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第一章 『古都編』
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「……誰かの日記……?」
「ニハマチ、これはどういうことだ?」
「とりあえず読んでみようよ」
〝
まず、君がどういう経緯でこの本を手に取ったか、ということが重要になるね。とりあえず読めるということは君は力を感じ取れるし使えるということだ。
おめでとう!
それについては心配していなかったけどね。だからこうして多流を使って綴っているという訳だ。
“ 多流 ”が何かって? この世界にある不思議な力のことを、そう呼ぶのさ。知らなければ覚えておくといい。
話が逸れてしまったね。勢いで書いているから冗長になるのは許してくれ。さあ、この本を書くにあたって、我が夫には伝えようと思っていることがある。それは、この本を渡してもいいし、渡さなくてもいいということだ。
君が手に取っているということは、可能性は、、、四つかな。
1.私が書いた本だと知らされて渡された。
2.とりあえず渡された。
3.渡されず、たまたま見つけた。
4.他の者に託され、その者から受け取った。
私の予想は、4だ! 当たってるだろう?
〟
「……なんだこれは。回りくどいな。さっさと大事なことを書けばいいのに」
「ま、まあまあ。……でも、4番、当たってるね」
「?」
〝
当たっていた場合だが、なぜ当てられたか教えてあげよう。それは、我が夫は責任感がないやつだから、私がしてもいいししなくてもいいという選択肢を与えれば、当然しない方を選ぶだろうからだ。
さらに、優柔不断な男でもある。渡さないまま、恐らく君は我が夫の元を離れているだろう。その後で、彼の優柔不断さが顔を出し、しかし君がどこにいるかは分からない、はたまた直接会うのに何らかの問題があるから、誰か人づてに渡しているはず、ということだ。これも、当たっていれば拍手してくれ。
〟
「おー!」
ニハマチは驚きに顔を綻ばせると、書いてある通りに手のひらを打ち合わせた。静寂の夜に場違いなそれが漆黒のカーテンに響き渡り、キツツキが目を細めて見咎める。
「お、おい。真夜中の森だぞ。静かにしろ」
「続き、また綴られているよ!」
〝
さて、やっと本題だ。
何故こういうやり方にしたのか。それはこの本に“ 離天 ” のことを書こうと思っているからだ。
離天について知っているのならそれでいい。知らなければ具体的に書くべきではないだろう。彼の地はそういうところだ。そこに辿り着きたいという意思を持つものが、自分の意思で目指すべきだから。
しかし、単刀直入に言うならば、君には私の意思を継いで貰いたい。
〟
ページをめくる。
白紙に文字が綴られていく。
〝
私の生涯は、彼の地を求めた一生だった。
きっかけは何だったろう? まあ、それはいいか。数え切れない国や土地を旅して、常人では踏み入れない危険に踏み入った。人を惑わす幻想を目にした。
結果を先に言おう。私の旅は失敗だった。私の体は無数の瑕《きず》に蝕まれた。もう長い命ではない。だからこうして本を書いている。
結論を先に書こう。離天は追い求めたとて辿り着ける場所ではなかった。彼の地への道は選ばれし者にこそ現れるのだ。遠回りな言い方を避ければ、力を持つ者にこそ資格がある。力というのは多流のことだね。
私にはそれが足りなかったらしい。アプローチの仕方は我ながら天才だったとは思うが、如何せん、悉く力の方が足りなかったね。彼の地とこの世界を繋ぐ鍵は、間違いなく多流にある。
我が息子よ。願わくば私の意思を継ぎ、未到の夢に至って欲しい。
離天は求める者を拒み、死を招き、病を植え付けるだろう。君の冒険は輝きに満ちたものではなく、辛く、苦難の旅路となるだろう。
その業を君に押し付けること、母親としては本当に心が痛い。本当だよ? 探求にあらゆることを費やす冒険家の私だが、人の心ぐらいはある。君のことは愛おしくて仕方がない。かげがえのない一人の子供だ。
