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第一章 『古都編』

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 目的地へは厩舎の馬を借りることにして、ニハマチが手綱を握った。
 その町というのは、ビールの麦畑をさらに北西に行ったところにある、古都の中心に比べれば寂しい町だった。
 ニハマチは彼の背中に掴まるパントマの案内に従った。町を横切るように進むと、以前は人が住んでいたであろう廃墟群に入った。
 周囲に自然もない、風化した石造りの空き家の壁と瓦礫が連続する廃墟は正真正銘の無音で、馬の蹄鉄だけが虚しく響き渡る。
 やがて、不気味で薄い霧が発生し始めたころ、パントマは言った。
「まだ距離があります。道順は分かります――そこを左です」
 それから、パントマの案内は更に具体的になっていった。
「また左です――そこを右に回って、建物の間の路地を抜けて下さい。――右です」
(ずいぶん、無駄な進み方が多い気がする。進めるところで一気に進んで、曲がってからまた一気に進めばいいのに。最初に行った道のりや景色を再現しないと迷子になる人なのかな?)
 とはいえ、パントマの指示は的確で自信があり、迷っている風ではなかったので、ニハマチは素直に従った。
「――来ました。ここです」 
 二人が着いたのは、霧に囲まれた墓地だった。綺麗に区画が整理されていて、直角に交わる通路と、通路に囲われた長方形の区画が縦横に連続している。霧が濃さを増しているせいで、どこまで墓地が続いているか見通すことは難しそうだった。
「彼女がどこへ向かったかは分からないんだよね」
「はい。なので、ニハマチさんの気付きだけが頼りです」
 ニハマチは大きく頷くと、大股で躊躇わずに歩きだした。パントマがやや遅れてからそのあとを追いかける。
「墓地の周りがどうなっているかは分かっているのかい?」 
「分かりません。というのもこの墓地、さっきの廃墟からしか入れないような気がするんです。廃墟の近くにあるはずなのに、廃墟の外側を一回りしても墓地なんてどこにも見当たりませんでしたから」
「そうか……パントマが廃墟をぐねぐねと進んでいたのはそういう理由なんだね」
「はい。特定のルートを進まないとこの墓地には辿り着けないみたいなんです」
(――異空間というやつだな。ちょうど、俺がいた森がそうだったように)
 しばらく一方向に歩いていると、ふとニハマチは景色に違和感を覚えて立ち止まった。
「あれ……もしかして……」
 二人は墓地へ来た道から見て右の方向にずっと進んでいたので、彼らから見て右側、つまり彼らが来た方角には廃墟群がうっすらと見えていた。それ自体おかしなことではなかったが、その廃墟の景色というのが幾ら進んでも変わらないように見えるのだ。
「進んでいない?」
「気づきましたか」
 パントマは体の向きをニハマチに向けてから言った。
「この墓地、終わりがないんです。というより、戻っています。ずっと、元の場所に戻されてしまうんです」
「やっぱり……」
「ニハマチさんも気付いていると思いますが、霧が濃くなったところで周囲がほとんど見えなくなります。霧を抜けて景色が見えたとき、いつの間にか反対側にいるんです。私たち、右に進んでいましたが、今は向こうから見て左の端にいます」
「うーん……ちょっと、あっちの方にも行ってみていいかい?」
「はい。そうしましょう」
 ニハマチは左に曲がって、廃墟の反対側の方向に歩いた。濃い霧に入ると、霧が彼らを包んで、二人の僅かな周囲しか見えなくなった。その霧を抜けたとき、ニハマチはすぐ後ろを振り返った。すると、そこには廃墟の景色があった。
「ほんとだ。もう一回行こう」
 今度は同じ方角へ後ろ歩きに進んでみる。再び霧に侵入し、晴れて景色が浮かび上がったときには、やはりそこには薄い霧の向こうにぼんやりと見える廃墟があった。
「気味が悪いと思いませんか」
「うん……」
