4 / 32
第4話 四周年
しおりを挟む
俺は、磨いていたグラスをラックに置いた。
「いいですよ。どうぞ」
俺が言うと、女は軽く頭を下げてから木村と一つ席を空けて座ったかと思うと、すぐにスマホを取り出して操作をし始めた。
木村は女を見ながらスツールに腰掛け直すと、俺に苦笑いを見せて首を傾げた。
俺は、それには応えずにわざと真面目な表情で言った。
「早いけど開けるか」
「あー、俺やりますよ」
木村はドアへ向かおうとする俺に言って、今座ったばかりのスツールから勢いよく降りた。
「あっ、ちょっと待ってください」
突然、女が声を上げた。
俺と木村は女の方を見た。
しかし女は何か続きを言うわけでもなく、スマホで文字を打ちながら誰もいない隣の空間に耳をそばだてるような仕草をしたように俺には見えた。
「あっ、いえ……なんでもないです。すみません」
女はスマホから目を離すことなく言った。
木村が俺を見て再び首を傾げると、目配せするように女の方を一瞥し、大丈夫かな、と声に出さずに口を動かした。
俺は、やめろ、というように小さく頭を振った。
俺は気を取り直して、木村に表の看板の設置とドアにオープンの札を提げるのを頼んだ。
「じゃあ、悪い、看板頼むわ」
木村は少し嬉しそうにしてドアへ向かって行った。
彼も彼なりに急にここのバイトを辞めたことに気がひけるところがあり、最後に少しでも何か手伝いたかったのだろう。
× × ×
この店に木村が初めて来たのは、開店して二年が過ぎた3年目の年だった。その頃になると、ある程度新規から馴染みになる客もできていた。
その中には、美樹目当ての客も少なくなかった。俺の経営戦略が功を奏したということだ。
最初、美樹のもつ暗いかげが気にかかり、努めて笑顔でいるように、という約束で雇ったのだが、思いのほか美樹は上手く演じていた。
それでも、その人間のもつ性質というのは滲み出るもので消えるということはなかったのだが、しばらくすると逆にそれが魅力にもなっているということにも気づいた。
事実、俺自身いつからか美樹のことが気になるようになっていた。
そんなふうに、美樹に心を奪われた男の一人に、警備会社の社員だという客がいて、その男が連れてきたのが、当時二十歳の木村だった。
その頃の木村はプロのミュージシャンを目指しながら警備員のバイトをしていて、最初の何度かはその警備会社の男に連れられて来ていたのだが、俺の店でライブをやるようになるのにたいして時間はかからなかった。
それから2年経ち、四周年を迎える頃になると、店はだいぶ軌道に乗っている状態だった。
定着したファンのいる出演者もいて、そういったライブを入れた週末には、客が入りきらないこともあった。
俺は酒を作ったりするために店には出ていたのだが、接客に関してはほとんど美樹に任せていた。
美樹は本人の意向で、大学卒業後は就職せずにそのまま俺の店でバイトを続けていて、仕事とプライベート両方で俺のパートナーになっていた。
俺は、人生が順調に回っている実感を味わった。
だが、美樹よりも俺を夢中にさせていたのは、経営というものだった。
自分のやってきたことが上手く結果に結びつく感触に興奮した。
なので、常連客の中には俺と美樹の関係に気づいて、結婚は? などと聞いてくる者もいたが、そういったことには、店が忙しくて……、などと適当にごまかしていた。
俺は更なる店の発展を目指してバイトを増やすことにした。
今度は美樹とは趣向を変えて、快活な女の子を雇おうと考えたのだが、それには美樹が猛反対した。
美樹は、あなたが経営に注力するのならむしろ店には男手が必要だ、と言いだし、俺が全く店に出なくなるわけではないから大丈夫だ、と言っても納得しなかった。
その時の美樹の頑として譲らない態度は少し異常なほどで、俺は根負けしたかたちで男を雇うことにした。
そして雇ったのが木村だった。
「いいですよ。どうぞ」
俺が言うと、女は軽く頭を下げてから木村と一つ席を空けて座ったかと思うと、すぐにスマホを取り出して操作をし始めた。
木村は女を見ながらスツールに腰掛け直すと、俺に苦笑いを見せて首を傾げた。
俺は、それには応えずにわざと真面目な表情で言った。
「早いけど開けるか」
「あー、俺やりますよ」
木村はドアへ向かおうとする俺に言って、今座ったばかりのスツールから勢いよく降りた。
「あっ、ちょっと待ってください」
突然、女が声を上げた。
俺と木村は女の方を見た。
しかし女は何か続きを言うわけでもなく、スマホで文字を打ちながら誰もいない隣の空間に耳をそばだてるような仕草をしたように俺には見えた。
「あっ、いえ……なんでもないです。すみません」
女はスマホから目を離すことなく言った。
木村が俺を見て再び首を傾げると、目配せするように女の方を一瞥し、大丈夫かな、と声に出さずに口を動かした。
俺は、やめろ、というように小さく頭を振った。
俺は気を取り直して、木村に表の看板の設置とドアにオープンの札を提げるのを頼んだ。
「じゃあ、悪い、看板頼むわ」
木村は少し嬉しそうにしてドアへ向かって行った。
彼も彼なりに急にここのバイトを辞めたことに気がひけるところがあり、最後に少しでも何か手伝いたかったのだろう。
× × ×
この店に木村が初めて来たのは、開店して二年が過ぎた3年目の年だった。その頃になると、ある程度新規から馴染みになる客もできていた。
その中には、美樹目当ての客も少なくなかった。俺の経営戦略が功を奏したということだ。
最初、美樹のもつ暗いかげが気にかかり、努めて笑顔でいるように、という約束で雇ったのだが、思いのほか美樹は上手く演じていた。
それでも、その人間のもつ性質というのは滲み出るもので消えるということはなかったのだが、しばらくすると逆にそれが魅力にもなっているということにも気づいた。
