22 / 33
第22話 暁のオークション⑦
しおりを挟むグガ~~~・・・・グガ~・・・・
辺りに泥酔者達のイビキが響き渡る・・・
薄暗い通路には酒気の帯びた風がどこからともなく流れ出し、僕の鼻腔に嫌な臭いを残していく。
抱え込んでいた膝の中に顔をうずめ、少しでも新鮮な空気を吸おうとする。
正直、ここはあまり好ましいと思える環境ではなかった。
「まあ・・・牢屋だから当たり前といえば当たり前だよな・・・」
吐き気を催す臭気に耐えながら、ボソリと自虐的な言葉を吐き出した。
こうでもして気を紛らわさないと僕の方が戻しそうだった。
よくこの人達はこんな状況で寝てられるよな・・・
鉄格子越しに向かいの牢を伺うと、盛大なイビキをかいて雑魚寝している人達が何人もいた。
たまに寝返りを打った際、お互いの手や足の衝突で小さな呻き声が聞こえてくる。
先程までは酔っ払い達の雑談で周囲も賑やかだったが、今は皆スヤスヤと夢の中だ。
他の牢から視線を戻すと、僕を含めて3人がこの牢屋に押し込められていた。
1人はベッドを専有している男の人だ。
僕が牢に入った時には彼は熟睡していて、その服装はスーツではなく甲冑だった。
恐らく泥酔した兵士の一人なのだろう。
そしてもう1人も男の人なのだけど、彼はちょっと格好が変わっていた。
羽つきの三角帽子を被り、襟元が大胆に開いた色彩豊かなコートを着用している。
質素だが上品な色柄がヴィンテージ感を漂わせ、一言で表現すればとても”おしゃれ”な人だった。
そんな彼は壁際に寄りかかって、アグラをかいた状態で瞑想を続けていた。
「・・・・・」
「・・・・・」
僕達はお互い何を話すでもなく、ただひたすら時の経過に身を任せていた。
三角帽子の男の人は寝息を立てていないので、たぶん起きているのだと思う。
だからといってこんな状態で世間話を仕掛ける気にもならないし、彼から僕に何かを話してくることもなかった。
22:44
時刻はそろそろ夜の11時に差し掛かろうとしていた。
会場で最後に時間を確認したのが8時ちょっと前だった気がするから、あれから3時間が経過しようとしている。
「はぁ・・・結局空振りだったな・・・」
思わずため息が出てしまった。
結局、ネクタルの落札者に関しては何も分からなかった・・・
それに加え、他の神話のアイテムを拝むことも出来なかった・・・
何もせずあのまま会場にいた方がまだ有意義な時間を過ごせたことだろう。
・・・オークションはもう終わった頃だろうか?
時刻を考えればオークションが終わり、会場は社交の場として使われていることだろう。
客達はオークションをネタにして、話に華を咲かせているに違いない。
レイナには悪いことをしたな・・・
明日の朝戻ったら、彼女には謝らないとな・・・
不幸中の幸いで、すぐに解放してもらえることだけが救いだった。
宿屋に戻る際には美味しいものを一杯買って帰る必要があるだろう。
・・・レイナとの約束もある事だしね。
帰りが遅くなったことはそれで勘弁して貰うことにしよう。
そんな取り留めもない思考が僕の頭の中をグルグルと巡っていた。
「あなたは眠くならないんですか?」
「・・・えっ?」
突然掛けられた声で思考が強制的に中断された。
驚きとともに声の方向に振り返ると、微笑を浮かべてこちらを伺う三角帽子の男の人がいた。
「・・・失礼しました。いきなり声を掛けて驚かせてしまいましたかな?」
僕はようやく彼がこちらに話しかけてきた事を理解する。
「あ・・・いえ、すみません。丁度今考え事をしていたもので・・・」
あはは・・・と苦笑いをしながら僕は言葉を返した。
彼が声を掛けてきたのは意外だった。
僕が牢に入れられた時も、彼は瞑想を続けていて一言も僕と言葉を交わそうとしなかった。
ハッキリ言えば「俺に近づくな」オーラを出していたので、僕としても話しかけづらかった。
それがここに来て、急に向こうから声を掛けられれば驚くのも無理はなかった。
三角帽子の男の人はそんな僕の心情などお構いなしに話を続けてきた。
「やはりそうでしたか。貴方は見ているだけで面白い方ですね」
「真っ直ぐで、純粋で、とても感情が出やすく分かりやすい」
「興行師の端くれとしては、貴方ほど観客に相応しい方はいないと思いますよ」
「・・・・あ、あははは。そうですかね・・・?」
再度苦笑いをしながら僕は言葉を返した。
どう反応すればいいか困る内容だった。
褒められているんだから、貶されているんだかわからない・・・
「ところで今、興行師って仰られましたけど・・・大道芸でもされているのですか?」
今度は僕から彼に質問をする。
「おっと・・・・これは申し訳ありません」
「先程まで詩の中身を考えておりましたもので、挨拶が遅れましたな」
「私は吟遊詩人をしております”アラン・ホーカンソン”と申すものです」
「どうぞお見知りおきを・・・」
そういってペコリと彼は頭を下げた。
「・・・あ、どうもこれはご丁寧に」
「僕はエノク・フランベルジュと言います。魔法技師の見習いです」
僕もうやうやしく自己紹介をする。
「エノクさんと仰るのですね。どうぞよろしく」
彼はニコリと微笑むと三角帽子に手を当て軽く会釈をしてきた。
僕も彼にならい、シルクハットに手を当て挨拶をした。
顔を上げて彼を見据えた僕は、確認するかのように問いかける。
「・・・アランさんと呼べばいいですかね?」
「吟遊詩人をされているのですよね?どおりで個性的な衣装だなと思ってました・・・」