君をこの世に残し、もうすぐで逝ってしまうことを謝りたい。
君の肌をもっと撫でたかった。君が成長して、私の背を抜かすところを見たかった。君は計画的に産んだ子供ではあったけど、生まれてからそれを後悔したね。ああ、こんな気持ちを味わうぐらいなら、普通に生きても良かったのかもしれないと。
感傷を書くべきではないね。フランクにとは言ったが、君の同情を誘うような書き方は良くないな。
しかし、君という子供を授かり、出産を急いだのには訳がある。
“ 予言 ”が当たり、異変が起こったからだ。この点において、私の判断は極めて正しかったと自画自賛している。
私は予言を信じ、私の命が長くないであろうことを考えて、最後の地を忘却の古都に定めた。パートナー探しには苦労したよ。まさかこんなことをするはめになるなんてね。冒険に生き、冒険のために死ぬ覚悟だった私は、私の残り少ない生涯を寄り添ってくれる伴侶を見つけたんだ。
それが我が夫の訳だ。まあ、必要に駆られて結婚した相手とはいえ、好きな気持ちに偽りはない。愛を育む時間は十分にあった。産むために生きると決めた余生を、今まで冒険のために捨てたあれこれに充ててやった。それは楽しい毎日だよ。北にあるオルセンの酒場は、君が大人になったら一緒に行きたかったね。非常に残念だ。
〟
5ページに渡って書かれた文章はそこで終わり、めくった6ページ目に文字が浮かびあがることはなかった。
「これで終わり……か?」
残りのページをめくり、裏表紙から表紙に返して一ページ目に戻る。キツツキは思案げな顔で再び読み返した。
「自分の子供のために書いた本、か。この人は離天を目指してて、でも目指す過程で寿命が縮んでしまった。自分の先が長くないことを悟って子供を作り、離天に行くという夢を子供に託した。ざっくりとこんな感じか」
ページを再度めくってみても何も浮かび上がらないのを見ると、キツツキはぱたんと本を閉じた。そして、本をニハマチに返すように横に差し出して言った。
「これを俺に読ませたかったのか? 見る限り、かなり個人的な日記みたいだけど」
ニハマチが本を開き直すと、白紙に滲んでいたはずのインクの字は消えてしまっていた。キツツキは眉をひそめた。
「うん? 面倒な本だな。いちいち力を注ぎ直さないとだめなのか」
「ううん」
ニハマチが首を横に振る。そして、パントマに本を差し出した。
「これ、パントマが文字を出してみせてよ」
本を大切そうに受け取ったパントマが、白紙の一ページ目をじっと見つめる。
「……パントマ?」
キツツキが怪訝に問い掛けるが、白紙に変化が起こる様子はない。パントマはふう、と息を吐き、
「だめ。私、力を感じ取れないわ。キツツキくんは出来たのに……」
そこで、彼女は何かに気付いたように瞠目してニハマチを向いた。
「もしかして、ニハマチも?」
「うん」
ニハマチが首肯する。そして、パントマはゆっくりとキツツキの方を向いた。
年相応の少女らしさはありつつもどこか大人びているパントマの色白の顔が――ライラックの瞳がキツツキを不思議そうに見つめる。
「これ、キツツキくんの……お母さん?」
「……は?」
きょとんとするキツツキ。
「うん。それ、君の父親から貰ったんだよ。渡してくれってさ」
「何だと?」
キツツキが睨むようにニハマチを見る。養い所を出る際にマレーが囁いたことを思い出し――
「お前、俺の父親に会ったのか」
「ふひひ」
「どうやって……いや、まず、何で俺の父親だと……」
「それは全くの偶然さ。とりあえず、これは君の母親が書いたもので、君に渡してくれと言われたんだ。――君のことは、『キース』と言ってたよ」
「キース……。
「名前はいい。マレーがくれた名前が俺の本当の名前だ。……しかし、俺の父親がなんで今さら……パントマ、もう一度見せてくれ」
「うん」
キツツキは再びページをめくった。彼が手に取ると本に宿る力は反応し、また文字が浮かび上がった。文章の最後の5ページ目を三人揃って見つめ、ニハマチが言う。
「もやもやする終わり方だね。本当にこれで終わりなのかな?」
