乙女の痕跡

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Chapter 2 リロードされたひつじ雲

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作戦B。そう、今日は作戦Bの、決行の日なのだ。
お昼のチャイムがなり、一気に賑わう教室の中、わたし、七瀬結愛は一人静かに息巻いていた。机にかけられた鞄の中から、くまさん柄のバンダナに包まれたお母さんとっておきのお弁当を取り出す。そのお弁当をぐっと握りしめながら、これからの作戦に向けて大きく深呼吸をした。
なんといっても今日は、和泉奈々ちゃんをお昼にお誘いする日なのだ。(3連敗中)
先日、宗方先生の思惑により今までやったこともない委員会なるものに入ることになってしまったわたし。そもそも人と何かを一緒にするなんてこと自体わたしにはチャレンジなわけであるが、その上役割を果たさなければならない委員会という高難易度のお題を出されてしまった。まあ、それを課した先生の思惑も分からないわけではないものの、そんな簡単にうまくはいかないわけで。もちろん初日の委員会も思うように行動できず、目標としていた友達すら作れずに終わってしまった。ただ、一人とても優しい人がいて、人生で初めて、いやそれは流石にないけれど、高校で初めて、名前で呼んでもいいと言ってくれる女の子に出会ったのだった。
今日はその天使のような和泉奈々ちゃん(まだ名前で呼べたことがない)をお弁当に誘うという大きな使命がある日だった。
鞄からシャーロット(くまのぬいぐるみ)も取り出してお弁当を手に、わたしはついに席を立ち上がった。

「みててね、シャーリー!わたし、今日こそ頑張るね!」

シャーリーを抱き上げて彼女に向かって高らかと宣言をする。頑張って、宗方先生をぎゃふんと言わせるのだ。わたしはそれを目標に高鳴る胸を荒い鼻息で押さえつけた。
わたしのクラスはB組なので、A組の彼女が食堂にいくとしても購買にいくにしても今頃この教室の前を通るはずだ。いなければ教室でお弁当を食べているかもしれない。しかし、この三日間の統計的にどうやら彼女は食堂・購買派のようなので、きっと今日もここを通るはずなのだ。人混みに紛れながら、わたしはそっと教室の扉を跨ごうとしていた。
この時間帯に教室の外に出ることがあまりないためか、扉から見える廊下の景色がいつもと違うような気がしてどこか期待と不安が入り混じる不思議な高揚感に襲われた。

「あっ…!」

そんな人混みの中、予想通りお目当の彼女の後ろ姿を見つける。幸運にも彼女は一人で、上機嫌な様子でわたしの目の前を通り過ぎていく瞬間だった。つい声を上げてしまったが、その時にはわたしはもう彼女の後ろ姿に釘付けで。考えるよりもまず体が動いていることに気付きもせず、高い城壁にも思えた教室の敷居をあっさりと超えていた。

「~~っ、奈々ちゃ「奈々ーーーー!!!あんた財布忘れるっつーの!」ん…」

と思ったのも束の間、せっかく喉をこじ開けて出した声は誰かもわからぬ誰かにかき消されてしまう。同時にわたしの後ろから風を切るようにポニーテールの女の子が彼女めがけて走って行った。わたしとは違い躊躇いも迷いもなく、それはまるで閃光のようだった。あっという間にわたしを追い抜いて、わたしの呼びかけなど初めからなかったかのように。行き場を失ったわたしの声は、再び発せられることもなく、ただただシャーリーとお母さんが作ってくれたお弁当を握りしめる手の力だけが強まった。

「うお?まじか!全然気付いてなかった!」
「あはは!まじ感謝して欲しいわ!」
「たまには役に立つじゃん。さんきゅー!」
「おい、こら。たまにはってなんだ!」

けらけらとそれはもう楽しそうな会話が彼女たちの周りを舞って、あともう一歩、頑張れば届くかもしれないとわかっているのに、その一歩のが鉛のように重くなぜか体が動かない。じっと彼女たちの背中を見ながら、わたしは行き交う人の中ただ立ち尽くすしかできなかった。なんで?なんでだろう?あんなにがんばろうって決めていたのに。場違いな気持ちでいっぱいになって、さきほどまでの意気込みも虚しくわたしはその場で俯いてしまう。その瞬間、右肩に強い衝撃が走って持っていたシャーリーが手から落ちてしまった。

