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時は動く

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 清麻呂の絶叫に釣られて清仁も叫ぶ。清麻呂は驚きでシャツを放り投げた後、慌てて拾い上げ、大粒の涙を惜しげなく晒した。

「わ、わ、私の家宝がぁ……!」

 地面に崩れ落ち、原型を留めていない布切れを抱きしめる清麻呂の傍にしゃがみ込んでみるが、肩に手を当てることすら出来ない。

「清麻呂さん……」
「清仁ォ……ううう……ッ」

 大の大人がTシャツ一枚で地球最後の日の如く号泣している。しかし、彼にはそれだけ大切なものだったのだ。軽い気分で上げた三枚二千円のTシャツが。

「あの、なんて言ったらいいか」
「くぅ……ぅぅ」
「とりあえず、中に入りましょう。道で蹲っていては目立ちます」

 しかもそれが正四位下の和気清麻呂と分かれば、たちまち噂は広まるだろう。どうにか起こし、よろよろする体を支えながら家に入る。

 火事も大きくなる前に防げたことだし時間が経てば落ち着くかと思われたが、一向に清麻呂の気分が上昇することはなく、陽が沈み始めた頃ようやく動き出した清麻呂は、何を思ったのか家の者を全て庭に集めた。始終無言なのが恐怖を駆り立て、清仁はそれを否定せず、ただただ清麻呂から距離を取って立っていた。

 どこから持ち出したのか、小箱を開けた清麻呂が布きれをそこに入れる。それを従者に命じ浅く開けさせた穴に置き、丁寧に埋めた。

――埋葬した!?

 一人混乱する清仁をよそに、清麻呂が憔悴しきった顔で口を開いた。

「分かったぞ清仁。お前の悲しみが。失って初めて知るとは、私もまだまだ未熟」
「なるほど?」

 疑問形になってしまうくらい、展開についていかれない。そんな清仁の心を放って、背筋を伸ばした清麻呂が清仁の手を掴んだ。

「皆は休むように。車だけ頼む」
「承知しました」
「どこか行くんですか?」
「私の屋敷に火が放たれたのだ。その所為で私のかほ、家宝がッ今すぐ進言せねばならん」

――進言って言ったぞこの人!

 こちらの意見を聞かぬまま、清麻呂は車へ清仁を押し込んだ。そのまま牛車は進む。とてものんびりした速度であるが、牛は精いっぱいの速さで進んだ。

「祟りじゃないって国守さん言ってたじゃないですか。これだって、どっかの焚火の火が移ったとか放火とか」
「放火は大罪だろ! それに、祟りかどうかではない。私の家が燃やされた。悪いことが起きている。ここが重要なのだ。現状を変えねばならん」
「ゲン担ぎってことですか。まあ、放火はダメですね」

 確かに、現代ですら何かが起きる前に祈祷をする。厄年という理由だけで祈祷をする。行動を起こして、自分自身の気持ちを変える。これが大事なのかもしれない。清仁は身を乗り出した。

「いきなり行って、会ってくれますかね」
「私を誰だと思っている。桓武天皇に再遷都を進言した男なのだろう」
「歴史上ではそうですけど」

 今がそうとは限らない。僅かな不安を残し、牛が重そうに坂道を上って宮殿にたどり着いた。

「なんか町よりずいぶん高い位置にあるんですね」
「天皇の権威を示すためだそうだ」
「へえ、めんどくさ」

「面倒くさいと言ったか!」
「言いました」
「まあ面倒だが!」

 興奮が冷め止まない清麻呂が勢いのまま門を潜る。さっそく門番に止められた。

「和気清麻呂だ。通してくれ」
「天皇はお休みされております。失礼ですが、なんの御用でしょう」
「緊急事態だ。今すぐ天皇に会わないといけない。今すぐ!」
「は、はいッ」

 あまりの緊迫した雰囲気に、門番の一人が慌てて走っていく。さすがは側近、伊達ではないらしい。

「でも、前も一回伝えた時はダメでしたよ」
「真剣みが足りなかった。今回は大丈夫」

 やる気が満ち溢れている。これなら本当に成功するかもしれない。清仁は懐に手を当てた。未来が、戻ってくるかもしれない。

 通された間でしばらく待っていると、桓武天皇が姿を現した。頭を垂れて天皇の出方を窺う。

「どうしたいきなり。緊急だと言っていたが本当か?」

 内心、心拍数が爆上がりしていた清仁は胸を撫で下ろした。どうやら、突然の訪問を怒ってはいないようだ。清麻呂が頭を上げて言う。

「天皇。やはり祟りの力は衰えていませんでした。実は先ほど、拙宅に火が放たれたのです。祟りの範囲が広がりつつあるのやもしれません」

「何! 怪我人は出たのか!」

「いえ、幸い気が付いたのが早く、最小限の被害で済みましたが……私の家宝が……かほッぅぅ」

「なんと……」

 悲しみをぶり返した清麻呂が言葉を詰まらせながら訴える。桓武天皇が一歩近づき、言った。

「それは難儀なことだった。どれ、それ相応の宝をやろう。気の持ちようでどうとでもなる」
「ダメじゃん」

 ダメだった。

 初対面だった頃の桓武天皇とは打って変わって、ここまで真剣に訴えてもどこを吹く風。別人にも見える。こうまでなったのは自分に責任がある。清仁は京都の未来と、絶望を背負った清麻呂に懺悔した。

「すまない。私は出来損ないの男だった」
「気にしないでください。また今度挑戦しましょう」
「いや、私は出来損ないだが、用心深いのだ」

 今度は絶望をぶん投げて心底悪い笑みを浮かべ始めた。清仁は気でも狂ったのかと思った。それほどに凶悪な顔面だった。

――ラスボスの後に出てくる真のラスボスみたい。実は味方だと思ってたら敵だったってやつ。

「まだ落ち着いていないだろう。欲しい物が思いついたら、また来るといい」
「では、そろそろ」
「ややッあれは何事!」
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