上 下
52 / 147
第1章 初恋の彼は、私の運命の人じゃなかった

Ep.47 記憶の迷宮 [中編]

しおりを挟む
 何もない空間の中を、ひたすら真っ直ぐ落ちていく。
 でも、不思議と恐怖は無く。どちらかというと、微睡みから夢の中に落ちていくような感覚だった。

(幻術か結界の類いか……?本当に、何者だったんだ、あの男)

 今、この国の正式な魔力持ちは自分だけ。他の魔術を扱う人間は皆、魔物や魔力を帯びた宝石(国宝である竜玉もこの類いだ)等を媒体にしてわずかな術が使える者しか居ない。少なくとも、“表向き”はそうだと聞いていた。そのせいで不遇な扱いも多々受けてきた。
 だが、あの男は、明らかに自分より格上の魔術を易々操っていた。

(髪は白銀、瞳は瑠璃色……魔力持ちの条件は満たしていなかった。でも)

 自分も“魔力持《そう》”だからこそわかる。あれは“本物”だ、自分と、同じ。生まれながらに魔力を与えられた者。

(何が目的かは知らないが、怪しいな)

 彼からも話を聞かねばならない。でも、その為にも、そして何よりセレンを探しに行く為にも、まずはここから出なくては。

 そうこう考えている内に、ようやく爪先が何かに当たった。ようやく底についたらしい。慎重に両足を着くと、カサリと枯れ葉の擦れ合う音がした。

(まだ辺りは暗いな、ここは一体……)

 周りを確かめながら、一歩だけ足を踏み出す。途端に、霧が晴れたように闇が消えて視界が開けた。一瞬身構えたが、見覚えのある光景に拍子抜けする。
 なんてことはない。自分が立っていたのは、祖父の屋敷近くの森の中だった。

(どう言うことだ?確かにあの時本の中に引きずり込まれたように感じたんだが……)

 そう首を傾いだ時だ、幼い少女の声が聞こえた。

「ねぇ、あなた迷子になっちゃったの?」

「ーっ!」

 自分に言われたのかと思って反射的に振り向く。が、違った。少女の声がしたのは自分の近くでは無く、少し先に見える大きな切り株の辺りだ。同時に、子供がすすり泣く声が耳を掠める。

(この声は……!)

 聞き覚えのある声に誘われて、木の陰からそっと様子を伺って。

 遠目にもわかる純黒の髪に、息を呑んだ。

 本来なら、今の自分とは決して出逢うことの無いはずの少年が首を横に振ると、少女が首を傾いだ。柔らかそうなストロベリーブロンドがさらりと揺れる。

 でも、二人の顔は、逆光のせいでよく見えない。

「迷子じゃないの?なら、どうして泣いているの?」

「お祖父様からもらったハンカチーフが、破けちゃったんだ……」

「そっか……、じゃあ、わたしが直してあげる!」

「え!?いや、でも迷惑じゃ……っ」

「いいから任せて!あなた、お花は好き?」

 逡巡するようにしばらく黙り込んでから、少年が頷いた。良かった、と彼からハンカチーフを受け取り、少女がチクチクと針を刺していく。それを、ただぼんやりと見つめていた。
 この穏やかな時間に、つかの間の幸せな光景。記憶にない。でも、何故だか妙に、懐かしかった。

「……っ!」

 ズキリと刺すような痛みが頭に走る。記憶の一番深い場所が揺さぶられているみたいだ。

「よし、出来たーっ!はい、どーぞ!」

 しばらくして、ようやく手を止めた少女がそう言って元気に立ち上がった。でも、まだ顔は見えない。ただ、明るく無邪気な声音から、きっと笑っているのだろうと推測するだけだ。

「すごい……!これで破けてたなんてわからないや、ありがとう!君はまるで妖精のようだね!!」

 おずおずとハンカチーフを受け取って広げた少年がはしゃいで、ようやく俯いていた顔を上げた。あぁ、と、懐かしい幼い頃の己の顔にようやく、府に落ちた。

(ここは、俺の記憶の中だ……)

