【本編完結】ブーゲンビリアの花束を

いろあす

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アナザーストーリー

恥じらい

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 今日の薫くんは怖い。
 刃物を持って暗い笑みを湛えて僕を見つめている。
「このまま俺に切られるのと、しかるべきところで切られるのとどっちがいい?」
 どっちも嫌だ。
 薫くんが持ってるのはキッチンバサミだ。
 これが結構便利で、袋とかを切るだけじゃなくてお肉とかネギとかをちょっと切りたい時にも使える万能調理器具で、殺傷能力は低いし、決して僕の前髪を切るためのものではない。
「その2択しかないの…?」
 切らないという選択肢が見当たらないんですけど。
 薫くんは返事の代わりに黙ってジャキッと一度キッチンバサミを開閉させた。怖い。
「主税、男前なのに前髪と眼鏡が童貞臭いんだよ」
 僕が童貞じゃないことは君が一番よく知ってるでしょ。君こそどうなんだ。
 多分そう言うともっと怒らせることになるから黙ってるけど、僕だって負けていられない。
 これはある意味僕のアイデンティティを掛けた戦いだ。
「僕、男前だから、前髪切ると知らない人まで僕に言い寄ってくるよ?」
 そんなことは露ほども思ってないし例えそうなったとしても僕は薫くんしか見えないんだけど。でもその一言で薫くんの手元に動揺が走った。これはいける。
「薫くんは僕のこと、あの時の見た目だけで好きになったの?」
 いや、それならそれで僕は君の前ではきっちりセットして君に好きでいてもらうための努力をするんだけど。
 薫くんは「うぐ」と息を詰めて目を逸らした。
「僕は他の事はどうでもよくて、君と一緒にいれればそれでいいんだけど。薫くんは違う?」
 畳みかけると、薫くんはしゅんとしてふるふると首を振った。
 キッチンバサミを持った手が力なく落ちる。
「ごめん。だって、俺の彼氏男前なんだって自慢したくて…」
 薫くんが切なそうに僕を見る。
 これは僕も反省するところだな。
 目を閉じて、考える。
 薫くんが僕のこのキツい顔も好きって言ってくれるなら嬉しいなって思うし、彼がそうしたいならそうさせてあげたい。
 でも僕もあんまりにも長い間顔を隠してたからすぐに人目に晒すのは
 シャキンッ
 金属の擦れ合う音がして目の前を黒い糸がハラハラと落ちていくのが見えた。
 見ると、いつの間にか目の前まで来ていた薫くん、正確にはキッチンバサミが額の前で僕の前髪を無情に断ち切っていた。
「…しかるべきところで整えて貰おうな?」
 薫くんは満面の笑みでキッチンバサミをちょきちょきと開閉させている。
 やられた。


「これ、ばっつり行きますね!」
「…おねがいします」
 前髪をサイケデリックなアシンメトリーにされた僕はいつもの理容室で椅子に座っていた。
 理容師さんは弾んだ声で言いながら僕の前髪を指で挟んで長さを見るように引っ張る。
「結構行ってますねぇ。どうしたんです?これ」
 鏡越しに目を合わせながら聞かれて、返答に困ってしまった。
 いや、どうしたのかと聞かれると
「…お付き合いしてる人にキッチンバサミで切られました」
 正直に答えると、彼は「ふぐっ」と変な声をだして二の腕に口元を押し付けた。笑えばいいよ。
 鏡越しにじっとり睨みつけると理容師さんは肩を震わせて半笑いのまま「すみません」と僕に向き直った。
「…じゃあ、この際なんで思いっきり軽くするのはどうです?お似合いになりますよ。これから暑くなってきますし」
 うん、あなたのセンスに任せます。僕のこだわりは失われましたので。まぁ、別にこだわりってほどのものでもなかったし。顔が隠せればそれでよかったんだけどもうそれは叶わない。
 小さく頷くと、理容師さんはいつも以上の笑顔を浮かべて鋏を構えた。

 …頭を弄り回されること小一時間。僕は鏡の中の僕の髪がばっさり落ちていくのをハラハラしながら眺める事しかできなかった。そんなに行くの?って。
「お待たせしました。こんな感じでどうですか?」
 背中側から鏡を向けられ、横も後ろもすっかり短くされているのがわかった。おでこどころか全部すーすーする。
 頭が軽すぎて落ち着かない。なんてことだ。
 前髪はほとんどないと言っていい。彼の執念を感じた。
「…ダメって言ったら元に戻せます?」
「無理です」
 いい笑顔で答える理容師さんに打ちのめされつつ、店を後にした。
 風が頭を吹き抜けていく。なんて心許ないんだ。
 後ろ頭を撫でる。短く刈り上げられた髪の手触りが柴犬みたいだなと思った。
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