ドンッ
「あっ…す「っち…。なんなんだよ、邪魔だな。」

人にぶつかったのだった。咄嗟に謝罪を口にしようとするも、すぐにわたしの言葉は相手のとげとげしい言葉でかき消される。そしてぶつかってしまった彼は、わたしをチラリと見てから苛立った様子ですぐに歩き出してしまった。彼はすれ違ったあとにシャーリーに気づかず踏みつけて、うわ、なんでぬいぐるみ、と言いながら、わたしのことも振り返えらずにそのまま進んでいったのだった。
はっと我に返ったわたしは慌ててシャーリーに駆け寄って、急いで踏まれたところをきれいにはたいてやった。

「ごめ、ごめんねっ、シャーリー!大丈夫?痛くない??」

かわいそうに、あんなに強く踏まれてしまって。全部、全部、わたしがうまくできないから。そのせいでみんなが嫌な思いをしている。踏みつけにされたシャーリーも、委員会に手を差し伸べてくれた宗方先生も、がんばってねってお弁当をつくってくれたお母さんも。何もできない自分を再認識すると、悲しくて泣きそうになって視界が滲んだ。堪らなくなってギュッとシャーリーを抱きしめると、急に周りのひそひそという声が耳に入る。忘れていたがここは人通りの多い昼時の廊下で。はっと顔を上げると、たくさんの人が見ないようにわたしを見ていることに気づいた。怖かった。人の視線が。

逃げなきゃ。

もうそこからはあんまりよく覚えていない。いつも動かないというのに、120%の力を振り絞って走った。教室の外にはあまり出ないし、わたしが行ったことのある場所なんて美術室以外ないけれどとにかくどこでもよかった。人のいない場所に。排除されるような、あの視線のない場所に。とにかく走った。
必死すぎて出かけてた涙は引っ込んだ。やっぱりダメだ。わたしには出来ない。あんなに明るい場所に、わたしが入る勇気がない。走りながら唇を強く噛み締めた。彼女が笑って話しかける相手がわたしなら、あんなに楽しそうな笑い声が舞うんだろうか。わたし相手に?そんなことあるはずないよ。想像ができないもの。
ねぇ、先生、わたしにはやっぱり、まだ難しいよ。

「はあっ・・・はあっ・・・、はあっ・・・。」

身体中が燃えるように熱く、うまく息ができない。足にも力が入らないし、立っているのかどうかもよく分からない。ひとまずどこかに座りたい。そう思ってようやく周りを見た。
どうやら自分の教室の棟を出て、違う校舎をつなぐ外廊下みたいなところまで来てしまったらしい。こんな所があったんだ、なんて呑気に思いながら辺りを見渡せば、外廊下の道を作っているような花壇の向こう側にいくつかベンチが置いてあった。ここは中庭なんだろうか。初めてきたな。わたしはひとまず、配置的に花壇を挟んで向こう側にあるはずであろう一番近いベンチに向かい、何も躊躇うこともなくそこに腰掛けた。

「う゛っ?!」

同時に何か変な音がした。辺りを見回すが特に人気はなく、どちらかというと自分の心音の方が大きく、聞こえたのか聞こえなかったのかよく分からなかったため、気にせず額の汗を拭く。気のせいかな。それにしてもなんかこのベンチ、座り心地が悪い、ような?妙な違和感を感じながらも、激しい運動後の回らない頭では冷静に判断もできず、やけに青々としている空を仰ぐだけで精一杯だった。…うーん、あつい。

「おい。」

それにしても学校にこんなに人がいない場所があるなんて。お昼休みの人の出入りが多い時間でこれなんだから、相当人気のない場所である。確かに入学して一年になるがこんなところきたこともなかったし、みんなも知らないわけだ。どうやって走ってきたかよくわからないけれど、確かに普段使う教室や多目的室にいく時には通らない道だったきがする。

「おい・・・。」

日当たりもいいし、今度からここでスケッチするのもいいかもしれない。これなら明暗を書く勉強もよくできそうだし、花壇もあるからお花を描くこともできる。うーん、楽しそう。さっきまで散々だと思っていたけれど、なんだか悪くもない収穫を得た気がする。そう思うと肩の力がぬけて、わたしはようやくはあ、と一息つくことができた。

「おいっつってんだろ!」
「っうわあ!」

と思ったというのに、次の瞬間にはわたしはベンチから蹴り上げられイスから投げ出されてしまう。全く臨戦態勢が取れていなかったことも相まって放り出されたまま受け身を取ることもできず、シャーリーとともにどさりと地面に投げ出された。幸いにも大きな怪我にはならなかったが、すっかり地面にお尻をつき足は先ほどの疲労と今の打撃のダブルパンチによりジンジンと痛みを放っていた。

