【完結】私の愛した聖人君子

やまの龍

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第3話 束の間の幸せ

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 それから八年後、麻理が十六になった年に彼に嫁した。

 彼は三浦の荒っぽい男らとは違って、品があった。麻理の扱いも至極丁寧で優しかった。

 婚儀の夜、緊張に身を固める麻理に優しく微笑みかけ、たくさんの言葉をかけてくれた。宝物に触れるように触れられ、その甘やかな唇を受け、初めてながらようよう事を終える。

 でも優しくされようが、痛いものは痛い。泣きそうになる麻理を夫は麻理以上に痛そうな顔をして撫でて慰めてくれた。

 その翌朝、夫から文が届く。同じ屋敷の中に住んでるのに、何故か侍女がわざわざ届けてくれた文を、ギシギシいう身体でやっとのこと起き上がって開けば、小さな白い花が添えられて和歌がしたためられていた。


「娘子らが績み麻のたたり打ち麻懸けうむ時なしに恋ひわたるかも」

 それを見た途端、やばい、と思った。かな字は辛うじて読み書きは出来たし源氏物語とか土佐日記とか絵巻物は好きでよく眺めてたけど、歌なんか自分で詠んだことはない。おまけに漢字が入ってるじゃないの。
読めない、わからない、どうしよう!

とにかく、こういう時って何か返さなきゃいけなかったんだよね?

 キョロキョロと辺りを見回せば、隅の文机の上に紙と硯が置いてある。彼はそこで書いたのか。なのにわざわざ外に出て侍女に文を託すなんて、なんて七面倒なことを。
そうは思えど、麻理にも新妻としての面子がある。

 でも歌も字も無理。としたら、残るはアレしかない。

懸命に描いて侍女に託す。

 少ししたら、隣から爆笑が聞こえた。夫の声だと分かった。

 麻理は立ち上がり、バンと妻戸を開き、ズカズカと中に踏み入る。

「悪かったわね、どうせ私は字も和歌も下手よ!」

 紙を手に笑い転げていた夫は、いやいやと言って麻理を見上げた。

「ごめんごめん。笑う気はなかったんだけど、あんまり可愛くて。これ、麻理の顔だろ?」

 見せられた紙には丸と三角とフニャフニャの線。

「違うわよ。手元に何もなかったからさっき貰った花を見ながら描いたの」

  言われてよく見てみば、顔に見えなくもない。でも。

「私はそんな不細工ではないわよ!」

 そう言って夫を突き倒す。わぁ、と声を上げた夫はゴロゴロと床を転がって壁にぶつかって痛ぁいと言いながらも、まだ笑っていた。その笑顔が胸を温かく満たす。八年待った甲斐があった。彼の妻になれたんだ。

それからすぐ麻理は身籠り、元気な男児を産んだ。その父に似て目が大きくて利発なとても愛らしい男児。これで自分も江間の者、北条の一族として認められるだろうとホッとする。

 でも夫は駄目男。優しくて真面目なのはいいけれど、クソ真面目となるといただけない。それに加えてドがつくほどのお人好しで自分の身を削ってでも困っている人を助けようとする。その結果、食いっぱぐれて腹を空かせ、ワリをくう毎日。

「ええい、もう!聖人君子なんかクソ喰らえよ。もう実家に帰る!」

何度そんな遣り取りをしたことか。でも、喧嘩しても喧嘩しても彼は困り顔をしつつ穏やかに笑っているばかり。そうして麻理に優しく触れて言うのだ。

「麻理は怒る顔も可愛いなぁ」



 


そんな甘い言葉を邪気のない笑顔で言われたらどうしようもない。あばたもえくぼなのか、じゃじゃ馬を手懐けようとしてるのか、はたまた結婚したからには可愛いと思いこもうとしてるのかはわからないけど、心を込めてそう言ってくれてるのは感じるから、到底敵わない。



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鎌倉
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