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第二章 『王国編』

38 「ニハマチvsアルーシャ」

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 黒石で補強した岩壁に囲われた円形の試合場、その中心で黒い鎧を着た少年二人が向かい合う。 
 岩窟側にある白い庇の下には野次馬たちが集い、庇の影からはみ出したところにシュークリィムが立っていた。彼が言った。

「剣の先端をくっつけろ。そうだ。俺が剣で地面を付く。かなり大きな音をたてるから、その音を合図に開始せよ」 

 頷くニハマチとアル―シャ。
 互いに目を合わせて離さない二人。アル―シャは表情に緊張を見せず、斬り合いが始まるのが待ちきれないというように瞳に闘志を漲らせている。
 対し、ニハマチは沈黙の中で精神を高め、開始の音に耳を澄ませているような気配があった。
 野次馬の騎士たちも息を潜め、試合場全体が静寂に包まれる。すぐ隣の訓練場から、木剣や鋼の剣を打ち合う音が聞こえていた。
 ――金属と金属が激しくぶつかる高い音が響き渡った。
 ニハマチとアル―シャ、両者とも素早く後ろに飛び退く。
 円を描くようにアル―シャが左回りに動き、ニハマチもそれに合わせて動いた。
 アル―シャが飛び込む。振り下ろした、小細工のない強烈な一撃。
 ――木剣が歪む。

(多流だ……!)

 ニハマチは上手くそれをいなした。
 不思議な紋様の木目がある木剣は、ただの木剣ではない。これもまた、流素鍛造されたいわゆる流具の一種だった。鋭利な鋼のような殺傷力はないが、耐久力も破壊力も使用者が込めた多流に応じて柔軟に変化する。 
 ――アル―シャが腰を下げて踏み込む。
 ニハマチの反応は間に合わず、彼の脇腹へ木剣が横なぎに迫る。頑丈な黒石の鎧に木の剣がめり込んだ。  
 庇にいる騎士たちの方まで吹っ飛び、体が柱の一つに激突する。
 騎士たちが痛そうな顔をした。しかし、ニハマチはすぐに立ち上がると一目散にアル―シャへと向かった。
 一気に距離を詰め、鋭い軌道で飛び上がる。ニハマチの右腕が青白い血管で隆起し、川魚を狙う猛禽類の如き速さで剣を振り下ろした。
 予想外の速さにアル―シャの剣は遅れ、鼻先で剣を受け止める。
 その瞬間、ニハマチの力が横方向に受け流された。
 あったはずの手ごたえが消失し、体勢を崩す。アル―シャの追撃を、ニハマチは自慢の身軽さで躱し、距離を取った。

「やるな……」

 呟き、燃える瞳でアル―シャが突っ込む。突きから切り上げ、素早い連携でニハマチを追い詰めようとする。しかし、ニハマチは何なくそれらを躱し、隙を狙って反撃した。
 明らかに遅れ気味だったアル―シャの反応。にも関わらず、また剣は滑るように流された。

(……なんで!?)

 斬り結びながら、ニハマチは考える。

(力が受け流されている……こっちの力の向きを読んで、力を合わせているんだ……)

 ニハマチの目が驚きと好奇心で輝く。

(そんなことができるんだ……!)

 ――ニハマチの体内感覚、多流感覚と呼ぶべきものは特殊である。
 多流は個々によってそれを取り出す源流地点が感覚的に違う。心臓や胸の辺りという者もいれば、腹の中、はたまた頭の中から取り出している感覚の者もいる。
 ほとんどは心臓が血液を流しているのと似た感覚によって体内のそれを意識するが、ニハマチの感覚は、いわば多流を取り出せる源流である渦が、体の至るところに点在する。それによって、瞬間的に局所の多流を高められるのだ。
 彼は、剣を握る指に感覚を意識し、相手の多流がこちらの多流とぶつかって相殺しようとしたその瞬間、指の僅かな動きで多流を操作することを思いついた。
 これは、アル―シャが力を逸らしている機序とは異なる。アル―シャのそれはいわゆる高度な多流のテクニックだった。彼は武器を通して伝わる相手の多流を意識し、その流れをイメージして瞬時に相殺できる多流をぶつけている。つまり、体内での多流操作というよりは、多流を使った独自の技――意思の力による特殊能力に近い。騎士団においても、アル―シャと同じ技を僅かにでも使えるものは限られていた。

 ニハマチはひたすら攻めに転じ、多流の微調整に努めることにした。アル―シャの鎧を砕くため、手加減なく放つニハマチの剣撃がことごとく受け流される。何度も体勢を崩され、そのたびに柔軟な体を活かして復帰し、諦めずに斬りかかる。
 折れないニハマチに、アル―シャが僅かにたじろぐ気配があった。

(……だんだん掴めてきそうだ)

 ニハマチの剣をアル―シャの剣が受け止める。その瞬間、敵の力の流れが変わり、こちらの力が逸らされる。

(やっぱり合わせてる。相手がこっちの力を逸らそうとしたとき、逸らす向きを感覚できたその瞬間――そこで指に力を加える!)

 ニハマチは、相手が力を逸らそうとするその一瞬の、力の向きを見極めることに全神経を注いだ。

(左――左下――これは右! ――よし、見極めが速くなってきた!)

 ニハマチは剣を振り上げた。隙の大きい、相手を一刀両断することだけを考えた必殺の構え。

(全力で!)

 手首を中心として腕に多流が集まり、木剣がその力の強さのために内側から僅かに膨張した。

「あああッ!」 

 雄叫びを上げ、一気に振り下ろす。凄まじい力でアル―シャの木剣は折れ曲がるように歪んだが、彼は歯を食いしばり、天空から鉄塊が落下したかのように強烈なニハマチの力を、うねる濁流で横方向に逸らすようにイメージした。

(――きた。左!)   

 ニハマチから見て左側に逸らそうとする力が働いたのを見極め、その刹那、剣を握る指に多流を込める。指の力で捻りを加え、多流を右方向にずらす。

「な……!」

 受け流す力が、歯車が嚙み合わなかったときのように止められ、ニハマチの木剣がアル―シャの木剣に落ちる・・・
 多流により強化された木剣が、圧力に耐えきれず強烈な破砕音を立てる。ひしゃげて木材の内部が露になった木剣、自らの手から落ちたそれを見て、アル―シャは絶句した。

「――やめ!」

 シュークリィムの声がかかり、ニハマチは剣先を下ろした。
 視線を落として立ち尽くすアル―シャに手を差し出す。

「凄かったよ! なあ、力を逸らす技の使い方を――」

 アル―シャの体がわなわなと震えていた。ニハマチは真っ直ぐ伸ばしたその手を下ろし、 
 
(……怒ってる?)

 勝負に負けて憤る気持ちというのはニハマチにも理解できた。彼のいた森でも、負けん気の強い動物はちらほらいたのだ。 

(勝った方が負けた方を労わるというのは、場合によっては「ぶじょく」になる)

 そんなことを考え、ニハマチはとりあえずどきどきしながらアル―シャの反応を待った。
 ――しかし、意外にもアル―シャの手は伸びた。
 戸惑い気味だったニハマチの手をしっかりと握り返す。顔を上げたアル―シャの瞳は強い感情によって燃えていた。

「……君は強い……」

 華奢で、しかしマメの多い固い手が、ニハマチの手を更に強く握った。

「……認めよう。俺は剣の道を本気で極めようと思ってる。……副団長の座は君に譲ろう」
「ふ、副――」
「君と切磋琢磨し合える関係でいたい。騎士の訓練以外でも、君と手合わせ願いたいんだが。どうだ?」
「いいよ! 俺も強くなりたいし……」
「かたじけない。今日の勝負で一度負けた身、君は俺の上だ――しかし!」

 アル―シャが手を離す。少し顎を上げ、堂々とした声で彼は言う。

「立場というものは常に逆転する! 今この瞬間、君からすれば俺は役不足だろう。だが、いつか君を抜いて見せる! 君が戦場を斬り歩くその近くで、俺はより多くの戦果を上げる! 俺は強さのために手段は選ばない。君に参ったと言わせるため、君に勝つために君自身と特訓をしたい! いいか!?」
「うん! いいよ!」

(参ったと言わせるためって……面白い人だな……)

「快諾してくれること、心から礼を言う。……ほら、すぐしゃきっとしろ。君の武器を作るためなんだろう。俺以外の騎士とも手合わせするべきだ」

 アル―シャは二つに砕けた木剣を拾うと、さっと身をひるがえして庇の方に向かった。

「俺の負けです。次、ニハマチと戦いたい人は出て下さい」

 シュークリィムがロックを振り返る。

「……どうされる? 今ので十分に戦いぶりは見れたと思うが」
「……うーん。そうだねえ。かなり面白かったけど……まだ不十分かなあ……」
「なら俺が出よう」

 立ち上がったのはドッゲル。彼の巨体と大きな手に握られた木剣は、まるで小さな包丁のように見えた。
 しかし、試合場に向かおうとした彼をシュークリィムが目で制した。

「ドッゲル殿。俺にやらせて頂きたい」
「おいおい。過食は良くないぜ。いくら剣に貪欲だからってよお」
「――ドッゲル殿」

 目の表情は変わらないが、シュークリィムの瞳に強い力が宿った。

「俺が行く」

 ドッゲルは面食らって目を丸くしたあと、気まずそうに周囲に目を遣って、

「わあったよ、そんなにやりてえのか」
「感謝する」

 シュークリィムが深々と頭を下げ、踵を返して試合場に向かっていく。 
 ドッゲルは心配そうな顔でロックを見て、

「ロック! あいつの目イカれてやがった」
「ああ。魅力的な目をしていたねえ」
「がははは! 久方ぶりの獲物を見つけたって目だ。俺あ獰猛だが、子供相手じゃ手加減できる。だが剣の相手と認めちゃあ、『武人』ってやつは周りが見えなくなるもんだ!」
「まあまあ。さすがに触れ合いじゃあないかな。彼は大人だよ。大先輩が教えてあげようって訳だ」
「どうなっても知らんぞ!」
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