「いてててて・・・。なんでベンチが・・・。」
「誰がベンチだよてめぇ。」

傷ついた膝を撫でながら呟くと、まさかのベンチから男の人の声が聞こえてくる。え?!まさかベンチが?!と驚いて振り返ると、そこにはベンチではなく、いや正確に表現すれば、ベンチとそこに横たわる男の人がいた。

「うわあ?!?え?!人?!?!」
「はあ・・・、普通気付くだろうが。」

わたしがちゃんと彼を認識したのを確認してから、その男の人はむくりと起き上がって頭を抱えた。寝起きなのだろうか。眉間にシワを寄せながら不快そうに俯いていた。というか、もしかしてわたしはこの人の上に座っていたのだろうか。確かに言われてみればいやに座り心地が悪かった。なんかこう、ごつごつとした骨みたいな。なんか二本の棒のような。ということはもしかしてこの人の足だったのかもしれないのだろうか?え?わたし人の足の上に座っていたということ?状況を整理してようやく自分のしたことの罪深さに気付いた。

「ごっ、ごめんなさい!わたしもしかして踏んづけてましたか?!」
「ああ、それはもう、ありがたいくらい盛大にな。」

慌てて謝罪を示すと、お兄さんはわたしのことも見ずに相変わらず頭を抱えていた。眠そうにしながら時折首や肩を動かして体をほぐしているようだった。ありがたいというくらいだから体全体が凝っていたのだろうか。なるほど。思いの外わたしが乗ることによっていい仕事をしたのだろうか。思いもよらぬ連鎖だったが、物事は不思議と噛み合うものだ。それはよかった、とわたしは先ほどとは打って変わって笑顔になった。

「なるほど!それはそれは、お役に立てたなら何よりです!」
「・・・お前はアホか。皮肉だよ、とんちんかん。」
「とんちんかん?!」

と思ったものの、どうやら違ったらしい。わたしはこういう時、よく人と会話が噛み合わないことが多い。今回もそうだったようで、お兄さんは呆れたようわたしを一瞥し、すぐに視線を外してため息をついた。また、間違えってしまったようだ。とんちんかんなんて初めて言われたなあ、とついしょんぼり落ち込んでしまい、わたしも一緒に項垂れてため息をついてしまった。
今日は本当何もうまくいかない日だ。奈々ちゃんをお昼に誘えなかったし、シャーリーも踏まれてしまった。お母さんが作ってくれたお弁当も食べられていないし、きっと宗方先生にも呆れられてしまうだろう。仮に奈々ちゃんとお昼を食べれたとしても、みんなこのお兄さんみたいにわたしと話すことを嫌うのだ。噛み合わないというか、たぶんわたしの察しが悪いせいで話していると疲れてしまうんだろう。そうやって考えているとまたどんどんと悲しくなってきて、眺めていた地面がぼやぼやと歪んでくる。ああ、せっかく、さっき引っ込んだのに。
そんなわたしに目もくれず、タイミング悪くベンチに座っていたお兄さんがスッと立ち上がる。

「じゃあな。」

釣られてわたしもお兄さんを見上げるように顔を上げると、溜まっていた涙が溢れるように頬を伝った。どうやら彼はそのまま立ち去るつもりだったらしい。挨拶を告げてくれたのだが、見上げたわたしの表情を見て彼は僅かに目を見開いたようだった。

「・・・おまえ、」

お兄さんの驚いた顔を見てようやく自分が涙していることに気づき、急に恥ずかしくなってお兄さんから顔を背けた。

「ごっ、ごめんなさい!なんかちょっと、今日は上手くいかなくて、その、お兄さんは全然関係ないのです!」

恥ずかしい。何がって、上手くいかないからってこんなに簡単にへこたれてしまう自分を見られてしまったことが一番恥ずかしかった。お兄さんはただのきっかけでしかなくて、本当に何も関係ないのに、こんなへこたれたわたしがいることを見られてしまった。情けなかった。
もっと、もっと、強くなって、先生が不安そうにわたしを見て笑いかけないように。強くなりたいのに。
一方でお兄さんはわたしの謝罪に一向に何も言い返さず、ただそこには静かな沈黙が漂っていた。いたたまれなくなって、引っ込んだ涙の痕が残る頬を拭きながらお兄さんに視線を戻す。彼のきれいな漆黒の瞳がゆらりと光ってわたしを突き刺すように見下ろしていた。

「いてぇなら痛ぇって言えや。」

彼は至極うざったそうにそう言い放ち、再びしゃがんでわたしの目線と同じ高さまで戻ってくる。お兄さんは表情をあまり出さないみたいだが何を思ってるかは不思議と伝わってくる人で、なんとなく彼の優しさであることが肌で感じとれた。一方で、その言葉自体は何のことを言いたいのかいまいち分からなかったが、まるで情けなくてもいいんだと、そう言われてるような錯覚に陥った。

「ふえ?」

けれど結局のところ彼の意図はいまいちわからず。なんなら彼は急に座り込むわたしの足を引っ張って自分の方に向け始める。自然と捲れ上がるスカートを慌てて手で押さえながら、一体何をするんだという顔でお兄さんを睨みつけると、向こうもまるでなぜ嫌がるとでもいいたげな顔をしていた。この人へんたいなの?!

「これが痛いんだろ?」

そう言って彼はわたしの膝の傷をなるべく触れないようにしながら砂を払ってくれた。どうやら先ほど投げ出された時の傷のことを言っているようだった。なるほど。そういうことか。わたしがこけて泣いていると思っているようだ。ようやく彼の思惑を理解して、やっぱり優しい人なんだな、と顔が綻んだ。傷が痛いわけじゃないけれど、この人いい人なんだな。

「痛くねぇならやめんぞ。」

全くこっちを見ていないと思っていたのに、それがバレていたのかお兄さんはまた怖い顔をしてわたしを脅す。慌てて緩んでいた頬を両手で隠すように抑え顔を振ると、わたしのことなど気にする素振りもせずやはりこちらを見ないで彼はまた立ち上がった。次は何をするのだろう、とじっと彼を見ていると、ベンチの向こうのほうにある、たぶん、花壇のお花の水やり用の蛇口に向かっていた。わたしに背を向ける形で何かをしているので、わたしからは何をしているのか分からなかったが、考える間もなくすぐにお兄さんは帰ってきた。そしてまた再びわたしの前にしゃがんで、新しく手に持っていたハンカチでわたしの傷にそっと触れるのだった。

「いっ?!いてててててて!」
「うるせぇ。だまれ。」
「お、お兄さんの鬼畜ぅ~・・・。」

聞きたいことはたくさんあったがとにかく傷がとても滲みて痛かった。こんな怖い顔しているのにもっているハンカチは優しい色味のブルーで、やっていることはまさに紳士で、彼そのものがちぐはぐでとても面白かった。だけど笑うよりも痛くてそれ以外表現できず、こんなに素敵なお兄さんの一面をしれて嬉しいことを彼に伝えてあげることも出来なかった。
ゆっくりとだんだん彼が優しく処置してくれているうちに痛みが落ち着いてきて、ふと、さっきまでの悲しい気持ちが浄化されていくような気がした。

「お兄さん、あのね、わたし実はお友達がほしくって、」

自分のハンカチを犠牲にして、強面の割に優しい手つきでわたしの傷を拭きあげる彼を静かに見ながら、先ほどまでの失敗の数々を思い返す。

「先週から毎日お昼ご飯に誘いたいって子がいたんだけど、いつも失敗して誘えなくて、」
「・・・。」
「今日も、あとちょっとで誘えたはずなのに、怖くて声がかけられなかったの・・・。」

不思議なもので、痛いなら痛いって言え、そう言われて、なんだか全てがほぐれた気がした。別に彼に何かを許されたわけでもないし、ましてや許されたとしてだからわたしの悩みが解決するわけでもないと言うのに、本当に不思議だ。お腹の底から自然と言葉が湧いて出てきた。

「その子はわたしと違って、友達が多くて、とっても優しくて、ビー玉みたいにきらきら笑う子なの。」
「わたしなんかが話しかけていいのかなって不安になったら、なんだか怖くなって逃げてきちゃった。」
「本当だめだめだぁ・・・。」

ただ、ただ、わたしが話す言葉を、彼は聞いているのだろうか。聞いていないのだろうか。それすらも分からない表情で、手を止めることもなく、ハンカチがわたしの血で汚れることも厭わず、彼は静かに目を伏せながらわたしのキズを見ていた。

「じゃあやめれば。」

傷を拭き終えたらしい。ただ黙々と汚れを拭ってくれていた彼が、湿ったハンカチそっと離して自分のポケットにそれを戻した。どうやら、わたしの話をきちんと聞いていてくれたらしい。相も変わらずわたしのことを見ず、温度のない言葉を吐き捨てる。もっともなアドバイスにわたしは反射的に吹き出してしまった。