ページをめくる。次の6ページ目は以前真っ白なまま――そう思われたが、力の起こりをキツツキが感じ取った。
「おい。また綴られるぞ 」
黒いインクの滲みがじわじわと字を形成していく。その過程は緩慢で、先ほどまでの勢いと比べると言葉選びに迷っているような感じがあった。
〝
この文字が現れるまでにそれなりの時間がかかっただろう。
それはこの本を見ている君に大きく二つの可能性があるからだ。
1.君が一人で読んでいる。
2.君は君意外の誰かと読んでいる。
今回は後者のようだね。この本に宿された感知作用が正しく機能していればだが、まあ、概ね失敗することはないだろう。
君は素晴らしくも君の気の置ける誰か、またはこの本を託した誰かと共に読んでいるということだ。そうじゃない場合も考えられるが、私の息子に限ってそんなヘマはしないだろう。と、信じたい。
うーん。そうだね。キース、仲間を大切にしなさい。私の失敗の一つは、私があまりにも自分の身一つを頼りにしすぎる性格だったということだ。君の前に待ち受ける困難は一人で乗り越えられるようなものではないだろう。この本を傍らで読む君たちが仲間であって欲しいが……そうでなければ、これから友達や仲間を作り、出会いを大切にするべきだ。家族を作ったっていい。楽しく生きなよ。
さて、そうやって人と手を取り合って頑張って欲しいところだが、ここで、私からも一つ、君の手助けをしてあげよう。
君がこれから行く先で、私が訪れたことのある ”多流にまつわる場所 ” が近くにあれば、この本がその場所への行き先、詳細をなるべく事細かに記すだろう。そういった場所を予めこの本に記しておくやり方もあるけど、それはよくないだろうね。君の意思で国々を巡り、この本がたまたま近くにある存在を知らせる、といったやり方にすべきだ。この本はあくまでも君を手助けするもので、誘導もしなければ、強要もしない。この本が要らないと感じたら、ゴミ箱に捨てたって構わないだろう。
感傷を書くつもりはないから、ここら辺で終わりにしよう。名残惜しくはあるが、文字で君と対話できる訳じゃない。君にはただ、力強く、自由に生きて欲しい。
混沌が秩序を書き換えようとする世界で、君は自由の翼を持つのさ。どこまでも高く、ここではない世界に辿り着くために。一つ、格言っぽいことでも書いておこう。
”世界を疑え。疑うことで見えなかったものが暴き出される”
願わくば、共に読む君たちも、幸福であってくれますように――
〟
文章は七ページ目を正真正銘の最後にして、八ページ目以降をキツツキがゆっくりと注意深くめくっていったが、力の起こりを感じることはなかった。
「……」
光に釣られた羽虫が一匹、三人が見詰める六ページ目の見開きを這い、闇に消えた。
ニハマチはキツツキが何かを言い出すより早く、興奮を抑えきれずにはしゃいで言った。
「凄いや! この本、凄く役立つものだよ!」
キツツキはじっと黙って見詰めていた本を手のひらで静かに閉じ、銀の糸をたなびかせる川面に視線をやって、
「なるほどな……」
川の向こうにある黒々とした緑のシルエットへ目を上げた。
「はた迷惑な話だ……」
「――『離天』って、そこまでして行かなくちゃだめな場所なの?」
両膝を付いて二人の肩の間から見ていたパントマが、ふとそう言った。ニハマチは彼女を振り向いてから考えるように上を向いて首をかしげ、
「うーん? ……確かに、考えたことはないな」
「ニハマチも、キツツキくんとは関係なくそこを目指してるんだよね」
「うん」
パントマは両手をついて立ち上がると、自分の分の敷き布を引きづって二人の前に回り、布を敷き直して中央に座った。
「ねえ、二人とも」
物思いに耽るようにしていた二人が同時に彼女の方を向いた。パントマはいつもの柔和な笑みを口角に浮かべて、その大きな瞳で二人をゆっくりと交互に見た。
「三人で話し合うべきだわ」
「ニハマチ、これはどういうことだ?」
「とりあえず読んでみようよ」
〝
まず、君がどういう経緯でこの本を手に取ったか、ということが重要になるね。とりあえず読めるということは君は力を感じ取れるし使えるということだ。
おめでとう!
