5 / 5
最終話(弟子達の顛末)
しおりを挟む
ウィザードが覚醒したとき、真っ先に目に入ったのは、白い天井だった。
体がうまく動かない。
目玉だけを右に動かせば、そこに見えたのはバダイではなく、不機嫌そうな友人の横顔だった。その顔を見た時に彼は、失敗したと気づいた。
自分のため息の暖かさが、口周りに溜まる。機械音を耳が拾い始めた。それで、ウィザードは自分が機械に繋がれていることが分かった。
かろうじて、足の指先くらいは動かせる。生温い風呂のような。毒抜きの水槽かと思うと、苛立ちが腹の奥底から湧き上がってきた。
「大丈夫そうだな、取るか」
同意する前に彼の友人、イーグルは、書類を片手に持ったまま無造作に、ウィザードの酸素マスクを取った。
「……君、乱暴じゃない?」
「動けないのは我慢ならない質だろう。ある程度毒も抜けたようだ。ベルトも外してやるから、起きれそうだったら起きろ」
イーグルがそう言うと、ウィザードは聞こえよがしに舌打ちをした。慣れた雰囲気で、イーグルはそれを綺麗に無視し、機械のボタンを押した。
「お前、今日から一週間、謹慎だそうだ」
「へぇ。よくそれだけで済んだね」
「他人事のように言うな。毒を盛られてなかったら、もっと厳しい罰則が適応されていたかもしれないんだぞ」
「なるほど」
一歩間違えば、軍に多大なる影響を及ぼしたであろう行為。それにしては軽すぎる処分。要するに、今はバダイを追うな、ということなのだろう。
ウィザードは、自由になった腕を顔の前まで持ってきた。青くどろっとした液体が、ぼた、ぼた。と指先から落ちた。
ウィザードの勝手な行動のせいで、バダイの行方は分からなくなってしまった。師がどこまで読んでいたのか。イーグルは改めて、師に畏敬の念を感じた。
イーグル、という名もまた師が与えたものだ。琥珀色の瞳が猛禽類のようだから、と。ウィザードと同時期にバダイの下に付けられた男。喜怒哀楽をあまり外に出すことがない彼は、師を探した挙句、勝手に会いにいったウィザードに、静かに腹を立てていた。
ウィザードが消えた、という報告と、探しに行け、という命令はほぼ同時に、イーグルの手元に届いた。
ウィザードのバイタルサインが低下した場所は、隣国。それが把握できている時点で、失踪の可能性は限りなく低い。姿を消すなら、あいつはもっと上手くやる。つまり三年前に、彼らの師が逃亡した時とは、状況が違う。
イーグルは瞬時にそう結論付けて、部屋を出た。
それから半日も経たないうちに、イーグルはウィザードが倒れているアパートにたどり着いた。
部屋は空調が効いていた。うっすら漂う甘酸っぱい香りに、自然と鼻がひくつく。
倒れたウィザードには、毛布が掛けられていた。
散らばったチェスの駒。飲みかけのコーヒー。ラジオは小さな音でジプシーキングスを流していた。
部屋の中をぐるりと巡ると、香りの元が分かった。カミツレと一緒に、吾木香が活けられていた。瞬きを数度。イーグルは久しぶりに、季節を見た。
ここには居ない師に、仕事のしすぎだ、と苦笑された気がした。
「死なずに済んで、よかったな」
「俺もそう思う」
水槽内部で身体を起こしたウィザードは、真面目に頷いた。
自分の癖を利用するという、古典的な手法で毒を盛られた。まさかこの時代にそんな方法で躱されるとは夢にも思わなかった、と同時に、殺せばよかったのに、と。師がそうしなかったことに、ウィザードは何故だか嬉しくなった。
「何をニヤついているんだ、気色の悪い」
「先生の手札はあと、どれっくらいあるのかな」
「お前な。いつか師匠に、本当に殺されるぞ」
「そうかもね」
ふふ、と頬を染めるウィザードに、イーグルはうす気味悪さを感じた。
ウィザードはずっと、バダイに付き従っていた。幼い頃は親を追う雛のように。成長してからは、敬虔な信者のように。盲目にバダイを追うウィザードの感情は、イーグルから見ると、唯の師弟関係を超えたもののように思えた。尤も、師には、その気は一切なかった。
しかし。
ーーよかった、裏切られなくて。
イーグルは、師が逃亡し果せたと聞いた時、安堵したのだった。
ウィザードは口ではバダイに軍に戻って欲しいと言っているが、そうなったら、酷く幻滅するだろうと感づいていた。もちろん、イーグル自身も。
自分達の慕っていた、強かな師のままでいてほしい、しかし近くに在りたい。今ではもう、その思いは並行しては成り立たない。
「師匠は敗者復活のあるトーナメントが、お好きだったな」
「それがどうかした?」
「強く在ることはもちろんだが、屈しない精神をご覧になられていた気がする」
「この仕事やってると、敗者は復活できないっての、嫌でも思い知るからね。環境の要因が大きいよ」
「その考え方が、師匠とお前の違いだな」
「そうだね、俺は先生みたいにはなれない」
渦に呑まれれば、行き着く先は皆同じ。戦争という渦に乗っている自分たちは、結局のところ、この底に行き着くのだろう。そこに師がいない、という事実に苛まれる。いっそ、一緒に沈んでほしい、というウィザードの思いは受け入れられなかった。
