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第2章 私はモブだったはずなのに
Ep.15 然る北の地に
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オルテンシア王国の北の果、そこに住まいし氷竜の魔力による万年雪に包まれた地に君臨せし山の頂には、いかなる願いをも実現する白銀の紫陽花が咲くと言う。
しかし…………
「そもそもが未開拓の地な上に、あの辺りは戦地だった頃に散った者達の魔力が土地に癒着した影響で妙な進化をした魔物の巣窟でな。紫陽花が云々の前に、人間が踏み居るような環境じゃないのさ」
その伝承の山には白銀の紫陽花だけでなく、角や牙が薬液の材料となる魔物や稀少金属等の資源が豊富に眠っているが、今まで何度も開拓を試みては多大な被害を被った為に最早皆に見放された地であると言う。せいぜい、今は時たま敷地の端の辺りに高位ランクの魔導師が依頼をこなしに行く位のものだ。
そう話してくれた酒場の主人の前に重ねた金貨を置き、本日ただひとりの客であった年若い男が立ち上がる。その胸元に、白金の月の身分証が揺れた。
「本当に行くのか?生きて帰れる保証はないぞ」
案じてくれるその言葉に一瞬足を止めたが、男は目深にかぶったローブから僅かに覗く瞳を眇め、会釈を残して吹雪の中に姿を消してしまう。
それを見送った主の妻が、呟いた。
「あの若さでプラチナとは大したものだけどねぇ。何もあんな危険を犯すことはないでしょうに。一言も話さないし、よっぽど訳ありなのかしら……」
「ここに着く前の任務時に、声を盗まれちまったんだと。それを取り返しに行くそうだ」
オルテンシアの人面鳥《ハーピー》は、人間の声を好む。対峙した際に声音を気に入られた人間が教われ、声を奪われてしまう事案は多い。
他の地の同じ魔物にはない習性なので油断したのだろう。依頼自体はこなしたものの、肝心の己の声が出ないことに気がついたのは街に戻ってからの事だったと筆談で当人が言っていた。
「それは難儀な事だけど、国営の魔獣被害者の保護施設に行けば人面鳥被害者に新しい声をくれる装置もあるって言うじゃないか。なにもあんな単身で危険な場所に赴かなくても……」
人面鳥が奪った声は美しい宝石となり、持ち主が近くに居る際に砕くか当人がそれを飲み込めば元に戻る。が、それより前に何らかの原因で宝石が破壊されれば、その声は二度と返ってこない。
そう言った理由から取り返すより安全で確実なので、上記の施設に頼る者が大半であった。声音も声帯を調べ限り無く元に近い物が出来ると言うし、使う魔術に影響が出たと言う話もない。よほどの理由がなければ、わざわざ取り返しに行こうとは思うまいに。
「あー……それも勿論伝えたがなぁ、ありゃ駄目だ。譲らねぇよ」
「そうかい?今時の軽い若者に見えたけどねぇ」
『どうしても、“本当の”己の声で祝福を述べたい友が居る』からと、そう記されたのは先の青年との筆談に用いた安いスケッチブックだ。これを掲げた際の、意思の強い眼差しを思い出す。
「そう見えたんならお前の目利きもまだまだだな。ありゃあ相当な曲者だぜ」
未だ怪訝そうな妻にそれを放り投げ、店主は愉快そうにそう笑った。
「おい聞いたか?また収穫直前の畑が魔獣にやられたらしい。これでひと月間ほぼ毎日だ。これじゃあ税すら納められんよ」
「全く困ったもんだ。村長、騎士団はなんと?」
「それが、今は王都付近でも似た被害が多発しているようでなぁ……すぐには人を寄越せぬそうじゃ。何分、ここは辺境の一歩手前の地じゃしのぉ。だからこそ、土地代や税が限り無く低いのだから致し方なかろうて」
酒場を出てから1日後、物資の補給に立ち寄った小さな村で、村人達の不穏な様子に旅人はふと足を止めた。明らかに質素な身なりの余所者など気にもならないのか、村人達は彼を無視して会話を続ける。
「くっそぉ、お役所仕事の堅物どもが……!こうなりゃ自棄だ、魔獣なんざ返り討ちにしてやる!」
「気持ちはわかるが落ち着け!今回の魔物はグリズリーだ、俺達では歯が立たん!」
「……村長、ならばここはギルドの魔導師に依頼を出してみてはどうでしょう?」
「ギルドか……。それならば金もかからんが、それでは依頼の達成に時間がかかる。その間にまた被害が出てしまうやもしれんぞ」
「いいえ、望みはあります。今回のグリズリーの群れは恐らく、氷竜の魔力で凶暴化している。依頼を出した場合、恐らくゴールドランクになるのは確実かと。そうなれば、巷で噂の漆黒の魔導師に来ていただけるかもしれません」
「あぁ、このひと月、どんなに長期間かかる筈の依頼も1日で終わらせてるって噂の白金魔導師か。馬鹿だなぁ、あんなの依頼報酬をせしめる為の作り話だっての」
「それがそうでもないらしい。調べた所その魔導師は、王家にも劣らない深い漆黒の髪をしているそうだ」
「ほぉ、それが確かなら強いのは納得だが……なら“どんな依頼も日帰りで終わらせる”ってのはどうなるんだ」
「その漆黒の魔導師には溺愛している婚約者が居てな、その娘は王都で刺繍の腕を活かして針子をしてるんだと。で、彼女の側を極力離れたく無いが故の事らしいぞ」
「なんだそりゃ、ますます嘘くせぇなぁ!」
(ーー……刺繍の上手い婚約者を溺愛してる漆黒の魔導師って……まさか、ね)
とりあえず、気の毒なこの村には結界くらい張っていってやろう。そんな事を思いながら、再び旅路につく男の素性を知る者は、まだ居ない。
~Ep.15 然る北の地に~
『訪れたるは、懐かしきまだ名も知らぬ友』
しかし…………
「そもそもが未開拓の地な上に、あの辺りは戦地だった頃に散った者達の魔力が土地に癒着した影響で妙な進化をした魔物の巣窟でな。紫陽花が云々の前に、人間が踏み居るような環境じゃないのさ」
その伝承の山には白銀の紫陽花だけでなく、角や牙が薬液の材料となる魔物や稀少金属等の資源が豊富に眠っているが、今まで何度も開拓を試みては多大な被害を被った為に最早皆に見放された地であると言う。せいぜい、今は時たま敷地の端の辺りに高位ランクの魔導師が依頼をこなしに行く位のものだ。
そう話してくれた酒場の主人の前に重ねた金貨を置き、本日ただひとりの客であった年若い男が立ち上がる。その胸元に、白金の月の身分証が揺れた。
「本当に行くのか?生きて帰れる保証はないぞ」
案じてくれるその言葉に一瞬足を止めたが、男は目深にかぶったローブから僅かに覗く瞳を眇め、会釈を残して吹雪の中に姿を消してしまう。
それを見送った主の妻が、呟いた。
「あの若さでプラチナとは大したものだけどねぇ。何もあんな危険を犯すことはないでしょうに。一言も話さないし、よっぽど訳ありなのかしら……」
「ここに着く前の任務時に、声を盗まれちまったんだと。それを取り返しに行くそうだ」
オルテンシアの人面鳥《ハーピー》は、人間の声を好む。対峙した際に声音を気に入られた人間が教われ、声を奪われてしまう事案は多い。
他の地の同じ魔物にはない習性なので油断したのだろう。依頼自体はこなしたものの、肝心の己の声が出ないことに気がついたのは街に戻ってからの事だったと筆談で当人が言っていた。