 忘れていた、奪われていた、でも、ずっと探していた、大切な思い出。それを今、成長した自分が客観的に見ている。不思議な気分だった。
 

「喜んでもらえてよかった!ねぇ、もしよかったら一緒に遊ばない?もう少し先に、美味しい木の実がなってる場所があるのよ!」

 喜ぶガイアスの反応に嬉しそうに笑った少女がそう提案したが、幼い自分は頷きかけてからふいとまた俯いてしまう。

「……っ」

「どうしたの?あ、木の実は嫌い?」

「いや、そんなことはないけど……、一緒に遊ぶなんて、君は、僕が恐くないの?」

「え?」

 きょとんと、少女が首を捻った。ガイアスが何を言っているのか、心底わからないといった様子で。

「恐くなんかないよ。どうしてそんなこと聞くの?」

「本気で言ってるの?だってほら、僕の、この髪……」

 まだ肩ほどまでの長さしかない黒髪を、幼い自分がぐっと握りしめた。『髪?』と聞き返した少女の返事を聞くのが恐いとばかりに、手を震わせながら。

「あぁ!あなたの髪、ツヤツヤしててすごく綺麗よね!」

「……え?いや、そうじゃなくて。黒だよ?普通の人間が持つ色じゃない……僕はっ」

「へ?黒髪の人ってそんなにおかしい?私はむしろ素敵だと思うけど」

「……っ、本気?」

 予想だにしない少女の答えに、幼いガイアスも現在のガイアスも唖然となる。少女はクスクスと無邪気に笑ってから、自分のストロベリーブロンドの髪を小さな指先に巻き付けた。

「嘘なんかつかないよ。それに、私昔からたまーに自分の髪の色こそまともな人間の色じゃない気がするんだよねー……どうしてかしら?」

 まだ子供だとは思えない哀愁を漂わせた少女の呟きに、二人のガイアスが首を傾いだ。


「……可笑しくないよ。すごく、可愛いのに」

「ーっ!?あ、ありがとう……」

 照れた様子の少女が、それを誤魔化すように幼いガイアスの手を取った。

「とにかく!あなたの髪、私は懐かしい感じがして好きよ。だから、ね?ちょっとだけ一緒に遊びましょう!」

「~っ!ま、まぁ、どうしてもって言うなら……」

「よし、決まり!」

 てらいのない無邪気な少女の態度に、とうとう幼いガイアスが折れた。少女の小さな手に導かれるように、幼い自分の後ろ姿も遠ざかっていく。

(あの子は、一体誰なんだ……?)

 それがただ、知りたくて。こっそりと後を追いかける。二人が行き着いた先は、崖の近くに生えたリンゴの木だった。

「あの赤い実が美味しいの!いつもはお父様達が取ってくれるんだけど……」

「ずいぶん高いね……。木を揺らしたら落ちてくるかな?って、ちょっと!!」

「下に落ちたら傷んで食べられなくなっちゃうし、のぼって取ってみるね!」

 身なり的に令嬢のようだが、あの子はひどくお転婆らしい。いきなり木を上り出した少女を、幼いガイアスが不安げに見守る。

 あと少しで実に手が届きそうな所まで上った時、崖側から突風が吹き抜けた。

「きゃっ!」

 枝にしがみついていた少女の身体がぐらりと傾く。そのまま、少女を支えていた枝がバキリと折れた。

「危ない!!」

 青ざめた幼いガイアスが指を鳴らすと、小さなつむじ風が巻き起こる。そのつむじ風で少女を助けて、そのままゆっくりと、自分の腕の中に下ろした。

「大丈夫!?怪我はない!?」

「う、うん。今のって……」

「ーー……っ!」

 ガイアスに抱き抱えられたまま、少女がぽつりと呟く。幼いガイアスが、ハッとしたように肩をすくませた。

「もしかして、魔法!!?すごいすごい!あなた、魔法使いなのね!」

「うわっ!ちっ、ちょっと待って!!!」

 突然少女に抱きつかれて、遠巻きに見てもわかる程に幼いガイアスの頬が赤く染まる。自分のことながら、ガイアスは頭を抱えた。

(いくら同世代の異性に耐性がなかったとは言え、我ながらチョロ過ぎる……!)


