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残像

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「これさ、当たりじゃない?」竹下の声が上擦る。

「当たりなら狂ってると思うけど」飯塚がため息を吐いた。

「狂っちゃったんじゃない」竹下が声を上げて笑う。その様子に、飯塚は山田が本当に狂ったのかもしれないと同情した。

 確かに被害者からすれば、友人が殺され、自分もいつ殺されるか分からない状況に追い込まれたら、正常な思考は出来ないだろう。信じられないような切れ切れの藁にも縋るかもしれない。つまり、そういうことだ。

 三十分近くかかって渋谷に着いた。駐車料金が異常な駐車場に停める。二人は歩きで駅前にあるらしい現場に向かった。

 もうばら撒きから一時間経過しているので、思ったより混乱は無かった。パトカーが三台と、野次馬から写真を受け取る警察官。てっきり写真を持ち帰る者が多くて手間取るかと思っていたのに、素直に渡している者ばかりだった。

「ああ、呪いが移るからか」

 閲覧禁止になった写真を面白がって、あれこれ書かれていたネットの書き込みを思い出す。納得した竹下の横で、飯塚がフードをさらに目深に被った。ついでにマスクもする。

「あは、マスクした方があの写真まんまじゃん」
「…………」

 飯塚が乱暴にマスクを外す。確かに竹下の言う通りだった。

「有名人は大変だ」
「元凶が」
「あはは」

 一年前に忘れ去られた飯塚の顔を一躍悪い意味で有名人にした竹下が、他人の顔で笑う。どんなに彼女が恐ろしい毒にされようが、彼は全く痛くない。彼には関係の無い出来事なのだ。

 あんなに何日も探していた山田はあっさりと見つかった。

 写真を撒いた後すぐ逃げただろうと予想していたのに、一時間経った現場を未だうろついていた。何を考えているのだろう。逃げる立場なのに攻めるあたり、彼女も犯罪者向きだと飯塚は感じた。

「面白いね、彼女」

 竹下も同じことを思ったらしい。人間は極限に晒されると自身の隠された性格が浮き彫りになる。誰かの所為にしたり、八つ当たりしたり、発狂したり、それでも誰かを助けようとしたり。誰もがいつでも良い人でありたいが、それを最後の最期まで実行出来るのは一握りなのかもしれない。

「いやぁ、実にもったいない」

 山田を気に入ったらしい竹下が、そう言いながら彼女の後を追う。念のため距離を置いているが、彼女には何か目的があるようで、後ろを気にする様子は一度もなかった。

 理由はすぐに分かった。山田が一人、殺害した。人が殺される瞬間はすでに経験済なのに、飯塚は無責任にもショックを受けた。

「なるほど。完全に呪いを模倣している。自分で作り上げたわけだ。写真を見たから殺されたってね。ただ、惜しいな。殺し方が違う」

 きっと、山田は今清々しい笑顔をしている。呪いを移して解放されたから。背中を見つめながら、二人は後を追った。

 電車は一年振りだった。竹下に至っては五年以上らしく、まず切符の買い方に手間取っていた。行き先が分からないため、飯塚が一番安い切符を二枚購入した。

「こんな切符買ってどうするの」
「後で足りない分、精算機で清算すればいいの」
「そうなの」
「そうなの」

 まるで小学生に教えている感覚に陥った。彼は四十代なのに。竹下は人生の中で、誰かに助けてもらってこなかったのだろうか。この一年、一緒にいても彼の内面が表に出てくることは無かったように思う。いつも飄々としていて、いつも演技がかっていた。

 山田は自宅から離れた駅で降りた。他の乗客に紛れて二人も降りる。田舎過ぎる駅だと目立つので、それなりに人気があってよかった。

 しきりに鞄を触る仕草で、竹下は山田の目的を感じ取った。なるほど、いらなくなったものは一刻も早く手放したいタイプか。竹下は自分と逆だと思った。せっかくの記念品を手放してしまうなんて出来そうもなかった。あの斧だって、大切に仕舞ってある。ただの忘れ物がとんだ宝物に変わったものだ。今後捨てるつもりもない。

「ちょっと、階段上がったから行くよ」

 飯塚が急かす。ようやく人通りの無い場所に行ってくれた。何日待ったことか。自分の服の匂いを嗅ぐ。

「いた」竹下が囁いた。

 山田が階段の先にある広場に立っていた。奥には柵があり、それを越えれば小さな崖がある。先ほど歩いていて、海に通じていることは分かっている。ここから証拠を隠滅するらしい。

「飯塚さん。話しかけて」
「いきなり? 変な人じゃん」
「いいんだよ、変な人で。彼女の気を引ければ」

 この広場には左奥にもう一つ階段があるため、そこから竹下が山田の後ろに回り込むことになった。飯塚はそれまでの時間稼ぎ。重要な役目だ。

 じゃり。

 慎重に踏み出した足は、たった一歩で山田に気付かれてしまった。フードに手を添える。顔は見えていないだろうか。彼女にバレたくない。鞄の中の凶器で刺されたくもない。痛いのはもう嫌だ。

「危ないですよ」

 ついて出た言葉は、誰に向けてのものか自分でも分からなかった。どうにか誤魔化さなくては。時間を引き延ばさなくては。すでに機嫌を損ねている山田に、当たり障りのない続きを作ってみるけれども、言えば言う程どつぼにはまっている気がした。

──やっと来た。

 包丁と素手ではどうあっても負ける。逃げようか迷っていたところに、暗がりから竹下がやってきた。どうやって追い詰めるのだろう。飯塚がそう思う前に、竹下はすでに実行に移していた。

「ああッしまった。勢いあまって海に落としちゃった。見つからないかも」

 そんな声とともに、実に鮮やかな包丁捌きで山田が海へと還された。崖の下に落としたのは彼のミスだったらしい。残されたのは、彼女の血とスマートフォンだけ。飯塚がスマートフォンを蹴ろうとしたら、竹下に止められた。

「置いておこ。そっちの方が早く見つけてもらえる」
「ああ、見つけてもらわないと次に行けないんだっけ」
「そうなんだけど、今回はしょうがない。見つからないと想定して、西村さんの方も継続しよ」

 すでに二人は現場を後にしているため、海に落ちた彼女がどうなったかは分からない。確認するより、現場に一秒でも長く残る方が不利だと考えた。体は見つからないかもしれないが、スマートフォンと血により、山田が事件に巻き込まれたことは公になる。それでステージクリアとすることにした。

 返り血の付いた服を脱ぎ、薄手のシャツ一枚になった竹下を見遣る。今回もちゃっかり右手を頂いていた。イレギュラーな場所であるからしないと思っていたのに。むしろ、彼にはこれが一番の目的なのかもしれない。右手は今、真空パックに入れられ、彼の鞄に納まっている。

「結構手間取ったね」

 そう言いつつも、右目に突き刺した山田の包丁に比べ、切れ味の良い彼のそれは段違いの活躍をした。

 このまま帰りたかったが、渋谷に車を置きっぱなしにしている。仕方なしに渋谷まで戻り、己の臭いに辟易しながらようやく帰路に就いた。
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