38 / 40
雨のち雨が上がれば晴れ
5
しおりを挟む
堅苦しいスーツを脱ぎ、ワイシャツの袖を肘までまくる。昨日連絡をしておいたから、俺が会場に入っただけで気付いてくれ、こちらへばたばた走ってきてくれた。気の知れた相手でないと許されない所作で、手を挙げながら挨拶をする。今日は真夏日になると言っていた。
「やってますね」
以前、八代さんの助言で俺が新たにキャラクターを投入しようと提案したイベントが開催されると聞いて、様子を見に手土産を持ってやってきた。増本さんが俺を見つけて小走りに近づいてくる。相変わらず愛想の良い笑顔で、器用にぺこぺこ会釈しながら走るのに笑ってしまった。
「高田さん! わざわざすみません」
目尻の皺が、彼の過去を表している気がして、こちらも自然と穏やかな顔になる。小さな部分にまで目が行くようになったのも、つい最近だ。
「いえ、新しいイベントですからね。私も気になっていまして。あ、これ少しですが」
近くで買った菓子の詰め合わせを渡す。汚れていないのにごしごし服で手のひらを拭いて、恐縮して受け取る姿からすら今までにないパワーを感じ、提案して良かったと心から思えた。
これも八代さんのおかげだ。きっと八代さんが聞けば「提案して成功させたのはお前だろ」と言ってくれるだろうが、やはり八代さんがいなければこうはならなかった。ここにいる皆の笑顔を八代さんに見せたくなった。俺の顔も、もちろん。
「イベントの様子、裏から見せて頂いても宜しいでしょうか」
「お時間があれば是非!」
すでにキャラクターショーを子どもと見る年齢からも外れてしまった大人たちが、一斉に同じ方向を向いてきらきら光っている。子どもの手が放れ、ややもすれば孫だっている年代もいるだろうに。やれここの席からではステージが観にくいだの、袖からキャラクターが見えてしまわないようにだの、一つ一つ細かいところにまでこだわって作業する。幼い頃に観たヒーローショーを、今も変わらずに輝かせている大人たち。
もう、未来が見えないがため、惰性で仕事をする姿を見ることはない。これが仕事をするということだ。与える側、与えられる側、どちらが欠けても叶わない。俺はこの顔が見たくてこの仕事を選んだのだ。やっと理解出来た。何年もかかるなんて、大人になっても簡単なこと程見えないんだな。
セットが組み上がり、三十分もしない内に親子連れや小学生が列を作る。キャラクターの知名度もあるだろうが、イベントの内容や場所設定はこの会社で企画から行った。それらの成果がさっそく表れていて、自分が少しでも携われたことに胸が熱くなる。
決して大きくない、見る人が見ればちっぽけなイベントだろう。しかし、大事な一歩だ。会社と会社が手を繋いで、社会に変化をもたらせて、そこにいる人々の未来を一緒に歩んでいく。仕事の周りに花が咲き誇っていることをようやく知った。
「もうすぐ本番ですね」
増本さんが席に座る客を真剣な瞳で見つめている。
「緊張していますか?」
まるで自分に問いかけているようだった。
「いやあ、それより嬉しいんです。こんなに集まってくれて、その子たちの瞳が輝いてるのが。これだからこの仕事は辞められない」
「そうですね。私も辞められません」
やりがいというものに、ようやく出会えた。これは絶対手放したくない宝物だ、一生ものの。
視線を前に戻し、客席の後ろ側からステージを眺める。進行役の女性が出てきて、マイクに声を乗せて子どもたちに笑顔を贈った。
「みんなー、おまたせー! もうすぐ登場だよ。準備はいいかな?」
「はあーい!」
「ステージには上がらず、席で良い子に観ようねー」
「はあーい!」
「さあ、それでは登場です。拍手ゥ!」
「きゃあああ!」
「やったぁ~」
盛大な拍手が、子どもたちの歓声が、俺たちを巻き込んで会場中を包み込んだ。