それについては心配していなかったけどね。だからこうして多流を使って綴っているという訳だ。
“ 多流 ”が何かって? この世界にある不思議な力のことを、そう呼ぶのさ。知らなければ覚えておくといい。
話が逸れてしまったね。勢いで書いているから冗長になるのは許してくれ。さあ、この本を書くにあたって、我が夫には伝えようと思っていることがある。それは、この本を渡してもいいし、渡さなくてもいいということだ。
君が手に取っているということは、可能性は、、、四つかな。
1.私が書いた本だと知らされて渡された。
2.とりあえず渡された。
3.渡されず、たまたま見つけた。
4.他の者に託され、その者から受け取った。
私の予想は、4だ! 当たってるだろう?
〟
「……なんだこれは。回りくどいな。さっさと大事なことを書けばいいのに」
「ま、まあまあ。……でも、4番、当たってるね」
「?」
〝
当たっていた場合だが、なぜ当てられたか教えてあげよう。それは、我が夫は責任感がないやつだから、私がしてもいいししなくてもいいという選択肢を与えれば、当然しない方を選ぶだろうからだ。
さらに、優柔不断な男でもある。渡さないまま、恐らく君は我が夫の元を離れているだろう。その後で、彼の優柔不断さが顔を出し、しかし君がどこにいるかは分からない、はたまた直接会うのに何らかの問題があるから、誰か人づてに渡しているはず、ということだ。これも、当たっていれば拍手してくれ。
〟
「おー!」
ニハマチは驚きに顔を綻ばせると、書いてある通りに手のひらを打ち合わせた。静寂の夜に場違いなそれが漆黒のカーテンに響き渡り、キツツキが目を細めて見咎める。
「お、おい。真夜中の森だぞ。静かにしろ」
「続き、また綴られているよ!」
〝
さて、やっと本題だ。
何故こういうやり方にしたのか。それはこの本に“ 離天 ” のことを書こうと思っているからだ。
離天について知っているのならそれでいい。知らなければ具体的に書くべきではないだろう。彼の地はそういうところだ。そこに辿り着きたいという意思を持つものが、自分の意思で目指すべきだから。
しかし、単刀直入に言うならば、君には私の意思を継いで貰いたい。
〟
ページをめくる。
白紙に文字が綴られていく。
〝
私の生涯は、彼の地を求めた一生だった。
きっかけは何だったろう? まあ、それはいいか。数え切れない国や土地を旅して、常人では踏み入れない危険に踏み入った。人を惑わす幻想を目にした。
結果を先に言おう。私の旅は失敗だった。私の体は無数の瑕《きず》に蝕まれた。もう長い命ではない。だからこうして本を書いている。
結論を先に書こう。離天は追い求めたとて辿り着ける場所ではなかった。彼の地への道は選ばれし者にこそ現れるのだ。遠回りな言い方を避ければ、力を持つ者にこそ資格がある。力というのは多流のことだね。
私にはそれが足りなかったらしい。アプローチの仕方は我ながら天才だったとは思うが、如何せん、悉く力の方が足りなかったね。彼の地とこの世界を繋ぐ鍵は、間違いなく多流にある。
我が息子よ。願わくば私の意思を継ぎ、未到の夢に至って欲しい。
離天は求める者を拒み、死を招き、病を植え付けるだろう。君の冒険は輝きに満ちたものではなく、辛く、苦難の旅路となるだろう。
その業を君に押し付けること、母親としては本当に心が痛い。本当だよ? 探求にあらゆることを費やす冒険家の私だが、人の心ぐらいはある。君のことは愛おしくて仕方がない。かげがえのない一人の子供だ。
君をこの世に残し、もうすぐで逝ってしまうことを謝りたい。
君の肌をもっと撫でたかった。君が成長して、私の背を抜かすところを見たかった。君は計画的に産んだ子供ではあったけど、生まれてからそれを後悔したね。ああ、こんな気持ちを味わうぐらいなら、普通に生きても良かったのかもしれないと。
