲一つない青空。そこを白鷺が飛んで行った。
「鷺は夫婦仲の良い鳥なんだって。私も麻理と生涯仲良く番うことを誓うよ」
嘘や曲がったことが苦手な聖人君子の彼の言葉。あれは彼のたった一度の嘘となるのだろうか。
今、彼は屋敷に立て篭もりながら、何を思っているのだろうか?
そう考えてそっとほくそ笑む。
あの馬鹿はきっと、戦なんて起きずに皆仲良く平和に、と願っている。それが叶うならば、自分の命などどうでもいいとすら思っていることだろう。
「あんた、馬鹿ね」
奥歯を噛み締めてそっと呟く。
「それじゃ駄目なのよ。あんたが生きてないと。執権後継者のあんたがいなけりゃ、鎌倉も三浦も北条ももう収まらないんだから」
そんなの彼もわかっているだろう。でも、おいそれとは動けずに困ってる。
——ならば。
麻理は胸元から紅い組紐を取り出すと、長い髪を高く縛り上げた。重ねて羽織っていた袿をその場に脱ぎ捨て、袴を履くと裾をくくり上げ、外へと飛び出す。
「お方様、どちらへ?」
侍女が追いかけてくるのを振り切って厩へ向かい、一頭の白い馬を引き出してその背に跨った。
「鎌倉の三浦屋敷に行く」
言うが早いか、馬の腹を強く蹴り込んだ。
三浦か北条か。鎌倉は大きく二つに分かれて睨み合う。
謀叛の噂を聞いた泰時は、京より鎌倉に戻っていたが、叔父の時房や足利らに守られ、幼い将軍を擁して屋敷に篭って出て来ない。対する三浦も屋敷周りを固めて動かない。兵力はほぼ五分。いや、三浦の方が少なかった。全面衝突となれば、初めこそ三浦が押したとしても、そこで泰時を討てねば、時間が経つにつれ、諸将が将軍と尼御台を擁した北条方につくのは目に見えていた。三浦が滅びるのか。麻理は父の顔を思い浮かべ、そっと呟く。
——ざまを見ろ。
あんたの野心は潰える。そしてあんたが一番大切にしていた三浦宗家も今度こそ滅びる。ずっと北条を逆恨みし、娘を道具としてしか見なかった男。愛する夫と息子から引き離された恨み、今こそ晴らしてくれよう。
どちらかが少しでも動けば、鎌倉中が戦火に包まれる。それを抑えられる将軍はまだ幼く、御家人らを纏められる執権北条義時は亡くなって葬儀もまだ。
鎌倉はどうなるのか?
その時、麻理は再嫁した佐原の屋敷に居た。佐原は三浦一族の庶流だけど、それなりに恵まれた土地で暮らしには困らなかった。でも麻理の心の空洞は、あの日から埋まらないまま。
「麻理」
別れたあの日、抱き締められた時に耳元で聞いた声。その身の内の感情を圧し殺すようにくぐもっていた低く重い声。
どんな時でも麻理のことを優しく丁寧に扱ってくれた彼。抱く時もいつも痛くないか苦しくないかと労ってくれたのに、別れたあの時だけは違った。何故、気付けなかったのか。
侍女がそっと耳打ちしてきた。
「尼御台様が鎌倉の三浦の屋敷に単身、話し合いにおいでになるそうです」
「尼御台様が?」
尼御台様には別に恩も義理もない。どうなろうが知ったことじゃない。
いや、恨みならある。尼御台様が善栽公を僧にしてしまったから父は北条と縁を切る決断をし、麻理は泰時と離縁させられたのだ。
父と尼御台様は、初代将軍が生きてた頃には良好な関係だった。よく夫婦連れ立って三浦に遊びに来ていたし、だからこそ麻理が泰時の許婚になったのだ。だけど良好な関係なんて、力の均衡次第。どちらかに大きく傾けば、崩れるか戻そうと引っ張り合いになる。
でも、もし尼御台様が斬られるなら、三浦と北条は真っ向からぶつかって、彼か父のいずれかが死ぬ。そして彼との間に生まれた息子、時氏も。
息子にはきっと二度と会えないだろう。それでも生きていてくれればいい。生き延びて、いつかどこかですれ違えれば。
十で別れた息子。元服した姿を見たかった。
麻理は空を見上げた。雲一つない青空。そこを白鷺が飛んで行った。
「鷺は夫婦仲の良い鳥なんだって。私も麻理と生涯仲良く番うことを誓うよ」
嘘や曲がったことが苦手な聖人君子の彼の言葉。あれは彼のたった一度の嘘となるのだろうか。
今、彼は屋敷に立て篭もりながら、何を思っているのだろうか?
そう考えてそっとほくそ笑む。
あの馬鹿はきっと、戦なんて起きずに皆仲良く平和に、と願っている。それが叶うならば、自分の命などどうでもいいとすら思っていることだろう。
「あんた、馬鹿ね」
奥歯を噛み締めてそっと呟く。
「それじゃ駄目なのよ。あんたが生きてないと。執権後継者のあんたがいなけりゃ、鎌倉も三浦も北条ももう収まらないんだから」
そんなの彼もわかっているだろう。でも、おいそれとは動けずに困ってる。
——ならば。
麻理は胸元から紅い組紐を取り出すと、長い髪を高く縛り上げた。重ねて羽織っていた袿をその場に脱ぎ捨て、袴を履くと裾をくくり上げ、外へと飛び出す。
「お方様、どちらへ?」
侍女が追いかけてくるのを振り切って厩へ向かい、一頭の白い馬を引き出してその背に跨った。
「鎌倉の三浦屋敷に行く」
言うが早いか、馬の腹を強く蹴り込んだ。
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