大盛況でイベントは幕を閉じ、すんなり帰っていく子どもよりも、帰りたくないと駄々をこねたりグッズ売り場に並ぶ子どもの方が多く見受けられる。今までのイベントとは大きく違っている。うずうず、知らずに手が動いてしまう。
「増本さん、ご苦労様です」
「有難う御座います。高田さんのおかげです。あの時提案してくださらなかったら、今頃前と変わらない中途半端なままでした」
深々と下げられる頭が増本さんの感謝の重さを表していて、役立ててよかった反面仕事の重大さを痛感する。
「いえ、私の方こそもっと早く新しい提案が出来なかったかと後悔していたくらいなので、申し訳ない気持ちです」
「とんでもない! 今までだってこちらの要望には応えてくださっていました。それ以上のことをしてくださった、当事者である我々だって躊躇していたことを後押ししてくださったことを感謝しているんです」
「そう、でしょうか。私も、変われたでしょうか」
八代さんに言われたことがきっかけだが、提案の内容は俺が決めた。どこかでこれでちゃんと成功するのか不安だった。
もし、あの頃の俺だったら、失敗した時に「八代さんに言われたから」と言い訳していたかもしれない。成功しても「八代さんの言う通りにしただけだ」と拗ねたかもしれない。未来を切り開くのは、自分がしてきた過去だ。自分の歩いた道だけが良い未来も悪い未来も知っている。増本さんが笑った。
「ええ、高田さん晴れやかな顔しています。以前は疲れた様子も見受けられましたが、今は顔色も良くなって、そんな高田さんにこちらも頑張らなければと奮い立たされますよ」
「これは……次お会いする時が怖いですね」
「ハードル上げてしまいましたか」
「はい。有難う御座います」
一つの形の戦友同士が笑い合った。
イベントの撤収作業が終わる頃、増本さんにお辞儀をして立ち上がる。
「それでは、今日はお忙しいところお邪魔しました」
「わざわざいらしてくださって、こちらもお見せすることが出来て良かったです。この後もお仕事ですか」
空を仰ぐ。涼しげな風が俺の頬をくすぐった。
「いえ、休日なので仕事は切り上げます」
「お疲れ様です」
「はい」
右手を挙げたら、増本さんも同じように挙げる。一瞬の沈黙が覆い、どちらからともなく意地悪い、幼い笑いが漏れた。「はは」「ふふ」過った考えが可笑しくて、増本さんの横を通り過ぎる時に、俺は右手を前に振る。
パンッ。
心地良い音、高校生以来にハイタッチという恥ずかしい行為をして、心臓が頭にあるくらい高揚していた。これは良い。言葉無く、増本さんと別れる。
「あ~~~~~~ッ太陽が眩しい!」
大笑いしたい気持ちを胸に空を仰ぐ。
実に穏やかな天気だ。
「さて、報告に行くか」
「やってますね」
以前、八代さんの助言で俺が新たにキャラクターを投入しようと提案したイベントが開催されると聞いて、様子を見に手土産を持ってやってきた。増本さんが俺を見つけて小走りに近づいてくる。相変わらず愛想の良い笑顔で、器用にぺこぺこ会釈しながら走るのに笑ってしまった。
「高田さん! わざわざすみません」
目尻の皺が、彼の過去を表している気がして、こちらも自然と穏やかな顔になる。小さな部分にまで目が行くようになったのも、つい最近だ。
「いえ、新しいイベントですからね。私も気になっていまして。あ、これ少しですが」
近くで買った菓子の詰め合わせを渡す。汚れていないのにごしごし服で手のひらを拭いて、恐縮して受け取る姿からすら今までにないパワーを感じ、提案して良かったと心から思えた。
これも八代さんのおかげだ。きっと八代さんが聞けば「提案して成功させたのはお前だろ」と言ってくれるだろうが、やはり八代さんがいなければこうはならなかった。ここにいる皆の笑顔を八代さんに見せたくなった。俺の顔も、もちろん。
「イベントの様子、裏から見せて頂いても宜しいでしょうか」
「お時間があれば是非!」