「私が前に一人で来たとき、そうではないかと思って試したことが色々ありますが、どれも上手くいきませんでした。でも、先入観を持たないことが大事だと思いますので、その色々はあなたに話しません。ニハマチさんの直感でこの墓地を調べて欲しいんです」
「――分かった! じゃあ、そうさせてもらうよ」
 ニハマチはすぐにパントマから離れると、そこら中を調べ回った。
 深い霧は廃墟の見える方角以外にぐるりと見えていて、道に囲まれた長方形の区画の中には三つから五つぐらいの墓石が存在する。その区画が濃い霧の見える向こうまで、つまり端から端まで七つか八つ続くという、ほとんど正方形の空間になっている。
 墓石には名前が彫ってあったり、周りには花が添えてあったりしたが、背の低い刈り込まれた草が生えていたり剥げていたりする地面に、これといった手がかりはなかった。
 ニハマチは言った。「廃墟からここへ来た道のりみたいに、霧を抜ける順番があると思うんだ」
「私もそう思っています。彼女は偶然に条件を満たして、帰れないどこかへ迷い込んでしまったのでしょうか」
「うん。俺もそんな気がする」
 ニハマチはずんずんと霧に向かって歩きだした。パントマもまた彼についていった。霧を抜けると、ニハマチは言った。
「霧を抜けるたびに変化があるのかもしれない。パントマも探してみてくれ」
「はい」
 二人は墓地の形、名前、地面の様子、咲いている花まで、目に焼き付けようと努力した。そして、再び霧を抜けて戻ってから、入念に観察をした。
「――うん。ここにこの墓石はなかったはずだ。というか、墓地の様子がすっかり変わってるよね」
「そうですね。何処かが変わっているというより、ほとんど別のものになっています。これを頑張って覚えたところで、意味はないのかもしれません」
「そうだね――霧を抜ける方向を細かく変えてみないかい? 上と右と左の三つだけじゃなくて、斜めに行ってみたりとか」
 二人は、右端まで行って濃い霧に入る直前に上へ行ってみたり、左端から斜め下に行ったりして、色々と試してみた。すると、左斜め上の端まで行ってから左に進んで霧を抜けたとき、ニハマチは言った。
「あれ、廃墟が見えないよ」 
 彼らは右斜め下の方から霧を出て、左を向けばあるはずの廃墟は見えず、濃い霧が向こうに揺蕩っているばかりだった。
「ここまで行ったことはあります。でも、この後どこに行けばいいのかは全く分かりませんでした」
 ニハマチはまた墓地を一通り調べてから、今までは行けなかった廃墟の方――言い換えれば四つの方向のうちの下のほうに向かった。霧を抜けると、しかしそこにはまた廃墟の景色があった。
「あれ、駄目だ」
 もう一度左斜め上の端から左に進むと、今度は廃墟の方に濃い霧はなかった。
「うーん……どうすればいいんだろう」
「私もさっぱり分かりません」
 二人は何度も何度も霧を抜け続け、その度にニハマチは墓地を調べた。
「法則性が決まっていないということは、行き先を示すヒントが必ずあるはずなんだ」
 しかし、彼の鋭い観察眼を持ってしても目ぼしいものは見当たらず、墓石の位置、刻まれた名前、墓地に点在する青と黄色の花、地面の様子、これらに何かを見出すことはできなかった。
 ずっと探索を続けているうち、ニハマチが言った。
「パントマ、お腹が空かないかい?」
 パントマは、そこまで疲れの見えない表情で朗らかに笑った。
「お腹もそうですが、正直に言うと足を休めたい気分です」
 二人は比較的空いているスペースを墓石の裏に見つけて、そこに腰を下ろした。パントマは肩から提げているバスケットを開いた。中にはニハマチの要望通り、どっさりとサンドイッチが入っている。
「荷物もあったし、疲れたよね」
「いえ、このぐらいであれば平気です」
 実際、やはり疲れの見えないパントマの様子にニハマチは感心した。キツツキでさえ、休日に一日中連れ回した時には疲れ果てていることがあるというのに。
「うまー」
「ふふ。おいしいですね」
 柔軟な体を持つニハマチは座っている足を無造作に墓石の方へ投げだすと、つま先をぶらぶらと揺らした。それを何気なく眺めながらサンドイッチをかじっていると、彼はふと、サンドイッチを歯に挟んで手を離し、何かを凝視し始めた。
「はれ……」 
