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第1章 初恋の彼は、私の運命の人じゃなかった

Ep.40 記憶喪失の騎士、過去の自分に追い詰められる

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 事情の説明は後にして、とりあえず私はガイアを連れてスチュアート家に戻った。そして、ソレイユが呼んでくれた医師に未だ困惑した様子のガイアを診察して貰った結果は……。

「『逆向性健忘』……ですか?」

「はい、何らかの要因で心や脳が許容を超えたダメージを受け、過去の記憶が思い出せなくなる状態です。診察した所外傷は無かったので、過度のストレスが原因かもしれませぬ」

「そんな、おかしいです!記憶を失うほんの少し前までは全然普通にしていたのに……!」

 初老の医師の声音で静かに告げられた事実は、あまりにも受け入れがたかった。ショックのせいでよろけた私を横から支えて、ソレイユとスピカがソファーに座らせてくれる。

「お姉様、大丈夫ですか?無理しないでくださいね」

「うん、ありがとうスピカ。大丈夫よ。……それで、彼の記憶を取り戻すにはどうしたら良いのでしょうか?」

「お気の毒ですが、記憶が無くなるきっかけも戻る引き金も個人差があるものですからこればかりはどうにも……。しかし妙な忘れ方ですなぁ。自分の名前も、立場も、培ってきた知識も全てきちんと思い出せるのに、“セレスティアお嬢様と出会ってからのみ”の……つまり、ここ一年間だけの記憶がすっぽりと抜けてしまうとは。この場合の記憶障害は、通常過去のことを軒並み忘れてしまう場合が多いんじゃがなぁ」

「ーーっ!?じゃあ、今の彼は……」

「恐らく、一年前の彼に戻った状態だと考えた方が宜しいでしょう」

 無情なその言葉に、膝の上で両手の拳を握りしめる。今のこの気持ちが悲しみなのか、怒りなのか、頭が上手く働かないせいでそれすらもわからない。
 そんな私の様子を見て、医師が痛ましげに目を細めた。

「ですが、消えた記憶の範囲が少ない場合は記憶障害が軽度な患者の症状。記憶が戻る可能性も十分ございます。あまり悲観なされませぬように」

「はい……、突然屋敷まで足を運んで頂きありがとうございました」

「何、お嬢様の頼みとあればなんと言うことはございませぬ。スチュアート家の方々のお陰でこの領地は平穏無事な場所で居られるのですから。彼の件については、医院でもう少し詳しく調べて見ましょう」

 昔より少し深くなったシワを更に深めて微笑んで、幼い頃から幾度と無く世話になってきた医師が私の手を両手で包む。

「お辛いでしょうが、どうか諦めませぬよう。貴女様がまた大切な方との思い出を1日も早く取り戻せるよう、この老いぼれも力を尽くします。儂らは昔から、満開の花のような暖かい貴女の笑顔が大好きなのですから」

「ーーっ!医師《せんせい》……、本当に、ありがとうございます……!」

 私を優しく励ました医師は、今のガイアの状態のまとめと、記憶障害になった人と接する際の注意点を並べた資料を置いて帰っていった。









「はぁーー……。……よし、行くわよ!」

 いつも通りの自宅の廊下。見慣れたガイアが使っている一室の扉の前で、一人小さく意気込んだ。
 診察の間は邪魔にならないよう別室待機だったので、ハッキリと“記憶喪失”になったと判明したガイアと顔を合わせるのはこれが初。正直……この扉を開けるのが、恐い。またあの学院での初対面の時みたいに拒まれてしまったら。そしてそれ以上に恐いのは……、一年前、彼には確かに想いを寄せていた女性が居たことだ。

(最近は何だか吹っ切れた様子で、ナターリエ様の名前を彼から聞くことも無くなっていたけど、もしこの一年間を忘れたことで気持ちも戻ってしまっていたら……)

 そんな不安に刈られて、扉をノックしようとした手が止まる。でも。

『儂らは貴女の笑顔が大好きなのですよ』

 穏やかで少し掠れた、優しいお爺ちゃん医師のその言葉が、背中を押してくれた気がした。

(……うん、大丈夫。今誰より辛いのはきっとガイア自身だもん。だから……私は)

 せめて彼の不安が少しでも小さくなるように、笑顔で接しよう。

 そう決めて、大きく一度深呼吸。そして、意識してゆっくりとノックをした。

「ガイア、起きてる?」

「……あぁ、意識はあるよ。どうぞ」 

 いつもと同じで、でもどこか違う彼の声に促され中に入ると、夕日が差し込む窓際に立っていたガイアが静かに振り返った。

 身体に負担がかからないようにとゆったり目のYシャツとズボンだけをまとった彼が、私が彼にと医師に預けておいた軽食の皿を指先でなぞりながらぎこちなく笑う。

「医師の手配はもちろん、寝食まで世話してくれてありがとう。感謝する、美味しかった。……えーと、『はじめまして』……では、無いんだよな?すまない、名前がどうしても思い出せなくて……」

 完食して空になったお皿を指先で弄びながら申し訳なさそうにしているその姿にぎゅっと胸が苦しくなったけど、それを彼には悟られないよう笑顔を作った。

(泣いちゃ駄目よ、泣いたらもっとガイアが辛くなるわ)

「ふふっ、お口にあったなら良かったわ。私はセレスティア·スチュアート、貴方には“セレン”って呼ばれてたから、そう呼んで欲しいな」

「ーっ!?愛称で呼ぶような仲だったのか!?」

「へ?」

 少しでも暗い空気を変えようとわざとお茶目な感じにそう言ったら、何故かガイアがボンと赤くなって狼狽え始めた。どうやら、記憶を無くしてうぶになってしまったようだ。
 ポカンとなる私の後ろで、半端に開いていた扉の隙間から顔を出した弟妹達がやいやいと口を出す。

「愛称どころか、最近では“お前”呼びもしょっちゅうでしたよねーガイアスさん。ただの居候の癖に」

「なっ!?」

「お姉様がお買い物に行かれる際は、迷子にならないようにとよく手を繋いでいらっしゃいましたわ。婚約者でもございませんのに」

「ぐっ……!俺は嫁入り前の淑女にそんな淫らな真似をしていたのか……!?」

「「ねーさまとガイアは仲良しだよ!!よくねーさまの頭なでなでしてたもん!こいびとじゃないのに!!」」

「こんな幼児にまで……!もう止めてくれ、何故だかさっきからものすごく心が痛い!!!」

「がっ、ガイア!大丈夫よ、気にしなくていいからね!恋人でもなんでもないのは事実だし安心して!!貴方達も、記憶喪失でガイアが大変な時にいじわるしないの!!」
 
「ーーっ!そ、そう、か。じゃあ、君にとって俺は結局何なんだ……?」


「……見事に留目を刺しましたね、姉上」

 私のフォローが遅すぎたのか、赤いんだか青いんだかわからなくなってしまった顔色で胸を押さえたガイアがよろよろとベッドに突っ伏す。
 『だって姉上/お姉様/ねーさまを忘れちゃったガイアが悪いんだもん』と言い張る我が家の子供達による記憶喪失ガイアいじめは、結局父まで参戦して夕飯が終わる午後8時までずっと続いたのでした。


     ~Ep.40 記憶喪失の騎士、過去の自分に追い詰められる~

『いつもと違う初心な反応がちょっと可愛い、なんて思っちゃったことは秘密です』





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