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残像
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「ひゃっほ~~!」
田舎道を竹下が車で飛ばす。横で飯塚が耳を塞いだ。
「五月蠅い」
「だってさぁ、楽しいじゃん。世間から忘れられた俺と死んだあんた。二人が落ちてた車で爆走。映画にでもなりそうじゃない?」
「ならない。前向いてください」
パーカーのフードを被った飯塚が竹下に冷たく当たる。
これからとんでもないことをしでかすというのに、遊園地にでも行く気なのかこの男は。本当に上手く行くのか不安になってきた。家で留守番しておけばよかった。しかし、飯塚には事の成り行きを見守る義務がある。
「なんでこっちなの? 相園さん家と逆なんだけど」
「真っすぐ行ったら怪しいでしょ。この車は旅行中、相園さん家がある地域にはたまたま寄った。それだけってことにする」
「ふうん」
犯行のコツなんぞ、飯塚にはこれっぽちも分からない。今後も分からなくていい。面倒事は全部竹下が行ってくれる。しかも楽しそうに。飯塚はそれに委ねるだけだった。責任を放棄しているようにも思われたが、あの日から今日までの一切を、彼の後をなぞっているだけの飯塚には、もうどうにも出来なかった。
千葉県を出て、東京都に入る。相園の家も東京だが、今はもっと北にいる。ドライブスルーで飲み物も購入した。
「本気で観光するの?」
「ううん、振りだけ。あとでナンバーも変えるしね。ほんと、この車目立たない白でよかった」
もしこれがピンクや緑であったなら、防犯カメラはもちろん、通行人の記憶に残るかもしれない。白はどこへ行っても溢れる程走っている。不法投棄の誰かに感謝した。
「どっかさ、行きたいとこある?」
急にそんなことを言うものだから、飯塚は飲んでいるお茶を吐き出しそうになった。慌てて口の中の残りを飲み込む。
「私に行きたいとこなんて」
「ないの? 復讐以外一つも?」
飯塚は否定出来なくなってしまった。生まれ持った性質か環境か、小学生の頃より内向的な飯塚は、親しい友人と呼べる人間はいなかった。近くに住んでいる同級生が外で遊んでいるのを眺めるくらいで、親も無理に友人を作らせようとはしなかった。
その中で唯一の思い出と言えば、数軒先に住んでいる三歳年上の少年だった。出会った時彼は六年生で、三年生の飯塚には随分大人に見えた。
『かえちゃん』
そんな風にあだ名で呼んでくれるのも彼だけだった。
今思えば、飯塚の周りに最後までいてくれたのは彼だけだった。
「一か所だけ」
振り絞った声は自分にも聞こえるかどうかの頼りなさで、やっぱり自分だめなのだと実感した。器用に受け取った竹下が頷く。
「オッケー。都内?」
「うん」
「相園さん家と近くない?」
「近くは、ない」
彼は大学進学と同時に一人暮らしを始めた。だから、飯塚や相園の家とは離れている。
「よし、安全運転で行くね」
「ありがとう」
行って何をしようと言うのか。死人が訪ねても、彼はきっと喜ばない。しかし、心のどこかで自分を待っていてくれているのではないかと。飯塚は膝に置いていた手をぎゅうと握り締めた。
「お~上野だ」
途中で上野駅の傍を通った。動物園も見えた。五歳くらいの頃、一度連れてきてもらったことを思い出す。あの頃は可愛がられていた、気がする。どこで間違ったのだろう。もう一度五歳に戻れたとしても、上手くやれる自信は無い。
いつも電車で訪れていたので、彼のアパートに近づいているのか不安だったが、最寄り駅に着いたところでようやく見慣れた道になった。
「そこ、真っすぐ、で、左曲がったところの二階建てアパート」
「うん」
車を左折させると、一年振りのアパートが現れた。記憶のそれと変わらない。時計を確認する。午後五時。遅い講義が無ければアパートにいる時間だ。彼はバイトをしていないし、大学から電車で十五分のところに住んでいるため、大学にいる以外はたいてい部屋でごろごろしていた。
もし会えたら、と思ったところで、止めた。これは思うだけで終わらさなければならないことだ。
