俯く俺たちに告ぐ

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雨のち雨が上がれば晴れ

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 堅苦しいスーツを脱ぎ、ワイシャツの袖を肘までまくる。昨日連絡をしておいたから、俺が会場に入っただけで気付いてくれ、こちらへばたばた走ってきてくれた。気の知れた相手でないと許されない所作で、手を挙げながら挨拶をする。今日は真夏日になると言っていた。

「やってますね」

 以前、八代さんの助言で俺が新たにキャラクターを投入しようと提案したイベントが開催されると聞いて、様子を見に手土産を持ってやってきた。増本さんが俺を見つけて小走りに近づいてくる。相変わらず愛想の良い笑顔で、器用にぺこぺこ会釈しながら走るのに笑ってしまった。

「高田さん! わざわざすみません」

 目尻の皺が、彼の過去を表している気がして、こちらも自然と穏やかな顔になる。小さな部分にまで目が行くようになったのも、つい最近だ。

「いえ、新しいイベントですからね。私も気になっていまして。あ、これ少しですが」

 近くで買った菓子の詰め合わせを渡す。汚れていないのにごしごし服で手のひらを拭いて、恐縮して受け取る姿からすら今までにないパワーを感じ、提案して良かったと心から思えた。

 これも八代さんのおかげだ。きっと八代さんが聞けば「提案して成功させたのはお前だろ」と言ってくれるだろうが、やはり八代さんがいなければこうはならなかった。ここにいる皆の笑顔を八代さんに見せたくなった。俺の顔も、もちろん。

「イベントの様子、裏から見せて頂いても宜しいでしょうか」
「お時間があれば是非!」

 すでにキャラクターショーを子どもと見る年齢からも外れてしまった大人たちが、一斉に同じ方向を向いてきらきら光っている。子どもの手が放れ、ややもすれば孫だっている年代もいるだろうに。やれここの席からではステージが観にくいだの、袖からキャラクターが見えてしまわないようにだの、一つ一つ細かいところにまでこだわって作業する。幼い頃に観たヒーローショーを、今も変わらずに輝かせている大人たち。

 もう、未来が見えないがため、惰性で仕事をする姿を見ることはない。これが仕事をするということだ。与える側、与えられる側、どちらが欠けても叶わない。俺はこの顔が見たくてこの仕事を選んだのだ。やっと理解出来た。何年もかかるなんて、大人になっても簡単なこと程見えないんだな。

 セットが組み上がり、三十分もしない内に親子連れや小学生が列を作る。キャラクターの知名度もあるだろうが、イベントの内容や場所設定はこの会社で企画から行った。それらの成果がさっそく表れていて、自分が少しでも携われたことに胸が熱くなる。

 決して大きくない、見る人が見ればちっぽけなイベントだろう。しかし、大事な一歩だ。会社と会社が手を繋いで、社会に変化をもたらせて、そこにいる人々の未来を一緒に歩んでいく。仕事の周りに花が咲き誇っていることをようやく知った。

「もうすぐ本番ですね」

 増本さんが席に座る客を真剣な瞳で見つめている。

「緊張していますか?」

 まるで自分に問いかけているようだった。

「いやあ、それより嬉しいんです。こんなに集まってくれて、その子たちの瞳が輝いてるのが。これだからこの仕事は辞められない」

「そうですね。私も辞められません」

 やりがいというものに、ようやく出会えた。これは絶対手放したくない宝物だ、一生ものの。

 視線を前に戻し、客席の後ろ側からステージを眺める。進行役の女性が出てきて、マイクに声を乗せて子どもたちに笑顔を贈った。

「みんなー、おまたせー! もうすぐ登場だよ。準備はいいかな?」
「はあーい!」
「ステージには上がらず、席で良い子に観ようねー」
「はあーい!」

「さあ、それでは登場です。拍手ゥ!」
「きゃあああ!」
「やったぁ~」

 盛大な拍手が、子どもたちの歓声が、俺たちを巻き込んで会場中を包み込んだ。

 大盛況でイベントは幕を閉じ、すんなり帰っていく子どもよりも、帰りたくないと駄々をこねたりグッズ売り場に並ぶ子どもの方が多く見受けられる。今までのイベントとは大きく違っている。うずうず、知らずに手が動いてしまう。

「増本さん、ご苦労様です」
「有難う御座います。高田さんのおかげです。あの時提案してくださらなかったら、今頃前と変わらない中途半端なままでした」

 深々と下げられる頭が増本さんの感謝の重さを表していて、役立ててよかった反面仕事の重大さを痛感する。

「いえ、私の方こそもっと早く新しい提案が出来なかったかと後悔していたくらいなので、申し訳ない気持ちです」

「とんでもない! 今までだってこちらの要望には応えてくださっていました。それ以上のことをしてくださった、当事者である我々だって躊躇していたことを後押ししてくださったことを感謝しているんです」

「そう、でしょうか。私も、変われたでしょうか」

 八代さんに言われたことがきっかけだが、提案の内容は俺が決めた。どこかでこれでちゃんと成功するのか不安だった。

 もし、あの頃の俺だったら、失敗した時に「八代さんに言われたから」と言い訳していたかもしれない。成功しても「八代さんの言う通りにしただけだ」と拗ねたかもしれない。未来を切り開くのは、自分がしてきた過去だ。自分の歩いた道だけが良い未来も悪い未来も知っている。増本さんが笑った。

「ええ、高田さん晴れやかな顔しています。以前は疲れた様子も見受けられましたが、今は顔色も良くなって、そんな高田さんにこちらも頑張らなければと奮い立たされますよ」

「これは……次お会いする時が怖いですね」
「ハードル上げてしまいましたか」
「はい。有難う御座います」

 一つの形の戦友同士が笑い合った。

 イベントの撤収作業が終わる頃、増本さんにお辞儀をして立ち上がる。

「それでは、今日はお忙しいところお邪魔しました」
「わざわざいらしてくださって、こちらもお見せすることが出来て良かったです。この後もお仕事ですか」

 空を仰ぐ。涼しげな風が俺の頬をくすぐった。

「いえ、休日なので仕事は切り上げます」
「お疲れ様です」
「はい」

 右手を挙げたら、増本さんも同じように挙げる。一瞬の沈黙が覆い、どちらからともなく意地悪い、幼い笑いが漏れた。「はは」「ふふ」過った考えが可笑しくて、増本さんの横を通り過ぎる時に、俺は右手を前に振る。

 パンッ。

 心地良い音、高校生以来にハイタッチという恥ずかしい行為をして、心臓が頭にあるくらい高揚していた。これは良い。言葉無く、増本さんと別れる。

「あ~~~~~~ッ太陽が眩しい!」

 大笑いしたい気持ちを胸に空を仰ぐ。

 実に穏やかな天気だ。

「さて、報告に行くか」
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