すでにキャラクターショーを子どもと見る年齢からも外れてしまった大人たちが、一斉に同じ方向を向いてきらきら光っている。子どもの手が放れ、ややもすれば孫だっている年代もいるだろうに。やれここの席からではステージが観にくいだの、袖からキャラクターが見えてしまわないようにだの、一つ一つ細かいところにまでこだわって作業する。幼い頃に観たヒーローショーを、今も変わらずに輝かせている大人たち。
もう、未来が見えないがため、惰性で仕事をする姿を見ることはない。これが仕事をするということだ。与える側、与えられる側、どちらが欠けても叶わない。俺はこの顔が見たくてこの仕事を選んだのだ。やっと理解出来た。何年もかかるなんて、大人になっても簡単なこと程見えないんだな。
セットが組み上がり、三十分もしない内に親子連れや小学生が列を作る。キャラクターの知名度もあるだろうが、イベントの内容や場所設定はこの会社で企画から行った。それらの成果がさっそく表れていて、自分が少しでも携われたことに胸が熱くなる。
決して大きくない、見る人が見ればちっぽけなイベントだろう。しかし、大事な一歩だ。会社と会社が手を繋いで、社会に変化をもたらせて、そこにいる人々の未来を一緒に歩んでいく。仕事の周りに花が咲き誇っていることをようやく知った。
「もうすぐ本番ですね」
増本さんが席に座る客を真剣な瞳で見つめている。
「緊張していますか?」
まるで自分に問いかけているようだった。
「いやあ、それより嬉しいんです。こんなに集まってくれて、その子たちの瞳が輝いてるのが。これだからこの仕事は辞められない」
「そうですね。私も辞められません」
やりがいというものに、ようやく出会えた。これは絶対手放したくない宝物だ、一生ものの。
視線を前に戻し、客席の後ろ側からステージを眺める。進行役の女性が出てきて、マイクに声を乗せて子どもたちに笑顔を贈った。
「みんなー、おまたせー! もうすぐ登場だよ。準備はいいかな?」
「はあーい!」
「ステージには上がらず、席で良い子に観ようねー」
「はあーい!」
「さあ、それでは登場です。拍手ゥ!」
「きゃあああ!」
「やったぁ~」
盛大な拍手が、子どもたちの歓声が、俺たちを巻き込んで会場中を包み込んだ。
大盛況でイベントは幕を閉じ、すんなり帰っていく子どもよりも、帰りたくないと駄々をこねたりグッズ売り場に並ぶ子どもの方が多く見受けられる。今までのイベントとは大きく違っている。うずうず、知らずに手が動いてしまう。
「増本さん、ご苦労様です」
「有難う御座います。高田さんのおかげです。あの時提案してくださらなかったら、今頃前と変わらない中途半端なままでした」
深々と下げられる頭が増本さんの感謝の重さを表していて、役立ててよかった反面仕事の重大さを痛感する。
「いえ、私の方こそもっと早く新しい提案が出来なかったかと後悔していたくらいなので、申し訳ない気持ちです」
「とんでもない! 今までだってこちらの要望には応えてくださっていました。それ以上のことをしてくださった、当事者である我々だって躊躇していたことを後押ししてくださったことを感謝しているんです」
「そう、でしょうか。私も、変われたでしょうか」
八代さんに言われたことがきっかけだが、提案の内容は俺が決めた。どこかでこれでちゃんと成功するのか不安だった。
もし、あの頃の俺だったら、失敗した時に「八代さんに言われたから」と言い訳していたかもしれない。成功しても「八代さんの言う通りにしただけだ」と拗ねたかもしれない。未来を切り開くのは、自分がしてきた過去だ。自分の歩いた道だけが良い未来も悪い未来も知っている。増本さんが笑った。
「ええ、高田さん晴れやかな顔しています。以前は疲れた様子も見受けられましたが、今は顔色も良くなって、そんな高田さんにこちらも頑張らなければと奮い立たされますよ」
「これは……次お会いする時が怖いですね」
「ハードル上げてしまいましたか」
「はい。有難う御座います」
