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「ねぇ、知ってた?」
腕の中で彼が小さく藻掻く。
「……人魚ってね、最後は泡になって消えちゃうんだよ」
彼の言葉が余りにも予想外で、私は思わず腕の力を緩めてしまう。
「願いはさ、絶対に叶わないんだ」
力を緩めた隙をついて、彼は私の腕の中から逃げ出してしまう。
「だって自由がないんだもの。だから必ず、最後には消えてなくなってしまうんだ」
それは何かの暗示なのだろうか。直ぐに捕まえようと慌てて手を伸ばしたが、後僅かで触れると言うところで、私の腕は空を掻く。
「全部差、夢だったんだよ。一時の夢。月の光が見せた幻想なんだ」
その言葉を聞いてはいけない、と。何故かそう思い耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
「カイリ……何を言って……」
「だってほら…」
だが、それを許さないと。彼が差し出すのは己の右手。月明かりを受けて白く光るそれは、何故かうっすらと透けて見えた。
「僕はもう僕じゃないから」
それがどう言うことなのか、分からない訳では無い。
それでもこう、願ってしまう。
これは全部嘘なのだと。
誰でも良いから嘘だと言って欲しい。
彼は確かに目の前にいるのに、その存在は酷く曖昧なもので。目を離すと一瞬にして消えて無くなってしまう、泡沫の夢のような幻だなんて。
「人魚の恋は実らないよ。それでも僕は夢を見たかった」
波が砂浜に打ち寄せる。
沖へとそれが引き戻される度、ぽろぽろと崩れていく形。
「泣かないでよ……そんな風に悲しまないで欲しいな」
そう言って笑う優しさが残酷なものだと分かっているのだろうか。溢れでる涙が視界を曇らせるせいで、彼の姿もだんだん見えにくくなっていく。
「会えてよかった。利臣と会えたこと、本当に嬉しかったよ」
夢から覚めるのは一瞬なのだろう。
でも、君が居ない現実は、私にとって価値のあるものでは無いんだ。
願うのはたった一つ。
傍にいて欲しい。
だが、それすらも許されぬ事だと。
「さよなら」
たった四文字の言葉と涙の味。唇に触れた冷たい感触が、泡となって消えていく。
「……そだ」
確かに腕の中に居たのに……
こんな風に消えてしまうなんて。
潮の香り。波のざわめき。ふわりと落ちたジャケットが、水面の上でゆらゆらと漂う。
人だとか人魚だとか、そんなの関係なく、好きでいる事はいけないのだろうか?
幸せを望むことも許されないのだろうか?
それでも残酷な現実は、夢の終わりを告げてしまう。
潮騒の中に微かに紛れ込んだ音。それはどこまでも柔らかく、そして辛い一言だった。
ありがとう。
いつの間にか夜が明けようとしている。
朝陽で白く輝く海が昨夜の余韻を消していく。月の見せた泡沫の夢は幕を引き、私は一人、砂浜を歩く。消えてしまった人の面影を探し、ただ、ひたすらに足を動かし進みつづけるだけ。
宛もなく彷徨い、たどり着いたのは図書館だ。
まるで引き寄せられるように入る館内。何故そうしようと思ったのかは分からない。無意識に手に取ったのは新聞のバックナンバーで、適当な席を見つけそれを捲る。
あの頃は新聞なんて読まなかったから気が付かなかった。何冊か目を通して見つけた小さな記事には、見覚えのある音が記載されている。『塩塚カイリ』。享年十七歳。彼は、私と会った数日後に死亡していた。
「カイリ……」
何も言葉が出てこない。苦しいと思う感情は溢れ出すのに、何と言って上げれば良いのか言葉が見つからないのだ。
私はただ、声を殺して泣いた。彼の言葉を思い出し、遣り切れなさを抱えながら。
「人魚の恋は実らないんだよ」
そう言って笑う君の顔は寂しそうで、今にも泣き出してしまいそうだったから……
「泡になって消えてしまうんだ」
消えた君を捜し続けて、残された私は生きている。
もし……人魚が今度人と恋に落ちるのなら、そのときは人魚を人に変えてあげられることを信じて。
もう一度再び巡り会えるなら……その時は必ず二人で幸せになろうと。
例えそれが、叶う事の無いものだったとしても。
相手の居ない約束を一人交わすと、私は自分の夢に静かに幕を下ろしたのだった。
腕の中で彼が小さく藻掻く。
「……人魚ってね、最後は泡になって消えちゃうんだよ」
彼の言葉が余りにも予想外で、私は思わず腕の力を緩めてしまう。
「願いはさ、絶対に叶わないんだ」
力を緩めた隙をついて、彼は私の腕の中から逃げ出してしまう。
「だって自由がないんだもの。だから必ず、最後には消えてなくなってしまうんだ」
それは何かの暗示なのだろうか。直ぐに捕まえようと慌てて手を伸ばしたが、後僅かで触れると言うところで、私の腕は空を掻く。
「全部差、夢だったんだよ。一時の夢。月の光が見せた幻想なんだ」
その言葉を聞いてはいけない、と。何故かそう思い耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
「カイリ……何を言って……」
「だってほら…」
だが、それを許さないと。彼が差し出すのは己の右手。月明かりを受けて白く光るそれは、何故かうっすらと透けて見えた。
「僕はもう僕じゃないから」
それがどう言うことなのか、分からない訳では無い。
それでもこう、願ってしまう。
これは全部嘘なのだと。
誰でも良いから嘘だと言って欲しい。
彼は確かに目の前にいるのに、その存在は酷く曖昧なもので。目を離すと一瞬にして消えて無くなってしまう、泡沫の夢のような幻だなんて。
「人魚の恋は実らないよ。それでも僕は夢を見たかった」
波が砂浜に打ち寄せる。
沖へとそれが引き戻される度、ぽろぽろと崩れていく形。
「泣かないでよ……そんな風に悲しまないで欲しいな」
そう言って笑う優しさが残酷なものだと分かっているのだろうか。溢れでる涙が視界を曇らせるせいで、彼の姿もだんだん見えにくくなっていく。
「会えてよかった。利臣と会えたこと、本当に嬉しかったよ」
夢から覚めるのは一瞬なのだろう。
でも、君が居ない現実は、私にとって価値のあるものでは無いんだ。
願うのはたった一つ。
傍にいて欲しい。
だが、それすらも許されぬ事だと。
「さよなら」
たった四文字の言葉と涙の味。唇に触れた冷たい感触が、泡となって消えていく。
「……そだ」
確かに腕の中に居たのに……
こんな風に消えてしまうなんて。
潮の香り。波のざわめき。ふわりと落ちたジャケットが、水面の上でゆらゆらと漂う。
人だとか人魚だとか、そんなの関係なく、好きでいる事はいけないのだろうか?
幸せを望むことも許されないのだろうか?
それでも残酷な現実は、夢の終わりを告げてしまう。
潮騒の中に微かに紛れ込んだ音。それはどこまでも柔らかく、そして辛い一言だった。
ありがとう。
いつの間にか夜が明けようとしている。
朝陽で白く輝く海が昨夜の余韻を消していく。月の見せた泡沫の夢は幕を引き、私は一人、砂浜を歩く。消えてしまった人の面影を探し、ただ、ひたすらに足を動かし進みつづけるだけ。
宛もなく彷徨い、たどり着いたのは図書館だ。
まるで引き寄せられるように入る館内。何故そうしようと思ったのかは分からない。無意識に手に取ったのは新聞のバックナンバーで、適当な席を見つけそれを捲る。
あの頃は新聞なんて読まなかったから気が付かなかった。何冊か目を通して見つけた小さな記事には、見覚えのある音が記載されている。『塩塚カイリ』。享年十七歳。彼は、私と会った数日後に死亡していた。
「カイリ……」
何も言葉が出てこない。苦しいと思う感情は溢れ出すのに、何と言って上げれば良いのか言葉が見つからないのだ。
私はただ、声を殺して泣いた。彼の言葉を思い出し、遣り切れなさを抱えながら。
「人魚の恋は実らないんだよ」
そう言って笑う君の顔は寂しそうで、今にも泣き出してしまいそうだったから……
「泡になって消えてしまうんだ」
消えた君を捜し続けて、残された私は生きている。
もし……人魚が今度人と恋に落ちるのなら、そのときは人魚を人に変えてあげられることを信じて。
もう一度再び巡り会えるなら……その時は必ず二人で幸せになろうと。
例えそれが、叶う事の無いものだったとしても。
相手の居ない約束を一人交わすと、私は自分の夢に静かに幕を下ろしたのだった。
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