LYCAN

ナカハラ

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Chapter1

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 この日は珍しく、普段担当をしていないエリアでの作業に出向いていた。
 その帰り道。いつもなら適当な音楽を流す事が多いドライブだが、何となくラジオに切り替え耳を傾ける。途中までは順調に流れていた音だったが、何故か丁度、悪くなるカーラジオの調子。雑音が混ざり不鮮明になった音声を何とかしようと、チューナーに手を掛けた時のことである。
「ん?」
 車を運転している男の耳に届いたものは、狼の遠吠え。
「何だ?」
 チューニングを行っていた指を、ボリュームの摘みに移動させ、ボリュームを絞って消していく音。パワーウィンドウのボタンを操作し窓を開けると、耳を澄ませ音の出所を探るつもりだった。
「ん?」
 ゆっくりと降りるガラス。車内と外の世界の隔たりが消えた瞬間、鼻を突く嗅ぎ慣れない匂いに男は顔を顰める。
「事件か!?」
 感じ取ったものはゴムの焼ける嫌な臭い。
「この先は確か、カーブになっていた……は……ず……」
 頭に過ぎる嫌な予感。それが現実のものでは無いことを願いながら、男は僅かにアクセルを踏み込み速度を上げる。
「っっ!?」
 暫く車を走らせると見てくる二つの事故車輌。
 対向車線に停車する車輌の内、片方は崖に半分乗りだしたトレーラーで、もう片方が追突されたトラックだと言うことが分かる。
「一体何が……」
 通常ならば、その状態を見たと同時に車を止め、救急車両を手配するのが最優先。だが、先程から聞こえてくる狼の遠吠えが気になり、男は車を現場近くに駐めると、猟銃を取り出し車外に出た。
 もし獣に襲われているのならば、先にそれを仕留める必要がある。そう判断した故の行動。
 慎重に足を進め、事故車輌へと近付いていく。丁度トラックの影になっている部分から、銃を構え顔を覗かせた時だった。
「あうぅ……うぁ……」
 確認出来たのは二人の男性の姿。一人は地面に倒れ、一人は倒れている男に覆い被さるようにして泣きじゃくって居る。
「え?」
 そんな二人から少し離れた場所には、もう一人、地面に横たわる男の姿。どうやらこの場には、計三人の男が存在しているようだった。
「一体何が!?」
 先程まで聞こえていた狼の声はもう聞こえない。スコープ越しに辺りを見回し獣の姿を探すが、何も見つからない事を確認し、男は手に持っていた猟銃を肩に掛ける。
「おい!!」
 代わりに急いで現場へ駆けつけると、今度は泣きじゃくっている男の肩を叩き大きな声で問いかけた。
「君! 何が起こって居るんだ!? 状況を説明してくれ!!」
「っっ!!」
 突然の衝撃に泣いていた男が驚く。反射的に跳ねた身体を庇うように離すと、彼は勢いよく振り向き、突然現れたこの男を激しく睨み付けた。
「…………っ」
 どういう状況なのかが分からない。事故現場に現れた男は困惑の色を浮かべ狼狽える。
 目の前には、全身を真っ赤に染めた男。彼は怯えるように身を縮めこちらを睨んでいる。不思議な事に彼の身体は、衣服というものを身に纏っていなかった。素肌を隠すもののない裸体は、所々赤黒い血液のようなものが付着している。特にそれが多く見られるのは顔付近で、嗚咽を零す口元は最もその量が多く見える。
 これはどう考えても、明らかに異常な光景。それが今、男の目の前に広がっている。
「……だ……大丈夫だ」
 なるべく相手を刺激しないように慎重に選ぶ言葉。
「君に危害を加えるつもりはない。何もしないから安心したまえ」
 驚かせて済まなかった、と。目線を合わせるようにしゃがみ込むと、警戒を解くように言葉を続ける。
「ただ、何があったのかを教えて欲しいだけなんだ。ただ、それだけだ」
 相手を刺激しないよう、なるべく穏やかな声色でそう伝えると怯える男の方へと静かに腕を伸ばし肩を撫でる。
「落ち着いて深呼吸をするんだ。教えてくれ。此処で何があった?」
「……あ……ぅ……」
 目の前で怯える男は何かを伝えたそうに口を動かすが、それが言葉になる気配は無い。ただ、先程見せていた警戒は随分と薄れ、今は不安そうに瞳を揺らし怯えて居ることだけは分かる。
 彼からの言葉を待っている間。辺りに軽く視線を巡らせ、状況を確認していく。
 停車している車輌の具合からすると、事故を起こしたのはトレーラー側の過失のようだ。ブレーキ痕は思ったよりも短く、意図的にトラックへとぶつかっている事が確認出来る。
 ただ、それを運転していたらしき二人の人物は、どちらも負傷し動く事が出来ないようで。一人だけ離れた場所に横たわる男に至っては、完全に意識を手放し、喉元から凄い量の出血をしいるように見えた。
 この状況から判断するに、この男は多分絶命してしまっていると考えて間違いだろう。例え息が合ったとしても、救急車両が到着するまで持つかは不安である。
 一方、目の前で泣きじゃくる男とその男の傍で倒れる男の方はというと、こちらはまだ助かる見込みが高そうだ。
 始めは、身体に付着する血液の量から大きな怪我を想定していたが、泣いている男の方は外傷というものは確認出来なかった。もしかしたらこの大量の血液は、本人のものでは無いのかもしれない。もう一人の男はというと、こちらは肩から胸にかけて血が滲んでしまっている。大分痛みがあるのだろう。傷口の在るであろう箇所を押さえながら、ひたすらに浅い呼吸を繰り返しているようだった。
「少し失礼するよ」
