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第1章 初恋の彼は、私の運命の人じゃなかった

Ep.38 黒い感情

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 勝手知ったる旧実家の、まるで見覚えのない地下室を飛び出し螺旋階段を駆け上がると、たどり着いたのは亡き祖父の部屋だった。
 内側からは普通の扉だったが、祖父の部屋側から見ると閉じたそこは本棚の死角となる位置のただの壁。しかも目眩ましの幻覚魔法のオマケ付きとくれば、まだ幼かった頃の自分が気がつかずに居たのも無理はないだろうと思った。

(それにしても、本当に厳重に隠された部屋だったんだな。お祖父様は一体何の為に、そして、どうやってあの空間を造ったと言うのか……確か、あの方は魔力は持っていなかった筈だが)

 セレン達には話していないが、自分のように魔力を持って生まれた人間は他者に魔力があるか否かを目視することが出来る。相手が人であることに問わず、道具や結界、他にも魔物が保有しているその魔力が、淡く光るオーラの様な形で視界に写るのだ。そして、祖父にはその魔力のオーラはただの一度も見たことがなかった。
 つまり、あの魔法の部屋を造る為に、祖父に文字通り力を貸した魔導師と、魔術の要となった強大な魔力の込められた何かがどこかに存在している可能性が高い。

 更に、あの空間の魔術が祖父亡きあと十数年経つにも関わらず一切衰えないまま保たれていたと言うことは、まだ術者は生きていると言うことだ。

(とりあえず、今の件が落ち着いたらお祖父様の交友関係から術者らしき人物を洗い出して見るか)

 少なくとも、敵意があるような場所ではなかった。魔力の形は術者の本質にも左右される。だから、あの部屋を生み出した人間は善人だと当たりをつけ、彼女《セレン》にはあの場に留まって貰ったわけだが。

 しかし、まだ離れて15分にも満たないと言うのに、一抹の不安が頭を過る。

 あれだけの高度な結界だ。少なくともあの中に居れば、屋敷の方に悪意のある何かが居たとしても彼女は安全な筈なのだ。そう、“大人しくしてくれてさえ居れば”。

(あいつは周りの人間が危機になると後先考えず突っ走る節があるから心配だな……。部屋で大人しくしてくれていると良いが)

 脳裏に甦るのは、出会ってすぐの頃、彼女の家の末っ子である双子が森で迷子になったあの日のことだ。その頃の自分達の関係性を思い出し、思わず口元に苦笑を浮かべる。

(まさか、あの時はこんな感情を抱くことになるなんて思いもしなかったのにな)

 始めはそれこそ、ただ打算で側に居ただけだったのに。いつの間にか、この世界の誰よりも大切にしたいと思ってしまう程、かけがえのない存在になっていた。

(全く、惚れた弱みとはこの事だな)

 自分の恋心の重さに苦笑しつつ、今は先ほど感じた異変の原因究明が優先だと祖父の部屋を後にする。

「ーっ!?窓ガラスが割れてる!?それに、何だこの風……っ!」

 異変の原因はすぐにわかった。廊下にある窓から見える向かいの棟のテラスから、旋風に振り回されてる人間が居るのが見えたからだ。耳を澄ますと、轟音の中から微かに情けない男の声も聞こえる。とにかく助けなければと、魔力で脚力を強化し一階の窓から件の三階のテラスまで飛び移った。

「おい、大丈夫か!?しっかりしろ!……って」

「た、たたたっ、助けてくださぁぁぁーいっ!!!ふ、ふ、吹き飛ばされるぅぅぅーっ!!!」

「ーー……また、一体何をしたんだあんたは」

 が、声の主の姿を確かめれば、必死にテラス枠にしがみついて白衣をはためかせ叫んでいたのは、散々セレンを苦しませていたマークスで。思わず、このまま吹き飛ばされて自分達の前から消えてしまえと言う腹黒い感情が沸き上がる。

「おっ、お願いします助けてくださいっ!も、もう腕が、限、界……で……」

「……っ!あーもう、仕方ないな……!ほら、掴まれ!!」

「あ、ありがとうございます!」

 だが、旋風の中すがるような眼差しを向けてくるその哀れな姿と、セレンならばきっと相手がこいつでも助けるのだろうと言う確信に釣られ、結局は手を差し伸べてしまった。同時に、吹いているのと逆回転の風の魔力で竜巻を作り出し、旋風にぶつけて相殺してやった。
 パタリと風が止んだテラスに、引き上げたマークスがぐったりと倒れ込む。

 やれやれと肩をすくめて、その前に屈み込んだ。

「おーい、生きてるか?」

「は、はい、お陰様で!いやぁ助かりました、魔物を誘き出すエサように王都から持ってきてた“旋風機”と言う魔道具を起動させようとしたら暴走してしまいまして!」

「おい待て、その魔道具の名付けは色々と危ないぞ」

 全く、こんな下らないことならばわざわざセレンを一人残して来ることはなかったな。いや、しかし諸悪の根元がこの男ならやはり彼女は連れて来なくて正解だったのか……。
 あまりの真相のくだらなさにドッと疲れが押し寄せて、ため息混じりに立ち上がる。

「まぁ、何にせよこれだけ屋敷が壊されてしまっては調査も一度打ちきりだ。今日はもう解散しよう。いいよな?マークス所長」

「えぇ、もちろんですとも!いやぁ、それにしても良かった、本当に良かったですよ!……ガイアス様が底抜けに阿保な善人で」

『今日の私の目的は、お陰様で果たすことが出来そうです』

 テラスにひれ伏したままのマークスがニヤリと歪んだ笑みを浮かべた瞬間、煙が広がるようにブワッとどす黒いオーラが巻き上がる。“魔力だ”と、気がついた時にはもう、悪意の塊のようなそれに完全に呑み込まれていた。

「なっ……!!?お前……っ、これを、何処、で…………」

 何も答えないマークスの表情は、朦朧とした意識と視界のせいでわからない。脳を直接弄られているような激しい痛みと気持ち悪さに、ぐらりと身体が傾いだ。
 ゆっくりと、ガイアスの身体が崩れ落ちる。

「さぁ、消えて下さいガイアス·エトワール。セレスティア様の隣から……永遠にね」

 歪んだ愛情の愉悦に染まったその声と同時に、完全に意識を奪われた。

          ~Ep.38 黒い感情~

『好意に混ざるその毒に、絡め取られた騎士の運命は……?』

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