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逃の章

第9話 6月11日(逃亡生活九日目)上

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「いやぁ、美味しかったですなー信長様!」

「うん、美味しかったね。影ちゃん!」

「特にあの魚の煮つけ! 久しぶりに味のある魚が食べれましたよ」

 馬を引きながらゆっくりと歩く三人。腹もいっぱいになりご機嫌な影武者に、その様子を見て喜ぶ信長。

「ちょっと二人とも!!」
 その二人を成利は叱咤する。

「そんな大きな声で名前を呼び合わないでください。誰かに聞かれでもしたらどうするのですか。注意力が散漫になっておりませぬか」

「ごめんなさい」
 謝る二人に成利は「はあぁぁ……」と、深くため息をついた。
 
 さらに続けて
「しかも昨日から御飯屋を食べ歩いてばかりで、全然情報が収集できてないんですけどいいのですか?」と、ご機嫌斜めの様子である。
 
 それに対し信長は
「御飯屋さんって人が集まる所でしょ? そのうち、誰かが教えてくれるよ」
と言うと、影武者は「さすが信長様、冴えてらっちゃる!」と、信長を褒める。
 
「でしょ? えへへ」
 酒も入り、上機嫌な二人。

 成利は再度深いため息をついた。


 少し天然で三平二満《さんぺいじまん》の影武者に天真爛漫《てんしんらんまん》の信長。成利はまるで二人の童の相手をしているようで気苦労が絶えなかった。


「おー、影ちゃん茶屋があるよ。少しここでお茶しようよ!」

「いいですねー」
 信長と影武者は茶屋を見つけ少し足早に向かう。

「ああ、もう全然わかってない!」
 言っているそばから大声で話す二人に、さすがの成利も呆れ果てていた。

 
「蘭ちゃんも早く来なよー。」

「わかりました!!」

 能天気に手を振る信長に苛立ちながら返事する成利だったが、茶屋へ入ると成利はすぐにご機嫌になるのであった。


「お姉さんのおすすめを頂戴」
 お茶を持ってきた茶屋の娘に信長が注文する。

「はーい」と、返事をした娘は一旦奥へ入ると何かをお盆にのせ戻ってくる。
 茶屋の娘が信長達の台に置いた物は甘い香りのする饅頭だった。

「わあぁー美味しそう!」
 成利は思わず笑みをこぼした。

「蘭ちゃんって、甘い物を食べる時は本当に嬉しそうにするよね」
と、信長が言う。

「女子《おなご》は皆、甘い物に目がないのでございます」

「ん、女子……信長様、女子とはどういう事ですか?」
 不思議そうな顔をした影武者に信長は答えた。

「蘭ちゃんって女の子なんだよ」

「ええええぇー!!」

 影武者の大きな声で振り向く茶屋の客達。

 そして、その直後に「ゴンッ」という音が茶屋中に響き渡ると茶屋の客達は二度見する。
 成利は影武者の頭部を刀の鞘で強く叩いたのだ。

「だから、声が大きいと言ってるでしょ! 何回言えばわかるのよ。あなた達は馬鹿なのですか?」
 ブチ切れした成利は立ち上がり大声で二人を説教しだした。

「何度言えばわかってくれるのですか? あなた達は本当に何も考えず毎回毎回、毎回!
童ですか? 少しはまともな大人の行動をしてください。分かりますか? 分かりますよね?」
 もはや止める事ができない成利に信長と影武者はもちろん、他の客までもが黙り込んだのだった。

「ら……蘭ちゃん」

「なんですか!!」

「大きい声出すと他の人に迷惑だよ」

「あっ」


 成利は頬を赤らめ皆に謝罪した。


 信長はそんな成利を「やっぱり可愛いな」と思った。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
注) 饅頭はこの頃まで塩味や味噌味が一般的でしたが、
宣教師が南蛮菓子(カステラや金平糖など)を布教のため配布した事で
甘美な和菓子が誕生するきっかけとなりました。
 まさに信長の時代で甘い菓子が誕生したのです。
 ただ、当時甘味は貴重品で信長は徳川家康などの大名に振舞っても
茶屋で出てくるというのはもう少し先の事だと思います。
 ちょっと話の成り行き上、書いている部分もありますのでご理解頂けるとありがたいです。
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