一つの形の戦友同士が笑い合った。
イベントの撤収作業が終わる頃、増本さんにお辞儀をして立ち上がる。
「それでは、今日はお忙しいところお邪魔しました」
「わざわざいらしてくださって、こちらもお見せすることが出来て良かったです。この後もお仕事ですか」
空を仰ぐ。涼しげな風が俺の頬をくすぐった。
「いえ、休日なので仕事は切り上げます」
「お疲れ様です」
「はい」
右手を挙げたら、増本さんも同じように挙げる。一瞬の沈黙が覆い、どちらからともなく意地悪い、幼い笑いが漏れた。「はは」「ふふ」過った考えが可笑しくて、増本さんの横を通り過ぎる時に、俺は右手を前に振る。
パンッ。
心地良い音、高校生以来にハイタッチという恥ずかしい行為をして、心臓が頭にあるくらい高揚していた。これは良い。言葉無く、増本さんと別れる。
「あ~~~~~~ッ太陽が眩しい!」
大笑いしたい気持ちを胸に空を仰ぐ。
実に穏やかな天気だ。
「さて、報告に行くか」
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【完結】天使くん、バイバイ!
卯崎瑛珠
青春
余命わずかな君が僕にくれた大切な時間が、キラキラと輝く宝石みたいな、かけがえのない思い出になった。
『天使くん』の起こした奇跡が、今でも僕の胸にあるから、笑顔でさよならが言えるよ――
海も山もある、とある地方の小規模な都市『しらうみ市』。市立しらうみ北高校二年三組に通うユキナリは、突然やってきた転校生・天乃 透羽(あまの とわ)に振り回されることとなる。転校初日に登校した後は不登校を続けていたのに、ある日を境に「僕は、天使になる」と公言して登校し、みんなと積極的に関わろうとするのだ。
お人好しのユキナリは、天乃家の近所だったこともあり、世話を焼く羽目に。猪突猛進でひねくれていて、自己中でわがままなトワに辟易したものの、彼の余命がわずかなことを知ってしまう。
友達、作ったことない!ゲーセン、行ったことない!海、入ったことない!と初めてづくしのトワに翻弄されるユキナリは、自分がいかに無気力で流されて生きてきたかを悟り、勝手に恥ずかしくなる。クラスメイトのアンジも、ユキナリとともにトワをフォローするうちに、どこか様子がおかしくなってくる。
喧嘩や恋、いじめやマウント。将来への不安と家庭環境。高校生なりのたくさんのことをめいいっぱいやり切って、悔いなく駆け抜けた三人の男子高校生の眩しい日々は、いよいよ終わりを迎えようとしていた――そこでユキナリは、ある大きな決断をする。
一生忘れない、みんなと天使くんとの、アオハル。
表紙イラスト:相田えい様(Xアカウント@ei20055)
※無断転載・学習等を禁じます。
※DO NOT Reuploaded
神様自学
天ノ谷 霙
青春
ここは霜月神社。そこの神様からとある役職を授かる夕音(ゆうね)。
それは恋心を感じることができる、不思議な力を使う役職だった。
自分の恋心を中心に様々な人の心の変化、思春期特有の感情が溢れていく。
果たして、神様の裏側にある悲しい過去とは。
人の恋心は、どうなるのだろうか。
矢倉さんは守りが固い
香澄 翔
青春
美人な矢倉さんは守りが固い。
いつもしっかり守り切ります。
僕はこの鉄壁の守りを崩して、いつか矢倉さんを攻略できるのでしょうか?
将棋部に所属する二人の、ふんわり将棋系日常らぶこめです。
将棋要素は少なめなので、将棋を知らなくても楽しめます。
リリィ
あきらつかさ
青春
「私」はある日の放課後、それまで接点のなかったクラスメイト・坂田木と話す機会を得た。
その日一緒に下校して、はじめて坂田木のことを知って興味を抱く。
そして、急に告白。
それから私は、坂田木のことを意識するようになった。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる