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第一章 『古都編』

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 ニハマチの意識が現実に戻ると、彼の視線は男の傍らにある槍へと釘付けになった。
(あの槍、あれを使えれば……!)
 その思いに呼応したのか――果たしてどういう原理が働いたのか――槍がニハマチの元へと飛来し、彼の右手に収まる。
 それを手にした瞬間、膨大な力とより具体的な記憶の情報が流れ込んだ。
 ニハマチの体内を暴れる力の奔流が更に勢いを増し、抑えきれず外に溢れ出てしまうのではないかと思うほどに全身を漲る。
(……! 力がどんどん沸き上がってくる……!)
 槍を前方に一振りすると、飛来した結晶が粉々に砕け散った。いつの間にか痛みの感覚は失せて、ニハマチは立ち上がっていた。
(出血が激しい……時間はかけられない)
 槍の持ち主だった男の意思までもが流れ込み、理解し、ニハマチの人格の一部までが男のそれに浸食されていた。ニハマチは槍を両手に持ち直して構えた。それは自然と騎士の構えになっていた。
「『砂の王』……! お前をここで倒す!」
 散っていった戦友たちの屍が鮮明に浮かび上がる。沸々と自らのものではない怒りが沸き上がり、それは冷静なニハマチの思考と溶け合い、共感し、彼の心は激情と使命の炎で高揚した。
 連続で飛来した結晶を全て切り落とし、ニハマチは前進した。
 最奥にいる怪物との距離が瞬く間に縮まる。怪物は一つも姿勢を変えないまま、ニハマチが接近しようとしたとき、複数の圧が彼に襲い掛かった。
 圧はニハマチを吹き飛ばしつつ斬った。体に三つ、ごく浅く一刀両断したような長い傷が生まれている。
(見えない風……動じるな。俺の体は強化されているみたいだ。こんなもの、大したことはない!)
 地を手のひらで掴み衝撃を殺して怪物を睨み据えると、上空で数十枚もの赤い羽根が出現した。羽根は木の葉のように不規則な動きを描き、打ち付ける雨のような速さでニハマチへと滑空落下する。
 槍が神速で振られ、羽を撃ち落とした。合計で27枚の羽根を撃墜すると、結晶が間髪をいれずに彼を襲った。それを避けるため、弧を描くように怪物へと走る。
 接近すると見えない波動が起こったが、先読みして高く飛び上がった。
(届く!)
 槍の穂先が敵の首元に突き刺さる――しかし、刺さったところが砂となって崩れ落ち、手ごたえはまるでない。
 為す術もなく落下するだけのニハマチの体を、分厚く尖った結晶が吹き飛ばす。立ち上がり、結晶の激突した腹部を見た。血が滲み出ているが、深い傷ではなさそうだ。
 すると、突如として怪物は砂となり、輪郭を失って地面に崩れ落ちてしまった。
 静寂のあと、怪物の気配は不意にニハマチの傍らに出現した。怪物の白い骨の手には、刃が羽根で出来た赤く長大な異形の剣が握られている。
 横なぎに放たれた剣の一撃は、理外の性能を誇る槍を撓ませるほどで、少年の小さな体は神殿の側面の壁へと叩き付けられた。
「がはっ!?」
 地に足を付けて体勢を整えたとき、正面に忽然と現れていた怪物の剣が虫を叩き潰すように振り下ろされた。
 落下する剣撃を両手に持つ槍で受ける。槍が軋み、支える体が悲鳴を上げ、このままでは槍も自身の体も崩れてしまいそうなほど重い一撃だった。限界を感じ、敵の懐に転がり込んで退避する。背後で地を揺らす轟音が響き渡った。
(――今のは受ける手じゃない。躱しなさい)
 ニハマチは、犬のような猫のような生物に言われたことを思いだした。意思を持つ樹木と特訓を繰り返した日々が体に刻まれている。
 怪物の姿は再び砂となって消失した。
(どこから来る……後ろか!)
 真後ろから振り下ろされた剣を身を翻して躱す。続いて二撃、三撃と躱した。
(剣の出所が分かりやすい。速さと威力は凄いけど……)
 身体強化を重ね合わせている今のニハマチだからこそ出来る芸当ではあったが、確かに怪物の振る剣には剣技と呼べるような卓越した腕はなかった。 
 それでもその剣は恐ろしく速い。さらに、怪物はまた砂となって消えて、死角に現れては剣撃を繰り出した。出所を見極めて先に動くことで避けるというのが精一杯だった。
 そしてついに、剣はニハマチを捉えた。薄い羽根の側面が、鮮血で弧を描くように脇腹を通り抜ける。
 熱い感覚を堪えて、ニハマチは素早く距離を取った。
 怪物は姿を消し、次は堂々と正面に現れた。――弱る獲物に小細工は不要だと言うように。
 剣撃は確実に、哀れな少年を葬り去れる速さと角度でもって繰り出された。ニハマチが槍の穂先で合わせたそのとき――彼は不敵に笑った。
(――間に合った)
 力を感覚できる者だけが見える、一種のオーラじみたエネルギーが槍から迸ると、穂先から柄の三分の一ほどまでが循環する水流に包まれた。それは槍がもつ膂力を増大し、さらにニハマチの身体能力を一段と引き上げ、赤い剣を押し返す。
 ニハマチは槍を持ってからの戦闘中ずっと、この水の力を引き出すために槍と自身の力を溶け合わせていたのだった。
 怪物から見えない波動が発生した。ニハマチは握る手を緩めて槍の真ん中に持ち直すと、風車のように回転させた。水の渦が盾になり、波動を防ぐ。
 ニハマチが追撃する前に砂となって崩れた怪物は、今度は祭壇の奥に現れた。
 ニハマチは意思に燃える目で怪物を睨んだ。
「おい……卑怯な戦い方ばかりするやつだ。お前を葬り去るまでは逃がさないぞ、砂の王!」
 男の口調と自身の口調が混ざり合って、普段の彼とはまるで違う声でそう言い放つ。
 槍から溢れ出た水が水流となり、ニハマチはそれで自身を包むと、水流に乗って怪物へと猛突進した。
 すると、怪物は不意に頭部の両端にある羽根を抜き取った。
 ――突然、神殿に砂嵐が吹き荒れる。
(見えない――!)
