俯く俺たちに告ぐ

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時には曇天

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 後輩が出来た。

 営業課の後輩は元々いる。その後輩たちよりも下、新入社員の研修期間が終わり営業課に正式に配属されたのだが、内一人の教育係となった。まだ俺自身三年目であり、後輩を教育するなど初めてのことで、社内で教えるだけだとしても新規飛び込みの営業と同じくらい緊張する。青鬼が後ろに一人引き連れて俺のデスクまでやってきた。

「うちに配属になった荒田だ。高田は最近調子も良さそうだから、その勢いで教育係も頼むぞ」
「荒田真由です。お願いします!」
「はい、こちらこそ」

 すぐに自席へ戻ってしまった青鬼を遠目に見ながら、荒田に挨拶する。何となく営業だから男だと思い込んでいたが、女性で少なからず驚いた。別に女は営業ではやっていかれないなどと古臭い考えは持っていない。ただ、営業を志望する者自体男が多いため、自分のところへ来る後輩もそうなのだと思っていた。

 元気の良さは営業向きだろう。緊張した様子で挨拶した後立ったままでいる荒田を隣の席へ座らせる。とりあえず担当の仕事を手伝わせればいいと言われているが、説明する分普段より効率は落ちる。しかし、それも自分がしてもらったわけであるから、会社への恩返しと考えれば問題無い。地獄だと思っていた会社に恩があると思えるようになっただけ、前向きになれた証だ。後で八代さんに礼を言っておこう。

 状況も場所も変わらなくても、自分自身の立ち位置がどこにあって、今何をしているのかしっかり整理出来れば、見る景色はいくらでも変化する。そう教えてくれたのは、紛れもない彼だから。亡くなってまで教わってしまう俺も大概だ。

「じゃあ、まずはこれコピーしてくれる? 他の課に回すから、三部ずつでいいかな」
「はい!」

 姿勢を正して荒田が両手で大事そうに書類を持ってコピー機へ向かう。見送って仕事を進めていたが、五分経っても戻ってこなかった。コピー機には誰もいなかったのだから、少々遅い気がすると振り向くと、未だコピー機の前で忙しなく動く荒田が見えた。何となく理由を悟る。

「荒田。分かんないことがあるなら言えよ」

 声をかけるが、目が合った荒田が申し訳なさそうに眉を下げるので困ってしまう。手を差し伸べただけなのに、こちらが悪いことをしているようではないか。もう一度「何が分からないんだ」と問えば、やっと口を開いてくれた。

「あの、紙が詰まってしまったみたいで! コピーはほとんど取り終ってるんです」
「なるほどね」

 さすがにコピーの仕方が分からないと言われたら、「研修で何を教わってきたんだ」と注意してやるところだったが、紙詰まりは経験しないと分からなくても仕方がない。中を開けずに無理矢理引っ張ったり変なところを開けられて壊されるよりはましだ。しかし、一人で考えても時間が解決してくれる状況ではない。

「誰にも聞かないってのは問題だぞ? 報連相、そのために教育係がいるんだから」

 新入社員というものは、社員たちが当たり前だと思って行っていることを全く知らない場合も多い。それを分からないと自覚して、「分からないので教えてください」と言うのも仕事の一つだ。そうして経験していかなければ、いつまで経っても何も分からないままで、二年目になっても新入社員のままで、いずれ“使えない”社員になってしまう。

「はい! すみませんでした!」
「大丈夫。見本見せるから覚えてね」
「はい!」

 初日から注意をしたくなかったが、やるべきことはやっておかないと、ずるずるお互いに言えない関係になりでもしたらそれこそ厄介だ。代わりに紙詰まりを直しながらやり方を説明する。

 手帳を取り出してメモしているのには感心した。新入社員は同じ社会人だと思ってはならず、何十回も同じ失敗を繰り返す幼児くらいに思って対応しなければならないこともある。たいていの人間であれば、二回も言えば覚えるものだが、中には何回も失敗する者もいる。癖になっているわけだ。そこで腹を立ててはならない。青鬼と同じになってしまう。

 新入社員からしてみれば全てが未知の世界で、分かることより分からないことが多い。最初から失敗するごとに罵声を浴びせられては、頭の中が混乱してまた同じことを繰り返してしまう。そして怒鳴られる。やがて失敗が恐怖となり、何か大きなことを“しでかした”時、言うことを恐れて仕舞い込んでしまうことになるかもしれない。
後々のことを考えれば、最初の内のやり直しがきく失敗に関しては、一緒になってゆっくりでも一つ一つ克服してやることが一番の近道になるのだ。

 ぺこぺこ人形のように頭を下げる荒田に、残りを印刷するよう告げてデスクへ戻る。教育係になったからといって、普段の仕事を減らしてもらえる程甘くない。荒田に構いきりになってしまうと、定時後から仕事を始めることになる。

 すでに残業している身で、さらに残業に回す量を増やしてしまうことは絶対に避けたい。やっと軌道に乗って少しずつ残業も減ってきたところだったのに、これでは逆戻りだ。俺はデスクに広がる仕事を片っ端から片付けていった。

「うそ! そうなんですか……」
「ん?」

 荒田かと思って顔を上げたが、荒田は順調に印刷を進めていた。それならこの声は。きょろきょろ目線を動かすと、島二つ向こうで同じく新人であろう女子が立っていた。従業員の顔が見やすいということで、今は課ごとに区切っていたパーテーションが外されており、遠くの人間の表情もよく見えた。

 問題事か、いやしかし、あそこは営業だが違う課だ。彼女の教育係が対応するだろう。

――あの子がいるデスクって八代さんがいたとこだ。席替えして別の奴がいた気がするけど。

 もしかして、新人が入ってまた席替えをしたのだろうか。

 後ろにいる八代さんを見る。八代さんが首を傾げて苦笑いしていた。少しだけ意識をあちらに傾けながら仕事をする。次の言葉に絶句した。

「ちょっと気持ち悪いです~」

──は!?

「う~ん、じゃあ僕と交換する? 隣同士が交換くらいなら誰も文句言わないし」
「いえ、そんなつもりじゃ、じゃあお願いします。有難う御座います~」

──は!?

 思わずエンターキーを思い切り押してしまった。横の同僚が一瞬こちらを向いた。ごめんなさい。

──八代さんの席だった場所が気持ち悪いってなんだよ! 八代さんが気持ち悪いってことか!
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