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第1章 初恋の彼は、私の運命の人じゃなかった

Ep.91 セシル、ご立腹

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「ガイアス・エトワール……!何故囚われている筈の貴方がここに居る!!」



 ガイアの姿を確認するなりレオが即座に剣を抜いた。それはそうだ。いくら個人的に恩があろうが彼は国に仕える騎士で、今のガイアは罪人。まして脱獄者となれば当然捕縛の対象……って、そもそもどうやってここに!?



「何故と言われても、俺は別に脱獄した訳では無いんだがな」



「ふざけた事を……!恩人に刃を向けるのは心苦しいが、事の全容が明らかになっていない以上咎人をこのまま自由には出来ん!」



 『捕らえさせて貰う!』とレオが振り上げた剣が月明かりに光り、そのままガイアの身体をすり抜けた。勢いでつんのめって転んだレオが明らかにぶつかったのに来ない衝撃に目を見開いてガイアに振り返る。



「だから落ち着けと言ったのに……。大丈夫か?っと、思念体だから手を差し出しても掴めないのか」



 転んだままのレオに差し出しかけた掌を引っ込めて、ガイアが自らの掌をくるくる回す。月明かりに浮かび上がるその手は、ほんのりと向こう側が透けていた。



「思念体……?」



 聞き慣れない単語に首を傾ぐと、ガイアは笑って指先で一本の万年筆をくるりと回す。



「あぁ、実は……」



「あぁぁぁぁぁっ!空間が揺れたからまさかと思って来てみりゃお前……っ、何無駄遣いしてんだ!それ高かったんだぞ!?効力だって2回分しかないのに!!」 



「……声が大きい、馬鹿」



「それはすみませんね!でもどーせ防音魔術かけてんだろ!」



 茂みをかき分け飛び込んできたるー君の姿にガイアは頭を抱え、レオは更に驚きに目を見開いた。



「黒の騎士の次はルドルフ・バークレイズまで……。お嬢様の元側近が二人も気にかけているとは、セシル、お前は本当に一体……」



「混乱してるとこ悪いけど時間ないからね!こうなったら意地でもあんたにもこっち側に付いてもらうよ」



 茫然自失でへたり込んでいたレオをるー君が抱え上げ近くの切り株に座らせる。と、その拍子に私達が居るこの一帯の下に見覚えの無い文字で大きな円が記されている事に気づいた。ぼんやり闇夜に浮かび上がるようなそのインクの色は、ガイアの手にある万年筆と同じだ。

 どうやら私達の気づかぬ間にガイアの眷属があれでこの陣を書き込んだらしい。



「もしかして、今こうしてガイアがここに居るのはその万年筆の力なの?」 

 

「あぁ。これは思念筆と言う魔導具の一種で、魔力を注いだインクで陣を引けばどんなに遠くともその場所に術者の分身を出現させることが出来るんだ。本来は外交などで使われる物だが、ルドルフに無理言って手に入れて貰ってな」



「無理させた自覚があんなら無駄使いすんじゃねぇよ……!」 



「無駄じゃない、きちんと理由のあることだ」



 穏やかに笑みを称えたガイアが未だに項垂れているレオの正面に膝をつき、真剣な面持ちに変わった。



「単刀直入に言おう。レオ・ジークヴァルト、明後日の処刑の場で国に巣食う癌を切除する為、力を貸してほしい」



 ピクっと、形の良い眉が動いた。



「その“癌”とやらの中に、キャンベル公爵家も含まれていると?」



「むしろそこが本元だな」



 しれっと返したガイアと憮然な顔つきのレオの間に火花が散っているように見える。ハラハラしながら見ていたけど、数分もせずにふっとレオの肩から力が抜けた。



「これでも長い付き合いだ。理由もなく君達がこんなことを言い出す訳が無いと頭では理解しているが……ここまでの強行に出たからには、こちらを納得させるだけの確たる証拠があるのだろうな?」 



「勿論。だが、今の君に見せられはしないが」



「当然だろう、敵か味方か曖昧な相手に重要な証拠を渡すなど隠蔽の機会を与えるだけだ」



 所属は違えど流石は騎士様。皆まで言わなくても互いの言いたい事はわかるようで、淡々と話が進んでいく。

 証拠を見せられないならどうやって自分を納得させるのかと問いたレオにガイアは空を見るよう指示した。釣られて私達も上を見ればそこには、雲ひとつない空に佇む真ん丸の月。そこに向かって、ガイアの眷属であるカラスが純黒の小石を勢いよく放り投げた。



 真っ直ぐ上に向かっていたそれが突然、パァンと何かに行く手を阻まれた。同時に、風もないのに空に浮かぶ月影が大きく波打つ。ぎょっと皆が目を見開く中、小石を万年筆で書いた魔法陣に回収したガイアが涼しい表情で説明を始めた。



「一般の人間には眉唾物の話だろうが、この国には外からの魔力干渉を跳ね返す結界が張られている。今俺が投げたのはその結界を支える為の要の一つだった黒の竜玉の欠片。空が波打って見えたのはこれにぶつかって結界が揺れたからだ」



「その、竜玉とは……」



「皆まで言わなければわからない程無能ではないだろう?」



 独り言のような呟きを一蹴されて限界が来たらしく、レオが何とも言えない声を上げてガシガシと自分の頭を掻きむしった。



「あーもー、君達の話は難しくてわからん!……が、結界については信じよう。今までの騎士団の任務の際にも魔力や魔物のあり方について不自然は感じていた」



「でも見ないふりをしてきたんだろう。ナターリエ嬢がそう誘導していたからな」



 しん、と沈黙が落ちた。溜め息に乗せるように、レオが核心を突く。



「それで?彼女達の、狙いは?」



「……すべての竜玉を破壊し結界を解いた我が国を、魔術大国“ヴァルハラ”に侵略させる事だ」



「…っ!?馬鹿な!そんな事をしてキャンベル公爵やお嬢様に何の利が……っ」



「侵略が成功した暁にはあちらで爵位を賜り、彼女はヴァルハラの王子と婚約する手筈になっている様だな」



 淡々とした暴露が却って真実味を高めている。今度こそレオが完全に打ちひしがれた。



「項垂れている場合じゃないぞ、レオ・ジークヴァルト。結界が無くなれば侵略される間でもなく今までの比じゃない高位の魔物が入ってくるようになるだろう。そうなったとき、真っ先にしわ寄せを喰らうのは罪なき民ではないのか?」



 びくっと一瞬肩を震わせ、レオが困ったような笑みで前髪を掻き上げる。



「……意地が悪いな」



「心外だな。端から事情も知らせず切り捨てるより遥かに良心的だと思うが」



 『このままでは、君の妹君のような被害者が国に溢れかえる事になる』



 暗にガイアがそう匂わせたのを、レオはきちんと理解している。その上で迷っているのだ。



「……先輩!」



「セシル?」



 項垂れているレオの前に立ち、暗い影が落ちた瞳を覗き込む。力無い手に、妹さんの形見を乗せた。



「先輩が、本当に護りたいと思っているものを優先してください。騎士の誇りを、無くさぬように」



「……っ!」



 ぎゅっと、傷だらけの手で形見を握りしめたレオが、参ったとばかりに笑って言った。



「ったく、どんな関係かはさっぱりだが揃いも揃ってずるい奴等だな。それで?俺は何をしたら良いんだ?」







 ひと通りの説明と仕掛けを終えて、ガイアの思念体は霧のように消えていった。すっかり付き物が落ちた様子のレオに見送られ、私達も騎士団から脱出する。…その別れの間際にバンッとレオに背中を叩かれた。



「しかし、セシルの言葉には痺れたぜ!ちっこいし女みたいだと心配していたが、中々どうしていい男じゃないか!本当の後輩でないのが惜しいくらいだな!」



「え!?あ、いや、先輩実は私……っ」



「将来が楽しみだな!ではまた明日!気をつけて行けよー」



 否定の間もなく大きな背中が去っていく。それを呆然と見送っていたら、ぽんと背中を叩かれた。一部始終を見ていたるー君だ。



「ま、あれだ。よかったね、最後まで女だってバレなくて」



「なっ、何だか釈然としない……!!」




    ~Ep.91 セシル、ご立腹~
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