 吹き荒ぶ砂粒が視界を埋め尽くす。全身を叩くそれ自体に痛みなどはなかったが、警戒したニハマチは水流を解いて後退した。目を凝らして前方を見れば、左上に飛び上がるようにして視界から消えた怪物のシルエットに、大きな影が見えたような気がした。
 息を吐く間もなく上空から飛来した赤い剣を受け止めた瞬間、砂嵐ごしでも分かるほどに鮮やかな深紅の、巨大で美麗とも言える翼が背中から生えているのが分かった。怪物は舞い上がると、砂塵に姿を消した。
 ごうごうと荒れ狂う砂嵐にあって、巨大な怪物が宙を飛行している音を聞き分け、ニハマチは注意深く耳を傾けた。
「そこか!」
 音で飛来する方向を読み、剣撃を受け流す。ニハマチは水を生み出すと、砂嵐の中を水流に乗って追跡した。
 音を突き止め、距離が近づいていくと、怪物の姿がそこに立ち現れた。怪物は半身を捻って体勢を変え、剣を振った。ニハマチも槍で応戦し、激しい空中戦が始まった。
 砂塵の奥に潜っては、朧気な姿と共に流線的な弧を描いて襲い来る剣撃に、ニハマチは水流を巧みに操って軌道を変え迎撃する。
 しかし、彼も防戦一方ではなかった。そのうち、敵の動きの癖と傾向を読み、ニハマチは自ら攻撃を仕掛けた。たびたび砂嵐に紛れる微妙な音を聞き間違えて方向を見誤り、攻撃を喰らいかけたが、ニハマチの耳はより正確に音を捉えられるようになっていった。
(耳を澄ませろ……聞こえる、羽ばたく音が――今だ!)
 砂塵を突っ切って飛び込んだ先に、頭部の真っ赤な羽根があった。その羽根だけでニハマチと同じぐらいの大きさはある存在の肩にしがみつくと、水を纏わせた槍を思い切り翼の付け根に突き刺した。
 すると、砂となって崩れ落ちるはずのところが水によって結晶化し、実体を伴い、砕け、そこにあった白い骨が損傷した。
 翼の制御を失った怪物が、傾いた体で地面に墜落していく。
 超至近距離で波動が発生したが、体を水で包むことで防ぐ。ニハマチはそのまま、掘削するように背を滅多刺しにした。
 怪物は抵抗しようとはせずに、ただ白い手を頭部へと伸ばした。残る二本の羽根を自分で引っこ抜くと、それは砂となって崩れ去った。
 砂嵐は止んだ。――しかし、別の変化があった。
 神殿の天井がさらさらと砂に変わっていったかと思うと、柱や地面までが砂と化し、神殿は崩壊した。
 ニハマチは怪物と共に落下した。怪物も砂となって消失した。彼の見る光景が全て砂となって崩れ去っていった。
 背中への軽い衝撃で落下が終わると、そこは広大な雲海ではなく、果ての無いまっさらな砂の上だった。
「くっ……どうなったんだ……?」
 体ごと周囲を見渡すが、存在の気配はない。そして、気付けばすぐ近くにぐったりと倒れているパントマがいた。
「パントマ、無事か!?」
 上体を支え起こし、頭を揺すったり、槍から水を生んで顔にかけてみたりするが、起きる気配はない。パントマの胸元に手を当てると、息はまだあるようだった。
 すると、前方から強い気配が起こった。ニハマチは素早く丁寧にパントマを横たえ、顔を上げた。向こうに見える気配の正体は、「砂の王」の――怪物の姿ではなかった。
 それは人間の姿をしていた。分厚く光沢のあるマントではなく、薄く黒い衣を全身に纏わせるようにして着ている。体格は常人の大人ぐらいで、体付きや顔は男にも見え、女にも見える。無感情と言えば無感情で、微笑んでいると言えば微笑んでいた。髪は長く、色は赤い砂のような鳶色。背には真っ白な羽。
 砂の王が口を開いた。
「――■■■■、■■■■■■■■」
(……!)
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