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第一章 『古都編』

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「ふむ。まずは私が行っていることから話して差し上げよう。――この場所はね、400年以上前まで遡る歴史のある場所でしてな。ニハマチさん、古都にまつわる昔話は知っておるかな?」
「ちょっとだけ……呪法というやつの話なら聞いたよ」
「ふむ。それならば話は早い。その通り、呪法というものがこの地で流行ったのです。その影響で色々な実験を行っておったのですよ。その中には、やはり禁忌・・……人の倫理に外れたものもありましてな。――さっき、黄金の髪のお嬢さんが持っていた剣があっただろう。君ならあの瘴気を感じ取れたはずだ」
「『怨嗟の剣』と、彼女が言っていたやつだね」
 老人が頷く。
「古き時代の人々は、呪法を熟成させるために様々なことを試みたのですよ。植物や血液、そういった他愛のないものに力を混ぜて調合してみたり、本に呪法を記してみたり、はたまた呪文を作ってみたりとな」
 ニハマチはバルサムをちらりと見た。
(……彼だけでもここから連れ去って、逃げることはできないだろうか……)
 老人は恐らくニハマチの視線に気付いていたが、気にせず話を続けた。
「しかし、それらは力の本質を分かってはいなかった。確かに、人や物は力の依り代と・・・・・・・・・・なるが・・・この力は魔法ではない・・・・・・・・・・。その時代の者は、炎を手のひらから出せる者もいたようですが、単に適性の話ですな。そこを履き違えたがために、ややこしいことに手を出し始めたのでしょう。――しかし、そういった混沌とした試みにも功績はあった。彼らは人間の屍を墓地に埋葬するのではなく、この土地にまんべんなくいたのですな。古都を形成する石造りの街路の、その下には夥しい数のそれが眠っているのですよ。それも、少々特殊な処理を施して。
「そのうち、それまでは眉唾物の類だった『怨念』が、次第に実体を帯びるようになった。無論、死人が念を持ってこの世を彷徨うなどということはない。しかし、死人を依り代とする力はやはり歪なものだったのでしょうな。そういう不安定なものがこの地に漂うようになったのです。
「そして、彼らはそのうち、この世界とは異なる世界の存在を知った。必然か偶然か、力にのめり込むものたちはそうなるのですな。……ニハマチさん、一つ尋ねてもよろしいかな?」
「うん」
「君は、その異なる世界から来た人間ということでよろしいか」
「ううん。確か、『異空間』と呼ばれるところだったと思う。この世界にあるけど、他の場所とは隔絶されたところだよ」
「なるほど……ふむ。そういうことですな。理解致しましたぞ。では、話を戻しましょう。
「彼らは、呪法により異なる世界に到達するため、より研究に没頭していった。履き違えていた力の本質を、そのうち理解し始めたのですな。彼らはやがて、人間が持つ力の素質――『意思の力』を物体に移すというやり方が、最も合理的だと知ったのです。これこそが、その最たるもの」
 老人はステッキで水面を示した。
「土台には大きな木製の器がある。器は底面からこの金属の縁まで全面を鏡で覆ってあります。その上から水を溜めてあるのですな。これは非常に面白い代物で、力をこの水の中に蓄え続けることができる。
「そして、蓄えた力が臨界点に達すると、鏡面が向こうの世界と繋がる門となる。そういう仕組みです。真偽はさておき、この品が持つ力は本物ですぞ」
 ニハマチは水場に意識を凝らしてみた。確かに、膨大な力がそこに蓄えられているのを感じた。
 ステッキで手を叩く音がして、ニハマチは顔を上げた。
「――さて、昔話の前置きはここまでとしよう。ここからが重要な話です。15年ほど前、巨大な力がこの世界に落下した・・・・。この世界をまるごと覆える、神の如き力……」
 その言葉に、ニハマチはごくりと唾を飲んだ。
(もしかして、それって……)
「君は、その力の影響を感じているかね?」
「……どうかな? 分からない。俺は、異空間の森にずっといたから……」
「なるほど。影響を受けない場所にずっといたのですな。ますます興味深い。その力というのは、この世界に多大な影響を及ぼしたのです。例外はあるが、主にその当時子供であったものたち。またはその母親、胎児に対して。力を素直に受け取れる素質のあるものたちに祝福は宿りました。
「つまり、君たちのことです。私は素質のあるものを見抜き、この場所に誘拐させて頂きました。いやはや、この街では動きやすかったですぞ。巨大な力の影響を受けている子供たちは確かにいましたが、元々あった呪いの力が膨大なためか、見事に跳ね返している。この世界において、唯一目に見える変化を受けなかった土地と言えますな」
「……その、空から落ちてきた巨大な力について、もっと知っていることがあるなら教えてほしい」
「ふむ。詳しく知りたいかね?」
「うん」ニハマチはゆっくりと頷いた。 
「承知しましたぞ。私が知る限りをお教えしよう。まず、この世界には常人には見えぬし感じられぬ力が存在する。それは君も分かるね」
「うん」
「この世界には元々、その力を認知する者達や国が存在します。古都ではそれを呪いなどと呼称しておった訳ですが、一般的に、それを知るごく一部の者達は『多流タルー』と呼んでおります。人体の奥を流れているような感覚があるからでしょうな。
「多流というのは、あくまでごく一部の者達にだけ知られておりました。それは、そもそも多流を感じられたり扱えるものが余りにも少ないためです。
 それが、ここ15年の間に激動の変化があった訳ですな。空から降った巨大な力
の影響によって。……古都に生きる者達はその変化を感じてはいないでしょうが、今、この国の外では、天変地異の如き力の蔓延により暴動と革命が起ころうとしていますぞ。それも、力のあるものたちに若い者が多いために、そのエネルギーたるや恐ろしい。
「……では、そもそも巨大な力というのはどこから降ってきたのか。――私は、それが『離天りてん』から降ってきたものではないかと考えております」
「『離天』。ここではない世界の名前だね」
「ほう。それは知っておられる訳だ」
「名前を知っているだけだよ。この前、たまたま教えて貰ったんだ」
「ふむ。では、離天についても教示が必要かな。離天――その名は、あくまで呼称の一つ。他にも様々に呼ばれます。『天界』、『別世界』、あるいは天国やあの世といった死後の世界と混同していたり、単に『高いところ』や『空の上の世界』など。――またあるいは、『モゼウ・ディリマ』とも」
(……!)
