3 / 40
雨のち雨
3
しおりを挟む
それにしても世の中不公平だ。俺には何も無くて八代さんには仕事のセンスも上司からの信頼も、とどめは彼女まで。噂では美人な彼女で結婚の約束もしたとかしないとか。どこまで俺を惨めにすれば気が済むのか、という俺の勝手な感想である。だが八代さんはそれを置いても良い人なので、距離を置くという選択肢は無い。だがせめて彼女は欲しい。
「はは、幸せって分けるもんじゃないしなー。でも、幸せかどうかは誰かが決めるんじゃなくて自分がそう思うかどうかだろ。全く同じ状況だって幸せだと思う人とそうでない人がいる」
「うう……正論過ぎて何も言い返せません」
何故この人はこんなにも真っ直ぐなのか疑問に思う。毎日真っ直ぐで疲れてしまうのではないだろうか、たまには斜めに生きたくならないだろうか。
二年と少し前、楽観的で楽しいことが好きな自分に合うだろうと、イベントプロデュースをしているこの会社に入った。様々な業種の会社と知り合い、その会社のイベントの場所を手配したり当日は一緒になって成功するよう影から盛り上げる。さらに、イベントに関するサイト作成のデザインも行っているので全面的にプロデュース出来、これは俺にぴったりな会社だと思い、張り切って面接を受けたのを覚えている。
今はそれを全力で後悔している最中だけれども。盛り上げると言っても、運営側で自分が中心になることは無く、イベント会場の手配やセッティングと地味な作業が多い。営業なので実際の作業はバイトがやってくれるが、顧客との連絡や当日のバイトへの指示出しはやらなければならない。会社に帰れば、その日の報告書を作って経費で落としてもらう申請書に残業申請書の作成……残業するための申請書なのに、その作成にまた時間を費やしているのがばかばかしくなってくる。
会社の内容が派手なだけで営業でも事務的な仕事が多くて、新人研修が終わってものの数か月でこの様だ。それなのに、一歩会社を出れば笑顔で営業して笑顔でイベントを盛り上げて、上辺だけの笑顔が癖になり、どれが本当の顔か分からなくなってしまった。
「うちってブラック企業ってやつじゃないんですかぁ」
机に突っ伏してシャーペンを左手でぐりぐりと転がしながら独り言のように呟く。返事が欲しかったわけではない、ただ少しばかり愚痴が言いたかっただけだ。しかし、この言葉はしっかりと横にいる八代さんに伝わったらしい。
「そんなことないよ」
一瞬きょとんとした八代さんは間を置いてそう言った。肯定してくれるとは思っていなかったが、同じ会社にいるのに平然としてられるのが不思議で、思わず反論してしまう。
「だって毎日残業じゃないですか」
「仕事がある時はそうだな」
「課長だって事あるごとに怒鳴り散らすし」
「まあ、あの人は声が大きいから興奮すると誰にでもああなる」
俺の否定的な考えは次々にへし折られ、あまりに余裕のある彼にムキになった子どもよろしく愚痴をさらに吐露した。
「有給だって取りづらいし、残業代も今年から裁量労働? とかいうのになって最初から付いてくるの以外は付かない」
「あー、そこはグレーなんだよなあ実際。ちゃんとこのくらいは残業するっていう量の残業代を含んでいれば全く違法じゃない、でも常時それ以上やっちゃってる企業はいくらでもいる」
俺からしたら「これならどうだ」とブラック的最大手を出したはずなのに、防御の盾も使わずさらりとかわされる。しかも彼の説明がいまいち理解出来ない。
「違法とかそうじゃないとかよく分からないっす。つか八代さんて社労士の有資格者でしたっけ? 独立でもするんですか」
「しないよ」
間髪入れずに返ってきた八代さんの答えに首を傾げる。俺にとって資格は誰かから必要と言われてやっと取るものだった。だから、中学の時に教師から半ば強制で全員受けさせられた英語検定と大学の学部関連で取った簿記があるくらいで、自分から取ったものなど一つも無い。実習のある教員免許を取ろうとしたならば、面倒が先だってきっと教育実習へ行く前に諦めて取れなかったに違いない。
だからわざわざ専門職の強い、さらに長い時間勉強せねば受からないような資格を取る意味が分からなかった。
「なんで取ったんですか」
思わず口から出ていた。
――ああ、これも失礼な言い回しだ。俺は失言が多過ぎる。
自分でも分かっているのにと少々気まずくなったが、八代さんは嫌な顔せずに答えてくれた。
「結構難しかったけどさ、これ知ってると会社のことがよく見えると思ったんだよ。別に職種に直結しなくたって人生には役立つだろ? 勉強って結果の為にするというより勉強そのものが勉強なんだ。学生の勉強だって歴史いらねーと思いながら勉強してたけど、実際はこれから役に立つことだけを学ぶんじゃなくて、そこにたどり着くために考えることを学ぶためのもので、さらにそれを使って将来への道を探すんだよ」
「そうですかー、すごいっす……」
今の俺には到底理解が出来なかった。
「はは、幸せって分けるもんじゃないしなー。でも、幸せかどうかは誰かが決めるんじゃなくて自分がそう思うかどうかだろ。全く同じ状況だって幸せだと思う人とそうでない人がいる」
「うう……正論過ぎて何も言い返せません」
何故この人はこんなにも真っ直ぐなのか疑問に思う。毎日真っ直ぐで疲れてしまうのではないだろうか、たまには斜めに生きたくならないだろうか。
二年と少し前、楽観的で楽しいことが好きな自分に合うだろうと、イベントプロデュースをしているこの会社に入った。様々な業種の会社と知り合い、その会社のイベントの場所を手配したり当日は一緒になって成功するよう影から盛り上げる。さらに、イベントに関するサイト作成のデザインも行っているので全面的にプロデュース出来、これは俺にぴったりな会社だと思い、張り切って面接を受けたのを覚えている。
今はそれを全力で後悔している最中だけれども。盛り上げると言っても、運営側で自分が中心になることは無く、イベント会場の手配やセッティングと地味な作業が多い。営業なので実際の作業はバイトがやってくれるが、顧客との連絡や当日のバイトへの指示出しはやらなければならない。会社に帰れば、その日の報告書を作って経費で落としてもらう申請書に残業申請書の作成……残業するための申請書なのに、その作成にまた時間を費やしているのがばかばかしくなってくる。
会社の内容が派手なだけで営業でも事務的な仕事が多くて、新人研修が終わってものの数か月でこの様だ。それなのに、一歩会社を出れば笑顔で営業して笑顔でイベントを盛り上げて、上辺だけの笑顔が癖になり、どれが本当の顔か分からなくなってしまった。
「うちってブラック企業ってやつじゃないんですかぁ」
机に突っ伏してシャーペンを左手でぐりぐりと転がしながら独り言のように呟く。返事が欲しかったわけではない、ただ少しばかり愚痴が言いたかっただけだ。しかし、この言葉はしっかりと横にいる八代さんに伝わったらしい。
「そんなことないよ」
一瞬きょとんとした八代さんは間を置いてそう言った。肯定してくれるとは思っていなかったが、同じ会社にいるのに平然としてられるのが不思議で、思わず反論してしまう。
「だって毎日残業じゃないですか」
「仕事がある時はそうだな」
「課長だって事あるごとに怒鳴り散らすし」
「まあ、あの人は声が大きいから興奮すると誰にでもああなる」
俺の否定的な考えは次々にへし折られ、あまりに余裕のある彼にムキになった子どもよろしく愚痴をさらに吐露した。
「有給だって取りづらいし、残業代も今年から裁量労働? とかいうのになって最初から付いてくるの以外は付かない」
「あー、そこはグレーなんだよなあ実際。ちゃんとこのくらいは残業するっていう量の残業代を含んでいれば全く違法じゃない、でも常時それ以上やっちゃってる企業はいくらでもいる」
俺からしたら「これならどうだ」とブラック的最大手を出したはずなのに、防御の盾も使わずさらりとかわされる。しかも彼の説明がいまいち理解出来ない。
「違法とかそうじゃないとかよく分からないっす。つか八代さんて社労士の有資格者でしたっけ? 独立でもするんですか」
「しないよ」
間髪入れずに返ってきた八代さんの答えに首を傾げる。俺にとって資格は誰かから必要と言われてやっと取るものだった。だから、中学の時に教師から半ば強制で全員受けさせられた英語検定と大学の学部関連で取った簿記があるくらいで、自分から取ったものなど一つも無い。実習のある教員免許を取ろうとしたならば、面倒が先だってきっと教育実習へ行く前に諦めて取れなかったに違いない。
だからわざわざ専門職の強い、さらに長い時間勉強せねば受からないような資格を取る意味が分からなかった。
「なんで取ったんですか」
思わず口から出ていた。
――ああ、これも失礼な言い回しだ。俺は失言が多過ぎる。
自分でも分かっているのにと少々気まずくなったが、八代さんは嫌な顔せずに答えてくれた。
「結構難しかったけどさ、これ知ってると会社のことがよく見えると思ったんだよ。別に職種に直結しなくたって人生には役立つだろ? 勉強って結果の為にするというより勉強そのものが勉強なんだ。学生の勉強だって歴史いらねーと思いながら勉強してたけど、実際はこれから役に立つことだけを学ぶんじゃなくて、そこにたどり着くために考えることを学ぶためのもので、さらにそれを使って将来への道を探すんだよ」
「そうですかー、すごいっす……」
今の俺には到底理解が出来なかった。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
あまやどり
奈那美
青春
さだまさしさんの超名曲。
彼氏さんの視点からの物語にしてみました。
ただ…あの曲の世界観とは違う部分があると思います。
イメージを壊したくない方にはお勧めできないかもです。
曲そのものの時代(昭和!)に即しているので、今の時代とは合わない部分があるとは思いますが、ご了承ください。
さよなら。またね。
師走こなゆき
青春
恋愛系。片想い系。5000文字程度なのでサラッと読めます。
〈あらすじ〉
「行ってきます」そう言って、あたしは玄関を出る。でもマンションの階段を下りずに、手すりから四階下の地面を見下ろした。
マンションの一階の出入り口から、紺のブレザーを着た男子学生が出てくる。いつも同じ時間に出てくる彼。
彼は、あたしと同じ高校に通ってて、演劇部の一つ上の先輩で、あたしの好きな人。
※他サイトからの転載です。
私の話を聞いて頂けませんか?
鈴音いりす
青春
風見優也は、小学校卒業と同時に誰にも言わずに美風町を去った。それから何の連絡もせずに過ごしてきた俺だけど、美風町に戻ることになった。
幼馴染や姉は俺のことを覚えてくれているのか、嫌われていないか……不安なことを考えればキリがないけれど、もう引き返すことは出来ない。
そんなことを思いながら、美風町へ行くバスに乗り込んだ。
First Light ー ファーストライト
ふじさわ とみや
青春
鹿児島県の女子高生・山科愛は、曾祖父・重太郎の遺品の中から一枚の風景画を見つけた。
残雪を抱く高嶺を見晴るかす北国らしき山里の風景。その絵に魅かれた愛は、絵が描かれた場所を知りたいと思い、調べはじめる。
そして、かつて曾祖父が終戦直後に代用教員を務めていた街で、その絵は岩手県出身の特攻隊員・中屋敷哲が、出撃の前に曽祖父に渡したものであることを知った。
翌年、東京の大学に進学した愛は、入会した天文同好会で岩手県出身の男子学生・北条哲と出会い、絵に描かれた山が、遠野市から見上げた早池峰山であるらしいことを知る。
二人は種山ヶ原での夏合宿あと遠野を訪問。しかし、確たる場所は見つけられなかった。
やがて新学期。学園祭後に起きたある事件のあと、北条は同好会を退会。一時疎遠になる二人だったが、愛は、自身の中に北条に対する特別な感情があることに気付く。
また、女性カメラマン・川村小夜が撮った遠野の写真集を書店で偶然手にした愛は、遠野郷に対して「これから出合う過去のような、出合ったことがある未来のような」不思議な感覚を抱きはじめた。
「私は、この絵に、遠野に、どうしてこんなに魅かれるの?」
翌春、遠野へ向かおうとした愛は、東京駅で、岩手に帰省する北条と偶然再会する。
愛の遠野行きに同行を申し出る北条。愛と北条は、遠野駅で待ち合わせた小夜とともに「絵の場所探し」を再開する。
中屋敷哲と重太郎。七十年前に交錯した二人の思い。
そして、たどり着いた〝絵が描かれた場所〟で、愛は、曾祖父らの思いの先に、自分自身が立っていたことを知る――。
※ この話は「カクヨム」様のサイトにも投稿しています。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
箱入り息子はサイコパス
広川ナオ
青春
病院育ちの御曹司、天王皇帝(あもう こうだい)。
アイドルを目指す気まぐれ女子高生、緑川エリカ。
高校に進学するために上京してきたコーダイは、ある日、向かいに住むエリカが変装をして配信活動をしていたところを目撃し、秘密を知られた彼女に目をつけられてしまう。だがコーダイの聡明さを知ったエリカは、逆にコーダイを自身のプロデューサーに無理やり任命する。
ちょっぴりサイコパスな箱入り息子と天衣無縫の気まぐれ少女。二人は噛み合わないながらも配信活動を成功させていき、1年が経過した頃にはエリカはネット上で有名な女子高生アイドルになっていた。
だがそんなある日、些細なことがきっかけで二人は喧嘩別れをしてしまう。
そしてその直後から、エリカの身に異変が起き始める。秘密にしていたはずの実名や素顔、自宅の住所をネット上にばら撒かれ、学校中で虐めの標的にされ、SNSで悪口を書かれーー
徐々に心を蝕まれていく少女と、その様子を見てほくそ笑むサイコパス。
果たして生きる希望を失った少女が向かった先はーー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる