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1987年夏「特急さざなみ3号」

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 1987年4月1日。
 国鉄が消滅し、「JR各社」が発足した。
 子ども心になんかショックだった。
 当時は埼玉県某所に住んでいたが、春休み、初日の4月1日から京浜東北線のブルーの
車体に「JR」の白字が先頭車両に入っているのを見て
(昨晩から今朝までにあれ全部どうやって書いたんだろう?)
と不思議に思ったのを覚えている。
 さて小学3年の夏休み。
 海水浴に行くことになった。
 候補は湘南か阿字ヶ浦(茨城)か九十九里か内房ということで、「遠浅で波もなく安全」
ということで内房が選ばれた。
 去年は一人で初めて特急に乗ることを実質保護者付きであったが今回は
「正真正銘一人で」
特急列車に乗ることになった。
 両親はマイカーで先に行く。
 私は自力で今回は東京駅でなく「錦糸町駅」から特急「さざなみ3号」千倉行だ。
 何となく覚えているのだが錦糸町駅前に、なんかポテトチップのような看板があってそれ
を眺めながら列車を待っていた記憶があるのだが、あれから何十年かして錦糸町駅のホーム
に佇む機会があったけどないんですよね。記憶違いかな??
 錦糸町駅は快速・特急ホームの脇に留置線が数本あり、何となく大きい駅に見えるが実際
房総方面の全ての特急列車が停車する駅であった。
 指定席に座ったが、デッキや自由席はかなり込んでおり自由席に乗ったらまず座れなかった
だろうと記憶がある。
 千葉までは去年の「しおさい」同様、複々線内の快速停車駅をすべて通過していく。
 今回は千葉駅では内房線の4番線に入線。
 内房線は初めてなのでワクワクする。
 千葉駅でやたら甲高い
 「ジリリリリリン!」
という発車ベルとほぼ同時にドアが閉まる。
 ゆっくり動き出す。
 高架線を走り出し右手には京成の千葉線が、左手にはマクドナルドとかが見えたような気が
した。
 やがて京成千葉駅が右手に見えて、本千葉駅を通過したあたりから加速した気がする。
 次の蘇我駅は、現在こそ外房線・内房線分岐点に加えて京葉線の始発駅という交通の要衝
であるが当時は京葉線はなく、二面四線の駅と記憶するがその蘇我駅をまずまずの高速で
通過していく。
 当時の蘇我駅は特急さざなみも外房線の特急わかしおもすべて通過していたはずだ。
「ご乗車ありがとうございます。内房線の特急さざなみ3号千倉行です。次は五井に停車し
ます。小湊鉄道線はお乗り換えです・・・」
という案内が入る。
 五井駅では左手に凄く田舎臭さで魅力満点の小湊鉄道のディーゼルカーが留まっていて、
もうそこそこ漢字を読める自分でも車両脇の
「五井⇔上総中野」
という字幕がはっきり見えた。
 その五井を出るとすぐ小湊鉄道の線路とはお別れし、右手は工場群の煙突が並ぶ海沿い
を走る。
 袖ヶ浦辺りを過ぎると、田園風景が目につき川もいくつかわたる。
「間もなく木更津に到着します。久留里線はお乗り換えです」
 という案内と左手からいつの間にか単線の線路がカーブして内房線に並走すると木更津
に着く。
 この時期の特急さざなみ号は海水浴客とか南房総方面への利用者が多いみたいで木更津
では五井よりも乗降客の入れ替わりは少なかったように記憶している。
 発車する。
 しかし特急とは名ばかりでこの後は見事に各駅停車みたいになっていった。
 次の君津駅は通過するものの単線区間に入り、青堀・大貫・佐貫町など立て続けに停車
し興ざめしたのを覚えているが風景は房総の丘陵地帯が見えてそこそこ良かったが、
デカい観音像のようなものがふと左手に見えた気がして、凝視したら山に隠れて消えた
ので確認できなかったのを覚えている。
 その後も左手をチラチラ見たが白かった観音像というか仏像のようなものは見えなかった。
 後日分かったが見間違いとかではなく「東京観音」という有名な観音像とわかって納得
したのを覚えている。
 水筒の麦茶を飲む。
 やがて右手に海が見えてきた時は感激だった。
 まだ朝の9時くらいでキラキラ太陽の光が海面に反射し美しい。
 さらに山合いと海の間隙を内房線は走ってるようで右手に海が迫りくるように見えて、
船が見えたり海の向こうには、(当時はまだ分からなかったが)京浜工業地帯や三浦半島
までくっきり見えている。
 短いトンネルをくぐっては海が見えて、の繰り返しで列車は「浜金谷駅」に着いた。
 そこそこ降りた人がいたようだ。
 随分ローカルな雰囲気で五井や木更津のような東京近郊区間にありがちな雰囲気とは
全く違う。
 またここから各駅停車状態で、保田・安房勝山と停車して今回の自分の目的地駅である
「岩井駅」に着いた。
 跨線橋を渡らないと改札口に行けない田舎ぽい駅だが、それに似合わないほどこの岩井
駅でかなりの人がごった返すほど降りた客がいた。
 にしても太陽の光が強烈だ。
 改札口出ると駅のロータリーがありタクシーも何台かあるなかでちゃんと見覚えのある
マイカーが停車している。
 我々はすぐ駅からでも歩いていけそうなくらいの距離にあるビーチで海水浴を楽しみ、
海の家では大好きなかき氷と何か食べ物を食べた記憶がある。
 あの岩井海岸の海は今でも同じ風景を残しているのだろうか?

                              <完>
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