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しおりを挟む遠くからこちらに近づいてくるサイレンの音を耳し、そっと握っていた手をシーツの中に戻した。
搬入先である階下がまた騒がしくなるだろうなと思いつつ、物音を立てぬよう静かにパイプ椅子から立ち上がった。そして、閉ざされた仕切用のカーテンに手をかけ出ようとして、もう一度ベットに横たわるその姿を振り返る。
血の気の薄い青ざめた横顔。薄い胸が呼吸に規則正しく上下するのに安堵するが、目蓋の下にうっすらくまが浮かんでいて、最近良く眠れていないことが窺える。
これでもましになったんだぞ。と、くまに気づいて心配する自分へ、見た目だけは良い1つ上の先輩の憤慨した言葉を思い出す。
それもこれも。全ては自分が招いた結果だ。
言いようのない焦燥の念に駆られ眉間に深い険を刻んだ蒼司は、今度こそカーテンをめくり眠る彼の元を後にした。
「よお。もういいのか?」
救急病棟の2階。ナースステーション前。待合室用に並んでいる、3人掛けのソファの1つに座っていた件の先輩が治療室から出てきたこちらに気づき、声をかけてきた。
他にも患者の家族と思しき中年の男女が一組と若い男性が1人、同様に座っているが皆纏う空気が重く暗く沈んでいる。当たり前だが声を荒らげていいような場所ではない。
「…先生は?」
場の空気に潜めた声で問えば、ちらりと廊下を挟んだ対面にあるエレベーターの方を見やった。
「学校に連絡してくるって。ここでスマホ使ったら看護師さんにはっ倒されるからな」
「そう、か。分かった」
無理を行って車に同乗させて貰ったが、バスかタクシーさえ捕まえられれば自力で学校に戻れるだろう。
肩を竦め少しだけぞんざいな口調で答えるその脇を通り抜けようとして、咄嗟に腕を掴まれた。
「待て待て待て。お前、分かったって。何が分かったんだよ。どこ行く気だ!?」
「あの妄想女をタケルと同じ目にあわせてやる」
「待てっ、真中。気持ちは俺も同じだが、そんなことしたら橘ちゃんが悲しむぞ!!…それにあのビッチ女が突き落としたって証拠がない」
強い力で掴まれた腕の先で悔しそうに唇を噛みしめる姿に、蒼司は大きく息を吐き足を止めた。髪を片手で乱雑にかき上げ空いたソファのスペースに腰を下ろす。
昼にタケルの周囲に不穏な動きがあると連絡を受けたが、こんな性急な手段に出るとは思わなかった。
階段から人が落ちたと騒ぎに駆けつけた際、ぐったりと意識なく床に倒れこんだタケルを思い出し、震える指先に同じく震えていた唇が歪んだ。
「…守るって言っておいて、結局これかよ。ざまぁねぇな」
「真中。それは俺にも責任があるから」
「いや。関係ないのに協力してくれて、先輩には感謝してる。本来なかった危険にあいつを晒したのは、間違いなく俺が悪い」
設定を覆して隠して。そうしてやり過ごせば守り通せると思っていた。もし、ヒロインが自分と同じ記憶持ちだとしても、設定通りにならなければいずれ諦めると、そう、思っていたのだ。
「俺のあの女への認識が甘かったばかりにタケルがこんな目に…」
こんなことなら、タケルからあの女を遠ざけるために自分が彼から離れるのではなかった。一緒にいてもっとちゃんと目を光らせておけば…。
「てい」
ドス、と脇腹に鈍い衝撃が走った。短く呻いた蒼司を握りこぶしとともに先輩が顔を覗き込む。
「どうして俺の可愛い後輩たちは1人で色々突っ走るのかな?何のためにこのゲームではサブ中なサブな俺が協力しているか、本当に分かっているのかな?」
「そ、れは…」
「まあ、気持ちは理解しているけどね。でもな。ここはあくまでリアルなわけよ。いっくらゲームな設定盛りだくさんだとしても現実なの。今回はそれを理解してないあのビッチが悪い。…髪切って見つかるように仕向けた俺も悪いけど、ね」
眉尻を下げて淡く微笑んだ後、心底申し訳なさそうにごめん、と呟きが。それも一瞬で、何かしらを言おうと顔を上げた時にはすでに先輩の視線はエレベーターの方角を向いていた。
見ればエレベーターの扉の上にある、パネルの上下矢印の下の方が明るく光っている。学校に連絡し終えた養護教諭が戻ってきたのかもしれない。
「で、これからどうするよ?」
前を向いたまま先輩が尋ねた。
今回は不幸中の幸いというべきか、あの女の目論み通りにはならなかった。頭を打っているため、念のため様子を見るらしいが大事にはならないだろうというのが医者の見解だ。
自分の思惑通りにならなかったあの女が今度はタケルにどんな行動に出るのか。考えただけで背筋に冷たいものが走る。
しかし、これ以上タケルを傷つかせるわけにはいかない。
「今度こそ守る」
同じく正面を向いたまま蒼司が答えると、隣から苦笑混じりの溜息が吐かれた。横目で隣を確認するとどこか呆れたような視線とかち合う。
「お前ねぇ…。まあいいや。元ギャルゲの主人公なめるなよ。こっちこそ今度はしっかりサポートしてやるよ」
自分の肩口に差し向けられた手の甲に、無言で軽く自身の手の甲をぶつけると相手の僅かに口角が吊り上った。
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