「それは難儀な事だけど、国営の魔獣被害者の保護施設に行けば人面鳥被害者に新しい声をくれる装置もあるって言うじゃないか。なにもあんな単身で危険な場所に赴かなくても……」
人面鳥が奪った声は美しい宝石となり、持ち主が近くに居る際に砕くか当人がそれを飲み込めば元に戻る。が、それより前に何らかの原因で宝石が破壊されれば、その声は二度と返ってこない。
そう言った理由から取り返すより安全で確実なので、上記の施設に頼る者が大半であった。声音も声帯を調べ限り無く元に近い物が出来ると言うし、使う魔術に影響が出たと言う話もない。よほどの理由がなければ、わざわざ取り返しに行こうとは思うまいに。
「あー……それも勿論伝えたがなぁ、ありゃ駄目だ。譲らねぇよ」
「そうかい?今時の軽い若者に見えたけどねぇ」
『どうしても、“本当の”己の声で祝福を述べたい友が居る』からと、そう記されたのは先の青年との筆談に用いた安いスケッチブックだ。これを掲げた際の、意思の強い眼差しを思い出す。
「そう見えたんならお前の目利きもまだまだだな。ありゃあ相当な曲者だぜ」
未だ怪訝そうな妻にそれを放り投げ、店主は愉快そうにそう笑った。
「おい聞いたか?また収穫直前の畑が魔獣にやられたらしい。これでひと月間ほぼ毎日だ。これじゃあ税すら納められんよ」
「全く困ったもんだ。村長、騎士団はなんと?」
「それが、今は王都付近でも似た被害が多発しているようでなぁ……すぐには人を寄越せぬそうじゃ。何分、ここは辺境の一歩手前の地じゃしのぉ。だからこそ、土地代や税が限り無く低いのだから致し方なかろうて」
酒場を出てから1日後、物資の補給に立ち寄った小さな村で、村人達の不穏な様子に旅人はふと足を止めた。明らかに質素な身なりの余所者など気にもならないのか、村人達は彼を無視して会話を続ける。
「くっそぉ、お役所仕事の堅物どもが……!こうなりゃ自棄だ、魔獣なんざ返り討ちにしてやる!」
「気持ちはわかるが落ち着け!今回の魔物はグリズリーだ、俺達では歯が立たん!」
「……村長、ならばここはギルドの魔導師に依頼を出してみてはどうでしょう?」
「ギルドか……。それならば金もかからんが、それでは依頼の達成に時間がかかる。その間にまた被害が出てしまうやもしれんぞ」
「いいえ、望みはあります。今回のグリズリーの群れは恐らく、氷竜の魔力で凶暴化している。依頼を出した場合、恐らくゴールドランクになるのは確実かと。そうなれば、巷で噂の漆黒の魔導師に来ていただけるかもしれません」
「あぁ、このひと月、どんなに長期間かかる筈の依頼も1日で終わらせてるって噂の白金魔導師か。馬鹿だなぁ、あんなの依頼報酬をせしめる為の作り話だっての」
「それがそうでもないらしい。調べた所その魔導師は、王家にも劣らない深い漆黒の髪をしているそうだ」
「ほぉ、それが確かなら強いのは納得だが……なら“どんな依頼も日帰りで終わらせる”ってのはどうなるんだ」
「その漆黒の魔導師には溺愛している婚約者が居てな、その娘は王都で刺繍の腕を活かして針子をしてるんだと。で、彼女の側を極力離れたく無いが故の事らしいぞ」
「なんだそりゃ、ますます嘘くせぇなぁ!」
(ーー……刺繍の上手い婚約者を溺愛してる漆黒の魔導師って……まさか、ね)
とりあえず、気の毒なこの村には結界くらい張っていってやろう。そんな事を思いながら、再び旅路につく男の素性を知る者は、まだ居ない。
~Ep.15 然る北の地に~
『訪れたるは、懐かしきまだ名も知らぬ友』
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