「あははっ。そう、そうだよね。」

その通りだと思った。みんなは普通に出来るかもしれないけれど、わたしには難しいことだったのだ。それだけ。だから頑張ろうと思っても出来なくて、それ以上頑張る必要があるのか?そう言われているんだ。お兄さんはハンカチの代わりにポケットからくしゃくしゃの絆創膏を出してわたしの膝にそっと貼り付ける。
その言葉を理解して、それでもなお笑ってしまったのは、その瞬間、わたしの頭の中に宗方先生の顔が浮かんだからだ。以前、世界を閉じたわたしを家まで迎えにきてくれたときのあの眉の下がった情けない笑顔が。わたしの大嫌いな、心配そうなあの笑顔が。

「でもお兄さんが今日治してくれたの。」

だから、やめられないんだ。手がもげようとも足が砕けようとも、わたしはあの笑顔を変えてやりたいんだ。いつか本当に、わたしが先生と笑い合うために。
くしゃくしゃなシワがついた、わたしの膝の絆創膏を撫でながら自然と顔が綻んだ。わたし、だから頑張りたいんだな。

「だからとっても元気がでたよ!また頑張れそう!ありがとう!!」

それを改めて気づかせてくれたのはお兄さんだった。色んな意味で助けてくれた優しい彼に、わたしはとびきりの笑顔でそう伝えた。いつのまにかお兄さんはこちらを見ていて、その顔は驚いたような、豆鉄砲をくらったような顔に変わっていた。数秒間停止したあと、わたしが不審に思って彼の様子を伺っていると彼ははっと我に帰ったあと、少しだけ目元が和らいだような気がした。

「・・・別に何もしてねーわ。」

そしてまたわたしから視線を外して、何事もなかったかのように立ち上がる。制服の砂埃を軽く払って、俯いて固まっていた首をほぐすように回した。その姿を見上げても、逆光になって表情を伺うことは叶わなかった。

「じゃあな。」

そのまま、あまりにもあっさりと別れを告げるお兄さん。なにも返せていないわたしはそれに驚き急に慌てて自分も立ち上がろうとした。しかしそれを予期していなかったわたしの身体は思うように言うことを聞かず、立ち上がりきれずがくりと膝をついてしまう。彼を引き止めようとした手だけが虚しく宙を切った。

「あ、待って!最後に!お兄さん、せめて名前、教えて!」

せめてもの言葉を紡ぐと、彼は首に手を当てたままこちらを見る。日差しの角度が変わり見えたその表情は、出会ったときと同じいかにも不満そうなしかめっ面をしていた。

「あ?なんでお前に、
「おーい、柊~??」

ふと、そのとき、透き通るような声が響く。その声の主の方に顔を向けると、校舎の中からキレイな別のお兄さんが辺りを伺うようにして出てくるところだった。

「凛。」

その姿に反応したのは意外にも目の前の怖い顔をしたお兄さんで。短く相手のことと思われる名前を口にすると、校舎から出てきたお兄さんが彼を見つけてその見た目にそぐうキレイな笑顔を咲かせこちらにやってきた。お兄さんの知り合いなのだろうか。

「あ、いたいた。ちょっと、またさぼったんでしょ?」
「休憩だよ休憩。」

すると、今までこちらを向いていたハンカチのお兄さんもくるりと踵を返し、凛と呼ばれた彼のもとへと向かっていってしまう。凛さんなる人はむしろそんな彼を避けるように体を動かしてわたしの方を覗き見て眉をしかめた。

「ん?なに?また女の子たぶらかしてたの?」
「ちげーよ。踏みつけられて散々な思いしてたんだよ。」
「えっ?なにその面白い話。ちょっと、ちゃんと聞かせてくれない???」

ちょっとちょっと、と凛さんらしき人が彼のことを膝で小突き、彼はまた鬱陶しそうにそっぽを向く。彼らは一向にこちらを振り向く気配を見せず、そのまま校舎へと歩き出した。一方で、わたしはただ宙に放り出された腕と共に一人この中庭に残されてしまった。
強面のあのお兄さんの凛さんと話すその後ろ姿は、どこかさっきの奈々ちゃんの後ろ姿に似てきらきらしていて、改めて不思議な人だなあ、とようやくわたしは手を下ろす。お礼をしたかったのに名前すら聞き出せなかった。改めて膝のくしゃくしゃの絆創膏を見ると不格好で、でも暖かくて、わたしは中庭で一人、ふふ、と笑みをこぼす。また、彼に会えるだろうか。次に会うときにはお礼をしなきゃな。
それにしても、また失敗をしてしまったなあ、と天を仰ぐとそこには小さな雲たちが空に犇いていた。


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