彼の衣装に僕はちらりと目を向けた。
赤い外套と、白を基調としたコートには金銀その他のカラフルな模様が全身に刺繍されている。
羽つき三角帽と相まって、とにかく彼は目立つ格好をしていた。
人混みの中で彼を見つけるのは容易いだろう。
「はっはっは!そう言っていただけると光栄です」
「これは私の舞台衣装でしてね。職業柄このような格好をしていないと仕事にならんのですよ」
僕の問いに対し、彼は高笑いをしながら答えてきた。
先程までの雰囲気が嘘のような饒舌さだ。
人懐っこい笑顔を見せる彼からは親しみやすさが滲み出ている。
「やはり。客寄せの為だったんですね・・・」
彼の言葉に僕は頷いた。
吟遊詩人は世界各地を渡り歩き、聴衆に対し物語を語り聞かせて路銀を稼いでいる。
聴衆を多く集める事を考えると、格好は目立つに越したことはないのだろう。
「それにしても、なぜこんなところに入れられていたのですか?」
「アランさんも、酔っ払って何か問題を起こした口ですか?」
続けて彼に質問をする。
若干不躾な質問かもしれないが、この人はたぶん笑って答えてくれるという確信があった。
そして、その予感はあっさり的中する。
「ははは!いやはやお恥ずかしい!!」
「美しいご婦人たちとの一晩の逢瀬を喜び、愛の詩を吟じておりましたところ」
「薔薇の蕾を摘み取る前に、不肖の妹に邪魔されてしまいましたね~~」
「こんなところに放り込まれてしまったという訳ですよ」
「全くいつまでも兄離れ出来ない妹で困ったものです。あははははっ!!!」
「は、はぁ・・・・?」
渋い表情をしながら、僕は曖昧に頷いた。
何がなんやら・・・アランさんの言っている意味がよくわからなかった。
どうやら、酔っ払ってここに入れられたという訳ではないようだ。
彼の口調は明瞭だし、顔も別に赤くはなっていない。
「そういうエノクさんはどうなのです?」
「他の方達の様に泥酔しているとは思えないのですが・・・?」
「・・・い、いえ!これでもさっきまでは結構酔っていたんですよ!今はだいぶ落ち着きましたが」
「・・・・ほう。そうだったのですか。若いというのはいいですなぁ~」
アランさんは僕の言葉に素直に相槌を打つ。
一方、僕の方は彼の急な逆質問に焦ってしまった。
あぶない、あぶない・・・
流石に経緯を素直に話すのは憚られるよな・・・
クラウディア団長がせっかくここまでお膳立てしてくれたんだ。
先程まで僕は泥酔していたということにしておかないとな・・・
「神話のアイテムを拝めた嬉しさで、つい飲み過ぎちゃったんですよ・・・ははっ」
「なるほど。魔法技師のあなたにとっては今宵のオークションの品はまさに垂涎もの・・・」
「心中お察ししますよ」
自虐的に笑った僕にアランさんは「うんうん」と頷いて同情してくれた。
いい人だなぁ・・・・
嘘をついてしまったことに、僅かに罪悪感を感じてしまう。
「アランさんも神話のアイテム目当てにオークションに参加されたんですか?」
「・・・・私ですか?」
「まあ、オークション品にも興味はないわけではないですが・・・」
アランさんは一呼吸置いて、続きを話し始める。
「私はこの商人ギルド連盟の会館自体に凄く興味がありましてねぇ」
「伝承で語られているような話が事実なのか、常々それを明らかにしたいと思ってたのですよ」
「残念ながら、未だ真実かどうか突き止められておりませんがね・・・」
アランさんはやれやれという感じで両手を上げて首を振った。
会館の伝承・・・
もしかして、あれのことかな?
「・・・それって、この会館が神の館を模して作られたという、あの伝説の事ですか?」
「おや、ご存知でしたか!その伝承に関係することですよ」
「エノクさんはこの塔が作られた経緯や、目的もご存知ですか?」
「・・・いえ、そこまで詳しくは知りません。そもそも、伝承でも大したことは語られていないですし・・・・」
僕が知っていることは、この建物がカーラの歴史より古くから存在しているということ。
そして、神々が住まうと言われている館を模しているということだけだ。
なぜそんな館を模したものが造られたのか。その理由や経緯は謎に包まれたままだ。
「ふむ、やはりここら辺りの人間族には伝説の一端しか伝わっていなかったようですね」
「私もこの話はあるエルフの女性から聞いた話なので、当然といえば当然かも知れませんが・・・」
「・・・エルフ!?アランさんはエルフに会ったことがあるのですか!!?」
衝撃の事実に思わず前のめりになってしまう。
「ええ、あります」
「こう見えても世界各地を巡っているものですから、珍しい種族の方ともお会いできる機会があるのですよ」
「それに、もともと私はシグルーン王国出身で、人と獣魔が共存する場所で暮らしておりましたからそういう情報も入りやすいのです」
「なるほど・・・そうだったのですね」
アランさんはシグルーン王国出身だったのか・・・
シグルーン王国は大陸西端に位置する国家で、世界最大の魔法大国だ。
人や獣人・亜人・魔族といった多種族が共存して暮らす人種の混成国家でもある。
僕らが知らないことを彼が知っていても頷ける話だった。
「まあ、そのエルフの話を私は未だに信じられていないのですけどね」
「・・・なんせ彼女は、この塔は昔”逆さまに建っていた”なんて言うものですから」
「えっ・・・?どういうことですか?」
逆さまに建っていた?
なんだそりゃ。
地震でも起きて塔がクルッとひっくり返りでもしたのだろうか?
