上 下
58 / 59

濫觴

しおりを挟む
 ビビアンはレイに 会いに来たことを後悔していた。別に多くを望んでいた わけじゃない。フィアナのことを一時でも忘れたかっただけだ。それなのに、次の手伝いの話をし始めた。怪しいと疑うと
「そんなことはさせない」
素早すぎる返事に、疑いは確信
に変わる。 睨みつけるとレイが上目遣いでチラリと機嫌を伺っている。やっぱり……。

 おとなしく白状しろと顎でしゃくる。
「……ちょっとだ」
「ちょっとですって! すごくの間違いでしょ。この前のライズ伯爵のことを忘れていませんからね」
「根に持つタイプだな」
「なんですって! すぐ終わるからって言って、テラスで伯爵を引き止めたのに、どれだけ苦労したと思ってるの。あの中年オヤジ、気があると勘違いして口説いてきたのよ」
 油ぎって ぶよぶよした指が、私の手を何往復したことか。あの時のことを思い出すと、今でも鳥肌が立つ。
(途中で触るなと頬を張り倒そうとかさえ思った)

「それがどれほどの拷問か分かる?」
私が自由に行動できるようにするのが、協力する交換条件だったのに完全に騙された。
「オーバーだな。1、2時間と言う
ところだろう」
その言葉にカチンとくる。この男は私の苦労を少しも分かってない。
「ああ、そうですか。だったら他の人に頼んでください」
クルリと背を向けて出て行こうとすると、レイが回り込んで来た。
「分かった。分かったから。無理なことは頼まない」
協力を拒否した途端、下手に出てきた。だから信じられない。だからこそ怪しい。
「もう二度と来ないわ」
そう言って首を横に振る。自分の都合のいいように解釈する 詐欺師のような男の言葉だ。
面食らったように驚いたレイの顔を見て気分がすっきりする。その横を通り過ぎると"さよなら"と片手を上げる。

上機嫌で帰っていくビビアンを見てレイは小さく笑う。
「どうせ、明日も来るくせに」

*****

 星が瞬き、どこかでフクロウが鳴いている。馬車の音もなく静かな夜だった。

 フィアナは 1日の終わり、寝支度の為にブラッシングしながら、今日あったことを思い出していた。アルといろんなことにチャレンジしたけど、それでも初体験のことは多い。耳に残るノコギリの音にくすりと笑う。バイオリンがあんなに大きな音が出るとは知らなかった。アルが、余りのうるささに耳をふさいだ。そのことを思い出して、プッと小さく吹き出してしまった。

「何が可笑しいんだい?」
ベッドにいたはずのアルが、いつのまにか私のそばに来ていた。「何でもないわ」
ごまかすように唇を閉じた。だけど、込み上げる笑いを隠すのは難しかった。
「嘘つき」
そう言ってアルが私の頬を突く。
その上、アルがバイオリンを弾く真似をしたから、余計に可笑しくて、堪らず声に出して笑ってしまった。つられてアルも笑い出した。ひとしきり笑いあった後 寝ることにした。
 (今夜は、素敵な夢が見られそうだ)

 ブラシを片付けようとして、いつのまにか床に落としていたことに気づいた。しかし、拾おうとして
息を飲んだ。ブラシにもびっしりと、妖精の粉がついている。今までこんなことは無かった。
それが何を意味するのか容易に想像できる。体が光の粒になり始めたんだ。
(ああ、 今夜限りの命……)
ショックで身を強張らせていた。
だが、アルの動く気配に悟られまいとブラシを背中に隠す。
「どうしたんだい?」
「ううん。何でもないわ」
こちらに来なくていいと片手をあげたけど、私の異変に気づき近づいたアルが 無言で隠したブラシを
取り上げられる。
「………」
「………」
お互いに怯えながら生活をしてきたから、小さなことでも敏感になってしまう。 ブラシを見たアル
がすべてを察した。私を見つめる視線に涙が滲む。
こんな目に合わせたくなかった。悲しい思いをさせるの一瞬でよかったのに……。


 私たちは 初めての夜と同じように向かい合って、横になっていた。
アルの手が私の髪を撫でる。
私は指でアルの顔を 指でなぞる。
眉、鼻、瞳、唇、頬、顎と。
その全てを記憶するように、愛しげに忘れない様に、触れあう。
すると、アルが私の手をとって 手のひらにくちづけする。
言葉は無い。どちらかが、口を開けば別れの言葉が出て来る事はお互いに知っている。だから、その代わりに自分の思いを他の方法で伝え合う。フィアナはスッとアルとの 距離を縮めてその胸に顔を埋める。男らしい香り、暖かい肌。ここが私の居場所だった。アルが 私の背中に腕を回してピッタリ
と体を寄せる。


 瞳のふちに溜まった涙がシーツへと染み込んでいく。
永遠に見て居たいのに、ぼやけで見えない。アルがそっと私を腕枕してくれる。その腕を掴んで胸に抱く。こうするのも今夜が最後。
愛していると、忘れないと、ありがとうと言いたい。だけど、そうすると言いたくない言葉もいいそうで嫌だ。別れの言葉を言ってもアルの心が軽くなるわけじゃない。

 気付けば一睡もせずに朝を迎えた。カーテンの向こうが白み始めたらしく隙間から光が差し込む。
髪の先からキラキラした光の粒になって消えていく。それを見て、
ギュッと誰かに掴まれたみたいに胸が痛くなる。 もう終わりが来た。夜が明けてしまう。
アルが規則正しくフィアナの髪を撫で続けている。最後に気持ちを伝えたい。だけど、泣いてしまいそうだ。泣き出したらもう止まらない事は分かっている。
笑おう。