 いや、でもあれは照れているだけで、まだ堕ちたとは限らない。まず、未だに現在のガイアスには少女の顔は見えないし……と、自分で自分に言い訳をする。

「あっ!ごめんなさいわたしったら!助けてくれてありがとう!」

「どう、いたし、まして……。……本当に、君は僕を恐がらないんだね」

「当たり前でしょ?寧ろ今日の私が幸運過ぎて怖いくらいだよ!私、魔法使いの友達なんて初めてだもの」

「ーー……っ、……っ!」

「えっ、え!?どうして泣くの?」

 “友達”なんて言葉、初めて貰った。それも、自分の魔力を知っている相手から。それが、堪らない程嬉しかったんだろう。
 幼いガイアスの瞳から、大粒の涙がボロボロこぼれていく。

「ごっ、ごめん。僕、友達なんて、はじめてで……」

 『嬉しくて』、とまでは、言葉にならなかった。まだ泣いているガイアスの頭に、少女の手が優しく触れる。

「じゃあ、私があなたのお友達第1号だね!」

「……うん。ねぇ、どうして僕の頭を撫でてるの?」

「ん?泣いてる時にはナデナデしてもらうと元気が出るから」

「……僕の髪に触るの、嫌じゃない?」

「んー……、見た目よりちょっとチクチクするかな。でも、いい撫で心地だよ?」

「ははっ、なんだよ、それ……」

 とんちんかんな少女の答えに、幼いガイアスが小さく吹き出す。そのまま堰を切って溢れ出した涙が止まるまで、少女はずっと優しくガイアスの黒髪を撫で続けてくれた。





 それから、ようやく泣き止んだかと思えば。唐突に少女に『他にも魔法見せて!』とせがまれて、風の魔法で木の実を落として。半分こにしてそれを食べたり、腹ごなしにおいかけっこをしたり、沢に降りて水で遊んだり。
 なんの変哲もない、死ぬほど切望していた“普通の子供”らしい遊びを、その女の子と、日が暮れるまで堪能した。

 そして、帰り際。はじめに出会った切り株の所まで、二人で手を繋いで戻って。
 名残惜しそうに、少女の手がスルリと離れていく。

「もう帰らなきゃ怒られちゃう……、じゃあ、さよなら!」

「…………っ、待って!」

 小さく手を振って少女が歩き出す。それを思わず引き留めた。

「……また、会えるかな?いや……、会いたいんだ。だから、また遊ぼう。ここで」

「ーっ!うん!あ……、でもどうしよう」
 
「どうかしたの?」

「実は私……すっごく方向音痴なの」

 『自力でここまで来られるかどうか……』と、至極深刻そうに悩む彼女にかけよって、小さな両手を握りしめた。

「だったら、僕が会いに行くよ。迷子になってても、必ず見つけるから!だから……またね」

 すがるようなその約束に、少女が頷く。そして、そのまま幼いガイアスの頬に少女の唇が触れた。

「絶対だよ!いつまででも待ってるから、またね!」

 頬と幼いガイアスの胸に強い熱を刻み込んで、満面の笑みで手を振る少女。

 それを見た瞬間、心臓が一際大きな音を立てて弾んだ。”恋に堕ちた“その自覚に、ようやく逆光無しに見えた、思い出の少女の正体がわかる。

「セレン……っ、ーっ!」

 夕日に照らされ赤みを増したストロベリーブロンドが遠ざかっていく。思わず追いかけようとした足が、また闇に掬われた。

 闇の中から伸びた手に、無理矢理引き留められる。振り向いて、声を失う。

「追いかけるなんて、させないよ?知ってるでしょ、存在からして穢れた僕《俺》に、ひとつの汚れもないあの子を、好きになる資格なんてないんだって」

 闇より暗い瞳をした、かつての自分がそこに居た。

   ~Ep.47 記憶の迷宮 [中編]~

『未来のために向き合うべきは、自分を憎むかつての自分』

しおりを挟む
感想 140

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m 2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。 楽しんで頂けると幸いです。

我儘令嬢なんて無理だったので小心者令嬢になったらみんなに甘やかされました。

たぬきち25番
恋愛
「ここはどこですか?私はだれですか?」目を覚ましたら全く知らない場所にいました。 しかも以前の私は、かなり我儘令嬢だったそうです。 そんなマイナスからのスタートですが、文句はいえません。 ずっと冷たかった周りの目が、なんだか最近優しい気がします。 というか、甘やかされてません? これって、どういうことでしょう? ※後日談は激甘です。  激甘が苦手な方は後日談以外をお楽しみ下さい。 ※小説家になろう様にも公開させて頂いております。  ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。  タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~

私はモブ嬢

愛莉
恋愛
レイン・ラグナードは思い出した。 この世界は前世で攻略したゲーム「煌めく世界であなたと」の世界だと! 私はなんと!モブだった!! 生徒Aという役もない存在。 可愛いヒロインでも麗しい悪役令嬢でもない。。 ヒロインと悪役令嬢は今日も元気に喧嘩をしておられます。 遠目でお二人を眺める私の隣には何故貴方がいらっしゃるの?第二王子。。 ちょ!私はモブなの!巻き込まないでぇ!!!!!

生前はライバル令嬢の中の人でしたが、乙女ゲームは詳しくない。

秋月乃衣
恋愛
公爵令嬢セレスティアは、高熱を出して数日寝込んだ後に目覚めると、この世界が乙女ゲームであるという事を思い出す。 セレスティアの声を担当していた、彼氏いない歴=年齢の売れない声優こそが前世の自分だった。 ゲームでは王太子の婚約者になる事が決まっているセレスティアだが、恋愛経験もなければ乙女ゲームの知識すらない自分がヒロインに勝てる訳がないと絶望する。 「王太子妃になれなくて良いから、とにかく平穏無事に生き延びたい……!」

転生したら乙ゲーのモブでした

おかる
恋愛
主人公の転生先は何の因果か前世で妹が嵌っていた乙女ゲームの世界のモブ。 登場人物たちと距離をとりつつ学園生活を送っていたけど気づけばヒロインの残念な場面を見てしまったりとなんだかんだと物語に巻き込まれてしまう。 主人公が普通の生活を取り戻すために奮闘する物語です 本作はなろう様でも公開しています

無事にバッドエンドは回避できたので、これからは自由に楽しく生きていきます。

木山楽斗
恋愛
悪役令嬢ラナトゥーリ・ウェルリグルに転生した私は、無事にゲームのエンディングである魔法学校の卒業式の日を迎えていた。 本来であれば、ラナトゥーリはこの時点で断罪されており、良くて国外追放になっているのだが、私は大人しく生活を送ったおかげでそれを回避することができていた。 しかしながら、思い返してみると私の今までの人生というものは、それ程面白いものではなかったように感じられる。 特に友達も作らず勉強ばかりしてきたこの人生は、悪いとは言えないが少々彩りに欠けているような気がしたのだ。 せっかく掴んだ二度目の人生を、このまま終わらせていいはずはない。 そう思った私は、これからの人生を楽しいものにすることを決意した。 幸いにも、私はそれ程貴族としてのしがらみに縛られている訳でもない。多少のわがままも許してもらえるはずだ。 こうして私は、改めてゲームの世界で新たな人生を送る決意をするのだった。 ※一部キャラクターの名前を変更しました。(リウェルド→リベルト)

【二部開始】所詮脇役の悪役令嬢は華麗に舞台から去るとしましょう

蓮実 アラタ
恋愛
アルメニア国王子の婚約者だった私は学園の創立記念パーティで突然王子から婚約破棄を告げられる。 王子の隣には銀髪の綺麗な女の子、周りには取り巻き。かのイベント、断罪シーン。 味方はおらず圧倒的不利、絶体絶命。 しかしそんな場面でも私は余裕の笑みで返す。 「承知しました殿下。その話、謹んでお受け致しますわ!」 あくまで笑みを崩さずにそのまま華麗に断罪の舞台から去る私に、唖然とする王子たち。 ここは前世で私がハマっていた乙女ゲームの世界。その中で私は悪役令嬢。 だからなんだ!?婚約破棄?追放?喜んでお受け致しますとも!! 私は王妃なんていう狭苦しいだけの脇役、真っ平御免です! さっさとこんなやられ役の舞台退場して自分だけの快適な生活を送るんだ! って張り切って追放されたのに何故か前世の私の推しキャラがお供に着いてきて……!? ※本作は小説家になろうにも掲載しています 二部更新開始しました。不定期更新です

異世界細腕奮闘記〜貧乏伯爵家を立て直してみせます!〜

くろねこ
恋愛
気付いたら赤ん坊だった。 いや、ちょっと待て。ここはどこ? 私の顔をニコニコと覗き込んでいるのは、薄い翠の瞳に美しい金髪のご婦人。 マジか、、、てかついに異世界デビューきた!とワクワクしていたのもつかの間。 私の生まれた伯爵家は超貧乏とか、、、こうなったら前世の無駄知識をフル活用して、我が家を成り上げてみせますわ! だって、このままじゃロクなところに嫁にいけないじゃないの! 前世で独身アラフォーだったミコトが、なんとか頑張って幸せを掴む、、、まで。

処理中です...