「・・・そうですね。ちょっとおとぎ話のような、奇想天外な話になってしまうのですが・・・」
アランさんはそう前置きをすると、塔の伝承についてゆっくりと語り始めた。
「・・・それは遥か昔、神々と大魔王の間で”最終戦争”が行われた時のことです」
「大魔王が放った恐ろしい眷属の前に、世界は成すすべもなく荒廃し、多くの種族が絶滅していきました」
「神々ですらその力に抗えず逃げ出す中、”リーヴ”という若き人間の指導者が立ち上がり滅亡を回避しようと図ります」
「それが、神々の宮を模した方舟を作り、人々をこの世界から脱出させる計画でした・・・」
・・・これは僕が知っている神話と似ているな。
”リーヴ”という神が巨大な地下帝国を築き、一部の人々を大災害から匿って絶滅の危機を救ったという話だ。
彼は世界滅亡後の新たな人類の祖となり、今日では信仰の対象として大聖堂に祀られている。
しかし、方舟の話や世界からの脱出計画なんて言うのは初耳だけど。
「・・・人々は地下奥深くに、1つの国ほどにもなる”巨大な方舟”を建造しました」
「しかし、大魔王の手先はこれを見逃しません!」
「”雲にも届く大きな巨人”が出現し、避難しようとしている人々を追い立て、方舟の外層まで到達したのです」
「巨人は方舟への入り口となっていた地上の塔までくると、その巨大な身体で塔ごと引っこ抜いてしまいました!」
「巨人は塔を逆さまに地上に置くと、中にいる人を塔ごと踏み潰そうとしたのです!」
「・・・しかし、間一髪転移魔法が発動し、塔はカーラの地へと飛ばされました・・・」
「・・・・・」
僕はアランさんの話を半ば呆然と聞いていた。
この欲望の塔が、かつて滅亡から逃れる人の為の方舟の一部だった・・・?
「・・・幸運なことに、その塔へ再び大魔王の魔の手が伸びることはありませんでした」
「最終戦争を通じ、先史時代の文明の痕跡はほとんど消え去ってしまいましたが、塔は最後まで生き残ることに成功したのです」
「その塔の最上階には、方舟へ繋がる機能しない転送陣が今も残されているそうです」
「それは、いつか約束の地へ戻されるのを待っているかのように、淡い光を放ち続けているのだとか・・・・」
「・・・・・」
本当におとぎ話だな・・・・
「どうです?これがエルフより伝え聞いた伝承ですよ」
「なんか話が大き過ぎて、現実感が沸かないですね・・・」
苦笑いしながら僕は感想を述べた。
「ふふふ・・・そうでしょう?」
「その言葉を聞けて私も話した甲斐がありましたよ」
「語り聞かせる側としては、聴衆の皆さんの呆け顔は物語に入れ込んで頂いた証ですからねぇ」
「吟遊詩人冥利に尽きるというものですよ!」
僕の呆け顔が受けたのか、アランさんは満面の笑みを浮かべてきた。
だが、放心状態にもなってしまう。
この塔が方舟の一部だったというのも信じがたいし、
山のような巨人が引っこ抜いて逆さまに置いたというのも想像しづらい。
高さで言えば100メートルを優に超えているだろうこの建物を軽々と持ち上げる巨人なんて言語に絶する巨大さだ。
年端の行かない子供に語り聞かせるならともかく、大の大人がそんな存在を信じるはずもない。
理由は簡単。リアリティが全く無いからだ。
もし、そんな存在が今の時代にいるのだとしたら、文明なんてあっという間に滅ぼされてしまう。
「・・・ははっ、僕が想像していたよりもとんでもない話でしたよ」
「いくらエルフの話とはいえ、これをすんなり受け入れるのには荒唐無稽過ぎますよね」
「アランさんが未だに信じられていないというのも納得しましたよ」
「まあ、物語としては面白いとは思いますが・・・」
彼に賛意を示すと同時に、僕は巨人について思索を巡らせた。
・・・神話や伝承には人智を超えた巨大な存在が数多く存在する。
この世界をぐるりと囲んでいると言われる世界蛇”ミドガルズオルム”。
世界の果ての下で口を開けて、こぼれ落ちた船を喰らうと言われる魚”レヴィアタン”。
いくつもの町・都市を抱えて移動したというゴーレム”モックルカールヴィ”。
大森林に生息し、小さな山程もある体躯で森の侵入者を排除する異形の怪物”フンババ”。
そして、最終戦争で、大魔王の眷属としてこの世界の文明を踏み潰したという巨人”ネフィリム”等、枚挙にいとまがない。
アランさんの話に出てくる巨人は、ネフィリムと類似性があるからその一族という可能性もある。
まあ、それはここで考えても意味ないし、横においておくとして・・・
・・・とにかく、世界各地にはこんな巨人・巨獣伝説がわんさかあるということだ。
僕が知っているのは一部に過ぎないけど、どれもこれも実在したら世界がひっくり返りそうなやばい奴らばかりだ。
・・・太古の昔、人々は世界の成り立ちや神秘的な現象を神や巨人を用いて記述しようとした。
その結果が神話であり、世界各地に残る巨人・巨獣伝説というわけだ。
物語としては面白いけど、所詮空想上の産物に過ぎない。
この塔の起源に関わる巨人についても同様のことが言える。
塔がひっくり返るとまではいわないが、倒壊するような現象が太古の昔に起こり、その理由付けに巨人が使われたというのが妥当な所だろう。
「そうですね・・・確かにエノクさんの言うように物語としては面白いですし、惹き込まれます」
「ただし、リアリティはない・・・私もエルフから最初聞いた時はそんな印象でしたよ」
「ある事を知るまではね・・・・」
「・・・・ある事?」
アランさんの含みをもたせる言い方に僕は首をかしげる。
「・・・実は、先程の巨人が塔を地面において踏みつけようとした原因でもあるのですが・・・」
「この塔を引っこ抜いた時に、中にいた戦士たちが巨人に抵抗してその手に激しい攻撃を加えたらしいのです」
「古の勇者達の苛烈な攻撃にさしもの巨人も手傷を負うことになり、その際に巨人の爪の一部を剥ぎ取ることに成功したとか」
「・・・そして、なんと!その爪はこの塔の最上階に今でも保管されているらしいのですよ・・・・・」
「えぇ!?そうなんですか・・・・?」
そんなものがあるなんて・・・・
「それって・・・本物なんですか?」
疑問が口をついて出てしまう。
アランさんはそれに対し、フフッと笑って答えてきた。
「ふふふ・・・それは私にもわかりませんが、ロマンがあると思いませんか?」
「おとぎ話と思われていたものが、実は本当の話なのかもしれない・・・そう思うだけで胸がときめくでしょう?」
「ええ、そりゃもちろん・・・この目で直接確かめたいくらいですよ」
「そうでしょう!?いやぁ話が通じるっていいなぁ!!」
アランさんが急にテンション高くなった。
だけど、彼の気持ちもよく分かる。
お目にかかれるのなら、僕だって見てみたい。
「なるほど・・・・」
「アランさんが突き止めてみたい事というのは、その爪の”真贋”というわけですね?」
確認の意味も込めてアランさんに聞いてみた。
「ええ!仰るとおりですよ」
「もし、それが本物だとすれば伝承の真実性がかなり高くなります」
「おとぎ話と思われていた伝承が、実は本当の話だった・・・なんてオチが付けばこれほど観客の興奮を誘うものはありません!」
「それに、考古学の真似事をしている私としては、自身の興味からも是非明らかにしたいと思っていたんですよ」
「・・・・残念ながら、妹にはこの情熱が分かってもらえなかったんですけどね・・・・ははは」
「うーん、なるほど。妹さんにもいつか分かって頂けるといいですねぇ・・・」
僕はなんとも言えない表情で、彼に同情の言葉を掛けた。
各地方の民俗に詳しい吟遊詩人は歴史家としての一面も併せ持つ。
片や、神話のアイテムを追い求め、その製法を過去に求める魔法技師。
立場は違えど、その求めているものは先史時代に遡っていることを考えれば彼の考えも理解できる。
そういえば、アランさんの妹さんって誰なんだろう・・・
アランさんのファミリーネームは”ホーカンソン”って言っていたけど・・・
ホーカンソン・・・?
