【完結】私の愛した聖人君子

やまの龍

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第5話 嘘

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 何?心変わりをしたの?私があまりに暴力的だから愛想を尽かした?

どうして?いつも笑ってくれていたのに。困った顔はしながらもあんなに優しくしてくれてたのに。怒った顔なんか見せたことなかったのに。私、騙されてたの?三浦の娘だから遠慮してただけ?

 ぼんやりと時を過ごしながら、鎌倉を出た日の、あの別れ際の言葉を、声を思い出しては深く落ち込む。

 そうか。彼はあの時、既に決めてたのか。自分と離縁することを。ならば、あんな優しい言葉なんかかけてくれなければ良かったのに。あんな、愛されていると勘違いしてしまうような言葉なんか。


「知ってたんなら言いなさいよ!」

そうしたら、石にかじりついてでも鎌倉を離れなかった。三浦に戻らなかった。

うん、そうだ。麻理の性質を知って、そうさせない為に彼は麻理に言わなかったのだ。麻理を三浦に行かせる為に黙ってた。それはつまり、麻理とは離縁して構わなかったということ。


 この八年間は何だったんだろう。ううん。その前、許婚として過ごした八年間も。

ずっとずっと好きで、夫婦になる日を待ち侘びて、やっとなれたのに。ずっと一緒に居られると思ってたのに。息子の成長を共に喜べると思っていたのに。

なんで?どうして?何が悪かった?やっぱり私がいけなかったの?男勝りで口煩くて、何か言えば倍にした上に拳まで上乗せして返すような可愛いくない女。

でも。なら。

なら、そう言ってよ。口にしてくれなきゃ分からないんだから。私は馬鹿なんだから。歌なんか詠めないし、漢字もわからない。裏を読めと言われたって、そんな素養なんかないの。そんなのわかってたでしょう?


「あんた、馬鹿ねぇ」

何度も投げつけたキツイ言葉。でも心からそう思ってたわけじゃない。他人から見たらワリをくってばかりの真っ直ぐな、純粋でお人好しの彼が心配で、何とかしてあげたくて。麻理が酷い言葉を投げつける度に彼は困った顔で笑いながら麻理を撫でた。優しく。大きく温かな手で。あれも全て見せかけの優しさだったんだ。





「麻理」

「麻理は可愛い」

何度もかけてくれた甘い言葉。

ああ、そうか。

本当に馬鹿にされてたのは私の方だったのか。何も知らない初心で馬鹿な女だと。人の良さそうな顔をしながら、その実、裏で笑ってたんだ。いつか縁を切ってやるって。ただ、三浦の娘だから機嫌を損ねないように上手くあしらってただけ。愛なんかこれっぽっちもない。可愛いだなんてちっとも思ってない。

悔しい。騙された。父の言ってた通りだ。北条の一族の言うことなんて信じちゃいけなかったんだ。


 泣きたくない。でもボロボロと溢れて止まない涙。初夜の痛みどころじゃない。出産の痛みどころじゃない。潰れそうなこの胸の激しい痛みをどうしてくれる?喉を詰まらせる酷い苦しさをどうしてくれる?

「麻理」

耳に残る声。柔らかな声。大きな手。

嘘でもいい。声を聞かせて。謝るから。もう馬鹿なんて言わないから。だから。

泣いて泣いて泣いて。身体中の水を絞り切るようにして泣いて、それから自分の頰を思いっきり叩く。

「馬鹿な麻理」

「バカバカバカバカ、バカバカァー!」

声の限り、息の続く限りに叫ぶ。

それから力尽きて伏した。倒れ臥す麻理の目の前を這っていく蜘蛛。潰してやろうかと手をあげかけて、止める。

 そう。彼なら殺さない。どんな小虫も踏み潰さないように避けて歩く人。戦に出なくてはいけない時には、いつも自分を殺すように暗く厳しい顔をしていた。

 わかってる。彼はお人好しで真っ直ぐで嘘のつけない人。麻理が鎌倉に残ってはいけない何かがあったのだろう。彼が逆らえない何かが、恐らく三浦と北条との間に。そして彼は離縁を承諾した。麻理のことを嫌いなわけではない。だって、本当に思ってない言葉なんか口に出来ない人なのだから。

 八年間一緒に居た。ずっとずっと好きで想い続けてきた人。平和を愛して、他人のことを自分以上に大切にする、本当に馬鹿みたいにお人好しな人だって知ってるから。妻の私が信じなくて、他の誰があんな馬鹿正直な聖人君子風の駄目男、信じられるのよ?

涸れた筈の涙がまた溢れ出す。

大事に思ってくれている。くれてるんだ。

でも。

「麻理。怒った顔も泣いた顔もどれも可愛いよ」

そう言って頭を撫でてくれる人はもう夫ではなくなってしまった。息子に会えなくなってしまった。

悲しい。寂しい。辛い。何でこんなことに。

一度だけ、侍女がこっそりと文を届けてくれた。そこには彼の手で和歌がしたためられていた。

世の中に麻はあとなくなりにけり心のままの蓬のみして




分からないわよ。何を言いたいのか、考えてるのか。私は馬鹿なんだから。あんたとは違う馬鹿なんだから。

でも、その筆は彼の人柄のままに大きく真面目で優しく温かく、それを指でなぞる程にまた涙が流れ下る。

ひたすらに泣き暮らす麻理に、流石にまずいと思ったのか父が顔を見せた。

「麻理、可哀想に」

何が?

「仕方ないのだ、諦めろ」

何を?

「江間泰時は再婚したそうだ。お前もそろそろ忘れて、誰か良い男に再嫁するがいい」


「再嫁などしたくない。鎌倉に返して」

そう言う麻理に父は冷たく言い放った。
「鎌倉にはもうお前の居場所はない。江間泰時は既に再婚した。直に子も産まれるそうだ」

——子が?誰の子が?彼の子?

「私が産んだあの子は?」
「継室となった安保の娘が育てるだろう」

「安保の娘」

本当に彼は再婚したのか。子が産まれるのか。彼はもう他の人を愛しているのか。

どっと力が抜ける。もうどうでもいいと思った。

麻理は三浦の傍流の佐原へと再嫁させられた。


嫁いで暫くしてから噂に聞く。江間泰時が再婚するらしいと。

父はもう再婚したと言っていた。子が産まれると。あれこそが嘘だったのかと知る。



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鎌倉
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