事実、俺自身いつからか美樹のことが気になるようになっていた。
そんなふうに、美樹に心を奪われた男の一人に、警備会社の社員だという客がいて、その男が連れてきたのが、当時二十歳の木村だった。
その頃の木村はプロのミュージシャンを目指しながら警備員のバイトをしていて、最初の何度かはその警備会社の男に連れられて来ていたのだが、俺の店でライブをやるようになるのにたいして時間はかからなかった。
それから2年経ち、四周年を迎える頃になると、店はだいぶ軌道に乗っている状態だった。
定着したファンのいる出演者もいて、そういったライブを入れた週末には、客が入りきらないこともあった。
俺は酒を作ったりするために店には出ていたのだが、接客に関してはほとんど美樹に任せていた。
美樹は本人の意向で、大学卒業後は就職せずにそのまま俺の店でバイトを続けていて、仕事とプライベート両方で俺のパートナーになっていた。
俺は、人生が順調に回っている実感を味わった。
だが、美樹よりも俺を夢中にさせていたのは、経営というものだった。
自分のやってきたことが上手く結果に結びつく感触に興奮した。
なので、常連客の中には俺と美樹の関係に気づいて、結婚は? などと聞いてくる者もいたが、そういったことには、店が忙しくて……、などと適当にごまかしていた。
俺は更なる店の発展を目指してバイトを増やすことにした。
今度は美樹とは趣向を変えて、快活な女の子を雇おうと考えたのだが、それには美樹が猛反対した。
美樹は、あなたが経営に注力するのならむしろ店には男手が必要だ、と言いだし、俺が全く店に出なくなるわけではないから大丈夫だ、と言っても納得しなかった。
その時の美樹の頑として譲らない態度は少し異常なほどで、俺は根負けしたかたちで男を雇うことにした。
そして雇ったのが木村だった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
RoomNunmber「000」
誠奈
ミステリー
ある日突然届いた一通のメール。
そこには、報酬を与える代わりに、ある人物を誘拐するよう書かれていて……
丁度金に困っていた翔真は、訝しみつつも依頼を受け入れ、幼馴染の智樹を誘い、実行に移す……が、そこである事件に巻き込まれてしまう。
二人は密室となった部屋から出ることは出来るのだろうか?
※この作品は、以前別サイトにて公開していた物を、作者名及び、登場人物の名称等加筆修正を加えた上で公開しております。
※BL要素かなり薄いですが、匂わせ程度にはありますのでご注意を。
何の変哲もない違和感
遊楽部八雲
ミステリー
日常に潜む違和感を多彩なジャンル、表現で描く恐怖の非日常!
日本SFのパイオニア、星新一を彷彿とさせる独特な言い回し、秀逸な結末でお送りする至高の傑作短編集!!
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
リモート刑事 笹本翔
雨垂 一滴
ミステリー
『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!
【ショートショート】おやすみ
樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
恋愛
◆こちらは声劇用台本になりますが普通に読んで頂いても癒される作品になっています。
声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。
⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠
・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します)
・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。
その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
梟(ふくろう)
つっちーfrom千葉
ミステリー
ヒッチコック監督の『サイコ』という映画を下敷きにして、この文章を書いてみました。社会に馴染めない根暗で気の弱い男が、ほとんど自意識の無いままに同僚の女性を殺害するまでの、数日間の生活の記録です。殺害をほのめかす供述はありますが、殺害シーンと残酷描写はありません。
この作品のような動機のみがはっきりしない殺人事件のケースにおいても、警察側は状況証拠の積み重ねにより有罪に持ち込むと思われます。しかし、弁護側に冤罪の可能性を追及される余地を多分に残すことにはなると思われます。
この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
それこそが、赤い満月へと至るのだろうか――
『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。
更なる発展を掲げ、電波塔計画が進められ……そして二〇一二年の八月、地図から消えた街。
鬼の伝承に浸食されていく混沌の街で、再び二週間の物語は幕を開ける。
古くより伝えられてきた、赤い満月が昇るその夜まで。
オートマティスム、鬼封じの池、『八〇二』の数字。
ムーンスパロー、周波数帯、デリンジャー現象。
ブラッドムーン、潮汐力、盈虧院……。
ほら、また頭の中に響いてくる鬼の声。
逃れられない惨劇へ向けて、私たちはただ日々を重ねていく――。
出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる