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第四章 ノンストップ! キャシー号
⑨
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コンビニにキャシー号を停め、立石さんを下ろした。立石さんが「では行って参ります」と言って敬礼する。
ちょっと待って、と姉貴が車を下り、立石さんのスーツの襟の歪みを直した。肩をポンと叩く。「がんばってね。今度こそ、きっちり決めるのよ」
立石さんは笑顔でうなずき、製麺所の建物に消えた。
他のみんなはコンビニでトイレや買い物を済ませ、キャシー号に乗り込む。お茶やコーヒーを飲みながら、じっと製麺所の建物のほうを見ている。あまりしゃべらない。でも、その気持ちはよくわかる。僕も同じだから。みんな、立石さんの採用を祈っているのだ。
今度こそ就職が決まってほしいと思っているのは、それぞれの顔を見れば一目瞭然だ。祈りを込めたいくつもの視線が、幸運を乞うかのように製麺所の建物に注がれていた。さすがの菜々実も、ポテトチップスを持ってはいるけれど、それを口に運ぶことすら忘れて、みんなと同じ一点を見つめている。
「ええい、どうも暗いな」庄三さんが意を決したように言った。「どうだ、みんな。車の外で立石氏を待たないか? 面接を戦ってきた彼を、太陽の下で出迎えようではないか」
それはいい意見ね、と姉貴が賛成し、車を下りた。僕たちも姉貴に続いた。キャシー号の前に横並びになり、立石さんの生還、もとい、帰還に備えた。
映画で観たことがあるんだけど、と菜々実が言う。「これって、なんか出所してくる組員を迎えるヤクザたちのような気がするのは、あたしだけ?」
「膝に両手をついてお辞儀をし、『お帰りなさいやし、おツトメご苦労様です』ってか?」僕は笑う。「やってみてもいいけど、バックがひまわりの絵じゃ、サマにならないだろ」
僕が言い終わると同時に、立石さんが建物から出てきた。うつむき加減に歩いて来る。
「思ったよりはやかったな」修太郎さんの表情が曇る。「元気がないように見えるのは、俺だけか?」
それには誰も答えない。答えないということは、修太郎さんと同じ意見だということだろう。
立石さんが顔を上げた。僕たちを見て「あ」と小さな声を漏らす。歩きつつも言葉を続ける。「面接、終了しました」
「どうしたの? ダメだったの?」姉貴が心配そうな顔で尋ねる。
「あ、はい」立石さんが頭に手を当てる。「いえ、こっちからお断りしました。一度は決まったのですが、思い直しまして」
「思い直して? いったん決まったものを断ったの? どうしてよ。また条件や待遇が悪かったなんて言うんじゃないでしょうね」姉貴が腰に両手を当てて立石さんをにらんだ。
「いえ、待遇は申し分なかったです。住み込みですし、給料も贅沢さえしなければ貯金できるくらいはいただけそうでしたから」
「じゃあ、どうしてよ。そこに決めればいいじゃない? もしかして、仕事内容が合ってなかったとか?」
「犬です」立石さんが微笑んだ。「面接が終わって、ではよろしくお願いしますと言ったとき、会社へ犬が入ってきたんです。そのとき、面接の担当者が出ていけと言って犬を蹴り飛ばしたんです。だから、お断りしたんです」
「犬を蹴ったから断ったの?」姉貴が天を仰いだ。「どういうことよ、それ。意味、わかんないわよ」
「人間の足は、犬を蹴るためのものではありません」立石さんがその場で足踏みをする。「歩くために、走るためにあるんです。生き物を蹴るためにあるのではありませんから」
修太郎さんが苦笑しながら頭の後ろをパン、パンと叩いた。その手で立石さんの肩を叩く。「正論だな」
「その意見には千パーセント、同意しちゃうな」菜々実が腹立たしそうな顔を製麺所へ向けた。「立石さんは、こんな会社にはもったいない人です。別にすぐに職が決まらなくてもいいじゃない。じっくりゆっくり決めましょ。あたしにできることがあったら言ってください。手伝うから」
「やれやれだわ。でも、あなたって、あたしが思っているよりもずっとステキな人なのかもね」姉貴が立石さんの腕に触れた。「さっきは言い過ぎたわ。ごめんなさい。菜々実ちゃんの言う通り、ゆっくり職探ししましょ。手伝ってほしいことがあったら、遠慮なく言って」
「立石さん。見直しました」花ちゃんが立石さんの手をとって微笑んだ。「ステキです」
立石さんが瞬時に赤面した。鼻の穴が大きく開く。目の虚ろになり、倒れそうになる。
「ヤベえ!」修太郎さんが立石さんの腕をつかんだ。「極度の緊張で持病が出たんだ。みんな、体を支えろ」
幸運にも立石さんの症状は軽かったようで、十秒もしないうちに目を覚ましたようだ。
「あ、チャッピーだ!」卓也君が叫んだ。「チャッピーがいたよ!」
彼が指さすほうを見ると、コロコロした柴犬が咆えながら走ってきた。飼い主を発見できたチャッピーは、ちぎれるほどシッポを振りながら卓也君にじゃれついていた。が、ふと立石さんに気づいて、彼の足にまとわりついた。
「あ、この犬です」立石さんが自分の足に絡みつく犬を指さした。「会社に入ってきたのは」
「あ、そうだったの。それにしても、立石さんに妙になついているわねえ」姉貴が感心する。「自分に優しくしてくれる人間がわかるのかしら」
「動物は正直だからな」修太郎さんがじゃれつく犬をながめる。「好きなら好き、嫌いなら嫌いとはっきり意思表示するんだ。何枚もの舌を使い分ける人間とは違うさ」
「ねえ、立石さん」昌枝さんがお茶を飲みながらポツリと言う。「そのスーツ、クリーニングに出したのは、いつかしら?」
「ええと、はっきりとは覚えていませんが、そうですねえ。三年くらい前でしょうか」
「なるほど、わかった」修太郎さんが目頭を押さえる。「匂うんだ。スーツの匂いにチャッピーが引き寄せられている可能性、大だ」
僕たちは、そろって立石さんから離れた。
ちょっと待って、と姉貴が車を下り、立石さんのスーツの襟の歪みを直した。肩をポンと叩く。「がんばってね。今度こそ、きっちり決めるのよ」
立石さんは笑顔でうなずき、製麺所の建物に消えた。
他のみんなはコンビニでトイレや買い物を済ませ、キャシー号に乗り込む。お茶やコーヒーを飲みながら、じっと製麺所の建物のほうを見ている。あまりしゃべらない。でも、その気持ちはよくわかる。僕も同じだから。みんな、立石さんの採用を祈っているのだ。
今度こそ就職が決まってほしいと思っているのは、それぞれの顔を見れば一目瞭然だ。祈りを込めたいくつもの視線が、幸運を乞うかのように製麺所の建物に注がれていた。さすがの菜々実も、ポテトチップスを持ってはいるけれど、それを口に運ぶことすら忘れて、みんなと同じ一点を見つめている。
「ええい、どうも暗いな」庄三さんが意を決したように言った。「どうだ、みんな。車の外で立石氏を待たないか? 面接を戦ってきた彼を、太陽の下で出迎えようではないか」
それはいい意見ね、と姉貴が賛成し、車を下りた。僕たちも姉貴に続いた。キャシー号の前に横並びになり、立石さんの生還、もとい、帰還に備えた。
映画で観たことがあるんだけど、と菜々実が言う。「これって、なんか出所してくる組員を迎えるヤクザたちのような気がするのは、あたしだけ?」
「膝に両手をついてお辞儀をし、『お帰りなさいやし、おツトメご苦労様です』ってか?」僕は笑う。「やってみてもいいけど、バックがひまわりの絵じゃ、サマにならないだろ」
僕が言い終わると同時に、立石さんが建物から出てきた。うつむき加減に歩いて来る。
「思ったよりはやかったな」修太郎さんの表情が曇る。「元気がないように見えるのは、俺だけか?」