 フィアナはアルの肩口に顔を埋めて深呼吸すると口角を上げて、そのまま顔を上げる。
アルが最後に見る私の顔が泣き顔なんて嫌だ。私のちっぽけなプライドとアルへのプレゼント。不思議な事に心は穏やかだ。アルのおかげで 幸せな一生だった。
私が死んだ後アルには幸せになって欲しいと心から思っている。
私を見つめるアルの瞳には愛しさが輝いている。だけど、私の髪が淡く光り出すとアルの手が止まる。呆然とした表情に変わった。
フィアナはアルの頬に手を添えて笑いかける。でも、 その瞳から涙が流れる。もう一生ぶん泣いたはずなのに涙が止まらない。
その間も、どんどん光の粒に変わって行く。それを見てギュッとアルが私の体を抱きしめる。


*****

 アルフォンはフィアナの 身体全体が光り出したことに驚いて顔を見ると淡い微笑みを浮かべていた。
(ああ、……別れの時なんだ)
愛しい気持ちが、自分の胸をキリキリと締め付ける。私は本当に、この女を愛している。かけがえのないもの。自分の命以上に大切なもの。フィアナが涙でいっぱいの瞳で笑いかける。思わず抱きしめると、フィアナが肩口で嗚咽を漏らす。 突きつけられた現実に胸が裂かれる。

 溢れた涙は、愛しさなのか、恐れなのか、それすらも分からない
ほど私の全て。それなのに、なにも伝えられない。フィアナが 私の頬に慰めるように手を触れる。 
その体を逝くなとしがみついた。
それなのに、それを許さないというように、全身が完全に光の粒になってしまった。フィアナが、そっと私を押しやると優しく微笑む。
「おはよう」
何時もの朝と変わらない言葉に、自分も答えようと唇を動かしたが、声にならない。それも、フィアナが頷く。 それを最後にフィアナの全身が朝日を受けて光となって消えて行く。
「フィアナ!」
引き留めようとした手には、さっきまでフィアナが着ていた服だけが残った。フィアナの服にはまだ温もりが残っていて恋しくて頬摺りする。服からはサラサラと主が死に光を失って灰色になった妖精の粉が落ちる。アルの瞳に新たな涙がこみ上げる。

 本当にフィアナが消えたのだと実感する。その瞳から大粒の涙がとめどなく流れてシーツに雨を降らす。アルは声を上げて泣いた。生まれて初めて大声で泣いた。両親が死んだ時でさえ涙を人には見せなかったのに。この日が来ることは知っていた。覚悟する時間は十分あった。だが、いざその時が来ると気が狂いそうな程苦しい。
「ああー!」
胸をかきむしりながら絶望する。
全財産を手放したって構わないほど願ったのに、何も叶わなかった。運命を前に金など何の意味もなさない。




 朝の紅茶をベランダで飲んでいたレイは、天へと昇っていく金色の粉を見て 慣れに喪失感に目を伏せる。今、一人の眷属が完全に消滅した。どうか、次 生まれ変わるなら、後悔のない一生送って欲しい。妖精王と言っても出来るのは、そう願うことだけだ。

 レイはカップを朝陽に向かって掲げる。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を

川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」  とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。  これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。  だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。  これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。 完結まで執筆済み、毎日更新 もう少しだけお付き合いください 第22回書き出し祭り参加作品 2025.1.26 女性向けホトラン1位ありがとうございます

離縁してくださいと言ったら、大騒ぎになったのですが?

ネコ
恋愛
子爵令嬢レイラは北の領主グレアムと政略結婚をするも、彼が愛しているのは幼い頃から世話してきた従姉妹らしい。夫婦生活らしい交流すらなく、仕事と家事を押し付けられるばかり。ある日、従姉妹とグレアムの微妙な関係を目撃し、全てを諦める。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

小さな恋のトライアングル

葉月 まい
恋愛
OL × 課長 × 保育園児 わちゃわちゃ・ラブラブ・バチバチの三角関係 人づき合いが苦手な真美は ある日近所の保育園から 男の子と手を繋いで現れた課長を見かけ 親子だと勘違いする 小さな男の子、岳を中心に 三人のちょっと不思議で ほんわか温かい 恋の三角関係が始まった *✻:::✻*✻:::✻* 登場人物 *✻:::✻*✻:::✻* 望月 真美(25歳)… ITソリューション課 OL 五十嵐 潤(29歳)… ITソリューション課 課長 五十嵐 岳(4歳)… 潤の甥

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

悪役令嬢カテリーナでございます。

くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ…… 気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。 どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。 40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。 ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。 40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

兄にいらないと言われたので勝手に幸せになります

毒島醜女
恋愛
モラハラ兄に追い出された先で待っていたのは、甘く幸せな生活でした。 侯爵令嬢ライラ・コーデルは、実家が平民出の聖女ミミを養子に迎えてから実の兄デイヴィッドから冷遇されていた。 家でも学園でも、デビュタントでも、兄はいつもミミを最優先する。 友人である王太子たちと一緒にミミを持ち上げてはライラを貶めている始末だ。 「ミミみたいな可愛い妹が欲しかった」 挙句の果てには兄が婚約を破棄した辺境伯家の元へ代わりに嫁がされることになった。 ベミリオン辺境伯の一家はそんなライラを温かく迎えてくれた。 「あなたの笑顔は、どんな宝石や星よりも綺麗に輝いています!」 兄の元婚約者の弟、ヒューゴは不器用ながらも優しい愛情をライラに与え、甘いお菓子で癒してくれた。 ライラは次第に笑顔を取り戻し、ベミリオン家で幸せになっていく。 王都で聖女が起こした騒動も知らずに……

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...