【完結】私の愛した聖人君子

やまの龍

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第1話 ダメ夫

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「ちょっと!何で、私が。三浦の一の姫である私が、こんなボロ着てひもじい思いをしなきゃいけないのよ!」

叫ぶ。
それから腹立ち紛れに、傍にあったかわらけをまとめて掴んで、そやつに投げつけてやる。でも彼はそれを見事に一枚ずつ掴みとっていくと、丁寧に床の上に真っ直ぐ重ねていった。

「ちょっと、あんた。何、そんな
涼しい顔で余裕かましてんのよ」

  文句を言えば、

「いや、割れたら皿たちが可哀想だから」

 やんわりとそう言って、その顔を突き出す。

「苛々していて何かに当たりたいなら、物より私に当たるといい。私ならそうそう壊れはしないから」

そう言ってニッコリと微笑む男。

ムカつく。

私は夫の頰に手を伸ばすと遠慮なくその柔らかい頬っぺたを親指と人差し指でつねり上げた。

あいたたた。そう悲鳴をあげるのを見て、ようやく少し気が収まる。

 男はつねられた頰を撫りながら、その目を優しく細めた。

「麻理、もしやそろそろ月の障りか?今朝は特に機嫌が悪いな」

ムカムカッ

少し収まった血がまた沸き上がる。

「うるさい黙れ!お腹が空いてんのよ!」

 叫んで男の胸倉を掴む。


「あんたは、何でそうはっきりまっすぐ問うてくるわけ?そんなんだから将軍のご機嫌を損ねて蟄居させられるのよ!」

「いや、蟄居させられたわけではない。元々用事があって伊豆に戻る所だったのだ」

嘘か本当かわからないことを淡々と答える男。私の夫だ。

 この夫、駄目男。とにかく気概ってものが足らない。

 夫の名は江間泰時。

現執権、北条義時の長男。初代将軍源頼朝公のお気に入りだったとかで、元服時に烏帽子親にもなって貰い、その名の頼の字を貰って頼時と名乗っていたのだが、つい先日、その頼の字を取り上げられた。二代目将軍頼家公に。そして夫は伊豆の江間へ蟄居ちっきょさせられた。どんなヘマをやらかしたのかと問い正したら、

「だって、蹴鞠ばかりやっていて、マリが、マリがとそなたの名を連呼するから、何だか気分が悪くて」



マリ。麻理は私の真名だ。でも、女の真名は普通、家族にしか知らされない。真名は結婚する時に相手に渡す大事なものだから。

 マリという響きを大事に思ってくれているのは、女として、妻としてはもちろん嬉しい。

 でも、だからって

「あんた、馬鹿?将軍が私の真名を知って言ってるわけないでしょ。将軍が言ってるのは、単なる玉。枕みたいな変な形の鞠よ。玩具。わかってる?」

 夫は口を噤んで横を向いた。その顔を無理矢理此方に向かせる。

「拗ねるな。伊豆に戻ったのは、まぁいいとしましょう。でも」

 そこで一呼吸置く。

「何で、平民に江間の蓄えておいた米や酒を全部振る舞ってあげて、おまけに借財まで無かったことにしてあげてんのよ!」

そう。一番文句を言いたいのは、これ。

 蓄えていた大切な食糧を残らず振り分けたと聞き、いざの為に鎌倉に多少取っておいた食糧まで見事にすっからかんにされ、麻理は幼い息子と屋敷で働く家人らを抱えて途方に暮れたのだ。

 暫くは嫁入りの時に持参した衣装を手放したりして幾らかの時をもたせたが、いよいよ煮詰まり、ケチで偏屈な父に泣きを入れなくてはならない事態になって、兄にも従兄妹らにも憐れまれて、ひどい屈辱を味わった。なのに夫は自分のことに構わない。


「だって、此の所日照り続きで雨が降らなくてさ、大風も来たりして、不作が続いたから米が取れなくて、民らが田を捨てて逃散しそうだったんだ。放っておけなくて」

「言い訳すんな!そんな聖人君子みたいなことするよりねぇ、まず家を守りなさいよ。あんたの妻と子が飢えそうってんのに見知らぬ他人を助けてる場合か!」

 そう言ってど突いてやるが、夫はへらりと笑って掌を見せるばかり。

「ごめんねぇ」

「ごめんね、じゃない!もうどうにもしようがなくなったから、三浦に当座の食料を少し送ってくれと頼んだら、ここぞとばかりに父に嫌味を言われたわよ。婿殿は仙人のようなお方で霞を食っておられるとの噂だから、妻であるお前も水で足りるのでははないかって」

 あのクソ親父め、とののしれば、夫はふんわりと笑って

「クソだなんて汚い言葉を使ってはいけないよ」

 そうのたまった。それから、懐から小さな包みを取り出す。

「伊豆の土産だ。領民たちが心を込めて作ってくれたものだよ。お礼にと頂いたのだけど、麻理に似合うと思って」

 包みを開いてみれば、紅の美しい組紐があった。それを手に取り、夫は麻理の後ろに回った。

 三浦に居た頃は、姫らしく長く垂らしていた髪の毛だったけれど、結婚してより以降、気苦労が絶えず、動き回るに楽なので一つに束ねていた下げ髪。その根元に巻いてくれているようだ。

「うん、綺麗だ。麻理はやはり鮮やかな紅が似合うね」

そう言って、その甘い顔をトロトロにとろけさせて微笑んで見せる夫。その顔を見たら、麻理の毒気も抜けざるを得ない。

うーん、弱い。惚れた弱味というヤツか?いや、


でも、ハッと気付く。


「そ、それはともかく、何で名前まで取り上げられたのよ?初代将軍様に頂いた頼の字を取り上げられるって、一体どんなヘマをやらかせばそうなるのよ?」

 
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鎌倉
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