それには誰も答えない。答えないということは、修太郎さんと同じ意見だということだろう。
立石さんが顔を上げた。僕たちを見て「あ」と小さな声を漏らす。歩きつつも言葉を続ける。「面接、終了しました」
「どうしたの? ダメだったの?」姉貴が心配そうな顔で尋ねる。
「あ、はい」立石さんが頭に手を当てる。「いえ、こっちからお断りしました。一度は決まったのですが、思い直しまして」
「思い直して? いったん決まったものを断ったの? どうしてよ。また条件や待遇が悪かったなんて言うんじゃないでしょうね」姉貴が腰に両手を当てて立石さんをにらんだ。
「いえ、待遇は申し分なかったです。住み込みですし、給料も贅沢さえしなければ貯金できるくらいはいただけそうでしたから」
「じゃあ、どうしてよ。そこに決めればいいじゃない? もしかして、仕事内容が合ってなかったとか?」
「犬です」立石さんが微笑んだ。「面接が終わって、ではよろしくお願いしますと言ったとき、会社へ犬が入ってきたんです。そのとき、面接の担当者が出ていけと言って犬を蹴り飛ばしたんです。だから、お断りしたんです」
「犬を蹴ったから断ったの?」姉貴が天を仰いだ。「どういうことよ、それ。意味、わかんないわよ」
「人間の足は、犬を蹴るためのものではありません」立石さんがその場で足踏みをする。「歩くために、走るためにあるんです。生き物を蹴るためにあるのではありませんから」
修太郎さんが苦笑しながら頭の後ろをパン、パンと叩いた。その手で立石さんの肩を叩く。「正論だな」
「その意見には千パーセント、同意しちゃうな」菜々実が腹立たしそうな顔を製麺所へ向けた。「立石さんは、こんな会社にはもったいない人です。別にすぐに職が決まらなくてもいいじゃない。じっくりゆっくり決めましょ。あたしにできることがあったら言ってください。手伝うから」
「やれやれだわ。でも、あなたって、あたしが思っているよりもずっとステキな人なのかもね」姉貴が立石さんの腕に触れた。「さっきは言い過ぎたわ。ごめんなさい。菜々実ちゃんの言う通り、ゆっくり職探ししましょ。手伝ってほしいことがあったら、遠慮なく言って」
「立石さん。見直しました」花ちゃんが立石さんの手をとって微笑んだ。「ステキです」
立石さんが瞬時に赤面した。鼻の穴が大きく開く。目の虚ろになり、倒れそうになる。
「ヤベえ!」修太郎さんが立石さんの腕をつかんだ。「極度の緊張で持病が出たんだ。みんな、体を支えろ」
幸運にも立石さんの症状は軽かったようで、十秒もしないうちに目を覚ましたようだ。
「あ、チャッピーだ!」卓也君が叫んだ。「チャッピーがいたよ!」
彼が指さすほうを見ると、コロコロした柴犬が咆えながら走ってきた。飼い主を発見できたチャッピーは、ちぎれるほどシッポを振りながら卓也君にじゃれついていた。が、ふと立石さんに気づいて、彼の足にまとわりついた。
「あ、この犬です」立石さんが自分の足に絡みつく犬を指さした。「会社に入ってきたのは」
「あ、そうだったの。それにしても、立石さんに妙になついているわねえ」姉貴が感心する。「自分に優しくしてくれる人間がわかるのかしら」
「動物は正直だからな」修太郎さんがじゃれつく犬をながめる。「好きなら好き、嫌いなら嫌いとはっきり意思表示するんだ。何枚もの舌を使い分ける人間とは違うさ」
「ねえ、立石さん」昌枝さんがお茶を飲みながらポツリと言う。「そのスーツ、クリーニングに出したのは、いつかしら?」
「ええと、はっきりとは覚えていませんが、そうですねえ。三年くらい前でしょうか」
「なるほど、わかった」修太郎さんが目頭を押さえる。「匂うんだ。スーツの匂いにチャッピーが引き寄せられている可能性、大だ」
僕たちは、そろって立石さんから離れた。
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