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1 はじまり
水谷の秘密
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「里見さん、どうでした?」
「あら。家で仕事の話はしないんじゃなかったの?」
「・・・」
言い方に棘しかない。これは、間違いなく怒っているサイン。
聖白雪の学生寮。寮には、監督責任者の教頭と2人の教師。料理担当とそのほかの家事全般担当2人のスタッフがいる。寮に住み込んでいるのは、2人の教師だけで、あとは通いだ。教頭は、夕食開始を見届けたところで、渡り廊下を通り、理事長宅でもあるこの自宅に帰ってくる。
水谷は、母の旧姓。僕は聖白雪の理事長と教頭夫妻の長男として生まれ、寮と渡り廊下でつながるこの家に今も暮らしている。
いずれ学園を理事長として継ぐことは、生まれたときからの宿命だ。しかし、教師として1人前になるまでは、他の教師と同様に扱ってほしいという僕の希望を、職場では親子であることを隠すこと、家では仕事の話をしないことを守ることで、両親は叶えてくれている。僕の本名や理事長家族であることを知るのは、学園でも事務の数名だけだ。
―水谷先生からうんと叱られるって思っていたのに、優しく話をしてくれたから、ホッとしてそしたら何だかわからないんですけど、涙が止まらなくなってしまって―
里見は寮で、そう話したそうだ。
「とにかく、水谷先生がひどいことを言ったとかしたとか、そういうことではないと。それはわかりました」
「はい」
「明日、職員室で叱責しようと思っていましたが」
母イコール教頭が眉間にシワを寄せる。子供の頃からときどき見るこの顔は、容赦ない叱責を飛ばすときのものだ。
「里見さんが泣き出したとき、あなたは里見さんをきちんと見ていましたか?面談室の外で他の先生方がどう思うか、そればかりを気にしていたようにしか見えませんでしたが」
図星である。昔からこの人は、僕の心を正しく読んでくる。
「わたしが面談室に入ったとき、里見さんと2人で話を続けさせてほしい、そう言うこともできたはずよ。そうしなかったのは、里見さんが泣いた時点であなたが指導を投げ出したからではないの?」
返す言葉が見つからない。恥ずかしい。自分の未熟さを突きつけられるのは。
「とにかく。セクハラ、パワハラ事案ではなくても、あなたの指導力不足事案であったことはたしかです。あなたへの罰は明日、学年主任と話し合って決めます。以上」
そのまま席を立つ。何も言えない。にしても、以上。って。
指導力不足だ、と新人のころから職員室で何度も叱られてきた。でも、自分から声をかけたとはいえ、家でこのように叱られたのは初めてのこと。しかも、主任と話し合って罰を与えるとまで言われたのは、初めてのことだ。
教師になって5年。担任を持つようになって3年。それなりに自信もついてきたところにこれだ。
結局、グルグル考え事をしていて眠れないまま朝になる。母は、テーブルに父と僕の分の朝食を置いて、寮か学園に行ったのか。とにかく気配がない。
「おはよう」
父が起きてきた。いつものようにサーバーからコーヒーをついで出す。
「おはようございます」
「昨日、なんかあったみたいだな」
「すみません」
「お母さん、珍しくおかんむりだったぞ。覚悟しろ」
「今日、主任と話し合って罰を決めるそうです」
父は斜め上を向いて、何かを考えている。
「まあ、家で仕事の話はここまでだ」
「すみません」
父と2人、静かな朝食を終え、父と二人分の食器を洗う。
「行ってきます」
先に父が家を出るのも珍しい。もしかしたら、朝のうちに会議でも開くのか。
気が重いが、出勤しないわけにいかない。戸締まりをし、出勤する。父や母は、堂々と寮の敷地を通って出勤するが、僕はきちんと公道を通って行く。
「おはようございます」
「あ、おはようございます。来週の球技大会のことなんですけど」
出勤するなり行事の打ち合わせに引き込まれる。欠席の連絡の電話に出る者、生徒の質問に答える者、朝練の監督を終えて汗を吹きながらお茶を飲む者。朝の職員室はいつもざわついている。今朝、この職員室に、教頭と学年主任の相沢先生がいない。やはり、僕の罰を決める会議か。
予鈴が鳴り、全員席に着く。とほぼ同時に教頭たちが入ってきた。
「朝のミーティングです。まず事務連絡から」
教務主任の司会でミーティングが始まる。まずは、欠席者の連絡からだ。
「1-2佐藤さん、風邪で1日欠席です」
「3-3山川さん、腹痛のため1日欠席です」
朝、電話を受けた者がつきつぎに声をあげる。よく声がかぶらないなあと何となく感心する。
「ほか、連絡事項ある方いませんか?」
「わたくしから、よろしいですか?」
教頭が手を挙げる。昨日のことだろう。
「昨日、2年生の里見愛莉さんが、個人面談中泣き出すということがありました。里見さんからは、担任からのセクハラ、パワハラを受けたわけではない旨、お話をいただいてはいます。
しかし、思春期の多感な女子生徒が相手だということを常にわれわれは意識せねばなりません。これを機により一層指導力を磨きましょう」
「では、ミーティングを終わります」
教室に向かう者、席で事務作業を始める者がいて、また職員室はざわつく。
「水谷先生、相沢先生、ちょっと」
学年主任とともに、教頭に呼ばれる。
「先ほど相沢先生と相談しました。水谷先生、反省文を書いて提出してください」
「教頭先生は、口頭注意にしたいとおっしゃっていたのですが、僕はこの件での処分は厳しすぎると思ってね。間をとって、反省文にしたんだよ」
なんと答えたらいいのか。
「今日中に提出してください。以上」
「はい」
教室に向かう。生徒たちは朝読書の時間だ。それが終わったら朝のホームルーム。担任する教室に向かうのだ。
廊下に生徒が立っている。里見か?
「先生」
「・・・」
朝読書の時間ですと言うべきか、それとも昨日のことを謝るか
「昨日はごめんなさい」
「昨日はすみませんでした」
2人の謝罪が被る。
顔を見合わせて、ふふっと笑った。
「あら。家で仕事の話はしないんじゃなかったの?」
「・・・」
言い方に棘しかない。これは、間違いなく怒っているサイン。
聖白雪の学生寮。寮には、監督責任者の教頭と2人の教師。料理担当とそのほかの家事全般担当2人のスタッフがいる。寮に住み込んでいるのは、2人の教師だけで、あとは通いだ。教頭は、夕食開始を見届けたところで、渡り廊下を通り、理事長宅でもあるこの自宅に帰ってくる。
水谷は、母の旧姓。僕は聖白雪の理事長と教頭夫妻の長男として生まれ、寮と渡り廊下でつながるこの家に今も暮らしている。
いずれ学園を理事長として継ぐことは、生まれたときからの宿命だ。しかし、教師として1人前になるまでは、他の教師と同様に扱ってほしいという僕の希望を、職場では親子であることを隠すこと、家では仕事の話をしないことを守ることで、両親は叶えてくれている。僕の本名や理事長家族であることを知るのは、学園でも事務の数名だけだ。
―水谷先生からうんと叱られるって思っていたのに、優しく話をしてくれたから、ホッとしてそしたら何だかわからないんですけど、涙が止まらなくなってしまって―
里見は寮で、そう話したそうだ。
「とにかく、水谷先生がひどいことを言ったとかしたとか、そういうことではないと。それはわかりました」
「はい」
「明日、職員室で叱責しようと思っていましたが」
母イコール教頭が眉間にシワを寄せる。子供の頃からときどき見るこの顔は、容赦ない叱責を飛ばすときのものだ。
「里見さんが泣き出したとき、あなたは里見さんをきちんと見ていましたか?面談室の外で他の先生方がどう思うか、そればかりを気にしていたようにしか見えませんでしたが」
図星である。昔からこの人は、僕の心を正しく読んでくる。
「わたしが面談室に入ったとき、里見さんと2人で話を続けさせてほしい、そう言うこともできたはずよ。そうしなかったのは、里見さんが泣いた時点であなたが指導を投げ出したからではないの?」
返す言葉が見つからない。恥ずかしい。自分の未熟さを突きつけられるのは。
「とにかく。セクハラ、パワハラ事案ではなくても、あなたの指導力不足事案であったことはたしかです。あなたへの罰は明日、学年主任と話し合って決めます。以上」
そのまま席を立つ。何も言えない。にしても、以上。って。
指導力不足だ、と新人のころから職員室で何度も叱られてきた。でも、自分から声をかけたとはいえ、家でこのように叱られたのは初めてのこと。しかも、主任と話し合って罰を与えるとまで言われたのは、初めてのことだ。
教師になって5年。担任を持つようになって3年。それなりに自信もついてきたところにこれだ。
結局、グルグル考え事をしていて眠れないまま朝になる。母は、テーブルに父と僕の分の朝食を置いて、寮か学園に行ったのか。とにかく気配がない。
「おはよう」
父が起きてきた。いつものようにサーバーからコーヒーをついで出す。
「おはようございます」
「昨日、なんかあったみたいだな」
「すみません」
「お母さん、珍しくおかんむりだったぞ。覚悟しろ」
「今日、主任と話し合って罰を決めるそうです」
父は斜め上を向いて、何かを考えている。
「まあ、家で仕事の話はここまでだ」
「すみません」
父と2人、静かな朝食を終え、父と二人分の食器を洗う。
「行ってきます」
先に父が家を出るのも珍しい。もしかしたら、朝のうちに会議でも開くのか。
気が重いが、出勤しないわけにいかない。戸締まりをし、出勤する。父や母は、堂々と寮の敷地を通って出勤するが、僕はきちんと公道を通って行く。
「おはようございます」
「あ、おはようございます。来週の球技大会のことなんですけど」
出勤するなり行事の打ち合わせに引き込まれる。欠席の連絡の電話に出る者、生徒の質問に答える者、朝練の監督を終えて汗を吹きながらお茶を飲む者。朝の職員室はいつもざわついている。今朝、この職員室に、教頭と学年主任の相沢先生がいない。やはり、僕の罰を決める会議か。
予鈴が鳴り、全員席に着く。とほぼ同時に教頭たちが入ってきた。
「朝のミーティングです。まず事務連絡から」
教務主任の司会でミーティングが始まる。まずは、欠席者の連絡からだ。
「1-2佐藤さん、風邪で1日欠席です」
「3-3山川さん、腹痛のため1日欠席です」
朝、電話を受けた者がつきつぎに声をあげる。よく声がかぶらないなあと何となく感心する。
「ほか、連絡事項ある方いませんか?」
「わたくしから、よろしいですか?」
教頭が手を挙げる。昨日のことだろう。
「昨日、2年生の里見愛莉さんが、個人面談中泣き出すということがありました。里見さんからは、担任からのセクハラ、パワハラを受けたわけではない旨、お話をいただいてはいます。
しかし、思春期の多感な女子生徒が相手だということを常にわれわれは意識せねばなりません。これを機により一層指導力を磨きましょう」
「では、ミーティングを終わります」
教室に向かう者、席で事務作業を始める者がいて、また職員室はざわつく。
「水谷先生、相沢先生、ちょっと」
学年主任とともに、教頭に呼ばれる。
「先ほど相沢先生と相談しました。水谷先生、反省文を書いて提出してください」
「教頭先生は、口頭注意にしたいとおっしゃっていたのですが、僕はこの件での処分は厳しすぎると思ってね。間をとって、反省文にしたんだよ」
なんと答えたらいいのか。
「今日中に提出してください。以上」
「はい」
教室に向かう。生徒たちは朝読書の時間だ。それが終わったら朝のホームルーム。担任する教室に向かうのだ。
廊下に生徒が立っている。里見か?
「先生」
「・・・」
朝読書の時間ですと言うべきか、それとも昨日のことを謝るか
「昨日はごめんなさい」
「昨日はすみませんでした」
2人の謝罪が被る。
顔を見合わせて、ふふっと笑った。
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