 そして、突然立ち上がると墓石へと歩きだす。近くでしゃがむと、上半身を翻してパントマの方を向き、サンドイッチを咥えながら自身の足元を指差した。
 こっちに来てくれと言いたそうな顔をしているので、パントマはすぐに立ち上がり、ニハマチの近くでしゃがんでみた。いつの間にか口の中のサンドイッチが消えているニハマチが言った。
「この黄色い花を見てくれよ」
 墓石の裏に隠れるように咲いていた花は、花弁が一つだけしかない黄色い花だった。
「ただの花ではありませんか?」
「この花は墓地のそこら中にあるけど、こんな風に花びらが一つだけのものは初めて見たのさ。三つだけや四つだけのものはあったけどね。この花、花びらが八つあるんだ」
 ニハマチは土に指で図を描いた。八つの花弁がある簡易的な花の絵と、その隣に、何の変哲もない四角形の図。
「花びらはこうやって、上に二つ、右に二つ、左に二つ、下に二つで、それぞれの向きに二つずつある」そう言って、花びらの全てから真っ直ぐ伸びるように矢印を書く。
 さらに、花の隣に書いた四角形の角から、合計で八つの矢印を書いた。左上の角からは真上に伸びるものと左に伸びるものの二つ、右下の角からは真下に伸びるものと右に伸びるものの二つというぐあいだ。
 ニハマチは指で示しながら説明をした。
「この四角形が墓地だとすると、角から伸びる二つの矢印は、花びらの向きに対応している。上の二つの花びらの左の方は、四角形の左上の角から真上の方向と考えられるよね」
「そうですね……廃墟が見えなくなったとき、そういえば角から霧を抜けていました」
「うん! でも、まずはこの花が本当にそういうものなのかを調べる必要があるね。もし、墓地を移動するたびに花びらが一つの花があるとすれば、俺の考えは合っていると思う」
 二人はひとまず適当に霧を抜けることにした。そして、墓地を二人で調べていると、パントマが言った。
「ありました! また、墓石の裏です」
 彼女の指差す先、花弁が一つしかない黄色い花がある。
「やっぱり! 墓石の裏にあるということなら、裏から見たこの方向が正面なんじゃないかな。だとすると、この花びらは右の上の方に付いているから、右上の角から右に進めばいい」
 ニハマチの言った通りに霧を抜け、墓地の左下から右に抜けるように戻ってくると、二人は廃墟があるはずの方向を見た。
「廃墟が見えませんよ、ニハマチさん!」
「よし! これで先に進めるな」
 墓地をまた探索すると、今度は下の方に花びらがある花が見つかった。
「ようやく下に行けるな。どんどん進んでいこう」
「はい!」
 二人は同じことを何回も繰り返した。そして、霧を八回目に抜けたとき、眩い光が彼らの視界に広がった。
 ……そこは、不気味で陰気な霧などどこにも見当たらない、神秘的で澄んだ白光に満たされた曇の世界だった。
「ニハマチさん、ここは……」
「凄い……凄いや! これは、雲の上だろうか?」
 見渡す限りに何層もの雲が広がり、そこに崩壊した神殿の一部のような構造物が乗っかっている。傾いていたり吹きさらしになっていたりする純白の構造物は、上に登っていくように雲の通路と組み合わさって続いていた。
 ニハマチはふと、表情に影を帯びて言った。
「パントマ……多分この先に友達はいないと思うけど、それでも行くか?」
 パントマは目を丸くした。
「なんでそう思うのですか?」
「さっきの仕組みにパントマの友達が気付いて、ずっと進み続けたとは思えないからね。墓地でパントマとはぐれてからどうなったかは、流石に分からない」
「そんな……」
 服の胸元を握りしめるようにしてパントマが俯く。この場所に着いた瞬間の希望は消え、眉をしかめた顔に焦燥が浮かんでいる。
「――大丈夫さ! ……と、言うのは簡単だけどね。こうなったら、君の友達を信じるしかない」
「……心配ですが、気を強く持ちます」
 ニハマチは大きく頷き、壮大な純白の景色を眺めて、体中に気合いを入れた。
「一緒に進むかい? パントマ」
「はい。もう、ここまで来てしまいましたから」
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