 最悪なことに、この場所は町から随分と離れてしまっている。場合に寄ってはここで救急隊を待つ事が、生存確率を下げる事に繋がるかもしれない。そんな不安から、泣きじゃくる男に場所を譲るよう促し無理に二人の間に割り込み手を動かす。
「傷を確認させて貰うぞ」
 肩に掛けていた猟銃を足元に下ろすと、胸を押さえて表情を歪める男の身体を、ゆっくりと傾け仰向けに寝かせる。患部を押さえる手を外させ、着ていた衣服の前をくつろげ曝す肌。隠すものが無くなり直に見えるようになったところで確認出来たのは、付けられたばかりの真新しい銃創である。
「……撃たれた……のか?」
 それは無意識に出た言葉だった。
「……あぁ……」
 男の疑問に、掠れた声で返される応答。
 どうやら意識ははっきりとしているようで、横たわる男は弱々しい声で言葉を返す。
「早く病院に搬送しないと拙いか」
 意識があるならば、救急隊が来るまでは持ち堪えられるはず。そう判断し、ポケットから取り出した携帯端末。ディスプレイに映し出されたアイコンをタップし、目的のダイヤルを押そうと指を動かした時だ。
「!?」
 突然伸びてきた男の手に、腕を掴まれ操作を阻まれてしまった。
「なぁ……ここに…おおかみは……いるか……?」
「狼?」
 彼が口にした言葉は意外なものだった。
「今はそれどころでは無いだろう……?」
 それよりも早く、救急車の手配を。そう訴えるのだが、彼は頑なにそれを拒み、狼の事ばかりを着にかける。
「……はぁ」
 これは、彼の質問に答えない限り緊急ダイヤルを呼び出すことは不可能だ。男は小さく溜息をつくと、軽く辺りを見回し狼の姿を探す。
「……近くに狼は居ないようだが?」
「……そうか……」
 狼は居ない。そう伝えてやると、男は安心したように指の力を緩めた。
「ただ、君と雰囲気が似ている全裸の男は目の前に居るぞ」
 それは何となく口にした言葉だった。
「後は、絶命している様子の男が一人。離れた場所に横たわっているように見えるが……」
「な……に……?」
 急に変わる態度。銃で撃たれた男の目が驚きで見開かれる。
「今、救急車の手配をする。それまで何とか持ち堪えろよ」
 そう励まし番号を呼び出すつもりだった。その言葉を聞くまでは。
「まってくれっ……たのむ……その…おれににた……やつを……」
 そこまで言った後、男が苦しそうに息を吐きながら一気に言葉を続けた。
「たすけてやってくれっ!!」
「何を馬鹿な!?」
 予想外の言葉に操作している手が止まってしまう。
 状況から見て助けが必要なのは、銃傷を負っているこの男の方なのだ。治療をする必要があるのは彼だというのに、どういうことか本人は、自分よりも無傷で泣いている男の方を助けてくれと求めている。
「……おねがい……だ……たのむ……」
 気が付けば、腕を掴む指先が震えている。
「……訳あり……と言うことか」
 取り出した携帯端末の電源ボタン。それを軽く押し灯っていたバックライトの明かりを消す。役目を果たす事の出来なかった機械をポケットに仕舞うと、男は盛大な溜息を吐いた後で、横たわる男の身体を担ぎ上げる。
「っっ!!」
「悪いが我慢してくれ」
 成人男性一人分の重さだ。肩に掛かる負担は予想以上に大きい。それでも彼の身体を庇うように移動しながら目指す対向車線。目指すのは停車させている己の車輌だ。
「!!」
 それに気が付いたのは泣いていた男で、この行動を阻止しようと立ち上がり、慌てて後を追い掛けると、連れて行かれそうになっている男の身体を取り返そうと襲いかかってくる。
「助けたいのだろう! 彼のことを!! だったら大人しく付いてくるんだっっ!」
「っっ!」
 それに大きな声で制止をかけると、こちらの意図を理解したのだろう。相手は素直に男の言葉に従い、とぼとぼと後を付いてきた。
「…………」
 開いた後部座席の扉。なるべく負担を掛けないよう慎重に、怪我をした男の身体を車内へと押し込めていく。シートの上で横たわる姿を確認すると、今度はトランクから毛布を取り出し、血だらけの男の頭からそれを被せ助手席へと押し込めた。特に抵抗する素振りを見せない男は、出される指示通りに動いていく。シートに腰を下ろした事を確認し、シートベルトをするように指示を出たところで、起きっぱなしになっている猟銃を回収しに現場へと戻る。
「……やはり、こっちはもう、ダメなようだな」
 改めて確認したもう一人の被害者の状況は、思った以上に芳しくない。
 喉の肉が抉り取られ、見えてはいけない部分が露出してしまっている事に対して感じる異常性。念のため呼吸を確認するべく口元へと手を伸ばすが、手の平に感じられるはずの僅かな振動は一切感じ取ることが出来ない。
「警察を手配するのが賢明か」
 助かるのならば見捨てたくはなかった。だが、失ってしまった命を修復出来るかなんて、考えなくても不可能だということは男にも分かって居る。やりきれない思いを抱えながら車に戻ると、男は車輌に取り付けられている無線機で警察車輌を手配する。
「………号線で事故が発生している。被害者は二人。一人は獣に襲われ既に絶命している模様。もう一人は胸部に銃弾を受け、状態が悪く危険な状況だ。その為、近くの医療機関に搬送する。以上」
 必要最小限の情報は伝えた。本来ならばそこに留まり協力する義務があるが、今はより早くここから離れる事を優先すべきだろう。それが助けようとした男の願いなのだから、仕方が無い。
 沢山の疑問が頭に浮かんで消えないが、それは後から男に尋ねることにしよう。そう気持ちを切り替えると、男は車に乗り込みエンジンを掛けた。
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