「外、出れば」
「…………」
「誰かに会うんじゃないの?」
竹下の問いに、飯塚がふるふると首を振った。そもそも、会ってしまえば、飯塚が生きていることを知る人間が増えてしまう。これはよくないことだ。飯塚はこれから行うことを考えて、彼に迷惑が掛かることを恐れた。
「まあ、そっか。一階? 二階?」
「一階」
竹下が運転席のドアを開けて外に出る。飯塚は目で追ったが、席に座ったままだ。竹下は気にせず、真っすぐアパートに向かった。止めるべきか悩んでいる間に、アパートを一回りした竹下が戻ってくる。
「うーん、人の気配はしないよ。絶対いないかどうかは分からないけど、ちょっと廊下を歩くくらいならいいんじゃない?」
それでも動かない飯塚に、竹下が苛立ちを見せた。助手席のドアを開けて、飯塚の手を引っ張って引きずり出す。
「ほら、さっさと見て、他行こ」
「分かった」
元は自分から言い出したこと。竹下が苛立つのも無理はない。相園はフードを深く被り直し、渋々アパートの入り口を通った。
誰も歩いていない廊下を俯いて進む。目指す部屋は一〇三号室で、十歩も歩かないうちに着いてしまった。
「ここ?」
「うん」
「髪の毛ちょっと切って、ドアポストの中に突っ込んどく?」
「うわ……ッ」
随分趣味の悪いことを言われて、飯塚は顔を上げてしまった。嫌でも該当の部屋が目に映ってしまった。
中の電気は消えていて、竹下の言う通り彼は中にいないのだろう。
気の抜けた飯塚がドア横にある表札を見て、愕然とした。
「青崎……」
「ん? どうしたの?」
項垂れて首を振る飯塚に、竹下はこれ以上何も言わなかった。
また手を掴まれる。飯塚は嫌がらずそれに付いていった。
車に乗り込む。完全に無駄足だった。いや、これでよかったのかもしれない。高岡にとって、飯塚は過去の人間。前を向いて歩いてくれていれば、それでいい。
「一年も経てばね」
「うん」
「世間は変わるもんですよ」
「うん」
気まぐれの竹下が気を遣っているのが分かり、涙が流れそうになった。悔しくて、歯を食いしばる。これくらいでめげてはいられない。これはただの寄り道なのだから。
田舎道を竹下が車で飛ばす。横で飯塚が耳を塞いだ。
「五月蠅い」
「だってさぁ、楽しいじゃん。世間から忘れられた俺と死んだあんた。二人が落ちてた車で爆走。映画にでもなりそうじゃない?」
「ならない。前向いてください」
パーカーのフードを被った飯塚が竹下に冷たく当たる。
これからとんでもないことをしでかすというのに、遊園地にでも行く気なのかこの男は。本当に上手く行くのか不安になってきた。家で留守番しておけばよかった。しかし、飯塚には事の成り行きを見守る義務がある。
「なんでこっちなの? 相園さん家と逆なんだけど」
「真っすぐ行ったら怪しいでしょ。この車は旅行中、相園さん家がある地域にはたまたま寄った。それだけってことにする」
「ふうん」
犯行のコツなんぞ、飯塚にはこれっぽちも分からない。今後も分からなくていい。面倒事は全部竹下が行ってくれる。しかも楽しそうに。飯塚はそれに委ねるだけだった。責任を放棄しているようにも思われたが、あの日から今日までの一切を、彼の後をなぞっているだけの飯塚には、もうどうにも出来なかった。
千葉県を出て、東京都に入る。相園の家も東京だが、今はもっと北にいる。ドライブスルーで飲み物も購入した。
「本気で観光するの?」
「ううん、振りだけ。あとでナンバーも変えるしね。ほんと、この車目立たない白でよかった」
もしこれがピンクや緑であったなら、防犯カメラはもちろん、通行人の記憶に残るかもしれない。白はどこへ行っても溢れる程走っている。不法投棄の誰かに感謝した。
「どっかさ、行きたいとこある?」
急にそんなことを言うものだから、飯塚は飲んでいるお茶を吐き出しそうになった。慌てて口の中の残りを飲み込む。
「私に行きたいとこなんて」
「ないの? 復讐以外一つも?」
飯塚は否定出来なくなってしまった。生まれ持った性質か環境か、小学生の頃より内向的な飯塚は、親しい友人と呼べる人間はいなかった。近くに住んでいる同級生が外で遊んでいるのを眺めるくらいで、親も無理に友人を作らせようとはしなかった。
その中で唯一の思い出と言えば、数軒先に住んでいる三歳年上の少年だった。出会った時彼は六年生で、三年生の飯塚には随分大人に見えた。
『かえちゃん』
そんな風にあだ名で呼んでくれるのも彼だけだった。
今思えば、飯塚の周りに最後までいてくれたのは彼だけだった。
「一か所だけ」
振り絞った声は自分にも聞こえるかどうかの頼りなさで、やっぱり自分だめなのだと実感した。器用に受け取った竹下が頷く。
「オッケー。都内?」
「うん」
「相園さん家と近くない?」
「近くは、ない」
彼は大学進学と同時に一人暮らしを始めた。だから、飯塚や相園の家とは離れている。
「よし、安全運転で行くね」
「ありがとう」
行って何をしようと言うのか。死人が訪ねても、彼はきっと喜ばない。しかし、心のどこかで自分を待っていてくれているのではないかと。飯塚は膝に置いていた手をぎゅうと握り締めた。
「お~上野だ」
途中で上野駅の傍を通った。動物園も見えた。五歳くらいの頃、一度連れてきてもらったことを思い出す。あの頃は可愛がられていた、気がする。どこで間違ったのだろう。もう一度五歳に戻れたとしても、上手くやれる自信は無い。
いつも電車で訪れていたので、彼のアパートに近づいているのか不安だったが、最寄り駅に着いたところでようやく見慣れた道になった。
「そこ、真っすぐ、で、左曲がったところの二階建てアパート」
「うん」
車を左折させると、一年振りのアパートが現れた。記憶のそれと変わらない。時計を確認する。午後五時。遅い講義が無ければアパートにいる時間だ。彼はバイトをしていないし、大学から電車で十五分のところに住んでいるため、大学にいる以外はたいてい部屋でごろごろしていた。
もし会えたら、と思ったところで、止めた。これは思うだけで終わらさなければならないことだ。
「外、出れば」
「…………」
「誰かに会うんじゃないの?」
竹下の問いに、飯塚がふるふると首を振った。そもそも、会ってしまえば、飯塚が生きていることを知る人間が増えてしまう。これはよくないことだ。飯塚はこれから行うことを考えて、彼に迷惑が掛かることを恐れた。
「まあ、そっか。一階? 二階?」
「一階」
竹下が運転席のドアを開けて外に出る。飯塚は目で追ったが、席に座ったままだ。竹下は気にせず、真っすぐアパートに向かった。止めるべきか悩んでいる間に、アパートを一回りした竹下が戻ってくる。
「うーん、人の気配はしないよ。絶対いないかどうかは分からないけど、ちょっと廊下を歩くくらいならいいんじゃない?」
それでも動かない飯塚に、竹下が苛立ちを見せた。助手席のドアを開けて、飯塚の手を引っ張って引きずり出す。
「ほら、さっさと見て、他行こ」
「分かった」
元は自分から言い出したこと。竹下が苛立つのも無理はない。相園はフードを深く被り直し、渋々アパートの入り口を通った。
誰も歩いていない廊下を俯いて進む。目指す部屋は一〇三号室で、十歩も歩かないうちに着いてしまった。
「ここ?」
「うん」
「髪の毛ちょっと切って、ドアポストの中に突っ込んどく?」
「うわ……ッ」
随分趣味の悪いことを言われて、飯塚は顔を上げてしまった。嫌でも該当の部屋が目に映ってしまった。
中の電気は消えていて、竹下の言う通り彼は中にいないのだろう。
気の抜けた飯塚がドア横にある表札を見て、愕然とした。
「青崎……」
「ん? どうしたの?」
項垂れて首を振る飯塚に、竹下はこれ以上何も言わなかった。
また手を掴まれる。飯塚は嫌がらずそれに付いていった。
車に乗り込む。完全に無駄足だった。いや、これでよかったのかもしれない。高岡にとって、飯塚は過去の人間。前を向いて歩いてくれていれば、それでいい。
「一年も経てばね」
「うん」
「世間は変わるもんですよ」
「うん」
気まぐれの竹下が気を遣っているのが分かり、涙が流れそうになった。悔しくて、歯を食いしばる。これくらいでめげてはいられない。これはただの寄り道なのだから。
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