・・・・まさか、グレースさん?
彼女の名前は確か、グレース・ホーカンソンって言っていたような・・・
「・・・あのぅ、アランさんの妹さんって―――」
僕がそう質問しようとした瞬間・・・
「ぐごがぁ!!!」
突如、夢から落ちたようないびき声が牢屋内に響き渡った。
僕が声の方に目を向けると、ベッドで寝ていたあの兵士がいた。
彼は「うーん」という呻き声とともに、目をゴシゴシと擦っている。
「・・・おや、起こしてしまいましたか」
「そのようですね・・・」
僕たちの話が盛り上がっていたという事もあるが
この狭い部屋と、牢屋という環境では声がよく響き渡ってしまう。
彼には少し悪いことをした。
「うん・・・・?」
その兵士の瞼が薄く開いた。
声を掛けようと、僕はベッドに近づいたのだけど、
次の瞬間・・・彼の思いもかけない素早い動作に驚いてしまう。
ガバッ!!!
「・・・!?ここはどこだ!!?」
「なんで・・・俺はここにいるんだ!!!?」
・・・・っ!!
ビックリしたぁ・・・・・
急に起き上がって大きな声出されたもんだから、こっちが驚かされちゃったよ・・・
彼の挙動に驚かされて硬直している僕を尻目に、アランさんは落ち着いた声で兵士に声をかけた。
こういう時彼のような大人がいると助かる。
「・・・起きられましたか?」
「ここは連盟会館の牢の中ですよ」
「あなたは先程までここに寝かされていたのです。身に覚えはありませんか?」
アランさんの問いに兵士は訝しげな視線を向ける。
「・・・あんたは誰だ・・・?それに牢の中だと?」
「な、なんでそんなところに放り込まれているんだ俺は!?」
彼はキョロキョロと周囲に視線を這わせながら、声を震わせた。
その顔には戸惑いの色がハッキリと見て取れる。
「私は吟遊詩人のアラン。恐らく貴方も泥酔してここに放り込まれた口なんじゃないですか?」
「貴方の立場を考えると本来は厳罰ものですが、王妹殿下の大赦があったそうです」
「恐らく懲罰房程度で済んだのでしょう。よかったですねぇ、あなたは運がいい」
アランさんの声が呑気に響き渡る。
思えば彼も牢屋に入れらているというのに、この状況を楽しんでいるかのように思えてくる。
兵士の人は相変わらず顔が真っ青のままだけど。
「俺が、酒で泥酔だと・・?・・・任務中に、俺が・・・!?」
彼はその表情のまま自分の言葉を反芻していた。
どうしても今の状況が理解できないらしい。
「落ち着いてください。まずは状況の把握をしましょう」
「ここに入る前の記憶はありますか?」
今度は僕が彼に声を掛けた。
「直前の記憶か・・・そうだな・・・」
「なんか頭に霞がかかっているみたいに、記憶がおぼろげなんだが・・・・」
僕の言葉にうなずくと、彼は下を見つめたまま回想を始めた。
「・・・今日の昼頃はいつも通り北門の警備を俺はしていた」
「だけど、夜に大規模なオークションがあるって事で、北門警備連隊の何割かは会場の警備に回された」
「んで、俺の率いる第3小隊は会場のルーン壁を担当することになって・・・」
「それで警備自体は問題なく進んでいたはずなんだよ・・・・」
自身に言い聞かせるかのように彼を言葉を呟き続ける。
僕もアランさんも彼の言葉を黙って聞いていた。
「王妹殿下の演説が終わり、オークション品も1品目、2品目と落札されていった・・・」
「そこまでは俺も覚えているんだ・・・」
「それで・・・・その後は・・・確か第1小隊の奴らが、何か”差し入れ”とか言って持ってきて・・・・・」
そこで彼の呟きがパタリと止まる。
視点が定まらず俯いたまま彼は静止していた。
様子がおかしいと感じた僕とアランさんはお互い顔を見合わせる。
すると・・・・
「・・・・!ああ、くそぅ!頭がいてぇ・・・!!」
彼は突然うめき声を上げた!
こめかみを手で押さえながらそのままベッドにうずくまってしまう。
「だ、大丈夫ですか!?」
流石に心配になったので、駆け寄って抱き起こそうとした。
しかし、彼はその手を取らず、結構だと言わんばかりに軽く手を上げて僕の手を振り払う。
「・・・大丈夫だ。突発的な頭痛がしただけだ。自分で動ける」
彼はそう言うと、ベッドからムクリと起き上がる。
そして、そのまま鉄格子の方に歩いていった。
「どうされるのですか?」
アランさんが兵士に声をかけた。
兵士は軽く顔を向けると、無愛想に返事をした。
「・・・決まっているだろ。任務に戻る」
「前後の記憶があやふやなのは気になるが、それは他のやつに事情を聞けば済むことだ」
「お前達の素性も満足に聞かずに悪いが、さっさとここを出て行かせてもらうぞ・・・」
「そうですか。別に止めはしませんよ。ただまあ、お身体だけはお大事に」
出ていこうとする彼を止めるでもなく、アランさんはあっさりとした返答をする。
僕も兵士のことは少し心配っちゃ心配だが、止めようとは思わない。
彼の兵士としての立場もあるし、自分で大丈夫だと言っているんだから行かせるべきだろう。
兵士はアランさんの最後の言葉に反応することもなく、そのまま鉄格子越しに看守がいるであろう出口を窺った。
「おい!ここを開けてくれ!」
「私は北門警備連隊所属第3小隊隊長の”オロフ・フロールマン”」
「任務中の我が隊の現況を至急確認する必要がある!」
「誰かいないか!」
彼の大声が辺りに響き渡る。
泥酔していた人間の何人かが気だるそうな声を上げながら反応を示した。
「・・・・ああ?・・・・なんだぁ?」
「あたまいてぇ・・・どこのバカだよ・・・」
「うるせえええ・・・・!」
牢獄エリアのあちこちから不満の声が上がる。
「おい!!聞こえないのか!!?」
「すぐにここから出してくれ!!」
「誰かそこにいないのか!?」
しかし、彼は構わず入り口へ向かって大声を上げ続けた。
先程まで静寂が支配していた廊下に叫声が響き渡る。
「・・・うるせえええ!!」
「黙れこの野郎!!何時だと思ってんだ!!!」
「ぶっ殺すぞてめえ!!!!」
その声量は寝ているものを叩き起こして怒らせるには十分だったようだ。
隣接している牢屋からは次々に非難の声が上がる。
周囲の反発の凄さに、自身を”オロフ”と名乗った兵士もたじろいでしまう。
「っ・・・・貴様ら、静かにしろ!俺の邪魔をするな!!」
「・・・ああん?てめえの叫び声が原因だろうが!!」
「そーだそーだ!!お前こそ俺たちの眠りを妨げるな!!」
「これは至急の要件なんだ!私の邪魔をするならば、公務を妨害した罪で牢にいる期間を長くしてやることもできるんだぞ!」
「・・・・なんだとぉ!この野郎!」
オロフさんは、自身のことを棚に上げて威嚇するように周囲を注意するが、
当然のことながら酔っ払い達がそんなものに耳を貸すわけもない。
しばらくの間、そんな低レベルな罵り合いが続いた。
僕はそれを見ていて辟易してしまう。
うわぁ・・・もう、勘弁してよ。
騒ぎたいなら外でやってくれないかなぁ・・・
こっちだって疲れているのに・・・・
「・・・変ですね・・・」
そんな状況の中、アランさんが僕の隣でぽつりと呟いた。
常に余裕を崩さない彼にしては珍しく、表情が真剣そのものだった。
「・・・どうしましたか?」
「私の”危険察知スキル”が発動したんですよ。先程まで無効化されていたのに・・・」
僕の問いに、アランさんは首をかしげながら言葉を返してきた。
危険察知・・・確か探知系パッシブスキルの一つだったよな。
それが・・・発動した?
「どういうことでしょう?」
「・・・私にも分かりません。この場所はルーン結界の影響下にあるはずです」
「普通なら発動するはずないんですがね・・・・」
「・・・・・」
確かに変だな・・・
探知スキルは当然ルーン結界の規制対象のはず。この建物内で使えるはずがない。
規制対象が変更されたとか?
・・・いや、そんなはずはない。
ルーン結界は大規模呪法で、その効果も絶大だからこそ発動には厳格な条件が必要だし、ルーンを刻み込む手間も掛かる。
おいそれと条件を変更できる代物じゃないんだ。
探知スキルなんて使えるはずがない。それこそルーンでもかき消さない限りは・・・
「僕、なんか嫌な予感がするんですけど・・・」
「エノクさんもですか?私も同じですよ」
「それに、気づかれましたか?先程からこれだけ騒いでいるのに看守の兵士がやって来る気配がない」
「これだけ騒いでいたら普通は止めに来てもいいはずです」
深くかぶった三角帽の奥からアランさんの鋭い視線が僕に向けられる。
「何かが起こっている。それも危険と言えるものが・・・」
「私もそれなりに修羅場をくぐって来たんで、こういう時の勘はよく当たるんですよ・・・」
「危険・・・ですか?それってどういう――」
――恐る恐るアランさんに僕が尋ねようとしたその時だった!
ドオオオォーーーーーーーーーーーン!!!!!!
「うわおっ!!」
「なんだあ!!!」
「うぎゃ!!?」
「なんだ、なんだ!!?」
突然、建物を揺るがすような強烈な音が襲いかかってきた!!!
「うわぁ!なんだぁ!!?」
思わず裏返った声が出てしまった。
あまりにも突発的に訪れた衝撃に僕も周囲の人間も混乱状態に陥る。
ズズズズズ・・・・・
続いて、何かが崩壊する音が上方から聞こえてきた。
流石にただ事じゃない事を感じて酔っ払い達はお互い顔を見合わせる。
「おい・・・なんかやばくないか?」
「・・・ああ、これはただ事じゃない」
「上で何かが起こっているんだ!」
「看守はどうしたんだ!?状況を説明しろ!」
ガンガンガンガン!!
牢を叩いて看守に存在を自己主張する酔っ払い達。
中には蹴破ろうとしている者もいたが、牢は頑丈でびくともしなかった。
周囲が狼狽えている状況の中、アランさんだけは壁に寄りかかりながら冷静に上方を伺っている。
僕もそれにつられ注意を上に向けるが、それ以降何も聞こえてくることはなかった。
・・・アランさんは先程”危険”が起こっていると言った。
それが何かは分からないが、常軌を逸した何かが起こった事は間違いない。
それもすぐこの上の階層で・・・
そう、ちょうどオークションが行われている会場だろう・・・
「ふぅ・・・・」
自分を落ち着かせようと、僕は大きな息を吐いた。
目と鼻の先で起こっている危険。
自分の身に害が及ぶかもしれない得体の知れない恐怖。
否が応でも心臓の鼓動が早くなってしまう。
”人為的な事件””大規模な爆発””テロリズム”
先程クラウディア団長の発した言葉が僕の頭の中をよぎる。
落ち着け・・・まだそうだと決まったわけじゃない。
頭を振り、浮かんできた嫌な予想を強引に振り払った。
「・・・仕方ない、緊急事態だ。牢をぶち破るぞ、下がれ」
・・・えっ!?