 その言葉は、意味を持った音の響きとなって聞こえた。
 ――「■■■・■■■■」。それとは少し発音が違う。「力」を伴って空気を震わす発音のため、この世界には存在しない言語体系であり、正しい発音、つまり文字として脳内に認識できない。よって、発音というよりは「呪文」に近い。
 彼らが離天と呼ぶ世界には、呪文というものも存在するというのをトカゲ博士から聞いたことがあった。古都で使われていた呪法による呪文というのも、もしかすればそれに迫った実用的なものであったかもしれない。
「モゼウ・ディリマ」は多分、この世界の言語に崩した発音なのだろう。
 老人は、白い髭の生えた顎をさすり始めた。
「多流を深く理解し、この世界の深淵を知る我々のような裏の者たちの間では、何故か『モゼウ・ディリマ』と呼ばれますな。恐らく、空の世界を真に理解した古代の人々が作った呼称なのであろう。言葉自体に刻印的な意味のある結びつきがあるのかもしれません」
 老人は咳をして言葉を切ると、その人の良さそうな細められた目をニハマチに向けた。
「私は離天を目指しております。離天に行く方法を日々模索し、世界を探究しておるのですよ。この場所は、そういった適性のある場所の一つですな」
 上から覗き込む、穏やかだがどこか濁った老人の瞳を、ニハマチは好奇心を宿した真剣な目付きで見返した。
「……なあ」
「なんですかな?」
「この世界から、離天に行った人はいるの?」
「ふむ……」
 老人は考えるように視線を上げて目をさらに細めた。怪しい光が一筋、彼の瞳に閃く。
「どうやら、いるようですな。過去1000年ほどの間にも、そういった者たちは存在したでしょう。……もしや、貴方も離天を目指す旅人なのかな」
 その問いに、ニハマチはしっかりと頷いた。
「ほっほ。なら、私たちはライバルという訳だ。ならば一つ教えて差し上げよう。『離天』というのは、それに強く焦がれる者の前に現れる。探究を止めないことですな。
 ……話はこのぐらいですかな。坊や、聞きたいことは聞けたかな?」
「うん。かなり理解が深まったよ。ありがとう」
「この場では敵である私にその素直さ。それがあなたの長所なのでしょう。
 ――どうですかな? 私とここで一戦交えたいのであれば、歓迎しますぞ。上手く行けば私を倒し、そこの子供たちを助けられるかもしれませんぞ」
 そう言って、老人がステッキで背後を示す。
 ニハマチは沈黙し、意識だけをバルサムに向けた。
(もしかして、気付いている?)
 ……ニハマチは密かに、この部屋に来て水場の力を感じ取ってから、その力を吸い取れないかと力を集中させていた。足裏に意識を集中し、地面から水場までを接続できるとっかかりを探した。そして、この地に眠る屍たちの力を足裏に感じとることで、力の延長線を水場まで伸ばしていた。
 そして徐々に、少しずつ水場の力を体内に取り込むことに成功していた。足裏に上がってくる力をそこに留め、そのまま足に蓄え続ける。
「……いいんだね? 手は抜かないよ」
「よろしい。来なさい」
 ――ニハマチは思いきり地面を蹴った。
 力の爆発で、足元が大きく削りとられる。空中に浮いた体から、刹那の間に老人のみぞおちに足先を叩き込む。一瞬で向こうの壁に激突音が炸裂した。
 壁が瓦礫となって煙が立ち昇る。それが晴れると、ぐったりと頽《くずお》れる老人の姿が現れた。スーツ越しに体の中央が恐ろしいほどめり込んでいるのが分かる。普通であれば、上半身の骨がほとんど折れてしまっているだろう。
 しかし、ニハマチはそういった希望を予め持っていなかった。
 すっと、糸で操られた人形のように老人が立ち上がる。
「ふむ。素晴らしい。想像以上だ。しかし、ニハマチ君と言ったね? 君には得物を見つけることをおすすめする。生身では君の力は活かしきれない」
 瓦礫の粉末をコートから払いのけ、襟を正す。老人はにこりと笑って手にひらにステッキの先を当てた。
「どうかね? 私たちの仲間にならないかな?」
 ニハマチは即座に首を横に振った。
「――いやだ。悪いことをするやつとは仲間になりたくない」
「……まあ、それはそうですな。いやはや残念だ」
 ステッキが指揮者のタクトよろしく滑らかに振られる。ニハマチの体がぐんと斜め方向に引っ張られ、半円柱の鉄枠に押し込められた。鉄枠を掴んで出ようとするが、見えない圧力で体が押し返されてしまう。
「ぐっ……放せ……!」
「心配しなさるな。力を頂くだけです。ほっほ! 貴方の体ならば、相当良い力を引き出せるでしょう」
 すると、ニハマチの全身から急激に力が吸い取られていった。その力は鉄枠に繋がった鎖に流れて、水面へと移動していくのが分かる。
「は……な……せ――」
 ふっと体の力が抜ける。ニハマチの意識は薄れ、鉄枠にもたれるようにしてがくりと気絶した。
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