感傷を書くべきではないね。フランクにとは言ったが、君の同情を誘うような書き方は良くないな。
しかし、君という子供を授かり、出産を急いだのには訳がある。
“ 予言 ”が当たり、異変が起こったからだ。この点において、私の判断は極めて正しかったと自画自賛している。
私は予言を信じ、私の命が長くないであろうことを考えて、最後の地を忘却の古都に定めた。パートナー探しには苦労したよ。まさかこんなことをするはめになるなんてね。冒険に生き、冒険のために死ぬ覚悟だった私は、私の残り少ない生涯を寄り添ってくれる伴侶を見つけたんだ。
それが我が夫の訳だ。まあ、必要に駆られて結婚した相手とはいえ、好きな気持ちに偽りはない。愛を育む時間は十分にあった。産むために生きると決めた余生を、今まで冒険のために捨てたあれこれに充ててやった。それは楽しい毎日だよ。北にあるオルセンの酒場は、君が大人になったら一緒に行きたかったね。非常に残念だ。
〟
5ページに渡って書かれた文章はそこで終わり、めくった6ページ目に文字が浮かびあがることはなかった。
「これで終わり……か?」
残りのページをめくり、裏表紙から表紙に返して一ページ目に戻る。キツツキは思案げな顔で再び読み返した。
「自分の子供のために書いた本、か。この人は離天を目指してて、でも目指す過程で寿命が縮んでしまった。自分の先が長くないことを悟って子供を作り、離天に行くという夢を子供に託した。ざっくりとこんな感じか」
ページを再度めくってみても何も浮かび上がらないのを見ると、キツツキはぱたんと本を閉じた。そして、本をニハマチに返すように横に差し出して言った。
「これを俺に読ませたかったのか? 見る限り、かなり個人的な日記みたいだけど」
ニハマチが本を開き直すと、白紙に滲んでいたはずのインクの字は消えてしまっていた。キツツキは眉をひそめた。
「うん? 面倒な本だな。いちいち力を注ぎ直さないとだめなのか」
「ううん」
ニハマチが首を横に振る。そして、パントマに本を差し出した。
「これ、パントマが文字を出してみせてよ」
本を大切そうに受け取ったパントマが、白紙の一ページ目をじっと見つめる。
「……パントマ?」
キツツキが怪訝に問い掛けるが、白紙に変化が起こる様子はない。パントマはふう、と息を吐き、
「だめ。私、力を感じ取れないわ。キツツキくんは出来たのに……」
そこで、彼女は何かに気付いたように瞠目してニハマチを向いた。
「もしかして、ニハマチも?」
「うん」
ニハマチが首肯する。そして、パントマはゆっくりとキツツキの方を向いた。
年相応の少女らしさはありつつもどこか大人びているパントマの色白の顔が――ライラックの瞳がキツツキを不思議そうに見つめる。
「これ、キツツキくんの……お母さん?」
「……は?」
きょとんとするキツツキ。
「うん。それ、君の父親から貰ったんだよ。渡してくれってさ」
「何だと?」
キツツキが睨むようにニハマチを見る。養い所を出る際にマレーが囁いたことを思い出し――
「お前、俺の父親に会ったのか」
「ふひひ」
「どうやって……いや、まず、何で俺の父親だと……」
「それは全くの偶然さ。とりあえず、これは君の母親が書いたもので、君に渡してくれと言われたんだ。――君のことは、『キース』と言ってたよ」
「キース……。
「名前はいい。マレーがくれた名前が俺の本当の名前だ。……しかし、俺の父親がなんで今さら……パントマ、もう一度見せてくれ」
「うん」
キツツキは再びページをめくった。彼が手に取ると本に宿る力は反応し、また文字が浮かび上がった。文章の最後の5ページ目を三人揃って見つめ、ニハマチが言う。
「もやもやする終わり方だね。本当にこれで終わりなのかな?」
ページをめくる。次の6ページ目は以前真っ白なまま――そう思われたが、力の起こりをキツツキが感じ取った。
「おい。また綴られるぞ 」
黒いインクの滲みがじわじわと字を形成していく。その過程は緩慢で、先ほどまでの勢いと比べると言葉選びに迷っているような感じがあった。
〝
この文字が現れるまでにそれなりの時間がかかっただろう。
それはこの本を見ている君に大きく二つの可能性があるからだ。
1.君が一人で読んでいる。
2.君は君意外の誰かと読んでいる。
今回は後者のようだね。この本に宿された感知作用が正しく機能していればだが、まあ、概ね失敗することはないだろう。
君は素晴らしくも君の気の置ける誰か、またはこの本を託した誰かと共に読んでいるということだ。そうじゃない場合も考えられるが、私の息子に限ってそんなヘマはしないだろう。と、信じたい。
うーん。そうだね。キース、仲間を大切にしなさい。私の失敗の一つは、私があまりにも自分の身一つを頼りにしすぎる性格だったということだ。君の前に待ち受ける困難は一人で乗り越えられるようなものではないだろう。この本を傍らで読む君たちが仲間であって欲しいが……そうでなければ、これから友達や仲間を作り、出会いを大切にするべきだ。家族を作ったっていい。楽しく生きなよ。
さて、そうやって人と手を取り合って頑張って欲しいところだが、ここで、私からも一つ、君の手助けをしてあげよう。
君がこれから行く先で、私が訪れたことのある ”多流にまつわる場所 ” が近くにあれば、この本がその場所への行き先、詳細をなるべく事細かに記すだろう。そういった場所を予めこの本に記しておくやり方もあるけど、それはよくないだろうね。君の意思で国々を巡り、この本がたまたま近くにある存在を知らせる、といったやり方にすべきだ。この本はあくまでも君を手助けするもので、誘導もしなければ、強要もしない。この本が要らないと感じたら、ゴミ箱に捨てたって構わないだろう。
感傷を書くつもりはないから、ここら辺で終わりにしよう。名残惜しくはあるが、文字で君と対話できる訳じゃない。君にはただ、力強く、自由に生きて欲しい。
混沌が秩序を書き換えようとする世界で、君は自由の翼を持つのさ。どこまでも高く、ここではない世界に辿り着くために。一つ、格言っぽいことでも書いておこう。
”世界を疑え。疑うことで見えなかったものが暴き出される”
願わくば、共に読む君たちも、幸福であってくれますように――
〟
文章は七ページ目を正真正銘の最後にして、八ページ目以降をキツツキがゆっくりと注意深くめくっていったが、力の起こりを感じることはなかった。
「……」
光に釣られた羽虫が一匹、三人が見詰める六ページ目の見開きを這い、闇に消えた。
ニハマチはキツツキが何かを言い出すより早く、興奮を抑えきれずにはしゃいで言った。
「凄いや! この本、凄く役立つものだよ!」
キツツキはじっと黙って見詰めていた本を手のひらで静かに閉じ、銀の糸をたなびかせる川面に視線をやって、
「なるほどな……」
川の向こうにある黒々とした緑のシルエットへ目を上げた。
「はた迷惑な話だ……」
「――『離天』って、そこまでして行かなくちゃだめな場所なの?」
両膝を付いて二人の肩の間から見ていたパントマが、ふとそう言った。ニハマチは彼女を振り向いてから考えるように上を向いて首をかしげ、
「うーん? ……確かに、考えたことはないな」
「ニハマチも、キツツキくんとは関係なくそこを目指してるんだよね」
「うん」
パントマは両手をついて立ち上がると、自分の分の敷き布を引きづって二人の前に回り、布を敷き直して中央に座った。
「ねえ、二人とも」
物思いに耽るようにしていた二人が同時に彼女の方を向いた。パントマはいつもの柔和な笑みを口角に浮かべて、その大きな瞳で二人をゆっくりと交互に見た。
「三人で話し合うべきだわ」
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