物騒な言葉に思考が中断された僕は顔を上げる。
声のした方に視線を向けると、そこにはオロフさんがいた。
彼は僕とアランさんを横目でチラリと見遣ると、鉄格子から少し距離を取った場所に立った。
彼はその場で右足を後ろに引いて腰を落とすと、目の前の鉄格子に狙いを定めるかのように腰をひねった。
「はあぁぁぁ・・・!!」
「”身体硬化”!!!」
彼の身体に気合がみなぎり、身体硬化の能力が発動する!
その瞬間彼の右足は淡い光を放ち、みるみるうちに人の皮膚でない何かに変化していく。
「はぁっ!!!!」
そして、活の入った声とともに彼の右足が言語を絶する速さでしなりを上げた。
ブゥン!!という空気を切り裂く音とともに閃光のような一撃が鉄格子を横切る。
まさに一瞬の出来事だった。
閃光が横切った鉄格子の箇所はきれいに抉り取られていた。
そこにはただ”空間”だけが存在していた。
ぎぎぎぎぃぃぃ・・・・・
さらに、抉り取られた鉄格子の上下部分から金属の不協和音がこだまする。
次の瞬間、鉄格子は風化した土壁のようにパラパラと音を立てて崩れ落ちていった。
うわぁ・・・すごい・・・・
唖然とする僕。
「げ・・・うそだろ」
「やべぇな、あいつ・・・」
今の技を目撃していた周囲の囚人のひそひそ声が聞こえてくる。
彼らの気持ちもわかる。
僕も戦闘上位者の能力を生で見れたのは数えるほどしかない。
・・・今のは補助能力・身体硬化だ。
身体の一部、または全部を硬質化し強度を上げる能力。
魔法効果が上がるごとに、その強度が強くなっていく。
熟練の冒険者が使うなら、その肌は鋼鉄のように固くなり、
大冒険者が使うなら伝説級の金属にも姿を変え、身体そのものが究極の武器や鎧になると言われている。
「お見事・・・身体硬化のスキルもさることながら、」
「並外れた身体能力を持ち合わせていなければこの芸当はできない」
「どうやらカーラ王国軍の練度は高いようですね」
僕の横で見ていたアランさんがそんな感想を漏らした。
オロフさんはその言葉に「ふん」と鼻を鳴らして、アランさんの方に向き直る。
「・・・皮肉か?」
「大陸を股にかける”オーガ級冒険者”以上だったらこれくらいの事は誰でも出来る」
「吟遊詩人のあんたなら別に見慣れていないもんでもないだろう・・・」
「・・・だが、まあいい。先に出るぞ」
そう言うと、オロフさんは踵を返した。
まだ、残っている鉄格子の残骸を脚でかき分けながら、牢の外に出る。
そのまま脇目も振らず牢屋エリアの入口へ向かおうとするが、他の牢の囚人達が彼を呼び止めた。
「・・・・おっ、おい!俺達は無視かよ!?」
「異常事態だろう!?俺達も出してくれよ!」
「放置するのかよ、アンタ!」
「そこの吟遊詩人の兄ちゃん達は逃げられる状態なのに、俺達は逃げられないなんて不公平だろう!」
「そうだ!そうだ!このまま訳も分からず、災害に巻き込まれるのだけはごめんだ!」
ガンガンガン!と牢を叩く音と共にオロフさんへ嘆願の声が上がる。
彼は一旦足を止めると、冷めた目を囚人たちに向けた。
「先程まで俺の邪魔をしていた奴らが、今度は助けを求めるとは節操なしもいいところだな・・・」
「本当はお前達をこのまま置いていきたいところだが・・・状況が変わった」
「非常時の際は民を安全な場所に避難させる事も守備兵の任務になる」
「・・・入口の看守部屋に牢を開放するレバーがあるはずだ。そのまま待っていろ」
そう言って、オロフさんは入口にある看守部屋に向かう。
途中、今の言葉に逆上した一部の囚人達が文句を言ったりしたが、彼がギロリと睨むと黙り込んでしまった。
先程の彼の技を見て内心ビビってしまったのだろう。
まあ、それも当然かもしれないけど・・・
・・・それから程なくして、「ガチャン!」という音とともに周囲の鉄格子が一斉に開放された。
オロフさんが入口のレバーを操作したようだ。
続いて、彼の大声が聞こえてくる。
「お前達をこのまま外まで護送する。俺について来い!」
「遅れる奴は何があっても知らんぞ!!」
牢が開け放たれたと同時に、中にいた囚人達が我先にと躍り出てきた。
押し込められた窮屈な状態からの解放感もあったのだろう。
内に溜まった鬱憤を吐き出すように彼らは思い思いに言葉を口にした。
「はぁ、ようやく出れたな」
「ああ、もう窮屈で臭いし最悪だったよ・・・」
「・・・くそっ!あの兵士の野郎威張りやがって!」
「ああ!あいつに文句の一つでも言ってやらなきゃ気がすまねえよ」
「おい!今はそんな事はどうでもいいだろう!!さっさとここから逃げようぜ!」
「俺も賛成だ。事件か事故だか知らんが、巻き込まれるのはごめんだぞ」
「確かに・・・命あっての物種か・・・」
囚人たちは入口に向かってぞろぞろと足早に移動を始める。
収監されていた者は僕を含めて30人くらいはいるだろうか。
彼らの酔いも今はすっかり覚めたとみえる。
あれだけ飲んだくれて泥のように眠っていた者も、一目散に逃げようとしていた。
先程の建物全体を襲った揺れと、尋常でない衝撃音がそれだけの危機感を彼らに与えたということか。
もちろん僕も例外ではない。焦燥感が体内を駆け巡っている。
一刻も早く建物の外に出て、自分の身の安全を確保したかった。
早く外に出なきゃ・・・!
彼らに続いて僕も牢を出ようとした時、意外な言葉を掛けられる。
「行かないほうがいいですよ」
えっ・・・?
アランさんだった。
彼は壁に寄りかかったまま相変わらずその場に佇んでいた。
全く動こうとする気配がない。
「アランさん!?どういう事です?」
「ここにいては危険ですよ。早く逃げましょう!」
「・・・私は結構です。この場に残りますよ」
彼はゆっくりと首を振る。
その姿は焦燥感に駆られている僕とは対象的に落ち着き払っていた。
「・・・なぜです?アランさんご自身も危険と仰っていたじゃないですか?」
「だからこそです。今動くと危険ですよ」
「私の”危険察知”の能力で何が起こったかある程度の事は感じられます」
「先程の揺れは明らかに人為的なものです。上方に強い力を感じます。恐らく襲撃犯がいるのでしょう」
「この場にいた方がまだ安全ですよ」
「・・・・・」
・・・・・襲撃犯。
この言葉に僕は戸惑いを隠せなかったが、そこまで驚きもなかった。
王宮で災害が起こってる事といい、あまりにもタイミングが良すぎる。
ある程度の予感はしていた・・・・・襲撃犯がいるのだと。
・・・問題はこれからどう行動するかだ。
このまま上層階に行けば襲撃犯がいる場所に自ら突っ込むことになる。
危険に自分から近づきに行くなんて馬鹿げたことだ。
そういう意味ではアランさんの言葉は正しいように思える。
・・・・だけど腑に落ちない点もあった。
今、僕等がいる場所は恐らく欲望の塔の中でも、下層に位置している。
オークション会場の反対側、入り組んだ迷宮の通路を下っていった先にこの牢獄のエリアが存在している。
グレースさん達に連行されて来た時、上層階からここに到達するまでずっと一本道だった。
敵がもしここに攻め寄せてくれば他に逃げ道はない。
僕はアランさんにそのまま疑問をぶつけてみた。
「・・・でもそれなら、なおさら皆で協力して脱出したほうが良くないですか?」
「逃げ場のないこの場所で待つよりも、オロフさん先導のもと建物の外に逃げる方が安全だと思うのですが」
この僕の言い分に対し、アランさんはあっさりと頷いた。
「・・・まあ、それも一理ありますね。私は止めませんよ。エノクさん自身の判断に従うべきでしょう」
「私は自分の経験から、こういう場合は動かない方が良いと判断したまでの事です」
「たとえ袋小路になるリスクを背負ってでも、未知の脅威に対しては近づくべきではない」
「この考え方があるからこそ、私は今まで生き残れてきたと思っています」
「・・・・・」
アランさんの言葉に僕の心が揺らぐ。
彼の言い分ももちろん理解出来る。
しかし、このまま嵐が過ぎ去るまで待つなんて僕には耐えられそうもなかった。
この場に留まるのは、座して死を待つことになりかねないからだ。
それに、オロフさんという強者が僕達を先導してくれることも心強かった。
彼くらいの実力者がいれば安心できるし、一緒に脱出する人間の数も多い。
・・・アランさんには申し訳ないけど、彼と二人でここに残るという事の方がよっぽど怖かった。
「・・・アランさんすみません」
「僕はアランさんみたいに考えることが出来ないようです」
「僕はオロフさん達と一緒に外に脱出したいと思います・・・」
「ふふ、いいんですよ」
彼は諭すように話を続けた。
「自分の運命は自分で判断し切り開くものです」
「行く決意をされたのなら、さっさと彼らについて行ったほうが良いでしょう」
「私に構うことはありません。お互い生きていたら、またお会いしましょう」
そう言って、彼はニコリと微笑んだ。
「・・・はい!」
「アランさんもお元気で!」
シルクハットに手を掛け頭を下げる。
そして、すぐにその場を駆け出した。
別れ際、寂寥感が僕を襲ったが必死に振り払う。
アランさんとの再会を僕は心から願った。
きっとまた会えるという希望を胸に秘め、
薄暗い闇が轟く回廊へと踏み出していった・・・・・
・
・
・
タッタッタッタッタ・・・・・
上方へと螺旋を描く回廊をひたすら走り続ける。
回廊にはいくつもの靴の反響音がこだましていた。
「はぁはぁ・・・・」
「くそっ・・・まだ、追いつかないか」
アランさんとのやり取りの間に先頭集団に置いていかれてしまったようだ。
彼らに追いつこうと僕は必死に足を動かしているが、未だ前方には人影が見えてこない。
回廊の上から聴こえる多くの靴音だけが僅かに先頭集団の存在を伝えている。
先程牢獄エリアを出る時、看守がいた部屋をチラリと覗いてみたが、誰もいる気配はなかった。
いったい看守の兵士はどこに行ったんだろう・・・・
そういう疑問が頭の中をよぎったが、すぐにある予想に辿り着く。
看守がどこに行ったのかなんて愚問だった。
思えば、オロフさんと囚人達が口論をした時から看守の兵士は姿を見せていなかった。
つまり、あの衝撃音が襲いかかってくる前から看守は異常事態を把握していたと考えるべきだろう。
彼もアランさんと同じ様に探知系スキルを持っていたのかもしれない。
そして、状況確認するために上層階へ上がり、そのまま戻ってこなかった・・・
もう、この状況だけでやばすぎる。
・・・未知の敵に対する恐怖が身体を強張らせる。
カツカツカツ・・・・・
上層に近づくにつれ、動かしている脚が次第に重くなる。
先程アランさんに別れを告げたばかりなのに、僕はもう戻りたくなっていた。
「なんて、臆病者なんだ・・・しっかりしろよ!!」
誰もいない回廊で、自分に活を入れるように声を出す。
いつの間にか回廊に響いていた靴音が自分だけになっていた。
上方に耳を済ませるが、靴音は聴こえてこなかった。
恐らく先頭集団はもう上層階へ着いたのだろう。
上を伺うと一際大きな光が回廊を照らしていた。
僕もそろそろ着きそうだ。
上層階へ出たら、僕はどう行動する!!?
恐らく会館の外への最短ルートはオークション会場の2階席へ上がって、
大広間の魔力浮動式エレベータを使うルートだ。
だけど・・・すぐにエレベータが使えなかったらどうする!?
エレベータを待つ人で混んでいるかもしれない。
そもそも壊れて使えないかもしれない。
襲撃犯が要人を狙って潜んでいるかもしれない。
「くそっ、どうすればいいんだよっ・・・!」
不安と、恐怖で頭がどうにかなりそうだ。
ブンブンブン!!
煩悩の様に湧き出る嫌な想像を僕は必死に振り払った。
・・・今はとにかくオロフさん達先頭集団に追いつくことが先決だろう!
彼らと行動を共にする為に僕は脱出という選択肢を取ったんだ。
脱出に関してはオロフさんに任せよう。
僕はただ、全力を出して逃げるのみだ・・・!
「はぁ・・・はぁ・・・着いた」
そして、僕も上層階にようやく辿り着いた。
一度立ち止まり、息を落ち着かせながら周囲を伺う。
辺りに人気はなかった。
ここはちょうどオークション会場のバックヤードに位置する場所だ。
迷路のように入り組んでいるが、オークション会場へは一番幅が広い中央の道を辿るだけなので分かりやすい。
「しかし、これは・・・ひどいな」
辺りに人気はなかったが、異常事態が起こったことは一目でわかる。
周囲には割れた皿、こぼれ落ちた料理、食台に掛けるテーブルクロス等が散乱していた。
異常事態を感じて給仕係達が逃げた跡だろう。
僕はそのまま中央の道を辿り、オークション会場へと急いだ。
流石にそろそろオロフさん達の姿も見える頃だろう。
「・・・・んっ?なんだ・・・・・」
僅かにだが、前方から何か声が聞こえてきた気がする・・・
「ウワァ・・・・」
「・・キャァ・・」
今のは悲鳴・・・!?
何が起こっているんだ!!?
さらに僕は歩を進める。
強い緊張感と恐怖が僕を襲うが、必死に前へと進んだ・・・
僕の視界にオークション会場へと繋がる出入口が見えてきた・・・
会場を照らすまばゆい光が通路に流れ込んできている・・・
「・・・うわぁあ!!助けてくれぇ・・・・」
「・・・・・キャァァー!!・・・・・・」
.....グチャ!.....
なんだ・・・いまのは・・・・
いったいなにが・・・・・・・
「・・・クソゥ!!この化け物野郎がぁぁあ!!くらえ!・・・」
「た・・・助けてくれーーーーーーーーーーー!!」
「い・・いやだ!!!死にたくないよーーー!!!!」
「きゃあああああああああああ!!!・・・・」
.....グチャッ!!グチャッ!!.....
会場の光で僕の視界が一杯になる。
そして、僕は”地獄”を目撃した。
恐らく生涯この光景を忘れることはないだろう・・・・・
To Be Continued・・・
0
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。
襲
ファンタジー
〈あらすじ〉
信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。
目が覚めると、そこは異世界!?
あぁ、よくあるやつか。
食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに……
面倒ごとは御免なんだが。
魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。
誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。
やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
異世界で作ろう!夢の快適空間in亜空間ワールド
風と空
ファンタジー
並行して存在する異世界と地球が衝突した!創造神の計らいで一瞬の揺らぎで収まった筈なのに、運悪く巻き込まれた男が一人存在した。
「俺何でここに……?」「え?身体小さくなってるし、なんだコレ……?[亜空間ワールド]って……?」
身体が若返った男が異世界を冒険しつつ、亜空間ワールドを育てるほのぼのストーリー。時折戦闘描写あり。亜空間ホテルに続き、亜空間シリーズとして書かせて頂いています。採取や冒険、旅行に成長物がお好きな方は是非お寄りになってみてください。
毎日更新(予定)の為、感想欄の返信はかなり遅いか無いかもしれない事をご了承下さい。
また更新時間は不定期です。
カクヨム、小説家になろうにも同時更新中
ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
元34才独身営業マンの転生日記 〜もらい物のチートスキルと鍛え抜いた処世術が大いに役立ちそうです〜
ちゃぶ台
ファンタジー
彼女いない歴=年齢=34年の近藤涼介は、プライベートでは超奥手だが、ビジネスの世界では無類の強さを発揮するスーパーセールスマンだった。
社内の人間からも取引先の人間からも一目置かれる彼だったが、不運な事故に巻き込まれあっけなく死亡してしまう。
せめて「男」になって死にたかった……
そんなあまりに不憫な近藤に神様らしき男が手を差し伸べ、近藤は異世界にて人生をやり直すことになった!
もらい物のチートスキルと持ち前のビジネスセンスで仲間を増やし、今度こそ彼女を作って幸せな人生を送ることを目指した一人の男の挑戦の日々を綴ったお話です!
転生した体のスペックがチート
モカ・ナト
ファンタジー
とある高校生が不注意でトラックに轢かれ死んでしまう。
目覚めたら自称神様がいてどうやら異世界に転生させてくれるらしい
このサイトでは10話まで投稿しています。
続きは小説投稿サイト「小説家になろう」で連載していますので、是非見に来てください!
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL
神様のミスで女に転生したようです
結城はる
ファンタジー
34歳独身の秋本修弥はごく普通の中小企業に勤めるサラリーマンであった。
いつも通り起床し朝食を食べ、会社へ通勤中だったがマンションの上から人が落下してきて下敷きとなってしまった……。
目が覚めると、目の前には絶世の美女が立っていた。
美女の話を聞くと、どうやら目の前にいる美女は神様であり私は死んでしまったということらしい
死んだことにより私の魂は地球とは別の世界に迷い込んだみたいなので、こっちの世界に転生させてくれるそうだ。
気がついたら、洞窟の中にいて転生されたことを確認する。
ん……、なんか違和感がある。股を触ってみるとあるべきものがない。
え……。
神様、私女になってるんですけどーーーー!!!
小説家になろうでも掲載しています。
URLはこちら→「https://ncode.syosetu.com/n7001ht/」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる