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第8話

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 朝兼昼の食事は、菜っ葉のおひたしと目玉焼き、それからご飯と味噌汁。
 食事を必要としない木蓮を目の前にして、私はゆっくりとご飯を食べる。
 台所の小窓には、降り続く雪の様子が、真四角に切り取られて映っている。

 私のことは放っておいていいのよ、木蓮の好きにしてね。

 彼が亡くなってから、何度かそう言ったけれど、木蓮は私が刺繍をしている時以外はだいたいそばにいる。
 朝起きてから、夜の寝ている間ですら、木蓮はなぜか私をあまり一人にすることがない。
 私も、木蓮がアンドロイドであるからか、ずっと他人と一緒にいるようには疲れを感じず、それが彼のやりたいことなら、と好きにさせているのだけれど。

 最初ここに来た時は、見目麗しい彼と四六時中一緒にいることに違和感を覚えたりした。でも、蘭に買われて一ヶ月ほど経って。自分が住んでいたワンルームマンションから荷物を引き上げ、そこを売り払って。完全に私の帰る場所がここ以外にはなくなった頃から、その違和感も薄くなっていった。

 目玉焼きの黄身を箸の先でつついて、そこからどろっとした半熟の黄身を流れさせる。私はそこに青菜をつけて、わざわざ汚したお皿を綺麗にしながら食べるのが好きで、今日もそうやっていると、食事中にしては珍しく木蓮が私に話しかけた。

「ねえ、このあと、しよう?」

 なんの話かと思ったら。やけにストレートに誘ってくる。
 昨日の夜といい、今朝といい、木蓮がなんだか発情期の動物みたいだ。その理由に心当たりは全くないのだけれど。

 真昼間から疲れることは御免被りたかったので、私は首を横に振って断った。
 まだ午前中の刺繍の続きが残っているし、新作の図案だって描きたい。それに、早朝起きられなかったのは、誰のせいだと思っているのだ。

 私がそうピシャリというと、そっか、と木蓮はおとなしく引き下がった。
 朝の件は別として、普段彼が無理やり事に及ぶことはない。
 その辺りは蘭の調整のおかげというか、でもはっきり言ってこの機能はいらなかったと思う。
 そもそも、夫以外とセックスするってどうなんだろう。世間的には無しだと思うのだけれど。その相手がアンドロイドであっても、やはり普通は無しだと思うのだが、蘭は何故か木蓮に私を抱かせたがった。

 蘭と初めて寝たのは自分のワンルームマンションを売り払って、身軽になったその日だった。それから少しして彼は私に、どうしても木蓮と寝てほしいと頼んで来たのだ。
 研究のためだと言われても、その内容は私には全く分からない。蘭がやらない家事はいくらでもやるから、それは勘弁してほしい、というと彼は、渋々ながら引き下がってくれたかに見えていたのだけれど。

 前触れなくその日は訪れた。八月最後の日だった。




 私は昔から暑さに弱くて夏バテ気味になるのだけれど、その日も残暑にやられていて、居間で扇風機の起こす緩い風にあたりながら麦茶を飲んでいた。
 クーラーは、寝る時以外は身体にきつい。
 汗をかいて日に三度ほど水浴びをして、なんとか作業をこなす夏の日々。
 その時蘭は仕事に行っていたし、いつもそばにいる木蓮はその時は違う部屋で蘭に頼まれた仕事をやっていると思っていた。

 南向きの部屋は、真夏には光が入りにくい。軒と縁、そして障子の干渉のお陰で緩やかな採光となっている部屋の中。麦茶の入ったグラスをお盆の上から取り上げて、喉に流し込む。午前中だというのにやる気が出ない。
 床の間に飾られた木蓮の刺繍の前で、私は座ってぼんやりとそれを眺めていた。

 真夏の木蓮の枝は勢いよく伸びている。
 そこに佇んでいるだけなのに、四季の中で一際エネルギッシュな雰囲気を感じることができる。
 この庭の木蓮も、もう無くなってしまった祖母の家の木蓮も。
 夏は彼らにとって良い季節なのだな、と彼らの広げた腕の下。その木陰で眠りたいな、と思った。
 そんな事を考えているうちに、本当に少しだけ眠ってしまったらしい。

 春告、と遠くで木蓮の呼ぶ声がした。
 肩を揺さぶられて夢から呼び戻されると、近くに木蓮の顔があった。

「どうしたの?」

 寝ぼけ眼でそう聞くと、

「ここ最近調子悪かったのに、ここで転がってたから倒れてるのかと思って」

「寝てただけよ」

 私は起き上がろうとしてお腹にバスタオルがかかっているのに気づいた。
 いつの間にか扇風機が止まってクーラーの音がしていた。汗がすっかり引いてしまったけど、やっぱりクーラーは少し寒いなと、自分の二の腕を掴んで少し身震いした。

「木蓮が掛けてくれたの、ありがとう」

 どういたしまして、と木蓮が汗で額に張り付いた私の髪を指ですくって、顔の横に流してくれた。その時、精巧に作られた彼の指先に、美しい光沢を持つ貝殻のような爪がちゃんと付いているのが見えた。
 木蓮の全体を見ていると本当の人間にしか見えないのに、細部は芸術品のように美しい。これが蘭の仕事なんだな、としげしげと眺める。
 私の刺繍が、こんな細かい綺麗なものを作る蘭からだと、どんな風に見えているのか聞いてみたいと思った。
 木蓮の手を取って、そうやって指を見ていると、

「珍しい?俺の手」

 と私の手を握り返してくる。私は気恥ずかしくなって、顔を逸らした。

「綺麗だなって、思っただけよ。それより木蓮、クーラー効き過ぎじゃない? なんだか寒い」

 話題を変えようと、クーラーの方を見ながらそう言った時だった。

「寒いの?春告」

 木蓮がさっき握り返した私の手にギュッと力を入れた。
 そして彼の腕の中にぐいっと引き込まれた。
 私は何が起こっているのかわからなくて、急に体を勢いよく動かされた所為もあって、目の前がぐるぐるとしていた。

「春告が寒いって言ったらちゃんと温めてあげるんだよって、蘭に言われたから」

「あの、木蓮? クーラーを消してくれるだけでいいのよ」

 急に抱き込まれた木蓮の胸も、男の人みたいにある程度の強固さを持っていて、私はドキドキしながら彼を押し戻そうとした。でも、それは彼自身によって阻まれてしまった。

「大丈夫、温め方はちゃんと蘭に教えてもらったから」

 不穏な言葉とともに、木蓮の手が私のTシャツの背の方から侵入してきて、背筋をスッとなぞった。
 その瞬間。ひっ、と息をするのを失敗したような音が自分の口から漏れて、慌てて口をギュッと結んだ。

「春告、いっぱい気持ちよくなって。そしたら温かくなるよ」

「その情報、間違ってるから!」

 びっくりして大きな声を出してしまったけど、それくらいの事で彼の手は止まらない。
 背中を何度かなぞって私の反応を確認すると、あいつが言ってたのはこういうことね、と自分で確かめるように呟いた。

 蘭が何を木蓮に教えたのか。いや、今はそれを知るよりも、木蓮から離れないと。
 そう思って暴れたけれど、木蓮は笑いながらそれを受け流した。

「抵抗しても結果は一緒だよ。だって、こうしようって言ったのは蘭なんだ」

 だから逃げられないよ、春告。

 最初に交わしたのと同じ、柔らかい声色。でも紫の双眸は遠慮なく私を見ていた。その色が彼の名の紫木蓮の色ではなく、紫蘭の色そっくりだと思う。

 逃さない、ではなく、逃げられない。
 その微妙なニュアンスの差異が私を絡め取る。

 呆然とした私の視線があの刺繍に向くように体を入れ替えて、木蓮は無邪気に私の体を貪り始めた。
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