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アナザーストーリー

ゼラニウム 君ありて幸せ

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「か、薫くん。だ、大丈夫?」
 隣で主税がおろおろしている。
 うん、大丈夫じゃない。
 俺はぼろぼろ零れる涙を隠すようにハンカチで目元を覆った。
 主税との同棲が決まって、浮かれた気持ちのまま見に来た映画で俺は打ちのめされていた。

 過去に実在した有名な画家の生涯を描いた作品。
 家族を養わないといけない中、身分を超えて愛した妻には先立たれ、妹が精神病を患い、次々と信頼できる人や親友も失い、晩年は自身も精神病を患いながらも猫を描き続けた。挿入された彼の世界には衝撃を受けた。
 彼が幸せだったのはほんの一瞬で、あとはずっと苦悩と困難の連続だった。
 見ている間少しも俺の心は休まらなかった。作中で出てくる猫が可愛かったのが唯一の救いだ。
 最後に愛を見つけた彼は報われたんだろうか。

 周りからも鼻を啜るような音は聞こえていたし、やられてたのは俺だけじゃないってわかりはするんだけど、多分それ全部女なんだよな。
 大の男が映画見て、ましてや大衆の面前である映画館でぼろぼろに泣かされてるなんて恥ずかしすぎる。
 館内が明るくなった。もう出ないとまずい。
「ごめん、感動しちゃった」
 強がってるのを悟られないように苦笑いを浮かべるのに務めて主税を見ると、何でか知らないけど主税も目を赤くしていた。その目は今にも零れそうなくらい涙をたたえている。
 エンドロールの時に見やったコイツはけろっとした顔をしていた。なんで今そんな顔してんだよ。
 わけがわからなくて涙が引っ込んだ。
「…主税、なんで泣いてんの?」
 主税はちょっと驚いたような顔をして目を逸らして、「薫くんが可愛くて…」と小さく零した。その目の動きで溜まっていた涙がぽろ、と零れる。
 なんで俺が可愛くて泣くんだ。俺はカッコいい系だ。異論は認めない。
 意味が分からない。
「でもこれでおそろいだね」
 恥ずかしそうにはにかんで、赤い目のまま主税は立ち上がった。それにつられて俺も立ち上がる。
 まさかコイツ、まさかとは思うけど、俺に気を使って一緒になって泣いてるのか?
 もしそうなら主演男優賞やる。





 薫くんが可愛すぎる。
 そうだ、彼は映画で泣いちゃうんだった。

 映画は、うん、よかった。
 何より主役の俳優の演技が最高だった。この人はこういうちょっとぶっとんだ役を演じるのが本当にうまい。
 ストーリーも演出も、彼の生きた当時の世相をよく表していて主人公の苦難がより際立っていた。
 時折挟まれるコケティッシュで哀れな猫たちと絵画的なシーンはとても印象的だったし、主人公の晩年が報われたという、救いのある結末にも満足だ。
 彼が現代に生きていたらもうちょっと違ったんだろうな。医学的には。
 イラストレーターとしてはどうなってたかわからないけど。

 それより僕は隣に座ってぐすぐす泣いてる薫くんに感動している。
 僕たちくらいの年齢になると忘れてしまう感受性の豊かさ。それは得難いものだと思う。
 なんて可愛い人なんだろう。
 胸がきゅんきゅん疼いている。今すぐ抱きしめたい。2人でトイレに籠りたいって言ったら怒られるかな。ぎゅってするだけだから。ちょっとだけ、お願いって。
 僕の部屋で初めて映画を見た日のことを思い出した。
 あの時彼は強がったように僕を睨んで、僕は必死で彼の横顔を目に焼き付けようとしていた。
 あぁ、僕の好きになった人はこんなにも心が柔らかくて素敵な人なんだ。
 …これからは、この顔を一番近くで見れるんだ。
 一度は諦めた幸せを享受できるという幸せが込み上げてきて、無性に切なくなった。
 あの頃からすると考えられない幸せ。彼はずっと僕を幸せにしてくれる。
 僕が何度目かもわからない至福に浸っていると、薫くんが訝し気な顔をして僕を見た。
「…主税、なんで泣いてんの?」
 そう言われて、僕は鼻の奥が痛くなってることに初めて気付いた。
 なんで。
 それは君があんまりにも可愛いから。可愛いが振り切って感情がバグを起こしたんだと思う。プログラマーとしては由々しき事態だ。
 頬に涙が伝うのを感じたけど、僕が感じたのは恥ずかしさより愛しさだった。
 ホント好き。薫くん、大好き。愛してる。
 今日はもう帰ろう。急いで帰って彼を抱きしめないと。
 彼の心の柔らかさと、僕の心のこの愛しさをくっつけたい。
 今度から映画は家で見よう。手を繋いで、ちょっとお酒を飲みながら、肩を寄せ合って。

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