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時には曇天
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ある日の夕方、フロアに入ると待っていたとばかりに手を振られた。
「おー高田! 救世主!」
青鬼の手のひらを返した物言いにげんなり思いながら、愛想笑いを張り付けて会釈する。相手をよく”見ている”八代さんもこんな気分だったのだろうか。俺も昔はその内の一人だったわけだ。腹の底がこそばゆい。
きっと青鬼も嫌味ではなく、本当に褒めてくれているのだろう。しかし、当人には都合のいい持ち上げは嘘くさく聞こえてしまうことをやっと思い知った。人の振り見て我が振り直せとはこのことか。青鬼は、俺の前まで寄ってきて肩を軽く組んできた。満面の笑み付だ。こんなことはもちろん、入社以来初めての経験である。
「いやー! 高田が取ったクジームが結構なところでな。ほら、先週俺も挨拶に行っただろ。それのお礼だとかで電話をもらったんだが、元々の話では既存イベントのプロデュースを引き継ぐだけだったのが、高田を気に入ってくれて、イベントサイト立ち上げも任せようか検討してくれてるそうだ! もし決まれば、それだけで今期のノルマ超えそうだぞ」
「ほ、ほんとですか」
異常に上機嫌な訳が分かった。これはさすがに動揺も隠せない。今回受注したプロデュース案件だって、毎年行われる大規模なイベントだから通常の倍は請求出来るところで喜んでいたのに、さらに新規サイトの立ち上げもだなんて。確かに水谷さんと会った時に新規サイトの話は出ていたが、まさかこちらに振ってくるとは思いもしなかった。
もし本当に、この話が現実となれば、一千万円は下らない大型受注になる。通常の場合、大騒ぎされて精々数百万である。俺にとっても会社にとっても、かなり重要な局面にいることを理解した。
「デザインだけじゃなくてシステム関連……サイト全体を任せてくれるってことですか」
うちはあくまでイベントをプロデュースする会社のため、イベントサイトなどのインターネットサービスに関してはオプション的な扱いでデザイン部門しかない。更新作業を受注した場合はシステムを外注で頼んでいるので、全体を任されるのであれば、外注に依頼するにも時間と人数が必要になる。
何故、サイト作成をメインで行う大手企業ではなく、うちを選んだのかいまいち理解に苦しむ。頷く青鬼を見て、大変なことになった驚きの気持ちと初めての案件に心浮つく気持ちが、ぐるぐる体中を駆け巡った。
──でも、面白い!
やっと仕事の面白さを感じた気がする。やりがいという言葉が頭の中を駆けていく。こうしてはいられない。水谷さんに連絡をしてみよう。
まずは、当面受注したイベントの進捗を聞いてみて相手の出方を探る。こちらは親身になって考えている一営業マンで、印象を少しでも良くするのだ。姑息だと言われようが、こちらだってビジネス。全く真正直に「新規サイトの立ち上げはうちに任せてください」など最初からぐいぐいいってしまっては、受注出来るものも出来なくなる。さっそくスマートフォンを取り出し、水谷さんの番号を探った。
「はい、はい。有難う御座います!」
見えない相手に、立って何度もお辞儀をしながら通話を終わらせる。息を吐いて背もたれにもたれて座ると青鬼が飛んできて、顔面凶器みたいな表情でデスクに手を付かれた。
──威圧感ばかり先行するけど、この人も営業なんだよなぁ。課長になったんだから、それなりの成果を残してきたんだろ。この顔面で。ある意味すごい。
「ど、どうだっ」
俺は無言でピースサインだけ出す。
「まだ内々定ってとこですけど、イベントが今年で十周年なので、記念してイベントサイトを立ち上げることが決定したのは本当みたいです。で、予定が決まれば多分うちに……というニュアンスの言葉は頂けました」
青鬼の染みついた眉間の皺が、じわじわ緩まっていく。デスクに置いていた両手を乱暴に掴まれ、無理やり頭上に上げさせられる。
「やったー! 救世主!」
「違いますって! まだ内々定で、それに恥ずかしいです!」
「これが黙ってられるか! おーい、今日は営業で飲み会だ」
すでに受注が決まったような素振りの青鬼に、俺は赤くなったり青くなったり忙しい。事の次第を盗み聞きしていた周りの連中も、青鬼に乗っかって盛り上がりだした。荒田なんか俺より真っ赤にしながらジャンプしている。スカートではしゃがないでくれ。これだから営業は。俺も盛り上がっている人間がいると、積極的に輪に入って叫びたくなる同じ種類の人間だけれども。
「あ」
俺がふいに声を上げて青鬼が振り向く。
「どうした、高田。今日都合が悪いなんて言うなよ?」
「いえいえ、そんなことは!」
笑顔で飲み会を強制してくる青鬼は置いておくとして、重大なことに気が付いてしまった。
「俺、イベントの現場に行く仕事しかやってなかったんで、更新作業以外はサイトの立ち上げなんて案件全然分からないんですけど……サイトのデザインの流行とか攻め方とか、そもそもネット関連の知識も無いしどうやってやるんですかね?」
言い終わるや否や青鬼の鉄拳がこめかみを貫いた。
「研修でやっただろうがぁ!」
「はいぃッ」
──パワハラァ!
「サイト関連に詳しい奴を付けてやる。みっちりしごいてもらえ」
「はいッ申し訳ありません! そしてパワハラです!」
「申し訳ない!」
思ったことを勢いで言ってしまったのに、素直に謝られて動揺する。こんな人だっただろうか。
「高田、内線入れるからちょっと待ってろ」
「有難う御座います!」
糸で吊られた人形になった俺は、青鬼が俺に教えてくれる先輩に電話で掛けあってくれている間、微動だにせずただただ体を硬直させて上を向いているしかなかった。
「おー高田! 救世主!」
青鬼の手のひらを返した物言いにげんなり思いながら、愛想笑いを張り付けて会釈する。相手をよく”見ている”八代さんもこんな気分だったのだろうか。俺も昔はその内の一人だったわけだ。腹の底がこそばゆい。
きっと青鬼も嫌味ではなく、本当に褒めてくれているのだろう。しかし、当人には都合のいい持ち上げは嘘くさく聞こえてしまうことをやっと思い知った。人の振り見て我が振り直せとはこのことか。青鬼は、俺の前まで寄ってきて肩を軽く組んできた。満面の笑み付だ。こんなことはもちろん、入社以来初めての経験である。
「いやー! 高田が取ったクジームが結構なところでな。ほら、先週俺も挨拶に行っただろ。それのお礼だとかで電話をもらったんだが、元々の話では既存イベントのプロデュースを引き継ぐだけだったのが、高田を気に入ってくれて、イベントサイト立ち上げも任せようか検討してくれてるそうだ! もし決まれば、それだけで今期のノルマ超えそうだぞ」
「ほ、ほんとですか」
異常に上機嫌な訳が分かった。これはさすがに動揺も隠せない。今回受注したプロデュース案件だって、毎年行われる大規模なイベントだから通常の倍は請求出来るところで喜んでいたのに、さらに新規サイトの立ち上げもだなんて。確かに水谷さんと会った時に新規サイトの話は出ていたが、まさかこちらに振ってくるとは思いもしなかった。
もし本当に、この話が現実となれば、一千万円は下らない大型受注になる。通常の場合、大騒ぎされて精々数百万である。俺にとっても会社にとっても、かなり重要な局面にいることを理解した。
「デザインだけじゃなくてシステム関連……サイト全体を任せてくれるってことですか」
うちはあくまでイベントをプロデュースする会社のため、イベントサイトなどのインターネットサービスに関してはオプション的な扱いでデザイン部門しかない。更新作業を受注した場合はシステムを外注で頼んでいるので、全体を任されるのであれば、外注に依頼するにも時間と人数が必要になる。
何故、サイト作成をメインで行う大手企業ではなく、うちを選んだのかいまいち理解に苦しむ。頷く青鬼を見て、大変なことになった驚きの気持ちと初めての案件に心浮つく気持ちが、ぐるぐる体中を駆け巡った。
──でも、面白い!
やっと仕事の面白さを感じた気がする。やりがいという言葉が頭の中を駆けていく。こうしてはいられない。水谷さんに連絡をしてみよう。
まずは、当面受注したイベントの進捗を聞いてみて相手の出方を探る。こちらは親身になって考えている一営業マンで、印象を少しでも良くするのだ。姑息だと言われようが、こちらだってビジネス。全く真正直に「新規サイトの立ち上げはうちに任せてください」など最初からぐいぐいいってしまっては、受注出来るものも出来なくなる。さっそくスマートフォンを取り出し、水谷さんの番号を探った。
「はい、はい。有難う御座います!」
見えない相手に、立って何度もお辞儀をしながら通話を終わらせる。息を吐いて背もたれにもたれて座ると青鬼が飛んできて、顔面凶器みたいな表情でデスクに手を付かれた。
──威圧感ばかり先行するけど、この人も営業なんだよなぁ。課長になったんだから、それなりの成果を残してきたんだろ。この顔面で。ある意味すごい。
「ど、どうだっ」
俺は無言でピースサインだけ出す。
「まだ内々定ってとこですけど、イベントが今年で十周年なので、記念してイベントサイトを立ち上げることが決定したのは本当みたいです。で、予定が決まれば多分うちに……というニュアンスの言葉は頂けました」
青鬼の染みついた眉間の皺が、じわじわ緩まっていく。デスクに置いていた両手を乱暴に掴まれ、無理やり頭上に上げさせられる。
「やったー! 救世主!」
「違いますって! まだ内々定で、それに恥ずかしいです!」
「これが黙ってられるか! おーい、今日は営業で飲み会だ」
すでに受注が決まったような素振りの青鬼に、俺は赤くなったり青くなったり忙しい。事の次第を盗み聞きしていた周りの連中も、青鬼に乗っかって盛り上がりだした。荒田なんか俺より真っ赤にしながらジャンプしている。スカートではしゃがないでくれ。これだから営業は。俺も盛り上がっている人間がいると、積極的に輪に入って叫びたくなる同じ種類の人間だけれども。
「あ」
俺がふいに声を上げて青鬼が振り向く。
「どうした、高田。今日都合が悪いなんて言うなよ?」
「いえいえ、そんなことは!」
笑顔で飲み会を強制してくる青鬼は置いておくとして、重大なことに気が付いてしまった。
「俺、イベントの現場に行く仕事しかやってなかったんで、更新作業以外はサイトの立ち上げなんて案件全然分からないんですけど……サイトのデザインの流行とか攻め方とか、そもそもネット関連の知識も無いしどうやってやるんですかね?」
言い終わるや否や青鬼の鉄拳がこめかみを貫いた。
「研修でやっただろうがぁ!」
「はいぃッ」
──パワハラァ!
「サイト関連に詳しい奴を付けてやる。みっちりしごいてもらえ」
「はいッ申し訳ありません! そしてパワハラです!」
「申し訳ない!」
思ったことを勢いで言ってしまったのに、素直に謝られて動揺する。こんな人だっただろうか。
「高田、内線入れるからちょっと待ってろ」
「有難う御座います!」
糸で吊られた人形になった俺は、青鬼が俺に教えてくれる先輩に電話で掛けあってくれている間、微動だにせずただただ体を硬直させて上を向いているしかなかった。
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