「俺たち、いつまでここにいるんだろうね」
「さあな」
その声は相変わらず素っ気ない。しかし、イーグルはその、素っ気ない口調で続けた。
「あの後の調査で、毒はチェスの駒だけに仕込まれていたことが分かった」
「だから、何」
ウィザードは水槽の縁にもたれ掛かって、不機嫌そうにイーグルを睨んだ。青い薬湯から出ている、白い両肩が艶かしい。
まだ師に、してやられたことに苛立っているのか、とイーグルは嘆息した。
「お前な、本当に分からないのか」
「はぁ?」
「師匠は、自分の居場所を突き止めるならお前だ、とお考えになっていた、ということだ……何だ、その顔。本当に腹立たしい奴だな」
惚けたようなウィザードにぶつけたかったのは「何故いつも、師の一番はお前なんだ」ということだったが、イーグルは、それはぐっと飲み込んだ。
更に。
あの部屋で見たカミツレと吾木香が、師と魔法使いのようだと、一瞬でも思ってしまったことは、記憶から抹消したかった。
「まあ、ここが嫌になったら、出ていけばいいだけだろう。師匠だってそうしたのだから」
「……そっか。そうだね」
「簡単なことだ」
実際、全く簡単ではないのだが、彼らは、そうしようと決めた。
「ねえ、イーグル。この後は晴れるかな」
「謹慎中にそれを気にしてどうする」
「んー。先生、雨の中消えちゃったから。風邪ひいてないといいなって」
師が聞けば誰のせいだ、と怒るだろうことを、平気で口にするウィザード。その様子に呆れつつも、イーグルは天気を確かめた。
嵐の後は、快晴であった。
体がうまく動かない。
目玉だけを右に動かせば、そこに見えたのはバダイではなく、不機嫌そうな友人の横顔だった。その顔を見た時に彼は、失敗したと気づいた。
自分のため息の暖かさが、口周りに溜まる。機械音を耳が拾い始めた。それで、ウィザードは自分が機械に繋がれていることが分かった。
かろうじて、足の指先くらいは動かせる。生温い風呂のような。毒抜きの水槽かと思うと、苛立ちが腹の奥底から湧き上がってきた。
「大丈夫そうだな、取るか」
同意する前に彼の友人、イーグルは、書類を片手に持ったまま無造作に、ウィザードの酸素マスクを取った。
「……君、乱暴じゃない?」
「動けないのは我慢ならない質だろう。ある程度毒も抜けたようだ。ベルトも外してやるから、起きれそうだったら起きろ」
イーグルがそう言うと、ウィザードは聞こえよがしに舌打ちをした。慣れた雰囲気で、イーグルはそれを綺麗に無視し、機械のボタンを押した。
「お前、今日から一週間、謹慎だそうだ」
「へぇ。よくそれだけで済んだね」
「他人事のように言うな。毒を盛られてなかったら、もっと厳しい罰則が適応されていたかもしれないんだぞ」
「なるほど」
一歩間違えば、軍に多大なる影響を及ぼしたであろう行為。それにしては軽すぎる処分。要するに、今はバダイを追うな、ということなのだろう。
ウィザードは、自由になった腕を顔の前まで持ってきた。青くどろっとした液体が、ぼた、ぼた。と指先から落ちた。
ウィザードの勝手な行動のせいで、バダイの行方は分からなくなってしまった。師がどこまで読んでいたのか。イーグルは改めて、師に畏敬の念を感じた。
イーグル、という名もまた師が与えたものだ。琥珀色の瞳が猛禽類のようだから、と。ウィザードと同時期にバダイの下に付けられた男。喜怒哀楽をあまり外に出すことがない彼は、師を探した挙句、勝手に会いにいったウィザードに、静かに腹を立てていた。
ウィザードが消えた、という報告と、探しに行け、という命令はほぼ同時に、イーグルの手元に届いた。
ウィザードのバイタルサインが低下した場所は、隣国。それが把握できている時点で、失踪の可能性は限りなく低い。姿を消すなら、あいつはもっと上手くやる。つまり三年前に、彼らの師が逃亡した時とは、状況が違う。
イーグルは瞬時にそう結論付けて、部屋を出た。
それから半日も経たないうちに、イーグルはウィザードが倒れているアパートにたどり着いた。
部屋は空調が効いていた。うっすら漂う甘酸っぱい香りに、自然と鼻がひくつく。
倒れたウィザードには、毛布が掛けられていた。
散らばったチェスの駒。飲みかけのコーヒー。ラジオは小さな音でジプシーキングスを流していた。
部屋の中をぐるりと巡ると、香りの元が分かった。カミツレと一緒に、吾木香が活けられていた。瞬きを数度。イーグルは久しぶりに、季節を見た。
ここには居ない師に、仕事のしすぎだ、と苦笑された気がした。
「死なずに済んで、よかったな」
「俺もそう思う」
水槽内部で身体を起こしたウィザードは、真面目に頷いた。
自分の癖を利用するという、古典的な手法で毒を盛られた。まさかこの時代にそんな方法で躱されるとは夢にも思わなかった、と同時に、殺せばよかったのに、と。師がそうしなかったことに、ウィザードは何故だか嬉しくなった。
「何をニヤついているんだ、気色の悪い」
「先生の手札はあと、どれっくらいあるのかな」
「お前な。いつか師匠に、本当に殺されるぞ」
「そうかもね」
ふふ、と頬を染めるウィザードに、イーグルはうす気味悪さを感じた。
ウィザードはずっと、バダイに付き従っていた。幼い頃は親を追う雛のように。成長してからは、敬虔な信者のように。盲目にバダイを追うウィザードの感情は、イーグルから見ると、唯の師弟関係を超えたもののように思えた。尤も、師には、その気は一切なかった。
しかし。
ーーよかった、裏切られなくて。
イーグルは、師が逃亡し果せたと聞いた時、安堵したのだった。
ウィザードは口ではバダイに軍に戻って欲しいと言っているが、そうなったら、酷く幻滅するだろうと感づいていた。もちろん、イーグル自身も。
自分達の慕っていた、強かな師のままでいてほしい、しかし近くに在りたい。今ではもう、その思いは並行しては成り立たない。
「師匠は敗者復活のあるトーナメントが、お好きだったな」
「それがどうかした?」
「強く在ることはもちろんだが、屈しない精神をご覧になられていた気がする」
「この仕事やってると、敗者は復活できないっての、嫌でも思い知るからね。環境の要因が大きいよ」
「その考え方が、師匠とお前の違いだな」
「そうだね、俺は先生みたいにはなれない」
渦に呑まれれば、行き着く先は皆同じ。戦争という渦に乗っている自分たちは、結局のところ、この底に行き着くのだろう。そこに師がいない、という事実に苛まれる。いっそ、一緒に沈んでほしい、というウィザードの思いは受け入れられなかった。
「俺たち、いつまでここにいるんだろうね」
「さあな」
その声は相変わらず素っ気ない。しかし、イーグルはその、素っ気ない口調で続けた。
「あの後の調査で、毒はチェスの駒だけに仕込まれていたことが分かった」
「だから、何」
ウィザードは水槽の縁にもたれ掛かって、不機嫌そうにイーグルを睨んだ。青い薬湯から出ている、白い両肩が艶かしい。
まだ師に、してやられたことに苛立っているのか、とイーグルは嘆息した。
「お前な、本当に分からないのか」
「はぁ?」
「師匠は、自分の居場所を突き止めるならお前だ、とお考えになっていた、ということだ……何だ、その顔。本当に腹立たしい奴だな」
惚けたようなウィザードにぶつけたかったのは「何故いつも、師の一番はお前なんだ」ということだったが、イーグルは、それはぐっと飲み込んだ。
更に。
あの部屋で見たカミツレと吾木香が、師と魔法使いのようだと、一瞬でも思ってしまったことは、記憶から抹消したかった。
「まあ、ここが嫌になったら、出ていけばいいだけだろう。師匠だってそうしたのだから」
「……そっか。そうだね」
「簡単なことだ」
実際、全く簡単ではないのだが、彼らは、そうしようと決めた。
「ねえ、イーグル。この後は晴れるかな」
「謹慎中にそれを気にしてどうする」
「んー。先生、雨の中消えちゃったから。風邪ひいてないといいなって」
師が聞けば誰のせいだ、と怒るだろうことを、平気で口にするウィザード。その様子に呆れつつも、イーグルは天気を確かめた。
嵐の後は、快晴であった。
0
お気に入りに追加
3
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……
新緑の少年
東城
BL
大雨の中、車で帰宅中の主人公は道に倒れている少年を発見する。
家に連れて帰り事情を聞くと、少年は母親を刺したと言う。
警察に連絡し同伴で県警に行くが、少年の身の上話に同情し主人公は少年を一時的に引き取ることに。
悪い子ではなく複雑な家庭環境で追い詰められての犯行だった。
日々の生活の中で交流を深める二人だが、ちょっとしたトラブルに見舞われてしまう。
少年と関わるうちに恋心のような慈愛のような不思議な感情に戸惑う主人公。
少年は主人公に対して、保護者のような気持ちを抱いていた。
ハッピーエンドの物語。
幸せのカタチ
杏西モジコ
BL
幼馴染の須藤祥太に想いを寄せていた唐木幸介。ある日、祥太に呼び出されると結婚の報告をされ、その長年の想いは告げる前に玉砕する。ショックのあまり、その足でやけ酒に溺れた幸介が翌朝目覚めると、そこは見知らぬ青年、福島律也の自宅だった……。
拗れた片想いになかなか決着をつけられないサラリーマンが、新しい幸せに向かうお話。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
寮生活のイジメ【社会人版】
ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説
【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】
全四話
毎週日曜日の正午に一話ずつ公開
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる